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アルケーを知りたい(112) ガウスの法則 Gauss' law

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▼ガウスの法則。点電荷を中心に半径rの球があるとして、球の表面を垂直に貫く電気力線の数Nと点電荷の電気量Qは等しい(比例する)。 ▲Carolus Gaussさん。1777-1855 ドイツの物理学者。1784年(7才) 小学校時代から算数で才能を示す。1796年(19才) ゲッティンゲン大学で定規とコンパスで正17角形を作図。将来は数学者になると決意。1797年(20才) 楕円関数を研究。レムニスケート関数を発見。1799年(22才) ヘルムシュテット大学で博士。1800年(23才) 一般楕円関数を発見。モジュラー関数を発見。1801年(24才) 『ガウス整数論』 1807年(30才) ゲッティンゲン大学。ゲッティンゲン天文台長。ガウス式レンズを設計。1827年(50才) 『曲面の研究』1831年(54才) 物理学者のヴィルヘルム・ヴェーバー氏と電磁気学を研究。電信装置を開発。1835年(58才) ガウスの法則を発見。1855年(78才) ゲッティンゲンで死去。

アルケーを知りたい(111) 電気力線 Electric Field Lines

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 ▼電気力線。点電荷の力も電気力線の密度も、距離の二乗に逆比例して減少する。近いほど力も密度も高くなり、遠ざかると急激に薄くなる。人と人との関係性も時として似ていることがある。 ▲James Clerk Maxwell さん。ファラデーさんの電磁場理論をもとにマクスウェルの方程式を生み出した古典電磁気学の祖。

アルケーを知りたい(110) 近接作用 action through medium

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 ▼力の伝わり方をどう捉えるか、ニュートンさんは遠隔作用論、ファラデーさんは近接作用論を唱えた。今回は近接作用論。 ▲Michael Faraday さん。1791-1867 イギリスの実験物理学者。 正規の高等教育を受ける機会がなく、独学と権威ある学者の元で身分差と嫉妬に悩まされながらも修行して実力を磨き人脈を作った人物。 1791年、イングランドのサリー州ニューイントン・バッツ(現在のロンドンの南)生まれ。父は鍛冶屋の見習い。 1805年(14才) 小学校を出たあと近所の製本兼書店で見習い(1812年21才まで)。読書を通じて電気に興味。見習い仲間から絵の手ほどきを受ける。 1812年(21才) ロンドン市哲学協会で勉強。応援者から貰った入場券で化学者ハンフリー・デービーさんの講演会に何度も参加。講演ノートを作成。 1812年(21才) 自作したボルタ電池で硫酸マグネシウムを電気分解。 1813年(22才) 王立研究所でデービーさんの化学助手。従者兼実験助手としてヨーロッパ旅行に同行(1815年まで)。多くの知己を得る。 1821年(30才) 結婚。デービーさんとの関係が悪化。 1823年(32才) 塩素の液化に成功。 1824年(33才) 王立協会フェロー。 1825年(34才) ベンゼンを発見。デービーさんの後任で英国王立実験所長。 1829年(38才) デービーさん死去(50才)。 1831年(40才) 電磁誘導を発見。 1832年(41才) オックスフォード大学から名誉博士号授与。 1833年(42才) 電気分解の法則を発見。 1845年(54才) 反磁性を発見。 1848年(57才) アルバート王配殿下の配慮でハンプトン・コート宮殿内で生活。 1853年(62才) 政府からクリミア戦争(1856年まで)のため化学兵器製造を打診され拒絶 。 1867年(76才) ハンプトン・コート宮殿内で死去。

アルケーを知りたい(109) 遠隔作用 action at a distance

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▼力の伝わり方に関する考え方として、遠隔作用論と近接作用論がある。今回は遠隔作用論。 ▲Isaac Newton さん。イングランドの自然哲学者。大学生時代にペストが大流行し大学が閉鎖。1年半、故郷で思索する時間に恵まれる。結果、微積分、光学、万有引力の業績を上げた。この期間は創造的休暇と呼ばれる。

アルケーを知りたい(108) 電場 electric field

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▼電場、あるいは電界。変化が起こっている空間。静電気が伝わるのは、電荷の周りに空間に状態変化が起きて電場が生じるから。電場は真空中でも発生する。電場とは変化が生じている空間のこと。変化の影響を受けて状態が変わる。 ▲Pieter Musschenbroekさん。1692-1761 オランダの科学者。1746年に世界初の電荷を蓄積する装置、ライデン瓶を発明した人物。

アルケーを知りたい(107) クーロンの法則 Coulomb's law

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 ▼クーロンの法則。力は距離の2乗に逆比例する。逆2乗則の話。 ▼平尾物理のp.423に、水素原子の電子と陽子の間に働く力の大きさの計算がある。表にある式に、クーロン定数、電気素量、電子と陽子間の距離を入れて計算すれば良い。面倒くさいのは10のマイナスn乗の扱い。これを無視して、クーロン定数は9、電気素量は1.6、距離を0.5で計算してみた。 ▼PythonのIDLEでこんなふうに入力: >>> 9*1.6**2/0.5**2 得られた結果は、92.16000000000003 平尾物理の答えは、9.2×10マイナス8乗N(ニュートン)なので、桁を無視した数値の並びは正しい。こういうのは、ちょっと嬉しい。 ▲Henry Cavendish さん(1731–1810)。「科学者の中で一番の金持ちであり、金持ちの中で最も偉大な科学者」と言われるイギリスの物理学者。

アルケーを知りたい(106) 電気素量 elementary charge

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▼電気素量。電気素量に到達するまで、BC600年のタレスさんを起点とすると2000年以上の年月が蓄積している。この年月のうち科学的な思考や手法が始まったのが1600年以降としても400年の蓄積がある。 ▼ある概念や用語に出会って、それがすぐ理解できなくても心配いらない。100年単位の試行錯誤があった挙句の成果なのだから、そう簡単に分かるはずもない。先人が達成した知をもとに、どういうふうに世界観を説明しているか、先人に敬意を払いながら少しずつ辿れば良い。 ▼例えば、今回の電気素量の1.062×10のマイナス19乗にしても、「はい、じゃあちょっと実験で計測してみて」なんて言われて、できるもんじゃない。どうやって測ったんだろう。 ▲William Gylberdeさん。 1544-1603 ケンブリッジ大学卒業の医学博士。医師として、エリザベス1世の侍医を務める。物理学者として、自費で静電気や磁石の実験と研究を行う。世界初の検電器を発明し、電気計測機器の祖。実験を重んじる研究手法で、電気工学、電気・磁気の父。アルケーに迫る戦略と行動戦術の持ち主。注目するべき人物。

アルケーを知りたい(105) 電荷 electric charge

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▼電荷。平尾物理では「物理学では電気的な現象の根源を表すのに電荷という概念を使う」と説明している。とても深みを感じる説明で好きだ。 ▼原子は原子核と電子で構成されている。原子核は陽子と中性子で構成され、原子核の周りを電子が回っているイメージ。しかし、電子と陽子の質量を比べると、電子は陽子の1800分の1。ところが電気量は同じ。これは何とも不思議ではないか。アリと像を比べて、魂の重みは同じと言うのと似たようなことかな。 ▼プラスとマイナスは引き合う、同じもの同士は反発するはず。なのに原子核では陽子同士が固く結びついている。それはなぜかというと、陽子同士が反発する以上の強い力が働いているからという。 ▼原子核と電子の間にはだだっぴろい空間がある。ここにはいったい何があるの(ないの)? あるいは、どうなっているの? いろんな不思議に出会いそうだ。今回は電荷。 ▲Charles Coulombさん  1736-1806 フランスのアングレーム生まれ。父は役人、母は裕福な名家の出。1757年(21才) モンペリエ市アカデミーで仕事しながら数学の教育を受ける(1759年まで)。1761年(25才) 陸軍士官学校を卒業。イギリス沿岸の地形図作成の測量に参加。1777年(41才) 磁気コンパスの研究で科学アカデミーの懸賞第一位になる。1781年(45才) 摩擦の研究で科学アカデミーの懸賞第一位になる(二度目)。科学アカデミー会員。パリに着任。1784年(48才) 「金属線のねじれと弾性に関する理論的研究および実験」を発表。1785年(49才) 自分で発明したねじり天秤を使って荷電した粒子の間で働く力を観察。電荷量の二乗に比例し、距離の二乗に反比例する現象を発見。クーロンの法則。1806年(70才) パリで死去。

アルケーを知りたい(104) 電磁気学 electromagnetism

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▼今回から電磁気学。電磁気学とはどういうものか手応えを探った。 ▲Hendrik Lorentzさん 1853年、オランダのヘルダーラント州アーネム生まれ。父は裕福な園芸家。1875年(22才) ライデン大学で博士。1896年(43才) ピーター・ゼーマンさんが「ゼーマン効果」を発見。これに理論的解釈を行う。1902年(49才) ノーベル物理学賞(放射現象に対する磁性の影響の研究)。ピーター・ゼーマンさんと同時受賞。1904年(51才) 「時間の遅れ」1905年(52才) ポアンカレさんが「時間の遅れ」をローレンツ変換と命名。1928年(75才) ハールレムで死去。 ▲James Maxwellさん 1831年、スコットランドのエディンバラ生まれ。父は弁護士。1854年(23才) トリニティカレッジ卒業。1860年(29才) キングス・カレッジ・ロンドンで教授(自然哲学)。1861年(30才) 光の三原色ごとのフィルターで撮影した3枚の写真を重ねて史上初のカラー写真に成功。1864年(33才) 王立協会でマクスウェルの方程式を発表。1868年(37才) 論文で「電磁波」という用語を使用。1874年(43才) キャヴェンディッシュ研究所の初代所長。1879年(48才) ケンブリッジで死去。

アルケーを知りたい(103) 量子力学 quantum mechanics

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▼量子力学。古典力学と何が違うのか? 平尾物理の説明で、波動性と粒子性の二重性を基にした力学、ということが分かる。Wikipediaでは量子力学から現代技術が恩恵を受けていることが分かる。 ▼Society1.0が狩猟時代、2.0が農耕時代、3.0が工業時代、4.0が情報時代という区分がある。5.0のイメージが掴みにくい。 ▼掴みにくい理由が、ベースになる力学が量子力学になっているから、という解釈はどうだろう。 ▼もちろん4.0の時代から量子力学はあったし、5.0の時代でも古典力学はベースだ。それでも波動性と粒子性の二重性という分かりにくさは5.0の捉えにくさにどこか似ているから。 ▲Erwin Schrödinger さん。20代でWWIを、50代でWWIIを経験した理論物理学者。時代の流れに翻弄されながら居場所を見つけ成果を出し続けた。 

アルケーを知りたい(102) 不確定性原理 Uncertainty principle

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▼不確定性原理。粒子の位置を正確に求めようとするほど、その粒子の運動量を正確に知ることができなくなる、逆も同様である、というハイゼンベルクさんが唱えた原理。 ▲Werner Heisenberg さん。ドイツの物理学者。量子力学の創始者のひとり。26才で不確定性原理に取組み、31才でノーベル物理学賞を受賞。

アルケーを知りたい(101) ド・ブロイ波 de Broglie wave

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▼ド・ブロイ波。アインシュタインさんは電磁波を粒子と見た。その後、コンプトンさんがX線の散乱実験で粒子性を実証した。これを見たド・ブロイさんは、粒子や物質が波動性を持つのではないかと考えて博士論文にした。 ▼論文を査読するソルボンヌ大学の教授陣はアインシュタインさんにセカンドオピニオンを求めた。アインシュタインさんは「博士号以上、ノーベル賞級」と回答。 ▼結果、ド・ブロイさんは1924年に博士(物理学)を取得、1929年にノーベル物理学賞を受賞。アインシュタインさんの見立ては正しかった。アインシュタインさんにセカンドオピニオンを求めた査読者も正しかった。 ▲Louis de Broglie さん。フランスの物理学者。ソルボンヌ大学で最初は歴史学を専攻、途中から兄の影響で物理学に方向転換。博士論文でド・ブロイ波(物質波)を提唱した。

アルケーを知りたい(100) コンプトン効果 Compton effect

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▼コンプトン効果。X線が粒子の性質を持つことを確かめる実験。 ▲Arthur Comptonさん。光の粒子性の発見によりノーベル賞物理学賞を受賞したアメリカの物理学者。WWIIの時期、アメリカが本格的に原爆製造に乗り出す時期のキーパーソンの一人。物理学者としても、国家プロジェクトを推進する管理者としても超一流の人物。

アルケーを知りたい(99) X線 X ray

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▼X線。1895年の11月上旬、レントゲンさんがクルックス管で陰極線の実験をしていたとき、なぜか近くの蛍光紙が感光しているのに気付く。未知の電磁波が出ているのではないかと考え、2カ月間、集中的に実験。その結果を論文にして12月末に提出。こうして公知の事実になった。 ▼Wilhelm Röntgenさん。X線の発見で第1回ノーベル物理学賞を受賞。賞金は学長を務めた大学に全額寄付。指輪をした手のレントゲン写真のモデルは奥様。

アルケーを知りたい(98) ミリカンの実験 Oil drop experiment

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 ▼電気素量を求めたミリカンの油滴実験。大学入試に出てくる実験。 ▲Robert Millikanさん。電気素量を正確に測定した物理学者。J.J.トムソンさんの研究室が水滴を使ったのに対しミリカン研究室では博士学生の提案で油滴を使用。これで4時間くらいかけて精密観測ができた。結果、ノーベル物理学賞を受賞。

アルケーを知りたい(97) カナル線 canal ray

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▼カナル線。カナルとは「小さい孔」という意味。 ▼ゴールドスタインさんの実験方法は、真空放電管の片方の端に陽極版を置き、レンコンのようにカナルをあけた陰極板を管の2/3くらいのところに置いて電圧をかける。すると陰極版でグロー光が出ているのを発見。これは陰極線と反対方向を流れるカナル線が引き起こしている現象と見立てた。 ▼真空放電管は物理学者の創意工夫でいろんなバリエーションがある。管の真空度を変える。管の中に異なる気体を入れる。圧を変える。電圧を変える。陽極の背後にスペースを設ける(後ろのガラス壁に影が出る)、陰極と陽極の間に羽根車を置く、管に電場をかける、磁場をかける、管を曲げる、陰極の背後に空間を取る、極板に穴を空ける等など。発想法のヒントになる。 ▲Eugen Goldsteinさん。ドイツの物理学者。放電管研究のパイオニアのひとり。陰極線、カナル線の命名者。ベルリン天文台とポツダム天文台で活動。

アルケーを知りたい(96) 電気素量 elementary charge

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▼電気素量。電子1個の電気量のこと。JJトムソンさんの弟子のジョン・タウンゼントさんが世界で初めて測定した。 ▼電気素量の単位はクーロン C。1Cは1秒間に1Aの電流によって運ばれる電気量。 ▲John Townsendさん。ケンブリッジ大学のJ.J.トムソンさんの研究室で気体イオンを研究。世界で初めて電子の電荷の測定に成功。

アルケーを知りたい(95) 質量比電荷 mass-to-charge ratio

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 ▼トムソンの実験で得られるのは、電気量と質量の比、質量比電荷すなわち比電荷。比だから、片方の値が分からないともう片方も分からない。でも研究の積み重ねでここまで来た、という感じ。 ▲Wilhelm Wien さん。2回、レントゲンさんの後任で教授になっている。最初は36才のときヴュルツブルク大学で、2度目は55才のときミュンヘン大学。 1911年47才のときノーベル物理学賞(熱放射の諸法則に関する発見)を受賞している。「ヴィーンは我々を量子力学の玄関口に導いた」(マックス・フォン・ラウエさん)。

アルケーを知りたい(94) トムソンの実験 Experiments with cathode rays

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▼トムソンの実験。トムソンの実験は大学入試問題に出たことがある。 ▼トムソンさんは、陰極線から出ているものの正体が何か、クルックス管を改良しながら実験を重ねた。 ▼仮説と実験を繰り返しながら、陰極線は粒子と考え、原子のぶどうパンモデルを考案した。ただしトムソンさんの粒子は、陰極から出てくる電子ではなく陰極付近の気体から出てくるものと考えたようだ。また、ぶどうパンモデルは大きな正電荷のパンの中に電子がぶどうのように入っているイメージだったが、これでは正電荷が大きすぎて弟子のラザフォードさんの実験では説明がつかなくなる。 ▼自分の観測結果、実験結果から原子はどうやらぶどうパンに例えられるんじゃないか、と考えた初期プロセスの泥臭さがたまらなくいい。後の時代になって、今になって、んなわけねーだろ、というのは簡単。 ▲Joseph John Thomson さん。仮説・実験・測定・データから対象の正体を考察。王道をゆく物理学者。初期の原子モデルの考案者。ラザフォードさんの師匠。

アルケーを知りたい(93) クルックス管 Crookes tube

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▼クルックス管。平尾物理のp.607に「真空放電の研究」と「気体を流れる電流」の二つの研究コラムがあって、ガラス管・真空・放電についての歴史と科学者が追求したテーマが紹介されている。 ▼このコラムとWikipediaの記事をまとめて簡単な年表にまとめた。それまで放電管の研究と狭く捉えていたのが、電子の発見や電球や真空管の発明とつながっていると広く捉えられるようになった。 ▲ウィリアム・クルックスさん。クルックス管を発明したイギリスの物理学者。分光分析でタリウムTlを発見した元素発見者の一人。

アルケーを知りたい(92) 陰極線 Cathode ray

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▼陰極線。陰極線の実験をするには、丈夫なガラス管と、ガラス管の中の空気を抜く技術が必要だ。ドイツのガイスラーさんは両方の高い技術を持つ技術者で、多くの科学者の陰極線実験用器材を提供した。 ▲ハインリッヒ・ガイスラーさん。父親がガラス加工の名人で、幼少から技術を磨いた。高性能真空ポンプを作った後、真空管を作って陰極線の実験を行った。

アルケーを知りたい(91) プランクの法則 Planck's law

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▼古典物理では説明がつかない現象を説明するためドイツの物理学者マックス・プランクさんはプランクの法則を提出。量子力学の始まり。 ▲量子仮説を提唱したプランクさん。プランクさん自身は「伝統的な物理学に合致する仮定で、すぐにでも置き換えられることを望んでいた」(フリッシュさんの自伝)。

アルケーを知りたい(90) 光子 Photon

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▼光子の話。平尾物理p.621は光子を「振動数νを持つ光は、エネルギーhνを持つ粒子としての側面を持つ」と説明している。この一文で波動性と粒子性を言っている。この一文は読み返すほどに深くなる。この結論にたどり着くまでどんだけの年数をかけどんだけの科学者が奮闘したことか。 ▼光のアルケーが微小な粒子、と解釈すると訳が分からなくなる。というのは、光をつぶさに見ても粒に行きつくわけではないから。光の振る舞いが粒子としての現象を表すことから、粒子といっている。光そのものではなく、光がもたらす効果のほうを表現している。 ▲アルベルト・アインシュタインさん。ドイツの物理学者。1905年、「光量子 Lichtquant = light quantum」という用語を使い、光の粒子性と波動性を認める「光量子仮説」を発表。 ▲ギルバート・ルイスさん。アメリカの物理化学者。1926年、「光子 photon」という用語を使ったレターをネイチャー誌に提出。その後、アインシュタインさんが提唱した「光量子」と同じ扱いを受けるようになる。

アルケーを知りたい(89) 黒体放射 black body radiation

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▼黒体とは全ての波長にわたって電磁波を全く反射しない仮説上の物体。黒体で覆われた仮想空間は、無音響室や電波暗室のように外からの影響を受けずに実験できる理想的環境。 ▼キルヒホッフさんやプランクさんが黒体放射を使って導き出した理論が、量子力学の始まりになる。 ▲グスタフ・キルヒホッフさん。ドイツの物理学者。黒体放射のほか電気回路、反応熱でもキルヒホッフの法則を発見した。ロベルト・ブンゼンさんと分光学の研究を行い、セシウムCsとルビジウムRbを共同発見した。 ▲マックス・プランクさん。ドイツの物理学者。黒体放射を説明するプランクの法則を発見。量子論の父。