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万葉集巻第七1282‐1287番歌(春日すら田に立ち疲れ)~アルケーを知りたい(1360)

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▼今回の歌も雲や橋や草など自然を詠んだもの。でも表現に何かこう、別のメッセージが詠い込まれているような・・・。 はしたての倉橋山に立てる白雲 見まく欲り我がするなへに立てる白雲  万1282 *倉橋山に立つ白雲を見たいと思っていました。あのお方を偲ばせる白雲です。 はしたての倉橋川の石の橋はも 男盛りに我が渡してし石の橋はも  万1283 *倉橋川の石の橋はいまどうなっているだろうか。若い時に私が渡したあの石の橋は。 はしたての倉橋川の川のしづ菅 我が刈りて笠も編まなく川のしづ菅  万1284 *倉橋川のしず菅よ。私が刈ったものの編んで笠にしたわけでもなかった川のしづ菅。 春日すら田に立ち疲れ君は悲しも 若草の妻なき君し田に立ち疲る  万1285 *春の休みの日にも貴方様は田に出て作業にお疲れです。妻がなく独り身だから田に出て疲れるくらいしかすることがなくて 悲しいです 。 山背の久世の社の草な手折りそ 我が時と立ち栄ゆとも草な手折りそ  万1286 *山背の久世の杜の草を手折らないように。自分の勢いが良いときでも杜の草は手折らないように。 青みづら依綱の原に人も逢はぬかも 石走る近江県の物語りせむ  万1287 *依綱の原で誰か人と出会わないものか。近江の県について話をしたいのだけど。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 身毛 広  むげつ の ひろ ? - ? 飛鳥時代の人物。壬申の乱で大海人皇子方のオリジナルメンバー。功臣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1276‐1281番歌(君がため手力疲れ)~アルケーを知りたい(1359)

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▼今回の6首はいずれも人との関係を詠った歌。1281は、糸から布を織ってどんな色に染めようか、という内容。万葉の人は自分で布を織っていたんだ、それを染めていたんだ、と改めて思い知る。布屋とか染屋もあっただろうけど、自分でやれていたのだ。すごい。 池の辺の小槻の下の小竹な刈りそね それをだに君が形見に見つつ偲はむ  万1276 *池の岸辺の小槻の下の小竹は刈ら取らないでください。なぜなら、わが君の形見として見て偲びたいから。 天にある日売菅原の草な刈りそね 蜷の腸か黒き髪にあくたし付くも  万1277 *日売菅原の草を刈らないでください。黒い髪にホコリが付くから。 夏蔭の妻屋の下に衣裁つ我妹 うら設けて我がため裁たばやや大に裁て  万1278 *夏の日陰、妻屋で布を裁断しているわが妻よ、私のために大きめに裁断してくれ。 梓弓引津の辺にあるなのりその花 摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花  万1279 *引津の辺りにあるなのりその花。誰か摘むまでに逢わすにおくものか、なのりその花。 うちひさす宮道を行くに我が裳は破れぬ 玉の緒の思ひ乱れて家にあらましを  万1280 *宮への道を歩いていると服の裾が破れてしまいました。こんなことなら大人しく家に居て思い乱れているほうが良かった。 君がため手力疲れ織れる衣ぞ 春さらばいかなる色に摺りてばよけむ  万1281 *貴方様のために一所懸命に織った布です。春になったらどんな色で染めましょうか。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 和珥部 君手  わにべ の きみて ? - 697 飛鳥時代の人物。壬申の乱で、中大兄皇子の命を受け、村国男依、身毛広と共に美濃に先行、当地の多品治と連携し兵3千で不破道を塞いだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1270‐1275番歌(泊瀬の山に照る月は)~アルケーを知りたい(1358)

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▼1270の 寄物発思 (きぶつはつし) とは「景物に寄せて、人生全般に関する感慨を述べた歌 ( 伊藤博訳注『新版 万葉集二』p.153脚注 ) 」。 ▼ChatGPTに聞いてみると、 具体例 を二つあげた後、その心も教えてくれました。 「 ・秋の紅葉を見て、人の移り変わりや儚さを感じ、それを詩にする。 ・花の美しさや散る様子を観察し、人生の喜びと無常を表現する。 「寄物発思」は、物事を単なる存在として見るだけではなく、その中にある深い意味や象徴を感じ取ろうとする態度を反映しています。」  寄物発思 こもりくの泊瀬の山に照る月は 満ち欠けしけり人の常なき  万1270  右の一首は、古歌集に出づ。 *泊瀬山で照る月は満ち欠けして、まるで人の無常と似ています。  行路 遠くありて雲居に見ゆる妹が家 早く至らむ歩め黒駒  万1271  右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *遠くの雲の先に見える妻の家。早く着きたいからずんずん進め、黒駒よ。  旋頭歌 太刀の後鞘に入野に葛引く我妹 真袖に着せてむとかも夏草刈るも  万1272 *入野で葛を引っ張っている我が妻よ。袖つきの服を私に着せるため勢いよく夏草を刈っているのかい。 住吉の波豆麻の君が馬乗衣 さひづらふ漢女を据ゑて縫へる衣ぞ  万1273 *住吉にいらっしゃる波豆麻の君が身に着けておられる乗馬服。これはきっと中国語を喋る女に縫製させたものでしょう。 住吉の出見の浜の柴な刈りそね 娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむを見む  万1274 *住吉の出見の浜の柴は刈らないでおいてください。娘子らが通る時に赤裳の裾を濡らして行くのを見たいから。 住吉の小田を刈らす子奴かもなき 奴あれど妹がみために私田刈る  万1275 *草刈りのアルバイトはいないのかい? いや、いるんだけど、 妻のためだからと思って 私が自分の手で 私田を刈っているのです。 【似顔絵サロン】同時代の乱、672年の壬申の乱の関係者: 村国 志我麻呂  むらくに の しがまろ ? - ? 奈良時代の貴族。村国男依の子。壬申の乱の功臣の子息に賜田が行われた際、男依の子息として名を連ねた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno...

万葉集巻第七1264‐1269番歌(西の市にただひとり)~アルケーを知りたい(1357)

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▼今回の6首の歌は、教訓、共感同感、心惹かれるのばかり。今も昔も同じかよ。 西の市にただひとり出でて目並べず 買ひてし絹の商じこりかも  万1264 *西の市に独りで出かけて他の商品と比べもせずに買った絹。こいつは買いそこないでしたよ。 今年行く新島守が麻衣 肩のまよひは誰か取り見む  万1265 *今年派遣される新島守が着用する麻衣。肩がほつれたら誰が繕うのでしょうね。 大船を荒海に漕ぎ出や船たけ 我が見し子らがまみはしるしも  万1266 *大型船を荒れている海に漕ぎ出しているところだけど、私が見た娘子の目もとが目に浮かびます。  就所発思 旋頭歌 ももしきの大宮人の踏みし跡ところ 沖つ波来寄らずありせば失せずあらましを  万1267  右の十七首は、古歌集に出づ。 *大宮人が砂浜に残した足跡。沖から波が寄せて来なければずっと消えないのだけれど。 子らが手を巻向山は常にあれど 過ぎにし人に行きまかめやも  万1268 *巻向山はいつもそこにあるけれど、故人のところへは尋ねて行くことはできません。 巻向の山辺響みて行く水の 水沫のごとし世の人我れは  万1269  右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *巻向山で音を響かせて流れる川の水。その水の沫のようです、現世にいる私は。 【似顔絵サロン】同時代の乱、 壬申の乱 (672年に起きた日本最大の内乱。天智天皇の後継をめぐって天智天皇の弟・大海人皇子と天智天皇の息子・大友皇子の争い) の関係者: 村国 男依  むらくに の おより ? - 676 飛鳥時代の人物。大海人皇子側。近江国方面の諸将の筆頭として連戦連勝し、最大の功を立てた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1256‐1263番歌(暁と夜烏鳴けど)~アルケーを知りたい(1356)

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▼1258番は吉田兼好が言いそうなことだなと思ふ。1263番は音を聞いて静けさを知る、みたいな感じになる。この二つの間の歌たちはつっこみどころがあって楽しめる。 黙あらじと言のなぐさに言ふことを 聞き知れらくは悪しくはありけり  万1258 *沈黙が嫌なだけで何か喋っていること、そんな人の話を耳にするのは面白くない気分です。 佐伯山卯の花持ちし愛しきが 手をし取りてば花は散るとも  万1259 *花束を持つあの可愛い娘子の手を握りたい。花が散っても。 時ならぬ斑の衣着欲しきか 島の榛原時にあらねども  万1260 *時期ではないけれど斑模様の服を着たくなりました。染料の元になる「はしばみ」が実をつける時期ではないけれど。 山守が里へ通ひし山道ぞ 茂くなりける忘れけらしも  万1261 *山守が里へ通ったという山道なんだけど、草が茂っているところを見ると忘れられた道なのかな。 あしひきの山椿咲く八つ峰越え 鹿待つ君が斎ひ妻かも  万1262 *山椿が咲く八峰を越えて鹿狩りに励む貴方様のお帰りを家でお待ちする妻でございます、私は。 暁と夜烏鳴けどこの森の 木末の上はいまだ静けし  万1263 *朝だよーと夜鳥が鳴いている。しかしこの森の木の梢はまだしんとしています。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 安倍 黒麻呂  あべ の くろまろ ? - ? 奈良時代中期の官人。阿倍虫麻呂と同族の武人。740年、藤原広嗣の乱を平定する志願兵。潜伏中の広嗣を捕縛。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1251‐1257番歌(月草に衣ぞ染むる)~アルケーを知りたい(1355)

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▼問答という小題がついた歌の数々。面白いものや何を言ってんだか分からんものまであって、脱力系和歌だと思ふ。最後に「ゆめ」をつけるスタイルも良いなあと思ふ。これを忘れちゃならんよゆめ、みたいな使い方。  問答 佐保川に鳴くなる千鳥何しかも 川原を偲ひいや川上る  万1251 *佐保川で鳴いている千鳥よ。何でそう嬉しそうに 川原を 上ってるのかい。 人こそばおほにも言はめ我がここだ 偲ふ川原を標結ふなゆめ  万1252  右の二首は、鳥を詠む。 *人はここを何でもない場所のように言うでしょう。でも私はここが気に入っているのです。決して縄を張って立ち入り禁止にしないでください。 楽浪の志賀津の海人は我れなしに 潜きはなせそ波立たずとも  万1253 *楽浪の志賀津の漁師よ、私がいないときには波のないコンディションの良い日でも潜らないでください、見られないと残念だから。 大船に楫しもあらなむ君なしに 潜きせめやも波立たずとも  万1254  右の二首は、海人を詠む。 *大きな船と楫があれば良いのに、と思います。でも貴方様のいらっしゃらないときには波が静かなときでも潜ったりしません。  臨時 月草に衣ぞ染むる君がため 斑の衣摺らむと思ひて  万1255 *ツユクサで衣を染める貴方様のため、斑の衣を仕立てようと思います。 春霞井の上ゆ直に道はあれど 君に逢はむとた廻り来も  万1256 *井戸までの道はまっすぐなんですけど、貴方様に逢えるかもと思って回り道しています。 道の辺の草深百合の花笑みに 笑みしがからに妻と言ふべしや  万1257 *道端の草むらで百合の蕾を見て気に入ったからといって、自分のものだと言うのはどうかと思います。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 阿倍 虫麻呂  あべ の むしまろ ? - 752年 奈良時代の貴族・歌人。740年、藤原広嗣の乱を鎮圧する官軍のリーダーの一人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1244‐1250番歌(娘子らが放りの髪を)~アルケーを知りたい(1354)

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▼1244番の油布の山とは、大分県別府温泉から西方面にある、由布岳のことです。歌のとおり、麓には家屋がありまして、金鱗湖という池も、そこから流れる川もそして温泉もあります。別府に戻ると別府湾という海と海岸とヨットハーバーがあります。というわけで、同地は、今回の7首全部に因む土地・・・と見立ててもフィットするロケーションです。 娘子らが放りの髪を油布の山 雲なたなびき家のあたり見む  万1244 *娘子らの髪を結うという油布山には雲がたなびいています。麓に家屋が見えます。 志賀の海人の釣り舟の綱堪へかてに 心思ひて出でて来にけり  万1245 *志賀の漁師の釣り舟の係留ロープが波に揉まれるかのように私は後ろ髪を引かれる思いで家を出てきました。 志賀の海人の塩焼く煙風をいたみ 立ちは上らず山にたなびく  万1246  右の件の歌は、古集の中に出づ。 *志賀の漁師の塩焼きの煙が風が激しいので上に昇らず山の方へたなびいています。 大汝少御神の作らしし 妹背の山を見らくしよしも  万1247 *大汝と少御神がお作りになった妹背山を見るのは良きことかぎりない。 我妹子と見つつ偲はむ沖つ藻の 花咲きたれば我れに告げこそ  万1248 *沖の藻をわが妻と見立てて思い出しましょう。藻の花が咲いたら私にお知らせください。 君がため浮沼の池の菱摘むと 我が染めし袖濡れにけるかも  万1249 *貴方様のためにと思い浮沼池の菱を摘むと、私が自分で染めた袖が濡れてしまいました。 妹がため菅の実摘みに行きし我れ 山道に惑ひこの日暮らしつ  万1250  右の四首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *妻のために菅の実を摘みに山に入った私。山道に迷ってしまい、一日中過ご山で過ごしました。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 佐伯 常人  さえき の つねひと ? - ? 奈良時代の貴族。安倍虫麻呂と共に藤原広嗣の乱を鎮圧する官軍のリーダー。広嗣に10回呼びかけ降伏を説得。乱鎮圧後、昇進。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1236‐1243番歌(静けくも岸には波は)~アルケーを知りたい(1353)

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▼今回は海の波の音が聞こえてきそうな歌。九州は宮崎の一ッ葉海岸には太平洋の波が ダイナミックに 岸に寄せていた、という幼い頃の記憶あり。子どもだったから波がいっそう大きく「 大海の磯もと揺り立つ波 」のように見えたのかも知れない。 夢のみに継ぎて見えつつ高島の 磯越す波のしくしく思ほゆ  万1236 *夢の中では続けて見るのだけれど高島の磯を越す波のように繰返し思い出されることがあります。 静けくも岸には波は寄せけるか これの屋通し聞きつつ居れば  万1237 *静かに波が岸に寄せています。宿の壁を通してその音を聞いています。 高島の安曇白波は騒けども 我れは家思ふ廬り悲しみ  万1238 *高島の安雲では白波の音が高く響いています。私は宿で家を思い出してしんみりしています。 大海の磯もと揺り立つ波の 寄せむと思へる浜の清けく  万1239 *大海の磯をもとから揺さぶるような波が寄せています。浜は清いです。 玉櫛笥みもろと山を行きしかば おもしろくしていにしへ思ほゆ  万1240 *みもろと山を散策すると、風景が面白く、昔のことに思いを馳せます。 ぬばたまの黒髪山を朝越えて 山下露に濡れにけるかも  万1241 *黒髪山を朝超えていると、山の露に濡れてしまいました。 あしひきの山行き暮らしやど借らば 妹立ち待ちてやど貸さむかも  万1242 *山を歩いて日暮れに宿を探していると客引き女が待ち構えて案内してくれるかな。 見わたせば近き里みをた廻り 今ぞ我が来る領巾振りし野に  万1243 *見わたすと近そうに見える里だけど、なかなか着かない。・・・ようやく領巾を振ってお別れした野にやって来ました。 【似顔絵サロン】 同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 紀 飯麻呂  き の いいまろ 690年 - 762年 奈良時代の公卿。740年、藤原広嗣の乱では、持節大将軍・大野東人の下で征討副将軍。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1229‐1235番歌(ちはやぶる鐘の岬を)~アルケーを知りたい(1352)

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▼1234と1204 ( 浜清み磯に我が居れば見む人は 海人とか見らむ釣りもせなくに ) や 1187 (網引する海人とか見らむ 飽くの浦の清き荒磯を見に来し我れを) は同じ趣向。今の自分を人はどう見えるだろうか、という視点の歌。万葉時代も今も、我われはあれやこれや、変わらないなあ。 我が舟は明石の水門に漕ぎ泊てむ 沖へな離りさ夜更けにけり  万1229 *私たちの舟は明石の水門に泊まるために漕ぎ進みましょう。夜が更けてきたので沖から離れないように。 ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも 我れは忘れじ志賀の統め神  万1230 *恐ろしい鐘岬を通り過ぎても、私は志賀の守り神を忘れません。 天霧らひひかた吹くらし水茎の 岡の港に波立ちわたる  万1231 *空に霧がかかって東の風が吹くようです。水茎の岡の港に波が立っています。 大海の波は畏ししかれども 神を斎ひて舟出せばいかに  万1232 *大海の波は恐ろしいけれども、神に祈り祭って舟を出してはいかがでしょうか。 娘子らが織る機の上を真櫛もち 掻上げ栲島波の間ゆ見ゆ  万1233 *娘子らが機織りするとき真櫛で掻き揚げるという栲島が波の間に見えますね。 潮早み磯に居れば潜きする 海人とや見らむ旅行く我れを  万1234 *潮の流れが早い磯で舟を泊めていると、人は私たちを素潜りする漁師と思うかも知れません。ホントは旅の途中なんですけど。 波高しいかに楫取水鳥の 浮寝やすべきなほや漕ぐべき  万1235 *波が高くなってきました。舵取りは水鳥のように舟を浮かべたまま昼寝するのかな、まだ漕ぎ進めるのかな。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 大野 東人  おおの の あずまびと ? - 742年 奈良時代の公卿・武人。大野果安の子。740年、藤原広嗣の乱のさい、広嗣と綱手を斬って鎮圧した持節大将軍。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1223‐1228番歌(海の底沖漕ぐ舟を)~アルケーを知りたい(1351)

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▼海ゆく舟の歌。1223番はなぜ「海の底」というのか分からないけど、沖合を進む舟をよく見たいからこっちに引き寄せたいという気持ちの歌、と思う。「海の底」いるのかなあ。 海の底沖漕ぐ舟を辺に寄せむ 風も吹かぬか波立てずして  万1223 *沖を漕ぎ進んでいる舟をもっとこちらに寄せてくれる風が吹いてくれないものか、波は立てずに。 大葉山霞たなびき夜更けて 我が舟泊てむ泊り知らずも  万1224 *大葉山に霞がたなびいています。夜になったというのに私の乗る舟はどこに停泊するかまだわかりません。 さ夜更けて夜中の方におほほしく 呼びし舟人泊てにけむかも  万1225 *夜が更けて、はっきりしない声で呼びかけ合っていた舟人たちは、どこかよい所に舟を泊められたのだろうか。 三輪の崎荒磯も見えず波立ちぬ いづくゆ行かむ避き道はなしに  万1226 *三輪崎の荒磯が見えないくらい波が立っています。これからどこに進むのでしょう。避ける道もないというのに。 磯に立ち沖辺を見れば藻刈り舟 海人漕ぎ出らし鴨翔る見ゆ  万1227 *磯に立って沖を見やると、漁師が藻刈り舟を漕ぎ出しているらしい、鴨が飛んでいるのが見えます。 風早の三穂の浦みを漕ぐ舟の 舟人騒く波立つらしも  万1228 *風早の三穂の浦あたりで舟の船頭が騒いでいます。どうやら、これから海が荒れるらしい。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 凡河内 田道  おおしこうち の たみち ? - 740年 奈良時代の武人。藤原広嗣の乱で、大野東人の率いる追討軍に討たれ戦死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1201‐1207番歌(浜清み磯に我が居れば)~アルケーを知りたい(1350)

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▼今回も海を詠う歌。1204番は「私がここでこうしていると人は私を漁師と思うでしょう」型の歌。人が見たらという想定。そのように人に見られたければ、そのように振る舞えば良い、という教訓になりそう。 大海の水底響み立つ波の 寄せむと思へる磯のさやけさ  万1201 *大海の波が水底から響くように打ち寄せているのかと思うほどの磯。なんと清らかなことでしょう。 荒磯ゆもまして思へや玉の浦の 離れ小島の夢にし見ゆる  万1202 *荒磯に勝ると無意識に思っているからか、玉の浦の離れ小島を夢で見ました。 磯の上に爪木折り焚き汝がためと 我が潜き来し沖つ白玉  万1203 *磯の上の焚火で暖を取りながら、貴方様のために私が沖で潜って採ったアワビ玉です、これは。 浜清み磯に我が居れば見む人は 海人とか見らむ釣りもせなくに  万1204 *清い浜磯に私がいると、人は私を漁師と思うかも知れません。釣りもしてないけれども。 沖つ楫やくやくしぶを見まく欲り 我がする里の隠らく惜しも  万1205 *沖に出て楫を漕ぐ音が静まった、私はもっと里を見ていたいのに波で隠れるのが惜しい。 沖つ波辺つ藻巻き持ち寄せ来とも 君にまされる玉寄せめやも   一には「沖つ波辺波しくしく寄せ来とも」といふ  万1206 *沖から波が藻を巻き込んで打ち寄せます。「沖から波がしきりに打ち寄せます」。それでも貴方様に勝る玉はありません。 粟島に漕ぎ渡らむと思へども 明石の門波いまだ騒けり  万1207 *粟島に舟で漕ぎ渡りたいと思うけれども、明石の門の波がまだ高い。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 大和 長岡  やまと の ながおか 689年 - 769年 奈良時代の貴族・明法家。広嗣の乱に連座して流罪。のち赦免、役人に復帰。地方官としての仁恵なし。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1196‐1200番歌(手に取るがからに忘ると)~アルケーを知りたい(1349)

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▼1196番を「Aを求められたときのためにBを用意する。だからCよ、邪魔しないでね」のフレームと見れば、応用して遊べる。例えば、A=話題、B=小話、C=YouTube。こうしてみると万葉の歌たらしめているものと、そうでないものの違いを感じる。何か分からないけど。 つともがと乞はば取らせむ貝拾ふ 我れを濡らすな沖つ白波  万1196 *お土産はなに?と聞かれたら、渡したい。そのための貝を拾うので、沖から来る白波よ、私を濡らさないでおくれ。 手に取るがからに忘ると海人の言ひし 恋忘れ貝言にしありけり  万1197 * 漁師が言うには、 手に取るだけで悩みが消える恋忘れ貝。そんな効果はありませんでした。 あさりすと磯に棲む鶴明けされば 浜風寒み己妻呼ぶも  万1198 *餌をとるため磯に棲んでいる鶴。明け方は寒い浜風が吹くので妻を呼んでいます。 藻刈り舟沖漕ぎ来らし妹が島 形見の浦に鶴翔る見ゆ  万1199 *海藻を刈り取りに舟が来たらしい。妹が島の形見の浦で鶴が飛び立つのが見えます。 我が舟は沖ゆな離り迎へ舟 片待ちがてり浦ゆ漕ぎ逢はむ  万1200 *私の舟よ、沖に出ないで欲しい。迎えの舟と浦で遭いたいから。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者:塩屋 古麻呂 しおや の こまろ ? - ? 奈良時代の官人・明法家(法学の研究者)。740年、藤原広嗣の乱に連座し流罪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1218‐1222、1194‐1195番歌(黒牛の海紅にほふ)~アルケーを知りたい(1348)

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▼番号は飛んでいるけど一連の歌7首。作者は中臣鎌足の次男、藤原不比等らしい。十代の時期に苦労した環境(と本人の資質)が、優しいおっとり味がする歌の詠み手にした、と思わせる。 1218番の黒牛の海は、 和歌山県海南市にある黒江湾。 黒牛の海紅にほふももしきの 大宮人しあさりすらしも  万1218 *黒牛の海が紅色に輝いている、と思ったら宮廷の女官たちが漁をしているらしいです。 若の浦に白波立ちて沖つ風 寒き夕は大和し思ほゆ  万1219 *若ノ浦に白波が立っています。沖の風が寒い夕方は故郷の大和の国を思い出します。 妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 由良の岬にこの日暮らしつ  万1220 *妻の土産にと思って玉を拾い集めていると、紀伊の国の由良の崎で一日が過ぎてしまいました。 我が舟の楫はな引きそ大和より 恋ひ来し心いまだ飽かなくに  万1221 *私が乗っている舟を動かさないでください。この風景に憧れてはるばる 大和から 来た気持ちを満たすため。 玉津島見れども飽かずいかにして 包み持ち行かむ見ぬ人のため  万1222 *玉津島はいくら見ても見飽きない。どうやってこの景色を土産にしようか、見ていない人のために。 紀伊の国の雑賀の浦に出で見れば 海人の燈火波の間ゆ見ゆ  万1194 *紀伊の国の雑賀浦に出て見ると、漁師の燈火が波の間に見えます。 麻衣着ればなつかし紀伊の国の 妹背の山に麻蒔く我妹  万1195  右の七首は、藤原卿が作。いまだ年月審らかにあらず。 *麻の服を着ると、紀伊の国の妹背山で麻の種蒔きをする我が妻を懐かしく思い出します。 【似顔絵サロン】 同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 小野 東人  おの の あずまひと ? - 757年 奈良時代の貴族。740年、藤原広嗣の乱に連座し杖罪100回、伊豆国へ流罪。757年、橘奈良麻呂の乱に連座し杖で打たれる拷問の末、獄死。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1191‐1217番歌(妹が門出入の川の)~アルケーを知りたい(1347)

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▼1191番は、「門を出入りする」動作と「出入川」という川の名前をかける技と馬がよろめいたら家人が自分を思い出しているという当時の因果話を結合した歌。今回の歌は、似たような調子で山や花を擬人化して詠った作品群。風景と感情の結び付け方が面白い。 妹が門出入の川の瀬を早み 我が馬つまづく家思ふらしも  万1191 *出入川の流れが早いせいか、乗っている馬がよろめきました。これは家人が私を思っている印でしょう。 白栲ににほふ真土の山川に 我が馬なづむ家恋ふらしも  万1192 *白い布のように輝く真土の山川で、乗っている馬がよろめきました。 これは 家人が私を思っている印でしょう。 背の山に直に向へる妹の山 言許すせやも打橋渡す  万1193 *背山と向き合う妹山。背山の申し出を許したかのように、二つの山の間には橋が渡っています。 人にあらば母が愛子ぞあさもよし 紀の川の辺の妹と背の山  万1209 *人に例えるなら、母親にとっての愛しい子らです。紀の川の妹山と背山は。 我妹子に我が恋ひ行けば羨しくも 並び居るかも妹と背の山  万1210 *妻を恋しく思いながら旅していると、うらやましいことに妹山と背山が仲良く並んでいるのが見えます。 妹に恋ひ我が越え行けば背の山に 妹に恋ひずてあるが羨しさ  万1208 *妻を恋しく思いながら旅路を進んでいると、背山と妹山が仲良く並んでいて、羨ましい。 妹があたり今ぞ我が行く目のみだに 我れに見えこそ言とはずとも  万1211 *妹山あたりを今、私は進んでいます。何も言わなくてよいから、顔だけでも見せて欲しいです。 足代過ぎて糸鹿の山の桜花 散らずもあらなむ帰り来るまで  万1212 *足代を過ぎたところにある糸鹿山の桜花よ。私が帰るまで散らないでおくれ。 名草山言にしありけり我が恋ふる 千重の一重も慰めなくに  万1213 *「名草」山とは言葉だけのものだった。私の積もるほどの思いのうちの一つの「慰め」にもならないのだから。 安太へ行く小為手の山の真木の葉も 久しく見ねば蘿生しにけり  万1214 *安太に行く小為手山に生えている杉や欅。長らく見ないうちに苔が生しています。 玉津島よく見ていませあをによし 奈良なる人の待ち問はばいかに  万1215 *玉津島をよく御覧になっておいてください。奈良でお帰りを待っている人に様子を聞かれたと...

万葉集巻第七1185‐1190番歌(網引する海人とか見らむ)~アルケーを知りたい(1346)

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▼今回の海を詠う6首の歌は、景色を楽しむ内容なので、気楽に読める。風景がエンタテイメント、というか、風景を楽しむのがエンタテイメントというか。 朝なぎに真楫漕ぎ出て見つつ来し 御津の松原波越しに見ゆ  万1185 *朝なぎなので、舟を出して見物にやってきましたよ。御津の松原が波の向こうに見えますね。 あさりする海人娘子らが袖通り 濡れにし衣干せど乾かず  万1186 *一所懸命漁をする漁師たちの袖はびっしょり濡れています。干しても乾かないだろう、と思うくらい。 網引する海人とか見らむ 飽くの浦の清き荒磯を見に来し我れを  万1187  右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *人は私を漁師と思うかも知れません。飽浦の清らかな荒磯を見物に来ているのですが。 山越えて遠津の浜の岩つつじ 我が来るまでにふふみてあり待て  万1188 *遠津浜の岩つつじよ、山を越えて私が来るまで蕾のままで居てください。 大海にあらしな吹きそしなが鳥 猪名の港に舟泊つるまで  万1189 *しなが鳥よ、大海に嵐が吹き荒れないようにしておくれ。猪名港に我らの舟が泊まるまで。 舟泊ててかし振り立てて廬りせむ 名児江の浜辺過ぎかてぬかも  万1190 *舟を泊めて係留柱を立てて宿を取りましょう。名児江の浜辺を見物せずに素通りするなんてできませんから。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 藤原 田麻呂  ふじわら の たまろ 722年 - 783年 奈良時代の公卿。藤原宇合の五男。兄・広嗣の乱に連座して隠岐国に配流。2年後、赦免、帰京。政治とは関わらず、山中に隠棲。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1178-1184番歌(海人小舟帆かも張れると)~アルケーを知りたい(1345)

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▼昔から瀬戸内海は舟便が発達していたのが伝わる歌群。海面と人の目の距離が近い。波も大きく見えたことだろう。海から見る風景は格別だったことだろう。 院南野は行き過ぎぬらし天伝ふ 日笠の浦に波立てり見ゆ   一には「飾磨江は漕ぎ過ぎぬらし」といふ   万1178 *我われの舟は院南野を通り過ぎたようです。はるか向こうの日笠浦に波が立っているのが見えます。 家にして我れは恋ひむな院南野の 浅茅が上に照りし月夜を  万1179 *家に帰ったら、院南野の浅茅で見た月夜を恋しく思い出すことでしょう。 荒磯越す波を畏み淡路島 見ずか過ぎなむここだ近きを  万1180 *荒磯を越す勢いで打ち寄せている波が怖いので、淡路島を見ないまま通り過ぎましょう。こんなに近いのですけど。 朝霞やまずたなびく竜田山 舟出しなむ日我れ恋ひむかも  万1181 *朝霞が止むことなくたなびく竜田山。舟で出発する日になると懐かしいと思うのでしょう。 海人小舟帆かも張れると見るまでに 鞆の浦みに波立てり見ゆ  万1182 *海人が小舟に帆を張っていると見まがうほど、鞆の浦に波が立っているのが見えます。 ま幸くてまたかえり見むますらをの 手に巻き持てる鞆の浦みを  万1183 *再び帰って来て見たい鞆の浦です。 島じもの海に浮き居て沖つ波 騒ぐを聞けばあまた悲しも  万1184 *島でもないのに海でうねって高くなる沖の波。波の音を聞くと悲しくなります。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 藤原 良継  ふじわら の よしつぐ / 宿奈麻呂 すくなまろ 716年 - 777年 奈良時代の公卿。藤原宇合の次男。兄・広嗣の乱に連座して伊豆国へ流罪。2年後、赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1173-1177番歌(足柄の箱根飛び越え)~アルケーを知りたい(1344)

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▼今回の五首、下の句がよきよき。1173番、言葉は通ふけれども舟が通はない。1175番、鳥は騒がしいけど貴方様からの連絡がない。1176番、飛ぶ鶴を見て大和し思ほゆ。1177番、うろうろしながら 見れど飽かぬかも。 イイですねと思ふ。 飛騨人の真木流すといふ丹生の川 言は通へど舟ぞ通はぬ  万1173 *飛騨の人が真木を運搬のために流すという丹生川。岸の間で掛け声は届くけれど舟は通わない。 霰降り鹿島の崎を波高み 過ぎてや行かむ恋しきものを  万1174 *鹿島崎は霰が降って波も高いから通り過ぎるしかありません、寄りたい気持ちなのだけれども。 夏麻引く海上潟の沖つ洲に 鳥はすだけど君は音もせず  万1175 *海上潟の沖のほうの洲で鳥たちは騒いでいます。けれども貴方様からは音沙汰無しです。 足柄の箱根飛び越え行く鶴の 羨しき見れば大和し思ほゆ  万1176 *足柄の箱根を軽々と飛び越えて行く鶴をうらやましく眺めながら大和を偲んでいます。 若狭にある三方の海の浜清み い行き帰らひ見れど飽かぬかも  万1177 *若狭の三方の海の浜の清らかなこと。行ったり来たりしながら眺めて飽きません。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 藤原 綱手  ふじわら の つなて ? - 740年 奈良時代の廷臣・武人。藤原宇合の四男。兄・広嗣の乱では5000の兵を率いて豊後国から進軍。大野東人率いる官軍に敗北。兄と共に死罪(斬刑)。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1169-1172番歌(いづくにか舟乗りしけむ)~アルケーを知りたい(1343)

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▼琵琶湖の周辺を詠った歌四首。当時の舟は、帆で風を受け、人が楫を漕ぐ、この二つ。空や波を気にするのも道理。 近江の海港は八十ちいづくにか 君が舟泊て草結びけむ  万1169 *近江の海の港はたくさんあります。そのなかのどこにご主人様は舟を泊めて宿泊なさるのでしょうか。 楽浪の連庫山に雲居れば 雨ぞ降るちふ帰り来我が背  万1170 *楽浪の連庫山に雲がかかると雨になるそうです。早く戻って来てください、私の夫よ。 大御船泊ててさもらふ高島の 三尾の勝野の渚し思ほゆ  万1171 *大御船が風を待っている間、高島の三尾の勝野の渚を思い出しておりました。 いづくにか舟乗りしけむ高島の 香取の浦ゆ漕ぎ出来る舟  万1172 *どこから舟を出してきたのでしょう。高島の香取の浦を漕ぎ渡っている舟が見えます。 【似顔絵サロン】 同時代の乱、 藤原広嗣の乱 の関係者:藤原 広嗣 ふじわら の ひろつぐ ? - 740年 奈良時代の貴族。藤原宇合の長男。740年、藤原広嗣の乱を起こすも鎮圧され、死罪(斬刑)。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1162-1168番歌(夕なぎにあさりする鶴)~アルケーを知りたい(1342)

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▼干潟の生態系の観察記の和歌。鶴、洲、波、浦、舟、磯、干満、藻・・・。 円方の港の洲鳥波立てや 妻呼び立てて辺に近づくも  万1162 *円方港の洲にいる鳥は妻を呼びながら岸の方に飛んでいます。波が立ち始めたからでしょうか。 年魚市潟潮干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ  万1163 *年魚市潟の潮が干潮なので、知多の浦を朝漕いでいた舟が沖の方に寄っているのが見えます。 潮干ればともに潟に出で鳴く鶴の 声遠ざかる磯廻すらしも  万1164 *潮が引くと揃って潟で鳴いていた鶴の声が遠ざかります。磯廻りを始めたのでしょう。 夕なぎにあさりする鶴潮満てば 沖波高み己が妻呼ぶ  万1165 夕なぎの時に魚を捕っていた鶴は、潮が満ちて波が高くなると自分の妻を呼びます。 いにしへにありけむ人の求めつつ 衣に摺りけむ真野の榛原  万1166 *ここは昔の人が探し求めては衣を染めていたという原料が取れる真野の榛原です。 あさりすと磯に我が見しなのりそを いづれの島の海人か刈りけむ  万1167 *漁のときに磯で見つけておいた海苔。どこかの島の海人が見つけて先に刈り取ったようです。 今日もかも沖つ玉藻は白波の 八重をるが上に乱れてあるらむ  万1168 *今日もまた沖の玉藻は白波が何重にも寄せて乱れているのでしょう。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 多治比 三宅麻呂  たじひ の みやけまろ ? - 725年 飛鳥時代後期~奈良時代前期の貴族。長屋王と藤原四兄弟の対立に巻き込まれ流罪。長屋王側の人物。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1157-1161番歌(住吉の沖つ白波風吹けば)~アルケーを知りたい(1341)

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▼海風が吹くときの海岸の様子を詠った歌の数々。海を見たくなる。潮の匂いを嗅ぎたくなる。 時つ風吹かまく知らず吾児の海の 朝明の潮に玉藻刈りてな  万1157 *潮の風が吹くかも知れません。吾児の海では朝明けの間に玉藻を刈りましょう。 住吉の沖つ白波風吹けば 来寄する浜を見れば清しも  万1158 *住吉の沖で白波を立てるほどの強い風が吹くとき、浜に寄せる波のなんと清いことでしょう。 住吉の岸の松が根うちさらし 寄せ来る波の音のさやけさ  万1159 *住吉の岸の松の根を洗うように寄せ来る波の音。なんと清々しいことでしょう。 難波潟潮干に立て見わたせば 淡路の島に鶴渡る見ゆ  万1160 *難波潟が干潮の時に立って見わたしていると、淡路島に向けて鶴が渡っているのが見えます。  羇旅作 家離り旅にしあれば秋風の 寒き夕に雁鳴き渡る  万1161 *家を離れて旅の途上です。秋風が寒い夕べの時刻、雁が鳴きながら飛んでいます。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 舎人親王  とねりしんのう 676年 - 735年 天武天皇の皇子。政治家・歌人。長屋王の変では新田部親王らと共に長屋王を糾問。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1151-1156番歌(楫の音ぞほのかにすなる)~アルケーを知りたい(1340)

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▼今回も大阪の住吉の歌。海辺に立って波を見たくなる。 大伴の御津の浜辺をうちさらし 寄せ来る波のゆくへ知らずも  万1151 *大伴氏の御津の浜辺を波がざんざと寄せては返しています。波の行方は誰も知りません。 楫の音ぞほのかにすなる海人娘子 沖つ藻刈りに舟出すらしも   一には「 夕されば楫の音すなり 」といふ  万1152 *楫の音がかすかに聞こえてきます。漁師たちが沖へ藻を取るために舟を出しているようです。 「夕方になると楫の音がします」 住吉の名児の浜辺に馬立てて 玉拾ひしく常忘らえず  万1153 *住吉の名児の浜辺で馬を駐めて玉を拾いました。この思い出は忘れられませんね。 雨は降る仮廬は作るいつの間に 吾児の潮干に玉は拾はむ  万1154 *雨は降るし仮廬は作らないといけない。忙しいなか、どのタイミングで吾児の潮干で玉を拾えば良いのでしょうか。 名児の海の朝明のなごり今日もかも 磯の浦みに乱れてあるらむ  万1155 *名児の海の朝明の潮だまりが残っています。今日も磯の浦のあちこちに残っています。 住吉の遠里小野の真榛もち 摺れる衣の盛り過ぎゆく  万1156 *住吉からちょっと離れた里の小野にあるハンの木。その染料で染めた衣の色が薄くなっています。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 新田部親王  にいたべしんのう ? - 735年 天武天皇の皇子。長屋王と皇親政権。長屋王の変では舎人親王らと罪の糾問に当たる。子が道祖王。邸宅の土地を 鑑真 に提供、唐招提寺になる。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第七1143-1150番歌(馬並めて今日我が見つる)~アルケーを知りたい(1339)

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▼今回は住吉の海を詠う歌8首。現在の大阪市住吉区。「馬並めて (友達と馬を並べて) 」のフレーズが好きなので、すぐ目が行ってしまう1148番。 さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦舟 楫の音高し水脈早みかも  万1143 *夜が更けました。堀江を松浦舟が漕ぎ進んでいますね。楫の音が大きいのは流れが早いからでしょう。 悔しくも満ちぬる潮か住吉の 岸の浦みゆ行かましものを  万1144 *残念ながら潮が満ちてきましたよ。住吉の岸の浦に行こうと思っていましたのに。 妹がため貝を拾ふと茅渟の海に 濡れにし袖は干せど乾かず  万1145 *妻の土産にしようと思って貝を拾いました。茅渟の海で濡れた袖は干しても乾きません。 めづらしき人を我家に住吉の 岸の埴生を見むよしもがも  万1146 *珍しい人が我が家にやってきました。住吉の岸の埴生の貴重な土を見れたらよいのに。 暇あらば拾ひに行かむ住吉の 岸寄るといふ恋忘れ貝  万1147 *機会があれば住吉の岸にあるという恋忘れ貝を拾いに行こうかな。 馬並めて今日我が見つる住吉の 岸の埴生を万代に見む  万1148 *馬を並べて今日我われが見に来た住吉の岸の埴生。これから先もずっと見たいものです。 住吉に行くといふ道に昨日見し 恋忘れ貝言にしありけり  万1149 *住吉に行くという道で昨日見た恋忘れ貝。名前だけのものだったよ。 住吉の岸に家もが沖に辺に 寄する白波見つつ偲はむ  万1150 *住吉の岸に家があったらなあ。いつでも沖や岸辺に寄せる白波を見ていられるのに。 【似顔絵サロン】巻7と同じ時代に起こった長屋王の変に関係する人々から: 藤原 麻呂  ふじわら の まろ 695年 - 737年 奈良時代の公卿。藤原不比等の四男。藤原四兄弟の四男。藤原京家の祖。 上には聖主有りて、下には賢臣有り僕のごときは何を為さんや。なお琴酒を事とするのみ 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7