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山上憶良の万葉集884-885番歌~アルケーを知りたい(1137)

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▼今回は、 麻田陽春 という人物が 熊凝(くまごり)という人物の身になって詠んだ歌2首。 ▼この2首に続き、山上憶良が詳しい説明の前書きをつけた長短合わせて6首の歌を詠んでいる。  大伴君熊凝が歌二首 大典麻田陽春作 国遠き道の長手をおほほしく 今日や過ぎなむ言とひもなく  万884 *故郷を遠く離れた長い旅の道中で行き倒れてしまった、誰からも言葉をかけてもらうこともなく今日死んでしまうかもしれない。 朝露の消やすき我が身他国(ひとくに)に 過ぎかてぬかも親の目を欲り  万885 *朝露のように消えてしまいそうな我が身だ。異国の地で死んでしまう前にひと目親に会いたい。 【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。 麻田 陽春  あさだ の ようしゅん 689 - 745 56歳。奈良時代の官人・文人。万884-885の大伴君熊凝が歌二首の作者。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html

山上憶良の万葉集868-870番歌~アルケーを知りたい(1136)

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▼旅人の松浦ツアーに憶良は仕事と重なって参加できなかった。そこで後から作って 旅人に 贈った歌3首。 ▼仕事先での見聞がよほど重くのしかかったのか「五蔵の鬱結 」と表現している。3首の歌を詠んでその複雑な思いを取り除こうとした。  憶良 誠惶頓首 謹みて啓す。 憶良、聞くに、「方岳諸侯・都督刺史、ともに典法によりて部下を巡行し、その風俗を察る」と。 意内多端にして、口外に出だすこと難し。 謹みて三首の鄙歌をもちて、五蔵の鬱結を写かむと欲ふ。 その歌に曰はく、 松浦県作用姫の子が領巾振りし 山の名のみや聞きつつ居らむ  万868 *松浦県の作用姫が領巾を振ったという伝説の山。その山の名前だけをここで聞いております。 足姫神の命の魚釣らすと み立たしせりし石を誰れ見き  万869 *足姫神の命が魚を釣ろうとお立ちになった石、この石は誰がご覧になったのでしょう。 百日しも行かぬ松浦道今日行きて 明日は来なむを何か障れる  万870 *往復に百日もかからない松浦道を今日出発して明日は帰るのに何の支障がありましょうか。  天平二年七月十一日 筑前国司山上憶良 謹上 【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。 猿丸 大夫  さるまるの たいふ ? - ? 歌人。『古今和歌集』の時代の人。 奧山のもみぢ踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき  百人一首5 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html

山上憶良の万葉集813-814番歌~アルケーを知りたい(1135)

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▼筑前の国、怡土 郡 (いとぐん) 深江にある石の伝説を憶良が歌にした作品。怡土は、福岡県にあった郡。現在は糸島郡二丈町深江。 鎮懐石八幡宮 。  筑前の国怡土の郡深江の村子負の原に、海に臨める丘の上に二つの石あり。 大きなるは、長一尺二寸六分、囲み一尺八寸六分、重さ十八斤五両、小さきは、長さ一寸一尺、囲み一尺八寸、重さ十六斤十両。 ともに楕円く、状鶏子のごとし。 その美好しきこと、勝げて論ふべからず。 いはゆる径尺の壁これなり。< 或いは「この二つの石は肥前の国彼杵の郡平敷の石なり、占に当りて取る」といふ > 深江の駅家を去ること二十里ばかり、路の頭に近く在り。 公私の往来に、馬より下りて跪拝せずといふことなし。 古老相伝へて「往昔、息長足日女命、新羅の国を征討したまふ時に、この両つの石をもちて、御袖の中に挿著みて鎮懐と為したまふ。< 実には御裳の中なり > このゆゑに行く人この石を敬拝す」といふ。  すなはち歌を作りて曰はく、 かけまくは あやに畏し 足日女 神の命  韓国を 向け平らげて  御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす  二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと  海の底 沖つ深江の うなかみの 子負の原に  御手づから 置かしたまひて  神ながら 神さびいます 奇(く)し御魂(みたま)  今のをつつに 貴きろかむ  万813 *言葉に出すのも畏れ多い足日女(神功皇后)が韓国を平定した後、御心を鎮めるために手に取った二つの石を世の人に示して後の世に語り継がせるため、深江の子負の原に御手づからお置きになりました。その石は神々しく今でも貴いものです。 天地のともに久しく言ひ継げと この奇し御魂敷 (し) かしけらしも  万814 *天地と共に永らく語り継ぐようにとこの不思議な石を置かれたらしい。  右の事、伝へ言ふは、那珂の郡伊知の郷簑島の人、建部牛麻呂なり。 【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。 藤原 元真  ふじわら の もとざね ? - ? 貴族・歌人。おなじくは我が身も露と消えななむ消えなばつらき言の葉も見じ 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF

山上憶良の万葉集804-805番歌~アルケーを知りたい(1134)

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▼憶良流、齢を取るのは嫌だね節。嘆きの中におかしみの味あり。悲しうて、すこし可笑しくて、やがてまた悲しくての繰り返し。  世間の住みかたきことを哀しぶる歌一首 幷せて序 集まりやすく排ひかたきものは八大の辛苦なり、遂げかたく尽しやすきものは百年の賞楽なり。 古人の嘆くところ、今にも及ぶ。 このゆゑに、一章の歌を作り、もちて二毛の嘆を撥ふ。 その歌に曰はく、 世の中の すべなきものは 年月は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る  娘子らが 娘子さびすと 韓玉を 手本に巻かし  <或いはこの句有り、曰はく「白栲(しろたへ)の 袖振り交し 紅の 赤裳裾引き」といふ>  よち子らと 手たづさはりて 遊びけむ  時の盛りを 留みかね 過しやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅の  <一には「丹のほなす」といふ>  面の上に いづくゆか 皺が来りし  <一には「常なりし 笑まひ目引き 咲く花の うつろひにけり 世間は かくのみならし」といふ>  ますらをの 男さびすと 剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手握り持ちて 赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし 世の中や 常にありける 娘子らが さ寝す板戸を 押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば   手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ   老よし男は かくのみならし たまきはる 命惜しけど 為むすべもなし  万804 *杖をついてこちらに行けば人に嫌がられ、あちらに行けば人に嫌われる。年老いた男というものは、こんなものであるらしい。命は惜しいけれども寄る年波に為すすべもない。  反歌 常盤なすかくしもがもと思へども 世の事理なれば留みかねつも  万805 *岩のようにいつまでも変わらずにいたいと思うけれども、世の理なので、同じ年齢のままに留まっておくこともできない。  神亀五年七月二十一日 嘉摩の郡にして撰定す。  筑前国守山上憶良 【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。 藤原 興風  ふじわら の おきかぜ ? - ? 平安時代前期 歌人・官人。 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに  百人一首34 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wiki

山上憶良の万葉集802-803番歌~アルケーを知りたい(1133)

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▼今回は教科書で紹介される山上憶良の代表的な和歌。「 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ 」「 銀も金も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも 」 ▼親にこれほど思ってもらえる子どもは幸いなり。学校の先生が尊敬されるのは家の宝を育てているからなり。  子等を思ふ歌一首 幷せて序 釈迦如来、金口(こんく)に正に説きまたはく、「等しく衆生を思ふこと羅睺羅(らごら)のごとし」と。 また、説きたまはく、「愛は子に過ぎたることなし」と。 至極の大聖すらに、なほ子を愛したまふ心あり。 いはむや、世間の蒼生、誰か子を愛せずあらめや。 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかにひ もとなかかりて 安眠し寝さぬ  万802 *瓜を食べると子どものことを思う。栗を食べるともっと子どものことを思う。この子らは、どこからどういう因縁で来たのだろう。目の前をちらちら動いておちおち眠れないのだが。  反歌 銀も金も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも  万803 *銀も金も玉も何だというのか。子どもに勝る宝などないよ。 【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人(?)。 菩提 達磨  ぼだい だるま ? - ? インド人仏教僧。禅宗の開祖。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html

山上憶良の万葉集800-801番歌~アルケーを知りたい(1132)

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▼山上憶良が家族を放り出そうとする身勝手な者を説諭する歌。 ▼「あなたのやっていることは、いかがなものでしょう。筋が違うのではないか」と 長歌で 説得し、 短歌で 「 家に帰りて業を為まさに 」とその人が何をするべきかを示している。 ▼憶良の丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。 ▼この姿勢、見習うべし、とぞ思ふ。道に迷った人を正すには長歌で説き短歌で命ずるのがよろしきかも  惑情を反さしむる歌一首 幷せて序 或人、父母を敬うことを知りて侍養を忘れ、妻子を顧みずして脱屣(だつし)よりも軽みす。 自ら倍俗先生と称(なの)る。 意気は青雲の上に揚るといへども、身体はなほ塵俗の中に在り。 いまだ修行得道の聖に験あらず。 けだしこれ山沢に亡命する民ならむか。 *(大意)ある人が自分を倍俗先生(脱俗を気取る人)と名乗って、家族を顧みず大言壮語ばかりしている。これは戸籍を抜けようとする輩である。 このゆゑに、三綱を指し示し、五経を更(あらた)め開(と)き、遣るに歌をもちてし、その惑ひを反さしむ。 *だから、この者に、君臣・父子・夫婦の道(三綱)を示し、父に義・母に慈・兄に友・弟に恭・子に孝(五経)をあらためて説く。これを歌をもって行い、この者の迷いを直す。 歌に曰はく、 父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世の中は かくそことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より なり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば 汝がままに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか  万800 *万800の説得の仕方を順に見て行く。 ①世の中とはこういうものではないか、と憶良が考える標準(ことわり)を示す。 ② 憶良から 相手の行動がどのように見えているかを説明。 ③標準に対する相手の行動の問題を示し、お前はいったい何者か?と問いかける。 ④天にいるのであれば好きにやるが良い、しかしここは大君が隅々まで治める国である。 ⑤思いのままにやるのは良いが、道理は私の言うとおりではないか、と投げかける。  反歌 ひさかたの天道は遠しなほなほに 家に帰りて業を為まさに  万801 *天への道は遠いのだから、家に帰っ

山上憶良の万葉集794-799番歌~アルケーを知りたい(1131)

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▼今回の歌は、大伴 旅人が 大宰帥の時、妹の夫が死去し、続いて妻を亡くしたときの心情を 山上憶良が 歌ったもの。最後の憶良の署名がなければ、旅人の歌と見まがう。 ▼時期は神亀五年=728年とあるから、660年生まれの 憶良は 68歳。旅人は665年生まれだから63歳。  大宰帥大伴卿、凶問に報ふる歌一首 世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり 万793  日本挽歌一首 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕い来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち靡き 臥やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 石木をも 問ひ放け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨めしき 妹の命の 我れをばも いかにせよとか にほ鳥の ふたり並び居 語らひし 心背きて 家離りいます 万794  反歌 家に行きていかにか我がせむ枕付く 妻屋寂しく思ほゆべしも  万795 *奈良の自宅に帰って妻と二人で過ごした部屋を見れば寂しさがこみ上げることだろう。 はしきよしかくのみからに慕ひ来し 妹が心のすべもすべなき  万796 *筑紫に転勤になる私を慕って付いてきてくれた妻の気持ちを思うとやりきれない。 悔しかもかく知らませばあをによし 国内ことごと見せましものを  万797 *こうなることが分かっていたら、奈良の都のあちらこちらをもっともっと見せてやれば良かった・・・悔いが残る。 妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし 我が泣く涙いまだ干なくに  万798 *妻が奈良で見ていた楝の花は散ってしまったに違いない。私が泣く涙はいまだ止まらない。 大野山霧立ちわたる我が嘆く おきその風に霧立ちわたる  万799 *大野山には霧が立ち込めている。私の嘆きが風に乗って霧が立ちこめている。  神亀五年七月二十一日 筑前国守山上憶良 上 【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。 陳 子昂  ちん すごう 661 - 702 唐の詩人。 前不見古人 後不見来者 念天地之悠悠 独愴然而涕下 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF https://www.asahi-net.or.jp/~sg