山上憶良の沈痾自哀文第二段~アルケーを知りたい(1142)

▼憶良の沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)第二段。

初め痾(やまひ)に沈みしより已来、年月やくやくに多し。<十余年を経たることをいふ>
是時年七十有四。
鬢髪斑白にして、筋力尩羸(わうるい)なり。
ただに年老いたるのみにあらず、またこの病を如ふ。
諺に曰はく、「痛き瘡は塩を灌き、短き材は端を截る」といふは、この謂ひなり。
四支動かず、百節みな疾み、身体はなはだ重きこと、鈞石を負へるがごとし。<二十四銖を一両となし、十六両を一斤となし、三十斤を一鈞となし、四鈞を一石となす。合せて一百二十斤なり。>
布に懸かりて立たむと欲へば、折翼の鳥のごとし、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足の驢のごとし。
*初めて病を得て以来、年月がじわじわと重なる(十数年が経過した)
今は年齢、74歳。
髪にも髭にも白いものが混じり、筋力もすっかり衰えた。
ただ年老いただけでなく、病気も加わった。
諺で「痛い傷には塩を擦りこみ、短い材は端を切り詰める」というのはこのことだ。
手も足も思うように動かせなくなり、節々はみな痛み、体が重く感じるのは重りを背負っているようだ。百二十斤は72kg)
天井から下げた布を掴んで立つとする様子はまるで翼の折れた鳥だ、杖にすがって歩こうとする足を怪我した驢馬のようだ。

【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。藤原 房前 ふじわら の ふささき 681 - 737 56歳。飛鳥時代~奈良時代前期の貴族。藤原不比等の次男。藤原四兄弟の次男。藤原北家の祖。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html

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