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1831、電磁誘導~ファラデー(英):アルケーを知りたい(629)

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今回は物理学。 ▼ 電磁誘導 。electromagnetic induction。磁束が変動すると近くの導体に電位差が生じる現象。 用途 : 発電機、モータ、変圧器。 ▼ ファラデーの電磁誘導の法則 。 Faraday's law of induction。回路に生じる誘導起電力の大きさはその回路を貫く磁界の変化の割合に比例する。磁界が強いほど、コイルの巻き数が多いほど、磁界の変化が素早いほど起電力が大きい。 ▼ファラデーのここが面白い: デービー の助手だったファラデーは1821(30) に電動機の原型になる装置を発明し、デービーに断らずに発表した。これでデービーが怒り、ファラデーは表向き電磁気の研究が出来なくなる。1829年にデービーが死去、2年後の1831年にファラデーが電磁誘導作用を発表した。この2年の間にイタリアの ザンテデスキ とアメリカ のヘンリー が電磁誘導現象を見つけたり、応用している。発見者の栄誉を得たのは、ご無体な師匠を辛抱したファラデーへのご褒美かな。 ▼ ファラデー  Michael Faraday 1791年9月22日 - 1867年8月25日  イギリスの化学者・物理学者(→616) 【ネットワーク】 デービー  Humphry Davy 1778年12月17日 - 1829年5月29日 イギリスの化学者。▼ファラデーについて「私の最大の発見はファラデーである」と高評価。一方で、ファラデーが王立協会フェロー候補になったときには反対したり「ウォラストンの電磁誘導の研究を盗んだ」と非難している(ウォラストン本人はそんなことは言ってないのに)。 ザンテデスキ  Francesco Zantedeschi 1797年8月20日 - 1873年3月29日 イタリアの物理学者、司祭。▼1829(32) 電磁誘導現象を発見、発表。 ヘンリー  Joseph Henry 1797年12月17日 - 1878年5月13日 アメリカの物理学者。 ▼1829(32) 電磁石を作成(→587) 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Faraday

1831、クロロホルム~リービッヒ(独)・スベイラン(仏)・ガスリー(米):アルケーを知りたい(628)

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今回は化学。 ▼ クロロホルム 。CHCl3。chloroform。用途は、溶媒や溶剤。 ▼経緯。 1831年、ドイツの化学者 リービッヒ 、フランスの薬学者 スベイラン 、アメリカの医師 ガスリー が独立してクロロホルムを発見。 1847年、イギリスの医師 シンプソン がクロロホルムを臨床に応用。 1853年・1857年、イギリスの医師 スノウ が、ヴィクトリア女王にクロロホルム麻酔で無痛分娩行い成功。 後に毒性が判明、麻酔薬は別のものに置換。 ▼ここが面白い:三つある。一つ目。同じ年に違う国で3人が別々にクロロホルムを発見していること。 二つ目。リービッヒとレービッヒ(→618)は名前が似ている、同じドイツの化学者、生年が同じ、共に臭素に関わる。気を付けないと間違えそうになる。 三つ目。現代はクロロホルムに代わるより安全な麻酔薬が登場している。麻酔の分野は進化している。 リービッヒ  Justus Freiherr von Liebig 1803年5月12日 - 1873年4月18日  ドイツの化学者。農芸化学の父 【教育】1822(19) ルートヴィヒ1世から留学奨学金を得てパリ大学ソルボンヌ校に留学。フンボルト (→626) の紹介でゲイ=リュサック (→584) の研究室で研究。 1823(20) エアランゲン大学で博士。 1824(21) 雷酸塩の研究にフンボルトがお墨付きを出す。 【職業】1824(21) フンボルトのお墨付きを見たルートヴィヒ1世がギーセン大学助教授に任命。 1826(23) ギーセン大学で教授。学生実験室を設置、学生が研究と論文作成を進めるスタイルを構築。 ホフマン 、 ケクレ 、 ヴュルツ 、 ジェラール 、 フランクランド 、 ウィリアムソン 、 ソブレロ らが学ぶ。 【業績】 1826(23) 雷酸塩がヴェーラー(→621)が研究中のシアン酸塩と同じ組成であることを発見。ベルセリウス (→614) が異性体と命名。 1831(28) リービッヒ冷却器を発表。 1831(28) クロロホルムを発見 。 スベイラン  Eugène Soubeiran 1797年12月5日 - 1859年11月17日 フランスの薬剤師。【職業】1823(26) パリのラ・ピティ病院で主任薬剤師。 1832(35) パリの病院とホスピスのPharma

1831、ノイマン=コップの法則~ノイマンとコップ(独):アルケーを知りたい(627)

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今回は物理学。 ▼ ノイマン=コップの法則 。固体の合金の分子熱はその成分元素の原子熱の和で近似できる。 ノイマンの法則 :類似構造の化合物の分子熱は常に同じ。別の言い方だと「化合物の分子熱は、その構成要素の原子熱の合計に等しい」 コップの法則 :固体化合物の分子熱容量は、それを構成する要素の原子熱容量の合計である。 ▼ノイマンとコップのここが面白い:ノイマンがノイマンの法則を発表したのが1831年。コップがコップの法則を発表したのが1855年。23年も発表時期が違うのに、法則名は両者の連名という不思議。 ▼ ノイマン  Franz Ernst Neumann 1798年9月11日 - 1895年5月23日  ドイツの鉱物学者、物理学者 【人物】1815(17) ベルリン大学の学生のとき百日戦争(ナポレオン戦争)に参加し負傷。 【教育】ベルリン大学。最初は神学、次に自然科学に転向。 【職業】1829(31) ケーニヒスベルク大学で鉱物学と物理学の教授。 【業績】 1831(33) ノイマンの法則を発見 。 1886(88) コプリ・メダル受賞。 ▼ コップ  Hermann Franz Moritz Kopp 1817年10月30日 - 1892年2月20日  ドイツの化学者 【人物】父は医師、教授。 【教育】マールブルク大学、ハイデルベルク大学。 【職業】1839(22) ギーセン大学で憧れのリービッヒに弟子入り。 1841(25) ギーセン大学で私講師。 1853-64(37-47) ギーセン大学で教授。 1864-92(47-75) ハイデルベルグ大学で教授。 【業績】 1855(38) コップの法則を発見 。 【ネットワーク】 ワイス  Christian Samuel Weiss 1780年2月26日 - 1856年10月1日 ドイツの鉱物学者。ベルリン大学で鉱物学の教授。▼ノイマンの師匠。 リービッヒ  Justus Freiherr von Liebig 1803年5月12日 - 1873年4月18日 ドイツの化学者。ギーセン大学の教授。植物や動物の生理学に化学を適用。農芸化学の父、肥料産業の父。リービッヒの樽。▼有名なリービッヒ教授にコップが弟子入りしてキャリアをスタート。 キルヒホフ  Gustav Robert Kirchhoff 1824年3月

1801、バナジウム~デル・リオ(瑞):アルケーを知りたい(626)

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今回は化学。 ▼ バナジウム 。元素記号は V、原子番号23、vanadium。 名前の由来は、スカンジナビア神話の愛と美の女神バナジス vanadis。用途は製鉄の添加物。ダマスカス鋼にも微量に入っているという。 ▼経緯~デル・リオのここが面白い 1801年、スペインの化学者 デル・リオ がメキシコの鉱石から新元素を発見。クロムに似た色という意味で パンクロミウム panchromium と命名。後に エリスロニウム erythronium に改名。 1802年、デル・リオは新しい元素を含むサンプルを フンボルト に渡し 分析を依頼 。フンボルトは分析をフランスの化学者 コレット-デスコティル に依頼。 1806年、 コレット-デスコティル がデル・リオが発見した物質はクロムと間違った判断をくだす。これをもとにフンボルトはデル・リオは新元素を発見していないと判断。 1830年、スウェーデンの化学者 セフストレーム が鋼の脆さの研究中に軟鉄から新元素を発見。色合いが鮮やかさから 女神バナジス vanadisに因んで「バナジウム」と命名 。 1831年、 ヴェーラー (→621、625)が エリスロニウムとバナジウムは同じものであることを発見 。 1867年、イギリスの化学者 ロスコー が金属バナジウムの生成に成功。 ▼ アンドレス・マヌエル・デル・リオ  Andrés Manuel Del Río 1764年11月10日 - 1849年3月23日  スペインの化学者、鉱物学者  【人物】メキシコの鉱業発展に貢献したスペイン生まれの化学者 【教育】1780(16) アルカ・ デ・エナレス大学で分析化学と冶金学を学び学士  1782(18) 王立鉱山アカデミーに入学。フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスに留学。 【職業】1794-1849(30-85) スペインの鉱山学者 エルヤル の紹介でスペインがメキシコに設立した鉱山大学で鉱物学の創設教授。 1829-34(65-70) アメリカでフィラデルフィア地質学会の会長。 【業績】 1801(37) バナジウムを発見(エリスロニウムと命名) 【ネットワーク】 エルヤル  Fausto de Elhuyar y de Suvisa 1755年10月11日 - 1833年2月6日 スペインの化学者。▼1793年、エルフヤル

1828、尿素の化学合成~ヴェーラー(独):アルケーを知りたい(625)

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今回は化学。 ▼ 尿素 。 urea 。無機化合物から初めて合成された有機化合物。用途は、保湿クリーム、肥料、ユリア樹脂。 ▼経緯。 1727年、オランダの医師 ボーハーヴェ が尿の蒸発物から尿素(この時は名称未定)を発見。 1773年、フランスの ルーエル が尿から尿素(この時は名称未定)を含む結晶を得る。 1799年、フランスの フルクロワ と ヴォークラン がルーエルの見つけた物質に「urea」という用語を発明。 1828年、 ヴェーラー が無機物から尿素を生成。 ▼ヴェーラーのここが面白い:師匠ベルセリウスのスウェーデン語の論文に自分の解説を入れてドイツ語の化学の教科書を作った。このおかげで学生が化学を学びやすくなった。この教科書は25年間で15版を重ねた。化学のパイオニアであるだけでなく、後に続く人たちの道筋を作る人であった。 ▼ ヴェーラー  Friedrich Wöhler 1800年7月31日 - 1882年9月23日  ドイツの化学者。有機化学の父。 (→621) 【尿素関係のネットワーク】 ボーハーヴェ  Herman Boerhaave 1668年12月31日 - 1738年9月23日 オランダの医師。オランダのヒポクラテス。▼ 1727(59)  尿の蒸発物から尿素(この時は名称未定)を発見。 ルーエル  Hilaire Marin Rouelle  1718年2月15日 - 1779年4月7日 フランスの化学者。▼1773(55) 尿素の結晶を得る。 フルクロワ  Antoine François Fourcroy 1755年6月15日 - 1809年12月16日 フランスの化学者。「 化学の成功はいつの日か医学の様相を変え、有益な革命をもたらすだろう」という信念の持ち主。 ▼ 1799(44) 助手のヴォークランと共に ルーエルの見つけた物質に「urea」という用語をあてる。 ヴォークラン  Louis-Nicolas Vauquelin 1763年5月16日 - 1829年11月14日 フランスの化学者・薬剤師。1797年にクロム(→576)、1798年にベリリウムを発見した。 ▼ 1799(36) 師匠のフルクロアと共に ルーエルの見つけた物質に「urea」という用語をあてる。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 htt

1828、トリウム~ベルセリウス(瑞):アルケーを知りたい(624)

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今回は化学。 ▼ トリウム 。元素記号は Th、原子番号90、thorium。銀白色の金属。 名前の由来は、北欧神話の雷神トール。用途は核燃料、耐熱セラミックス、航空機エンジンほか。 ▼経緯。 1828年、ノルウェーの鉱物学者モートン・エスマークがトール石(ソライト)を発見し、標本を鉱物学者の父 イェンス ・エスマークに送る。ハンスは標本をベルセリウスに送る。 ベルセリウスはトール石から新元素を単離し、トリウムと命名 。 1898年、マリ・キュリーらがトリウムが放射能を持つことを発見。 ▼ベルセリウスのここが面白い:人とのつながりで広がる見本のような人。例えば、1818(39才)に仕事のストレスで神経衰弱になったので気分転換のため大先輩の化学者 ベルトレ (70)のパリの研究所に行く。このとき博士になったばかりの ツァイゼ (29)と会って友達になる。トリウムの発見も同じ。 エスマーク(子) が発見した鉱石がエスマーク(父)経由で送られてきて、分析すると新元素がありました!という話。 ▼ ベルセリウス  Jöns Jacob Berzelius 1779年8月20日 - 1848年8月7日  スウェーデンの化学者、医師。現代化学の創始者、スウェーデン化学の父。  【人物】父親は牧師、教師。4才で死別。 【教育】1802(23) ウプサラ大学で医師免許取得。 【職業】1804(25) ストックホルムで医師開業。医業の傍ら化学の研究を進める。  1807(28)カロリンスカ医学外科学院で教授。 【業績】 1803(24) セリウム発見(→588) 1813(34) 元素の名前をラテン語・ギリシャ語の頭文字で表す今に至る方法を提唱。 1817(38) セレン(→598) 1823(44) ケイ素の単離に成功(→614) 1828(49) トリウムの単離に成功。 1836(57) コプリ・メダル受賞。 【ネットワーク】 ベルトレ  Claude Louis Berthollet 1748年12月9日 - 1822年11月6日 フランスの化学者・医師。▼ジョセフ・プルーストと定比例の法則の妥当性について論争中、1811年にベルセリウスが行った検証結果を知りプルーストの妥当性を受け入れる。 モートン・エスマーク Morten Thrane Esmark 1801年8月21日 -

1827、ブラウン運動~ブラウン(独):アルケーを知りたい(623)

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今回は物理学。 ▼ ブラウン運動 。液体や気体中に浮遊する微粒子が、不規則に運動する現象。 ▼ブラウンのここがすごい:4年にわたるオーストラリア周航と植物採集というマクロな活動。一方、花粉から出た微粒子の動きを顕微鏡で観察するというミクロな活動。ミクロとマクロの両方をやれるアタマの作りがすごい。収集した標本を分類・整理・保管・展示するという作業をミクロとマクロの間とすれば、ブラウンはミクロからマクロまで隙間なく手がけたわけだから、それもまたすごい。にしても、バンクスもブラウンもイギリスの収集癖がもろに出ている人たち。日本ではどういう人たちだろう。 ▼経緯。 BC60年、ローマの詩人で哲学者の ルクレティウス が科学詩『物事の性質について』で塵粒子の不規則な運動(ブラウン運動)について記述。 1785年、イギリスの化学者 インゲンハウス がアルコールの表面での石炭粉塵粒子の不規則な動き (ブラウン運動) を説明。 1827年、ブラウンが『植物の花粉に含まれている微粒子について』を発表。 1905年、 アインシュタイン が花粉粒子を水分子が動かすモデルを作り論文で発表。 1906年、 スモルコウスキ が確率の理論を使ってブラウン運動を説明。 1908年、 ペラン がブラウン運動に関する精密な実験を行い分子理論を実証(ノーベル物理学賞)。 ▼ ロバート・ブラウン  Robert Brown 1773年12月21日 - 1858年6月10日  スコットランドの植物学者  【人物】父親はスコットランド聖公会の牧師。母親は長老派教会の牧師の娘。 【教育】1793(20) エジンバラ大学医学部を中退。 【職業】1795(22) イギリス海軍で外科医助手。 1810-20(37-47) バンクス卿 の司書。 1820(47) バンクス卿の図書館と植物標本館を相続。 1827(54) バンクス卿の植物標本を大英博物館に移し、バンクシアン植物コレクションの管理者。 1837-58(64-85) 大英博物館で新設された植物部門で管理人。 【業績】 1801-05(28-32) フリンダース船長 率いるイギリス海軍のオーストラリア遠征隊に植物学者として加わり科学標本を収集。 1827(54) 水面に浮かべたクラーキア・プルケラという植物の花粉粒を顕微鏡で観察中、花粉の中から出てきた微粒子が

1827、ツァイゼ塩~ツァイゼ(デンマーク):アルケーを知りたい(622)

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今回は化学。 ▼ ツァイゼ塩 。白金を含む有機金属化合物。最も古くから報告された物質。 ▼ツァイゼのここが面白い:10代で自分の方向を決める力を持っているところ。16才で弟子入りした環境が自分と合わないと判断すると我慢せずそこを辞す。自宅に戻りラヴォアジェやエルステッドの論文を読み、実験する。17才で化学の道に進むと決める。父親とエルステッドが友達同士という人の縁にも恵まれ、エルステッドの自宅に下宿して手伝いしながら勉強に励む。自分の適性を自分で発見して専門家になったセルフマジメント力がすごい。 ▼ ツァイゼ  William Christopher Zeise 1789年10月15日 - 1847年11月12日 デンマークの有機化学者 【人物】父親はエルステッドの友達で薬剤師。 【教育】化学を中心に独学。 1806(17) エルステッドの家に下宿して助手。 1817(28) コペンハーゲン大学で博士。 【職業】1819(30) エルステッドが公的資金で設置した王立科学研究所の責任者。講義と実験を担当。  1822(33) 化学の臨時教授、デンマーク工科大学で教授。 【業績】 1830(41) 塩化白金とエタノールを反応させ白金ベースの有機金属化合物を生成。Zeise の塩と呼ばれる 。 【同じ年生まれの人】 オーム  Georg Simon Ohm 1789年3月16日 - 1854年7月6日 ドイツの物理学者。1827(38) オームの法則 【ネットワーク】 シュトロマイヤー  Friedrich Strohmeyer 1776年8月2日 - 1835年8月18日 カドミウムを発見したドイツの化学者。 (→ 599)  ▼留学してきたツァイゼを4カ月間にわたって分析化学の訓練を施す。 エルステッド  Hans Christian Ørsted 1777年8月14日 - 1851年3月9日 電流の磁気作用を発見したデンマークの物理学者、化学者。 (→ 605)  ▼ツァイゼの父親と友達。ツァイゼの才能を認め、下宿させ成長を見守り、チャンスを提供した。 ベルセリウス  Jöns Jacob Berzelius 1779年8月20日 - 1848年8月7日 スウェーデンの化学者。 (→ 614)  ▼パリで留学中のツァイゼと会い、博士論文を褒め、友人になる。 リーヴィ