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藤原実方~百人一首でアルケーを知りたい(933)

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▼ かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを  51 感想 さしも草ときて、さしも知らじなと語呂合わせ。お灸のも草ときて、縁語のもゆるとつながる。言葉の選び方、並べ方が巧みだ。駄洒落にならず和歌の品格を保っているのがさすが。 ▼ 藤原実方朝臣  ふじわら の さねかた  959(?) - 999長徳4年1月3日 40歳。  平安時代中期の貴族・歌人。中古三十六歌仙の一人。  主君:花山天皇→一条天皇   藤原公任 ・ 源重之 ・ 藤原道信 らと交流。 972(13) 左近衛将監。 975(16) 侍従。 986(27) 内裏歌合に出詠。 994(35) 左近衛中将。 995(36) 陸奥守。 999(40) 陸奥国で巡視中、落馬事故で死去。  陸奥に侍りけるに、中将宣方朝臣のもとにつかはしける やすらはで思ひたちにし東路に ありけるものをはばかりの関 =やすらはで(ためらいもなく)東路を歩んで来たけれども、はばかりの関( 陸奥の国にある面白い名前の関所 )で気後れしたよ、という内容。 【キーワードと感想】 さしもぐさ 艾草。 お灸に使うもぐさのこと。 蓬(よもぎ)。 朝臣  あそん、あそみ。684天武天皇13年に制定された八色の姓の制度で作られた位。一番が真人(まひと)で、朝臣はそれに次ぐ位。その後、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置と続く。 【ネットワーク】 藤原 公任  ふじわら の きんとう 966康保3年 - 1041長久2年2月4日 平安時代中期の公卿・歌人。大納言公任。百人一首55: 滝の音は 絶えてひさしく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 源 重之  みなもと の しげゆき ? - 1000長保2年 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首48: 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな 藤原 道信  ふじわら の みちのぶ 972天禄3年 - 994正暦5年8月20日 平安時代中期の貴族・歌人。百人一首52: 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9F%E6%96%B9 https://www.asahi-net.or

藤原 義孝~百人一首でアルケーを知りたい(932)

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▼ 君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな  50 感想 これは古文の意味の取り方の難しさを感じる和歌。解説を見て納得。解説がありがたい、試験を受ける必要もなく、楽しめるだけなのもありがたい。 ▼ 藤原 義孝  ふじわら の よしたか  954天暦8年 - 974天延2年10月4日 20歳。  平安時代中期の公家・歌人。 藤原伊尹 の三男。   清原元輔 ・ 源順 ・源延光と交流。  971(17) 右少将 。  972(18) 息子の 行成 が誕生、父親の伊尹が死去。  974(20) 疱瘡のため死去。 一条摂政、身まかりにける頃よめる 夕まぐれ木しげき庭をながめつつ木の葉とともにおつる涙か 【キーワードと感想】 右少将  うしょうしょう。 右近衛府の次官。 右近衛府は宮 中の警備や行幸時の安全確保を担当する朝廷の常備軍。 【ネットワーク】 藤原 伊尹  ふじわら の これただ 謙徳公 924延長2年7月15日 - 972天禄3年12月9日 平安時代中期の公卿・歌人。義孝の父親。百人一首45: あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 藤原 行成  ふじわら の ゆきなり/こうぜい 972天禄3年 - 1028万寿4年1月3日 平安時代中期の公卿・能書家。義孝の息子。道風・藤原佐理と三跡のひとり。 清原 元輔  きよはら の もとすけ 908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首42: 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは 源 順  みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 平安時代中期の貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。 水のおもに照る月なみをかぞふれば 今宵ぞ秋のも中なりける 源 延光 みなもと の のぶみつ <似顔絵なし> 927延長5年 - 976天延4年7月16日 平安時代中期の公卿・歌人。代明親王の三男。960(33) 天徳内裏歌合で左方の講師(こうじ:歌を読み上げる役)、壬生忠見の歌を読み上げた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E5%AD%9D https://www.asahi-n

大中臣 能宣~百人一首でアルケーを知りたい(931)

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▼ みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ  49 感想 夜のかがり火、昼の灰、対比が鮮やか。この時代は時々紛争が起こっていたから、宮中の要所に衛士がいた。夜のかがり火で映し出される衛士の姿はさぞ絵になったことだろう。 ▼ 大中臣 能宣  / 大中臣能宣朝臣 おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月  平安時代中期の貴族・歌人。 大中臣頼基 の子。三十六歌仙の一人。  主君:村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇   平兼盛 ・ 源重之 ・ 恵慶 らと親交。 951(30) 和歌所寄人 。『万葉集』訓読と『後撰和歌集』撰集を行った。 960(39) 天徳内裏歌合に参加。 973(52) 伊勢神宮祭主。 986(67) 正四位下。 鹿が 季節を知る方法の歌 もみぢせぬときはの山にすむ鹿は おのれ鳴きてや秋をしるらむ 【キーワードと感想】 御垣守  みかきもり。 宮中の門を警固する役人。 衛士(えじ)。 和歌所寄人  わかどころよりうど。和歌の選定をつかさどる朝廷の職員。後撰和歌集プロジェクトは宮中の昭陽舎(梨壺)にオフィスが設置され、スタッフの5名は「梨壺の五人」と呼ばれた。統括は藤原伊尹。 【ネットワーク】 大中臣 頼基  おおなかとみ の よりもと 886(仁和2)年 - 958(天徳2)年 平安時代中期の貴族・歌人。大中臣輔道の子。能宣の父親。三十六歌仙の一人。 しののめにおきて見つれば桜花 まだ夜をこめて散りにけるかな 平 兼盛  たいら の かねもり ? - 991(正暦元)年1月16日 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首40: 忍ぶれど色にいでにけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで 源 重之  みなもと の しげゆき ? - 1000長保2年 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人 百人一首48: 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな 恵慶  えぎょう ? - ? 平安時代中期の日本の僧、歌人。恵慶法師。百人一首47: 八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋はきにけり 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E8%87%A3%E8%83%BD%

源 重之~百人一首でアルケーを知りたい(930)

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▼ 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな  48 感想 この歌の解説によると、反応しない相手(岩)に 働きかける自分(波)を、くだけると表現したもの、という。その解説を踏まえて、もう一度この歌をみると重之のやるせない気持ちがよく分かる。 ▼ 源 重之  みなもと の しげゆき  ? - 1000長保2年  平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。 967(?) 冷泉天皇 が即位、近衛将監。 百首歌 のパイオニアの一人。 976-(?) 相模権守・信濃守・日向守・肥後守・筑前守など地方官を歴任。 991-(?) 大宰大弐・ 藤原佐理 を頼って筑紫に下向。 995-1000(?) 陸奥守・ 藤原実方 に従って陸奥国に下向。 秋の風情を詠んだ歌。 秋風は昔の人にあらねども 吹きくる宵はあはれとぞ思ふ 秋、身まかりける人をおもひいでてよめる 年ごとに昔は遠くなりゆけど 憂かりし秋はまたも来にけり 【キーワードと感想】 百首歌  ひゃくしゅうた。数を定めて詠う和歌のひとつ。960年に 曽祢好忠が始めたスタイル。 100首を単位として詠まれる定数歌。1人で100首を詠んだものと、複数の歌人が詠んだものを100首集めたものがある。 【ネットワーク】 冷泉天皇  れいぜいてんのう 950天暦4年6月12日 - 1011寛弘8年11月21日 第63代天皇。在位:967康保4年7月5日 - 969安和2年9月27日 村上天皇の第2皇子。 藤原 佐理  ふじわら の すけまさ/さり 944天慶7年 - 998長徳4年8月19日 平安時代中期の公卿・能書家。道風・藤原行成と三跡のひとり。 藤原 実方  ふじわら の さねかた ? - 999長徳4年1月3日 平安時代中期の貴族・歌人。 百人一首51: かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%87%8D%E4%B9%8B https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sigeyuki.html

恵慶法師~百人一首でアルケーを知りたい(929)

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▼ 八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋はきにけり  47 感想 この歌には「源融の旧宅・河原院にて、荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りけるに」と前振りがある。歌を作るために皆で出かけて歌を詠んだようだ。絵画グループが皆で景色の良いところにスケッチに行くようなものかな。楽しそう。 ▼ 恵慶法師  えぎょう ? - ?  平安時代中期の日本の僧、歌人。中古三十六歌仙の一人。  播磨国分寺で講師。   平 兼盛 ・ 清原元輔 ・ 源 重之 ・ 大中臣能宣 ・紀時文(貫之の息子) などの歌人と交流。 962(?) 歌合で活動。 986(?) 出家した 花山院 の熊野行幸に供奉。 貫之集を借りて紀時文に返すときに詠んだ歌: 一巻に千々の金をこめたれば人こそなけれ声はのこれり 時文の返歌: いにしへのちぢのこがねは限りあるを あふばかりなき君が玉章 【キーワードと感想】 八重むぐら  八重葎。八重は、幾重にも。葎は、むさ苦しく生い茂る雑草。 【ネットワーク】 源 融  みなもと の とおる 822(弘仁13)年 - 895(寛平7)年9月17日 平安時代初期~前期の貴族。 邸宅は 河原院と呼ばれる。ゴージャスなしつらえで名高い。 小倉百人一首では河原左大臣。百人一首14: 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに 花山天皇  かざんてんのう 968安和元年11月29日 - 1008寛弘5年3月17日 第65代天皇。在位:984永観2年9月24日 - 986寛和2年8月1日。冷泉天皇の第一皇子。 平 兼盛  たいら の かねもり ? - 991(正暦元)年1月16日 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首40: 忍ぶれど色にいでにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで 清原 元輔  きよはら の もとすけ 908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首42: 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは 源 重之  みなもと の しげゆき ? - 1000長保2年 平安時代中期の貴族・歌人 三十六歌仙の一人 。 百人一首48: 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな 大中臣 能宣  おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991

曾祢 好忠~百人一首でアルケーを知りたい(928)

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▼ 由良のとを わたる舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな  46 感想 「 由良のとを わたる舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 人 の道かな」と読み替えてしっくり来ることにした。作者の 曽祢好忠は100首の和歌をひとつの単位とする「百首歌」の創始者。クリエイターには100単位で作る量産力が必要なのだな。 ▼ 曾祢 好忠  そね の よしただ / 曾丹 そたん 930年 - 1000長保2年 70歳。  平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。 960(30)「 百首歌 」を創始。  1年を360首で歌う「毎月集」を作る。   源順 ・ 大中臣能宣 ・ 源重之 らと交流。 年を重ねる感慨の歌2首 何もせで若きたのみにへしほどに 身はいたづらに老いにけらしも うづみ火の下に憂き身となげきつつ はかなく消えむことをしぞ思ふ 【キーワードと感想】 百首歌  ひゃくしゅうた。数を定めて詠う和歌(定数歌)のひとつ。100首を単位として詠まれるもの。この方法は後に作歌の練習や社寺への奉納に使われた。 【ネットワーク】 源 順  みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。 水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける  /  夕さればいとどわびしき大井川かがり火なれや消えかへりもゆ 大中臣 能宣  おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月 平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。三十六歌仙の一人。百人一首49: みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ 源 重之  みなもと の しげゆき ? - 1000長保2年 平安時代中期の貴族・歌人 三十六歌仙の一人 百人一首48: 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E7%A6%B0%E5%A5%BD%E5%BF%A0 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositada.html

藤原 伊尹~百人一首でアルケーを知りたい(927)

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▼ あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな  45 感想 「あはれ」と言ってくれそうな人もいない自分、寂しく孤独死か、という現代的な感覚の和歌。この歌の作者の 伊尹(これただ)は、後撰和歌集の編纂チーフを務めた人物。たくさんの和歌に触れるので、面白い表現を追求するには絶好の環境だったことだろう。 ▼ 藤原 伊尹 / 謙徳公 ふじわら の これただ  924延長2年 - 972天禄3年12月9日  平安時代中期の公卿・歌人。 藤原師輔 の長男。  書家・ 藤原行成 は孫。  主君 : 朱雀天皇→村上天皇→冷泉天皇→円融天皇 942(18) 侍従。 948(24) 五位蔵人。 951(27) 撰和歌所の別当。 村上天皇 の命で『 後撰和歌集 』の編纂を統括。メンバーは 大中臣能宣 ・ 源順 ・ 清原元輔 ら。 955(31) 蔵人頭。 960(36) 参議。 967(43) 権大納言。 970(46) 右大臣。摂政。 使い古されていない新しい言葉を求めて かなしきもあはれもたぐひ多かるを 人にふるさぬ言の葉もがな 外出すると早く帰宅したくなる気持ちを歌った 別れては昨日今日こそへだてつれ 千世しも経たる心ちのみする 【キーワードと感想】 後撰和歌集  ごせんわかしゅう。村上天皇の下命によって編纂された 勅撰和歌集。951年~958年。 【ネットワーク】 藤原 師輔  ふじわら の もろすけ 909延喜8年1月11日 - 960天徳4年5月31日 平安時代前期~中期の公卿・歌人。藤原忠平の次男。有職故実・学問に優れた人物。紀貫之に和歌を作ってもらった。 村上天皇  むらかみてんのう 926延長4年7月14日 - 967康保4年7月5日 第62代天皇。在位:946天慶9年5月23日 - 967康保4年7月5日 醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。村上源氏の祖。 大中臣 能宣  おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月 平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。百人一首49:みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ 源 順  みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 貴族・歌人・学者。三十六

藤原 朝忠~百人一首でアルケーを知りたい(926)

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▼ 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも うらみざらまし  44 感想 そもそも最初から出会いがなければ相手も自分も恨んだりすることもなかったのに、という歌。たしかに。誰しも変えられるのは自分だけと分かっているのに、人をも身をも恨むんだなあ。 ▼ 藤原 朝忠 / 中納言朝忠 ふじわら の あさただ  910(延喜10)年 - 967(康保3)年1月15日 57歳。  平安時代中期の公家・歌人。 藤原定方 の五男。 三十六歌仙の一人。  主君:醍醐天皇→朱雀天皇→村上天皇 927(17) 侍従 。 930(20) 五位蔵人 。 943(33) 内蔵頭。 946(36) 近江守。 951(41) 左近衛中将。 952(42) 参議 。 956(46) 正四位下。 962(52) 従三位。 963(53) 中納言 。 時の流れを歌った2首 世の中はただ今日のごと思ほえて あはれ昔になりもゆくかな 万代のはじめと今日を祈りおきて 今行末は神ぞ知るらむ 【キーワードと感想】 侍従  じじゅう。天皇に側近奉仕する位。 五位蔵人  ごいのくろうど。律令制における令外官の一つ。蔵人所の次官。蔵人頭の次位。家柄がよく学識才能のある者が選ばれた。 参議  さんぎ。太政官の官職の一つ。四等官の次官(すけ)に相当する令外官。納言に次ぐ。 中納言  ちゅうなごん。太政官に置かれた令外官のひとつ。四等官の次官(すけ)に相当。 【ネットワーク】 藤原 定方 / 三条右大臣 ふじわら の さだかた 873(貞観15)年 - 932(承平2)年9月11日 平安時代前~中期の貴族・歌人。藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。百人一首25: 名にし負はば あふ坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%9C%9D%E5%BF%A0 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/asatada.html

藤原 敦忠~百人一首でアルケーを知りたい(925)

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▼ 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり  43 感想 この和歌に、そうそう、そうだよと同感。何か心に響くイベントがあると、それまでと世界が変わる。そして、昔はものを思はざりけりと感じる。 ▼権中納言敦忠 / 藤原 敦忠  ふじわら の あつただ  906(延喜6)年 - 943(天慶6)年4月14日 37歳。  公卿・歌人。三十六歌仙の一人。 藤原時平 の三男。  風流好み、管絃に秀でる。  夭折を世の人々は 菅原道真 の怨霊と噂。 921(15) 従五位下。 923(17) 侍従。 928(22) 左兵衛佐。 934(28) 左近衛権中将兼蔵人頭。 939(33) 参議。 942(36) 権中納言。 物思いに関する二首。 わがごとく物思ふときやほととぎす 身をうの花のかげに啼くらむ 物思ふと過ぐる月日も知らぬまに 今年は今日に果てぬとか聞く 【キーワードと感想】 菅原道真の怨霊  道真の死去は903年。敦忠が生まれる3年前。 【ネットワーク】 菅原 道真  すがわら の みちざね 845(承和12)年8月1日 - 903(延喜3)年3月26日 平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家。百人一首24: このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに  /  東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ 藤原 時平  ふじわら の ときひら 871貞観13年 - 909延喜9年4月26日 平安時代前期の公卿。藤原基経の長男。菅原道真左遷の中心人物(とされる)。敦忠の父親。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%95%A6%E5%BF%A0 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/atutada.html

清原 元輔~百人一首でアルケーを知りたい(924)

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▼ 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは  42 感想 末の松山は宮城県の景勝地。 大津波でも波が来ない場所で、 この時代から「波こさじ」と言われていた 。この和歌では、 互いに涙で濡れた袖をしぼりながら「波こさじ」と同じくらい信頼度高く約束したのに(心変わりした)と歌っている。最初、悲しい歌かと思った。でも、そうでもなさそう。大げさすぎる表現から見ても、これは悲しい歌ではなく、オレらの約束はあてにならんわ、と笑ってる歌の気がする。 ▼ 清原 元輔  きよはら の もとすけ  908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 82歳。  平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。   清原深養父 の孫。清少納言の父親。  主君:村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇→一条天皇 951(43) 河内権少掾。 源順 、 大中臣能宣 らと 勅撰和歌集プロジェクトに参加。 961(53) 少監物。 969(61) 河内権守。 986(76) 肥後守。現地で死去。82歳。熊本市の清原神社で祭神となる。 山桜に向かってモノ言う歌。 誰がために明日はのこさむ山桜 こぼれてにほへ今日のかたみに 【キーワードと感想】 末の松山  すえのまつやま。宮城県多賀城市八幡にある景勝地。869年の貞観地震で大津波が発生。しかし、末の松山が津波をかぶることはなかった。 【ネットワーク】 清原 深養父  きよはら の ふかやぶ ? - ? 平安時代中期の歌人・貴族。中古三十六歌仙の一人。百人一首36: 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ 源 順  みなもと の したごう 911(延喜11)年 - 983(永観元)年 貴族・歌人・学者。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。 水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のも中なりける 大中臣 能宣  おおなかとみ の よしのぶ 921(延喜21)年 - 991(正暦2)年8月 平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。三十六歌仙の一人。勅撰和歌集プロジェクトの仲間。百人一首49: みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E5%85%8