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万葉集巻第二十4468-4469番歌(うつせみは数なき身なり)~アルケーを知りたい(1681)

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▼今回は家持が病気になって床に就いたときの思いを詠った二首。4468番は、布団に寝ていると自分などこの世ではものの数にも入らない存在だから、この世に関わるのではなく山や川の自然の中で自分の道を求めるほうが良い、と考えている。4469番は、自然も変化著しいのだからそのスピードについて行って清い道に出会えるようにせねば、と言う。元気そうなので、回復基調にある時の歌のようだ。  病に臥して無常を悲しび、道を修めむと欲ひて作る歌二首 うつせみは数なき身なり山川の さやけき見つつ道を尋ねな  万4468 *現実のこの世ではものの数にも入らないこの身。山や川の清らかな場所で道を追求したいもの。 渡る日の影に競ひて尋ねてな 清きその道またもあはむため  万4469 *空を動く太陽とその影に競うように、求める清らかな道に出会えるように精進せねば。 【似顔絵サロン】 病の大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4466-4467番歌(剣太刀いよよ磨くべし)~アルケーを知りたい(1680)

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▼今回は、前回の4465番の長歌に続く短歌二首。気になるのは4467番の後書き。今回の三首は、 淡海三船の讒言 (人を陥れるため目上の人に嘘を言うこと ) で大伴古慈斐が役職を解かれた、とある。理不尽な目に遭っても大伴一族の誇りを失わず、剣を研ぎ澄ませ、という家持の言葉。 磯城島の大和の国に明らけき 名に負ふ伴の男心つとめよ  万4466 *磯城島の大和の国で明らかな家名を背負う大伴の皆よ、気合を入れて務めに励むように。 剣太刀いよよ磨くべしいにしへゆ さやけく負ひて来にしその名ぞ  万4467 *剣を研ぎすますべし。昔から背負ってきた大伴の家名であるぞ。   右は、 淡海真人三船 が讒言によりて、出雲守 大伴古慈斐 宿禰、任を解かゆ。 ここをもちて、家持この歌を作る。 【似顔絵サロン】 淡海 三船  おうみ の みふね 722 - 785 奈良時代後期の皇族・貴族・文人。弘文天皇の曽孫。 756年、朝廷を誹謗したとして、大伴古慈斐と共に衛士府に禁固され、3日後に放免。 大伴 古慈斐  おおとも の こしび 695 - 777 奈良時代の公卿。大伴祖父麻呂の子。 756年、藤原仲麻呂により、朝廷を誹謗し臣下の礼を失したとの理由で淡海三船と共に衛士府に拘禁され、3日後に赦免。 757年、橘奈良麻呂の乱に連座して土佐国へ流罪。770年、復帰。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4465番歌(空言も祖の名絶つな)~アルケーを知りたい(1679)

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▼今回は久しぶりの長歌。家持が一族に大伴の名を大事にせよと檄を飛ばす歌。  族を喩す歌一首  幷せて短歌 ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし すろめきの 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますらたけをを 先に立て 靫取り負はせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を 皇へに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる ますらをの伴  万4465 *かりそめにほ大伴の名前を汚すようなことがあってはならない。大伴の名を背負うわがますらをよ。 【似顔絵サロン】 族を喩す大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4463-4464番歌(ほととぎすまづ鳴く朝明)~アルケーを知りたい(1678)

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▼家持は何かというとホトトギスを持ち出して詠っている。50首以上あるんとちゃう。4463番を見ると、どこからそんなこだわりが出て来るん?と思ふ。人のこだわりは人それぞれだから良いんだけど、ホトトギスが鳴きながら通り過ぎるんじゃなくて、通り過ぎないようにするにはどうすれば良いかとか、普通は考えないだろう(笑)。変な人だ、家持さんは。4464番は、気楽に話せる友達と飲み会をする日を楽しみにしつつ、ホトトギスを気にかけているという。ふむふむ、そうなんだ (笑) 。 ほととぎすまづ鳴く朝明いかにせば 我が門過ぎじ語り継ぐまで  万4463 *ホトトギスの朝の第一声。どうやれば我が家の門を通り過ぎないでいさせられるか。それが語り継がれるほどに。 ほととぎす懸けつつ君が松蔭に 紐解き放くる月近づきぬ  万4464  右の二首は、二十日に、 大伴宿禰家持興に依りて作る 。 *ホトトギスを気にしながら、貴方様が待つという松蔭で気分を解放して遊べる月が近づいています。 【似顔絵サロン】 興に依る大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4460-4462番歌(堀江漕ぐ伊豆手の舟の)~アルケーを知りたい(1677)

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▼4460番は、伊豆メイドの舟は特長があったのだろうと思わせる。舟の漕ぎ手もさることながら、舟も大工の腕でルックスや性能が違っていたはず。4461番は、楫の音をフューチャーした歌。4462番も前の歌と同じく楫の音つながり。 楫を漕いでみたい。機会はないものか。昔、漕いだ記憶があるのだが、これは幻かも知れない。 堀江漕ぐ伊豆手の舟の楫つくめ 音しば立ちぬ水脈早みかも  万4460 *堀江を漕ぎ進めるメイドイン伊豆の舟。楫がきしむ音がしばしば聞こえるのは水の流れが早いからか。 堀江より水脈さかのぼる楫の音の 間なくぞ奈良は恋しかりける  万4461 *堀江から流れを遡る舟の楫の音が聞こえ続ける。奈良を いつも 恋しく思う私の気持ちのようだ。 舟競ふ堀江の川の水際に 来居つつ鳴くは都鳥かも  万4462 *漕ぎ競う舟ような音で堀江の川の水際で鳴いているのは、都鳥かも知れない。   右の三首は、江の辺にして作る。 【似顔絵サロン】 伊豆手の舟大工  ? - ? 奈良時代の船大工。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4457-4459番歌(葦刈りに堀江漕ぐなる)~アルケーを知りたい(1676)

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▼4457番の前書きと歌の関係がよく分からない。昔の和歌にはよくあること。だから気にしない。4457番は家持が馬国人の家の近くの植物を誉めている歌。木や草を誉めてどうするのかというと、これは馬国人に親しみの情を表しているのだろう。というのも続く4458番で馬国人が会話が楽しいと家持に返しているから。4459番は大原今城が前の歌を詠った日とは違う日に違う場所で詠んだ歌を大伴池主が声に出して読んだ歌。どういう関係なんだかさっぱり。でも歌の調子を見ると都の近くに住んでいる幸福感がにじみ出ているのが共通。  天平勝宝八歳丙申の二月の朔乙酉の二十四日戊申に、太上天皇、天皇、大后、河内の離宮に幸行し、経信壬子をもちて難波の宮に伝幸す。 三月の七日に、河内の国伎人の郷の 馬国人 の家にして宴する歌三首 住吉の松が根の下延へて 我が見る小野の草な刈りそね  万4457   右の一首は兵部少輔大伴宿禰家持。 *住吉の松の根が土深く延びているように、私が眺めるのを楽しみにしている小野の草は刈り取らないでくださいね。 にほ鳥の息長川は絶えぬとも 君に語らむ言尽きめやも  未詳 万4458   右の一首は主人散位寮の散位 馬史国人 。 *息長川が枯れることがあっても、貴方様に語りたい言葉が尽きることはありません。 葦刈りに堀江漕ぐなる楫の音は 大宮人の皆聞くまでに  万4459   右の一首は、式部丞大伴宿禰池主読む。 すなはち云はく「兵部大丞大原真人今城、先つ日に他し所にして読む歌ぞ」といふ。 *葦を刈るために堀江を進む舟の楫の音は、大宮人のみなさんに聞こえています。 【似顔絵サロン】 馬 国人  うま の くにひと/ときひと ? - ? 奈良時代の官人・歌人。王仁の後裔で、漢系渡来氏族。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4455-4456番歌(ますらをと思へるものを)~アルケーを知りたい(1675)

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▼4455番は、芹を摘んで贈りものにするときに添えた歌。 粋な振る舞いとはかくあるべし。4456番の返しを見ると、葛城王は純朴、 薩妙観はその上手を行く感じがした。歌の贈答勝負としては引き分けか。家持はニヤリとしながらこの二首を選んだのでは・・・。  天平元年の班田の時に、使の 葛城王 、山背の国より薩妙観命婦等の所に贈る歌一首  芹子の褁に副ふ あかねさす昼は田賜びてぬばたまの 夜のいとまに摘める芹これ  万4455 *昼間は班田収授の作業に追われていましたので、夜のすきま時間に摘んだ芹です、これは。   薩妙観命婦 が報へ贈る歌一首 ますらをと思へるものを大刀佩きて 可爾波の田居に芹ぞ摘みける  万4456   右の二首は、左大臣読みてしか云ふ。左大臣はこれ葛城王にして、後に橘の姓を賜はる *益荒男と思っておりましたのに、刀を腰につけたまま可爾波の田んぼに入って芹を積んでくださったとは、まあ。 【似顔絵サロン】 葛城王 =橘 諸兄 たちばな の もろえ 684 - 757 奈良時代の皇族・公卿。吉備真備と玄昉が政治を補佐。 薛妙観命婦  せちみょうかんのみょうぶ / 薩妙観 せちめうくわん/さつみょうかん ? - ? 奈良時代の女性歌人。 ほととぎすここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験あらめやも  万4438 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20