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大伴旅人の万葉集830-837番歌~アルケーを知りたい(1106)

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▼梅花の歌三十二首その3。 ▼花見の宴に人が集い、花を頭につけ、一杯やって皆で楽しむ様子が伝わる。 万代に年は来経とも梅の花 絶ゆることなく咲きわたるべし  筑前介佐氏子首 万830 *これから万代にわたって年は改まっても梅の花は絶えることなく咲くことでしょう。 春なればうべも咲きたる梅の花 君を思ふと夜寐(よい)も寝なくに  壱岐守板氏安麻呂 万831 *春になると美しく咲く梅の花、その花を思うと夜もおちおち寝られません。 梅の花折りてかざせる諸人は 今日の間は楽しくあるべし  神司荒氏稲布 万832 *梅の花を折ってかざす皆さまは、今日一日、楽しいことでしょう。 年のはに春の来らばかくしこそ 梅をかざして楽しく飲まめ  大令史野氏宿奈麻呂 万833 *年の初めに春が来るのでこのように梅をかざして楽しく一杯やるのです。 梅の花今盛りなり百鳥の 声の恋しき春来るらし  少令史田氏肥人 万834 *梅の花は今が盛りです。たくさんの鳥の鳴き声が心地よい春が来たようです。 春さらば逢はむと思ひし梅の花 今日の遊びに相見つるかも  薬師高氏義通 万835 *春が来れば逢いたいと思っていた梅の花、今日のこの宴会でお互い出会えましたね。 梅の花手折りかざして遊べども 飽き足らぬ日は今日ありけり  陰陽師磯氏法麻呂 万836 *梅の花を手折ってかざして遊んでいますが、遊び飽きない日とは今日のことであります。 春の野に鳴くやうぐひすなつけむと 我が家の園に梅が花咲く  算師志氏大道 万837 *春の野で鳴く鶯をなつけようとして、我らがこの庭で梅の花が咲いているのでしょう。 【似顔絵サロン】 中臣 鎌足  614 - 669 55歳。 31歳のとき中大兄皇子と共に乙巳の変を実行。 われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり  万95 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集823-829番歌~アルケーを知りたい(1105)

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▼梅花の歌三十二首その2 ▼梅の花を詠むときのそれぞれの詠み手の工夫が参考になる。 花が散った後を気にしてみる、ウグイス・青柳・桜を引き合いに出す、かんざしにして遊ぼうと呼びかける等。 梅の花散らくはいづくしかすがに この城の山に雪は降りつつ  大監伴氏百代 万823 *梅の花は散るとどこに行くのでしょう、この城の山に雪が降っているようですけど。 梅の花散らまく惜しみ我が園の 竹の林にうぐひす鳴くも  少監阿氏奥島 万824 *梅の花が散るのを惜しんでこの庭の竹林で鶯が鳴いています。 梅の花咲きたる園の青柳を かづらにしつつ遊び暮らさな  少監土氏百村 万825 *梅の花が咲いている庭の青柳を蔓にして一日遊びましょう。 うち靡く春の柳と我がやどの 梅の花とをいかにか分かむ  大典史氏大原 万826 *柔らかく靡く春の柳と我われの庭の梅の花をどうやって見分けましょう。 春されば木末隠りてうぐひすぞ 鳴きて去ぬなる梅が下枝に  少典山氏若麻呂 万827 *春が終われば木の末に隠れて鶯が鳴くことでしょう。鳴いては梅の下枝に移るのです。 人ごとに折りかざしつつ遊べども いやめづらしき梅の花かも  大判事丹氏麻呂 万828 *人びとが折りかざして遊んでおられる、それにしても素晴らしい梅の花です。 梅の花咲きて散りなば桜花 継ぎて咲くべくなりにてあらずや  薬師張氏福子 万829 *梅の花が咲いて散ったら続いて桜花が咲くのでしょうね。 【似顔絵サロン】 皇極天皇 / 斉明天皇  594 - 661 67歳。 乙巳の変のときの天皇。 天智天皇・天武天皇の母親。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集815-822番歌~アルケーを知りたい(1104)

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▼730年、大宰府帥の旅人が開いた梅花の宴で参加者が詠んだ歌32首。4回に分けて見て行く。 ▼九州の出身者であれば、梅花の宴の参加者の肩書に出る筑前、豊後、筑後などの地名を見ておおっと思うことでしょう。私は大分市出身なので豊後が来ると、理由なく嬉しい。下記に 豊後守大伴大夫が登場する。 ▼最初の6名が詠んだあと沙弥満誓が1首詠み、続いて旅人の1首が来る。この旅人の1首で全8首がひとまとまりになる。 ▼この時代の人は花見のときにやたら枝を折る。今の感覚でいうと、それよくないすよ、という気持ちになる。枝を折って何にするかというとかんざしにして頭に乗っける。元気を貰う意味合いがあるらしい。気持ちはよく分かる。  梅花の歌三十二首 幷せて序 天平二年の正月の十三日に、帥老の宅に集まりて、宴会を申ぶ。 時に、初春の 令 月にして、気淑く風 和 ぐ。 海は鏡前の粉を披く、蘭は珮後(はいご)の香を燻らす。 しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋(きぬがい)を傾く、夕の岫(くき)に霧結び、島はうすものに封(と)ぢらえて林に迷ふ。 庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。 ここに、天を蓋にして地を坐にし、膝を促け觴(さかづき)を飛ばす。 言を一室の裏に忘れ、矜を煙霞の外に開く。 淡然自ら放し、快然自ら足る。 もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を攄(の)べむ。 詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。 よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。 正月立ち春の来らばかくしこそ 梅を招きつつ楽しき終へめ  大弐紀卿(きのまへつきみ) 万815 *正月になり春を迎えましたので、こんなふうに皆で梅を眺めて楽しく過ごしましょう。 梅の花今咲けるごと散り過ぎず 我が家の園にありこせぬかも  少弐小野大夫 万816 *梅の花よ、今咲いている調子で散り過ぎないようにして、この庭にいてください。 梅の花咲きたる園の青柳は かづらにすべくなりにけらずや  少弐粟田大夫 万817 *梅の花が咲いている庭には青柳もいる。これも頭に乗っけるかづらになりそうです。 春さればまづ咲くやどの梅の花 ひとり見つつや春日暮らさむ  筑前守山上大夫 万818 *春になるとすぐに咲くのが庭の梅の花です。ひとりで眺めて春の日を過ごしたいものです。 世の中は恋繁しゑやかくしあらば 梅の花にもならましものを  

大伴旅人の万葉集812番歌~アルケーを知りたい(1103)

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▼(前回の続き)旅人から琴を受け取った 藤原房前 の和歌付きの礼状。 ▼729年の話なので、年齢を計算すると旅人が64歳、房前が48歳。旅人が愛用の琴を贈るほどの相手だから、房前はきっと素晴らしい人物だと思う。 跪きて芳音を承はり、嘉懽こもこも深し。 すなはち知る、竜門の恩、また蓬身の上に厚しといふことを。 恋望の殊念は、常の心に百倍す。 謹みて白雲の什に和へ、もちて野鄙の歌を奏す。房前謹状 言とはぬ木にもありとも我が背子が 手馴れの御琴地に置かめやも  万812 *もの言わぬ木であっても貴方様がご愛用の御琴ですから大事にさせていただきます。  729年十一月八日 還使の大監に附く  謹通 尊門 記室 【似顔絵サロン】 藤原 房前  681 - 737 56歳。藤原四兄弟の次男。長屋王と 詩歌仲間。藤原北家の祖。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集810-811番歌~アルケーを知りたい(1102)

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▼旅人が 729年に 藤原四兄弟の房前に琴を贈ったときの和歌つきの手紙。 ▼琴の材木に由来を語らせている。高い山で太陽の光を受けて育った材。木目が密と想像できる。それが自分で「質荒く音少なき」と言い、材質が荒く、音の出方も少ないと謙遜している。こうなると楽器に適した良い材に違いない。それが良匠の手によって小琴となった。 ▼クレモナでバイオリン作りが始まる1000年前の話。 ▼同年、長屋王の変が起きている。旅人が琴を贈った相手はこの変に関わる藤原四兄弟のひとり房前。  大伴淡等謹状(おおとものたびときんじょう) 梧桐(ごとう)の日本琴(やまとこと)一面 対馬の結石の山の孫枝なり この琴、夢に娘子に化りて曰はく、「余、根を遥島の崇巒(すうらん)に託せ、幹を九陽の休光にさらす。長く煙霞を帯びて、山川の阿に逍遥す、遠く風波を望みて、雁木の間に出入す。 ただに恐る、百年の後に、空しく溝壑(こうかく)に朽ちなむことのみを。 たまさかに良匠に遭ひ、斬られて小琴と為る。 質荒く音少なきことを顧みず、つねに君子の左琴を希ふ」といふ。 すなわち歌ひて曰はく、 いかにあらむ日の時にかも声知らむ 人の膝の上我が枕かむ  万810 *いつのときに私の響きを聞き分けてくださる方の膝の上で音を鳴らせるのでしょう。 僕、詩詠に報へて曰はく、 言とはぬ木にはありともうるはしき 君が手馴れの琴にしあるべし  万811 *木はものを言いませんが、あなた様であれば演奏上手な人の琴になるに違いありません。  琴娘子、答へて曰はく、「敬しみて徳音を奉はる。幸甚々々」といふ。 片時ありて覚き、すなはち夢の言に感け、慨然止黙をること得ず。 故に公使に附けて、いささかに進御らくのみ。 謹状 不具  天平元年十月七日 使いに附けて進上る  謹状中衛高明閣下 謹空 【似顔絵サロン】 阿倍 比羅夫 (あべ の ひらふ) ? - ? 将軍。663年、白村江の戦いで敗北した日本軍の将軍。戦後は筑紫大宰帥。仲麻呂は孫。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%

大伴旅人の万葉集806-807番歌~アルケーを知りたい(1101)

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▼旅人がまだ太宰帥であった時期の歌。 ▼奈良の貴人からの便りを貰った旅人が返信として「早く都に戻ってお目にかかりたい」という希望を歌った2首。 その貴人からの返事の歌2首と合わせて4首。  伏して来書を辱(かたじけ)なみし、つぶさに芳旨を承はる。たちまちに隔漢(かくかん)の恋を成し、また抱梁(ほうりょう)の意を傷ましむ。ただ羨(ねが)はくは、去留(きょりゅう)恙なく、つひに披雲(ひうん)を得たまくのみ。  歌詞両首 太宰帥大伴卿 竜の馬も今も得てしかあおによし 奈良の都に行きて来むため  万806 *奈良の都に行って貴方様にお目通りするため、大型でパワフルな馬をすぐにでも手に入れたいものです。 うつつには逢ふよしもなしぬばたまの 夜の夢にを継ぎて見えこそ  万807 *現実にはお目にかかる方法もございません。夜の夢で絶えることなくお目にかかりたいです。  答ふる歌二首(奈良にいる人からの返事の歌) 竜の馬を我は求めむあをによし 奈良の都に来む人のたに *私も竜の馬が欲しいと思います。奈良の都においでになる人のために。 直(ただ)に逢はずあらくも多く敷栲(しきたへ)の 枕去らずて夢にし見えむ *直接お目にかかれずとも、あなたの夢でお目にかかりましょう。 【似顔絵サロン】 則天武后 (そくてんぶこう) 624 - 705 81歳。高宗の皇后。中国史上唯一の女帝。白村江の戦いに勝ち、5年後に高句麗を滅ぼした。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集793番歌~アルケーを知りたい(1100)

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▼今回の歌は、 妻を亡くしたのに続いて妹の夫を亡くした 旅人が悲しんで作った歌。 ▼歌の後に山上憶良が文章を付した。  大宰帥大伴卿、凶問に報ふる歌一首  禍故重畳(かこんちょうじょう)し、凶問累集(るいじゅう)す。 永(ひたふる)に崩心の悲しびを懐(むだ)き、独(もは)ら断腸の泣(なみだ)を流す。 ただ、両君の大助(たいじょ)によりて、傾命をわづかに継ぐげらくのみ。 筆の言を尽さぬは、古今嘆くところ。 *不幸が重なり、悪い知らせが重なる。ひたすら心が砕かれるような悲しみに断腸の涙を流す。それでも身近な二人の者の助けのおかげでわが余命が続いている。筆では言い尽くせないのは古今から嘆くところ。 世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり  万793 *世の中は空しいものと知る時に、いよいよますます悲しくなるものだ。   728 神亀五年六月二十三日  以下は山上憶良の後文 けだし聞く、四生(ししょう)の起滅は夢のみな空しきがごとく、三界の漂流は環の息(とど)まらぬがとごし。 このゆゑに、維摩大士も方丈に在りて染疾の患(うれへ)を懐くことあり、釈迦能仁も双林に坐して泥洹(ないをん)の苦しびを免れたまふことなし、と。 故に知りぬ、二聖の至極すらに力負(りきふ)の尋ね至ることを払ふことあたはず、三千世界に誰れかよく黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来ることを逃れむ、といふことを。 二鼠競ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛ぶ、四蛇(しだ)争ひ侵して、過隙の駒夕に走る。 ああ痛きかも。 紅顔は三従と共に長逝す、素質は四徳とともに永滅す。 何ぞ図りきや、偕老は要期に違い、独飛して半路に生かむとは。 蘭室には屏風(へいふう)いたづらに張り、断腸の悲しびいよいよ痛し、枕頭には明鏡空しく懸かり、染筠(ぜんゐん)の涙いよよ落つ。 泉門ひとたび掩ざされて、また見るに由なし。 ああ哀しきかも。 愛河の波浪はすでにして滅ぶ、 苦海の煩悩もまた結ぼほるることなし。 従来よりこの穢土を厭離す、 本願生をその浄刹に託せむ。 【似顔絵サロン】 高宗  こうそう 628 - 683 55歳。663年、白村江の戦いで倭・百済遺民連合軍に勝った 唐の皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-yms