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アルケーを知りたい(233) ノーベル物理学賞 1944年 オットー・ハーンさん

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▼1944年のノーベル化学賞受賞者は、ドイツの化学者オットー・ハーンさん(65)。受賞理由は、「原子核分裂の発見」に対して。 ▼オットー・ハーンさんは長年にわたるリーゼ・マイトナーさんの共同研究者。

アルケーを知りたい(232) ノーベル物理学賞 1944年 イジドール・イザーク・ラービさん

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▼1944年のノーベル物理学賞受賞者は、アメリカの物理学者イジドール・イザーク・ラービさん(46)。受賞理由は、「共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見」に対して。 ▼ポーランド生まれニューヨーク育ちのユダヤ人。

アルケーを知りたい(231) ノーベル化学賞 1943年 ゲオルク・ド・ヘヴェシーさん

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▼1943年のノーベル化学賞受賞者は、ハンガリーの化学者ゲオルク・ド・ヘヴェシーさん(58)。受賞理由は、「化学反応研究におけるトレーサーとしての同位体の応用研究」に対して。 ▼ヘヴェシーさんのエピソード。ナチスがデンマークを併合したとき、ニールス・ボーア研究所に保管していたラウエさんとフランクさんのノーベル賞金メダルがナチスに略奪されないよう王水に溶かして隠した。

アルケーを知りたい(230) ノーベル物理学賞 1943年 オットー・シュテルンさん

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▼1943年のノーベル物理学賞受賞者は、ポーランド生まれの物理学者オットー・シュテルンさん(55)。受賞理由は、「原子線法の開発と陽子の磁気モーメントの発見」に対して。 ▼ユダヤ人のシュテルンさんはナチスのユダヤ人追放政策のため1933年にハンブルグを去り渡米した。このような時でも、助手にしていたオットー・フリッシュさん(リーゼ・マイトナーさんの甥)の次の職場を手配した。

アルケーを知りたい(229) ノーベル物理学賞 1939年 アーネスト・ローレンスさん

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▼1939年のノーベル物理学賞受賞者は、アメリカの物理学者アーネスト・ローレンスさん(38)。受賞理由は、「サイクロトロンの開発および人工放射性元素の研究」に対して。 ▼ローレンスさんと日本の物理学の関係を見ると、WWII前はサイクロトロンの建設、WWII後は復興に力を貸してくれた。

アルケーを知りたい(228) ノーベル物理学賞 1938年 エンリコ・フェルミさん

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▼1938年のノーベル物理賞受賞者は、イタリア出身の物理学者エンリコ・フェルミさん(37)。受賞理由は、「中性子衝撃による新放射性元素の発見と熱中性子による原子核反応の発見」に対して。

アルケーを知りたい(227) ノーベル物理学賞 1937年 ジョージ・パジェット・トムソンさん

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▼1937年のノーベル物理賞のもうひとりの受賞者は、イギリスの物理学者ジョージ・パジェット・トムソンさん(45)。受賞理由は、前回紹介したクリントン・デイヴィソンさんと同じく「結晶による電子線回折現象の発見」に対して。

アルケーを知りたい(226) ノーベル物理学賞 1937年 クリントン・デイヴィソンさん

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▼1937年のノーベル物理賞の受賞者は、アメリカの物理学者クリントン・デイヴィソンさん(56)。「結晶による電子線回折現象の発見」に対して。

アルケーを知りたい(225) ノーベル化学賞 1936年 ピーター・デバイさん

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▼1936年のノーベル化学賞の受賞者は、オランダの物理学者ピーター・デバイさん(52)。「双極子モーメントおよびX線、電子線回折による分子構造の研究」に対して。

アルケーを知りたい(224) ノーベル物理学賞 1936年 カール・デイヴィッド・アンダーソンさん

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▼1936年のノーベル物理学賞のもうひとりの受賞者は、アメリカの物理学者カール・デイヴィッド・アンダーソンさん(31)。「陽電子の発見」に対して。 ▼ 陽電子の存在は、 19才年下のディラックさんが理論で予言していた。アンダーソンさんが発見して4年後に受賞。

アルケーを知りたい(223) ノーベル物理学賞 1936年 ヴィクトール・フランツ・ヘスさん

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▼1936年のノーベル物理学賞の受賞者は、オーストリアの物理学者ヴィクトール・フランツ・ヘスさん(63)。「宇宙線の発見」に対して。 ▼ヘスさんは、気球に乗り込み高度5千メートルまで昇って調査した。気球乗りの先達の3名を敬意をもって紹介した。

アルケーを知りたい(222) ノーベル物理学賞 1935年 ジェームズ・チャドウィックさん

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▼1935年のノーベル物理学賞の受賞者は、イギリスの物理学者ジェームズ・チャドウィックさん(44)。「中性子の発見」に対して。 ▼チャドウィックさんは「アルケーを知りたい」シリーズのマイルストーン人物のひとり。ラザフォード先生の弟子であり、原子核を構成する新メンバーの発見者であり、マンハッタン計画にイギリスを代表として深く関わった責任者である。そしてわれらがリーゼ・マイトナーさんとポジティブな接点を持つ物理学者である。

アルケーを知りたい(221) ノーベル化学賞 1934年 ハロルド・ユーリーさん

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▼1934年のノーベル化学賞の受賞者は、アメリカの化学者ハロルド・ユーリーさん(41)。「重水素の発見」に対して。 ▼ユーリーさんが重水素を発見したのが1931年、その3年後にノーベル化学賞を受賞した。発見から3年後の受賞、どれだけ重大な発見だったかが分かる。 ▼同位体とは原子番号(陽子の数)が同じで質量数(陽子の数と中性子の数の合計)が違う元素の仲間。平尾物理(p.680)の天然の同位体を紹介した表によると、天然の水素の99.9885%は原子番号1、質量数1の水素。大多数の水素の原子核は陽子1個で中性子が0個。 残りの0.0115%が原子番号1、質量数2の重水素(heavy hydrogen)。重水素の原子核は陽子1個、中性子1個。中性子1個分、1.675×10のマイナス27乗、heavyなので「重」水素。 さらにごくわずか中性子2個の三重水素(トリチウム)がある。

アルケーを知りたい(220) ノーベル物理学賞 1933年 ポール・ディラックさん

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▼1933年のノーベル物理学賞のもうひとりの受賞者は、イギリスの物理学者ポール・ディラックさん(35)。「原子の理論における新しい生産的な理論形式の発見」に対して。

アルケーを知りたい(219) ノーベル物理学賞 1933年 エルヴィン・シュレーディンガーさん

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▼1933年のノーベル物理学賞の受賞者は、オーストリア出身の理論物理学者エルヴィン・シュレーディンガーさん(46)。「新形式の原子理論の発見」に対して。

アルケーを知りたい(218) ノーベル物理学賞 1932年 ヴェルナー・ハイゼンベルクさん

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▼1932年のノーベル物理学賞の受賞者は、ヴェルナー・ハイゼンベルクさん(31)。「量子力学の創始ならびにオルト、パラ水素の発見」に対して。  ▼博士論文の口頭試問をヴィーン先生に受けたとき、質問にうまく答えられなかった。合格したものの評価点が低かったので、助手として採用してもらう予定だったボルン先生に「私をまだ採用するおつもりがあるかどうか知りたいです」と尋ねた。このエピソードから、好感が持てる人と感じている。子供の頃からピアノが上手で、将来ピアニストになるか科学者になるか悩んだ、という話も好きだ。

アルケーを知りたい(217) ノーベル化学賞 1931年 カール・ボッシュさん

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▼1931年のノーベル化学賞の受賞者は、カール・ボッシュさん(57)。「高圧化学的方法の発明と開発」に対して。 ▼カール・ボッシュさんの歩みを見ると気概と信念を持つ人物であることが伺え、とても好感が持てる。それだけに晩年が痛々しい。では、どうすれば良かったのか。分からない。

アルケーを知りたい(216) ノーベル物理学賞 1929年 ルイ・ド・ブロイさん

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▼1929年のノーベル物理学賞の受賞者は、ルイ・ド・ブロイさん(37)。「電子の波動性の発見」に対して。 ▼平尾物理では「電子の波動性」の節で「ド・ブロイ波」について次のように解説している。「光やX線が粒子性を示すならば、電子のような粒子が波動性を示すと考えてみてもよいだろう。運動する粒子に伴う波動を物質波、またはその提唱者の名にちなんでド・ブロイ波という(1923年)」 ▼ド・ブロイ波の波長は、プランク定数を運動量で割ったもの。

アルケーを知りたい(215) ノーベル物理学賞 1928年 オーエン・リチャードソンさん

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▼1928年のノーベル物理学賞の受賞者は、オーエン・リチャードソンさん(49)。「熱電子の研究およびリチャードソン効果の発見の功績」に対して。 ▼熱電子の放出はトーマス・エジソンさんが電球の開発を進めている時に見つけた効果。エジソン効果、という。 【エジソン効果】1883年、トーマス・エジソンさんが白熱電球のフィラメントの劣化を防ぐ方法を模索していた。フィラメントを金属箔で覆ったところ、金属箔とフィラメントの間に電流が流れる現象を観測した。 【リチャードソン効果】1910年、オーエン・リチャードソンさんが、エジソン効果を次のように説明した。フィラメントが熱せられると自由電子の運動エネルギーが大きくなる。そして自由電子はフィラメント(陰極)から飛び出して金属箔(陽極)に移動する。その結果、電流が流れる。

アルケーを知りたい(214) ノーベル物理学賞 1927年 チャールズ・ウィルソンさん

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▼1927年のノーベル物理学賞のもうひとりの受賞者は、チャールズ・ウィルソンさん(58)。「霧箱」に対して。 ▼ウィルソンさんの霧箱を使った実験をしてノーベル賞を取った物理学者が3名。霧箱は、目に見えないサイズで起きていることを人の目で見て分かるようにした工夫がすごい。

アルケーを知りたい(213) ノーベル物理学賞 1927年 アーサー・コンプトンさん

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▼1927年のノーベル物理学賞の受賞者は、アーサー・コンプトンさん(35)。「コンプトン効果の発見」に対して。  ▼コンプトンさんは、物理学者としても国家プロジェクトを進める管理者としてもウルトラ級。

アルケーを知りたい(212) ノーベル物理学賞 1926年 ジャン・ペランさん

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▼1926年のノーベル物理学賞の受賞者は、ジャン・ペランさん(56)。「物質の不連続的構造に関する研究、特に沈殿平衡についての発見」に対して。 

アルケーを知りたい(211) ノーベル物理学賞 1925年 グスタフ・ヘルツさん

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▼1925年のノーベル物理学賞のもうひとりの受賞者は、グスタフ・ヘルツさん(38)。「原子と電子の衝突に関する研究」に対して。  ▼受賞の元になったフランク=ヘルツの実験は、加速電子を気体原子に当て、エネルギーの吸収度がある定数の整数倍になることを確認したもの。 ▼不思議な結果に対してなぜそうなるのかを説明した点がフランクさんとヘルツさんのすごさ。 ▼シンプルだけど明確な結果が出て量子論の確かさを証明した。高校の原子に出てくるテーマなので、学校用の実験キットや動画がある。 ▼実験キット https://www.3bs.jp/physics/experiment/atom-expt/ue5020300.htm ▼動画 https://www.youtube.com/watch?v=cBZOJPg_sUk

アルケーを知りたい(210) ノーベル物理学賞 1925年 ジェイムス・フランクさん

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▼1925年のノーベル物理学賞受賞者は、ジェイムス・フランクさん(43)。「原子と電子の衝突に関する研究」に対して。 ▼ベルリン大学時代、 原子や放射性物質を研究する リーゼ・マイトナーさんと共同研究を行った。ナチスによるユダヤ人追放のため1933年にドイツを出た。マイトナーさんは5年後の1938年にようやくドイツを出た。 ▼フランクさんはニールス・ボーア研究所を経てアメリカに渡りマンハッタン計画に参加する。一方、マイトナーさんはベルリンを出た後、スウェーデンのストックホルムにあるマンネ・シーグバーンさん( →アルケーを知りたい209 )の研究所に行った。第一候補だった ニールス・ボーア研究所にはナチスの妨害で行けなかった。ぎりぎりのところでマイトナーさんの脱出を助けてくれたのは、ニールス・ボーア研究所のディルク・コスターさん(→アルケーを知りたい206)だった。 ▼ところで歌手の オリヴィア・ニュートン・ジョンさんは マックス・ボルンさんの孫である。