山上憶良の沈痾自哀文第一段~アルケーを知りたい(1141)

▼今回は憶良の沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)。「沈痾自哀」は憶良が、病に沈んだ自らを哀しむ歌。
▼全六段あって、今回は第一段、イントロダクションに当たる。
▼憶良は、幼少の頃から善人でありたいと心がけ、仏法僧と百神(今はゲームのタイトルになっている!)を敬っていた人物であると分かる。

 沈痾自哀文 山上憶良作
 第一段
ひそかにおもひみるに、朝夕山野に佃食する者すらに、なお災害なくして世を渡ること得、<常に弓箭を執り六斎を避けず、値へる禽獣の、大きなると小さきと、孕むと孕まぬとを論はず、ことごとに殺し食ふ、これをもちて業とする者をいふぞ>
昼夜河海に釣漁する者すらに、なほ慶福ありて俗を経ることを全くす。<漁夫・潜女、おのおのも勤むるところあり、男は手に竹竿を把りて、よく波浪の上に釣り、女は腰に鑿籠を帯びて、潜きて深潭の底に採る者をいふぞ>
いはむや、我れ胎生より今日までに、自ら修善の志あり、かつて作悪の心なし。<諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいふぞ>
このゆゑに三宝を礼拝し、日として勤めずといふことなし、<日毎に誦経し、発露懺悔するぞ>
百神を敬重し、夜として欠くることありといふことなし。<天地の諸神等を敬拝することをいふぞ>
ああ恥しきかも、我れ何の罪を犯せばかこの重き疾に遭へる。<いまだ、過去に造れる罪か、もしは現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すことなくは、何ぞこの病を獲むといふぞ>

*山野で獲れる動物の肉、海で獲れる魚介の肉を食べて元気な人びとがいる。
一方、私は善であるよう心がけ、悪を為そうという気持ちは一切なかった。
だから仏法僧を尊重する日々を重ね、天地の諸神を敬拝した。
ところが何ということか、重い病を患うことになった。
これは過去に犯した罪のためか、それとも今何か罪をなしているのだろうか。
何か罪を犯してなければ、どうしてこんな病になってしまったというのか。

【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。藤原 武智麻呂 ふじわら の むちまろ 680 - 737 57歳。飛鳥時代~奈良時代前期の貴族。藤原不比等の長男。藤原四兄弟の兄。藤原南家の開祖。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html

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