山上憶良の沈痾自哀文第三段~アルケーを知りたい(1143)

▼憶良の沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)第三段
▼昔も今も病に対する気持ちは同じ。
 
吾れ、身はすでに俗を穿ち、心もまた塵に累ふをもちて、禍の伏すところ、祟の隠るるところを知らむと欲ひ、亀卜の門、巫の室、①往きて問はずといふことなし
もしは実にもあれ、もしは妄にもあれ、その教ふるところに随ひて、幣帛を奉り、祈祷らずといふことなし。
②しかれどもいよよ増苦あり、かつて減差なし
吾れ聞くに、「③前の代に、多く良医ありて、蒼生の病患を救療す。
楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景らのごときに至りては、みな世に在りける良医にして、除愈さずといふことなし」と。<扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。
胸を割き心(心臓)を採り、易へて置き、投(い)るるに神薬をもちてすれば、すなはち寤めて平(つね)のごときぞ。
華他、字は元化、沛国の譙の人なり。もし病の結積沈重して内にある者あれば、腸を刳りて病を取り、縫復して膏を摩る、四五日にして差ゆ。>
件の医を追ひ望むとも、あへて及ぶところにあらじ
もし聖医神薬に逢はば、仰ぎて願はくは、五蔵を割り刳き、百病を抄り探り、膏肓の奥処に尋ね達り<肓は鬲なり、心の下を膏となす。これを攻むれども可からず、これに達せども及ばず、薬も至らぬぞ>
二竪の逃れ匿れたるを顕はさむと欲ふ。<晋の景公疾めるときに、秦の医緩視て還るは、鬼に殺さゆといふべしといふことをいふぞ。>
*ここではだいたい次のような話。
①病気が良くなりそうなところには全て行ってみた。
②しかし良くなることはなかった。
③昔は名医がたくさんいたという。
④今、そのような名医を望んでも会えるはずもない。
⑤しかし、もしも名医や良い薬に出会えたならば、膏肓に入った病根を露わにしたい。

【似顔絵サロン】憶良(660-733)の同時代人。藤原 宇合 ふじわら の うまかい 694 - 737 43歳。奈良時代の公卿。藤原不比等の三男。藤原四兄弟の三男。藤原式家の祖。














〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E6%86%B6%E8%89%AF
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/okura2.html

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