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万葉集巻第十2110‐2113番歌(人皆は萩を秋と言ふよし)~アルケーを知りたい(1450)

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▼2110は秋をいつとするのかについての持論を述べた歌。みなさんはAと仰る、しかし私はBと言いましょう、と対比させている。2111は萩の贈り主への気持ちが伝わる歌。2112も萩を介した大切な人への気持ちを表す歌。 ▼ 藤原種継暗殺事件には、万葉集の編集者である大伴家持が連座した。家持のことを旅人の息子で、書持の優しいお兄さん、という面でしかとらえてなかった。けれど、歴史に残る事件に深く関わる面もあったことを知った。 人皆は萩を秋と言ふよし 我れは尾花が末を秋とは言はむ  万2110 *世間のみなさんは萩の花が咲いたときをもって秋と仰る。でも私は、萩の花が終わった頃が秋であると申しましょう。 玉梓の君が使の手折り来る この秋萩は見れど飽かぬかも  万2111 *ご主人様の使いの人が手折ってお持ちくださったこの秋萩は、いくら見ても飽きません。 我がやどに咲ける秋萩常ならば 我が待つ人に見せましものを  万2112 *私の家で咲いた秋萩の花は、咲いた状態が続くものであれば私がお待ちしている方にお見せしたいものです。 手寸十名相植ゑしくしるく出で見れば やどの初萩咲きにけるかも  万2113 *「手寸十名相」を植えたかいがあって、庭に出て見ると初萩が咲いております。 【似顔絵サロン】785年、藤原種継暗殺事件の関係者: 大伴 家持  おおともの やかもち 718 - 785 公卿・歌人。藤原種継事件の一か月前に死去していたものの、首謀者として官籍から除名された。万葉集は、反逆者が編纂した歌集と見られたため公的認知が遅れた。   〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2106‐2109番歌(さ額田の野辺の秋萩)~アルケーを知りたい(1449)

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▼歌を見ていると、風景や絵柄が クリアに イメ―ジできるものとそうでないものがある。2106は秋萩をかんざしにする絵柄が浮かぶ。でも2107は女郎花と萩の二つが出て来るので、どちらに焦点が当たっているのか分からないのでちょっと落ち着かない気分になる。 さ額田の野辺の秋萩時なれば 今盛りなり折りてかざさむ  万2106 * 額田 の秋萩の花が盛りを迎えたので、折り取ってかんざしにしましょう。 ことさらに衣は摺らじをみなへし 佐紀野の萩ににほひて摺さむ  万2107 *わざわざ着物を染めることはない。女郎花が咲く佐紀野の萩が花盛りだからそれに染まりましょう。 秋風は疾く吹き来萩の花 散らまく惜しみ競ひ立つ見む  万2108 *秋風よ、すぐここに来て吹いてくれ。萩の花が散るのを惜しむように枝が揺れるのを見たいから。 我がやどの萩の末長し秋風の 吹きなむ時に咲かむと思ひて  万2109 *私の家に咲いている萩の枝が長く伸びています。秋風が吹いたら花咲かせようと思っているのでしょう。 【似顔絵サロン】785年、長岡京遷都の後、造宮監督中に矢で射殺される藤原種継暗殺事件が発生。これに関係する人々: 藤原 種継  ふじわら の たねつぐ 737 - 785 奈良時代末期の公卿。藤原宇合の孫。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2102‐2105番歌(秋風は涼しくなりぬ)~アルケーを知りたい(1448)

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▼今は春、今回の4首は秋。季節は違うけれど、面白い歌ぞろい。2102は花が露と争ふ、という表現が面白い。2103は、好きなワード「馬並めて」が入っているだけで嬉しい。一緒に萩を見に行くのだなあ、楽しそうだ。2104は、作者の好みがはっきり出ているのが好ましい。2105は「 秋萩咲きぬ折りてかざさむ」でトドメを刺されるのが嬉しい。 この夕秋風吹きぬ白露に 争ふ萩の明日咲かむ見ゆ  万2102 *今夕から秋風が立ち始めました。白露と競っている萩の花が明日、咲くかどうか見ものです。 秋風は涼しくなりぬ馬並めて いざ野に行かな萩の花見に  万2103 *秋風が涼しくなりました。さあ、馬を連ねて萩の花を見に野に出かけましょう。 朝顔は朝露負ひて咲くといへど 夕影にこそ咲きまさりけれ  万2104 *朝顔は朝露で咲くといいますが、私は夕方に咲く朝顔が勝っていると思います。 春されば霞隠りて見えずありし 秋萩咲きぬ折りてかざさむ  万2105 *春には霞で隠れて見えなかった萩ですけど、秋には花が咲きますから、折り取ってかんざしにします。 【似顔絵サロン】785年、長岡京遷都の後、造宮監督中に矢で射殺される藤原種継暗殺事件が発生。これに関係する人々: 桓武 天皇  かんむてんのう 737 - 806 第50代天皇。平城京から長岡京および平安京への遷都を行った天皇。784年、長岡京遷都を決意、藤原種継に任せる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2098‐2101番歌(我が衣摺れるにはあらず)~アルケーを知りたい(1447)

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▼今回は、鹿、秋萩、白露、秋田という名詞で季節を感じる。秋萩や秋田の「秋」が効いているんだな。「 散らまく 」「枯らさむ」「にほふ」「摺れる」で出来上がる。今日はどこの野辺に行って衣を摺らむ。 奥山に棲むといふ鹿の宵さらず 妻どふ萩の散らまく惜しも  万2098 *奥山に棲む鹿は毎夕、雌鹿の所に行くけれど、そのときに萩の花が散ってしまうのが惜しい。 白露の置かまく惜しみ秋萩を 折りのみ折りて置きや枯らさむ  万2099 *白露が降りて秋萩の花が散るのが惜しいから、今のうちに折れるだけ折っておいたら枯れてしまうだろうか。 秋田刈る仮廬の宿りにほふまで 咲ける秋萩見れど飽かぬかも  万2100 *秋に稲刈りをするための小屋を照らし出すほど咲く秋萩はいくら眺めても飽きません。 我が衣摺れるにはあらず高松の 野辺行きしかば萩の摺れるぞ  万2101 *私の衣は染めたのではありません。高松の野原に行って萩の花の色で染まったのです。 【似顔絵サロン】740年、ポスト藤原広嗣の乱の人々: 光仁天皇  こうにんてんのう 709 - 782 第49代天皇。天智天皇の孫。藤原百川の推しを受けた。奈良時代最後の天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十2094‐2097番歌(雁がねの来鳴かむ日まで)~アルケーを知りたい(1446)

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▼季節の変わり目の花が雨で落ちるのを惜しむ歌。自分は風情を解する心に疎いけれど、こうやって詠まれた歌を見ていると、そうだなあと思ふ。そろそろ桜が咲くので、せっかくの花が雨で早く散るのが惜しい。  花を詠む さを鹿の心相思ふ秋萩の しぐれの降るに散らくし惜しも  万2094 *牡鹿が大好きな秋萩の花が時雨で散ってしまうのがたいへん残念です。 夕されば野辺の秋萩うら若み 露にぞ枯るる秋待ちかてに  万2095  右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *夕方には野原の若い秋萩が露でしおれました、秋が来るのを待ちかねるように。 真葛原靡く秋風吹くごとに 阿太の大野の萩の花散る  万2096 *真葛原では秋風が吹くたびに、阿太の大野で咲いている萩の花が散ります。 雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむ この萩原に雨な降りそね  万2097 *雁が来て鳴く日まで見ていたいから、 雨よ、 この萩の原に降らないでおくれ。 【似顔絵サロン】740年、ポスト藤原広嗣の乱の人々: 藤原 百川  ふじわら の ももかわ 732 - 779 奈良時代の公卿。藤原宇合の八男。広嗣の弟。神託事件で配流された和気清麻呂のために秘かに仕送りして支えた。称徳天皇=道鏡コンビの時代が終わった後、光仁天皇を擁立。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十1886‐1889番歌(白雪の常敷く冬は)~アルケーを知りたい(1445)

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▼1886番は町で偶然知人に会った時にも応用できそう。1888番の「白雪の常敷く冬」が厳しい寒さを感じさせる美しい表現。1889番の「下心」 は、悪だくみの意味になっているけど、この歌ではそうではない。心の下、底からじわりと嬉しい、という感じ。  懼逢 住吉の里行きしかば春花の いやめづらしき君に逢へるかも  万1886 *住吉村を進んでいると、春の花のように心惹かれる貴方様に出逢いました。  旋頭歌 春日にある御笠の山に月も出でぬかも 佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく  万1887 *春日にある御笠山に月が出てくれないかな。佐紀山で咲いている桜の花が見えるように。 白雪の常敷く冬は過ぎにけらしも 春霞たなびく野辺のうぐひす鳴くも  万1888 *いつも白雪が積もる冬の季節が過ぎたようです。春霞がたなびく野原でウグイスの鳴き声が聞こえます。  譬喩歌 我がやどの毛桃の下に月夜さし 下心よしうたてのこのころ  万1889 *私の家の毛桃の木の下に月光が差しています。何となく嬉しい気持ちになるこの頃です。 【似顔絵サロン】740年、ポスト藤原広嗣の乱の人々: 和気 清麻呂  わけ の きよまろ 733 - 799日 奈良時代末期~平安時代初期の貴族。道鏡が天皇になって良いものか宇佐八幡に出かけて神託を聞き、朝廷に報告した。道鏡の意に反する内容だったので、散々な目に遭わされる。朝廷が変わり名誉回復できたので幸い。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10

万葉集巻第十1882‐1885番歌(物皆は新しきよし)~アルケーを知りたい(1444)

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▼1882番は好きなキーワード「思ふどち」が出て来る歌。よき。1883番は「梅をかざして」いる人たちの心持ちが楽しい。能では竹の枝を持つと気がふれている様を表す。和歌では梅をかざすと楽しい場面を思わせる。何を持つかで状況説明ができるのだ。1884番と1885番は人の老いを詠った作品。84番で「そうだねえ」と思い85番で「それそれ、それですよね」と思ふ。前向きな気持ちにしてくれる歌。 春の野に心延べむと思ふどち 来し今日の日は暮れずもあらぬか  万1882 *春の野でのんびりしようと思い、気心知れた仲間と出かけました。今日が暮れないと良いのに。 ももしきの大宮人は暇あれや 梅をかざしてここに集へる  万1883 *大宮人は暇なのだろうか、梅を簪にしてここに集まっているけど。  歎旧 冬過ぎて春し来れば年月は 新たなれども人は古りゆく  万1884 *冬が過ぎて春になれば年月は新しくなるけれども、人は古びるのです。 物皆は新しきよしただしくも 人は古りにしよろしかるべし  万1885 *物はなんでも皆新しいものが良い。でも人は古びるのが良いのだよ。 【似顔絵サロン】740年、ポスト藤原広嗣の乱の人々: 道鏡  どうきょう 700 - 772 奈良時代の僧侶。平将門、足利尊氏とともに「日本三悪人」。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10