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1817、カドミウム~シュトロマイヤー(独):アルケーを知りたい(599)

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今回は化学。 ▼ カドミウム 。元素記号は Cd、原子番号48、cadmium。名前の由来?。有害物質。 カドミウムの用途:顔料、ニッケル・カドミウム蓄電池。 ▼ フリードリヒ・シュトロマイヤー  Friedrich Strohmeyer 1776 - 1835 ドイツの化学者 【人物】父親はゲッティンゲン大学医学部教授 【教育】1800(24)ゲッティンゲン大学で医学博士 【職業】ゲッティンゲン大学で化学教授 【業績】1817(41)カドミウムを発見 【同じ年生まれの人】 リッター  Johann Wilhelm Ritter 1776 - 1810 紫外線を発見したドイツの物理学者。 アヴォガドロ  Lorenzo Romano Amedeo Carlo Avogadro 1776 - 1856 トリノの物理学者、化学者。 【ネットワーク】 ヴォークラン  Louis-Nicolas Vauquelin 1763 - 1829 フランス 化学者・薬剤師 1797(34)クロム、1798(35)ベリリウムを発見。▼ゲッティンゲン大学で シュトロマイヤーの師匠 。 ブンゼン  Robert Bunsen 1811 - 1899 ドイツの化学者。▼ゲッティンゲン大学で シュトロマイヤーの弟子 。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Stromeyer

1817、セレン~ベルセリウス(瑞):アルケーを知りたい(598)

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今回は化学。 ▼ セレン 。元素記号は Se、原子番号34、selenium。名前の由来はギリシャ神話の月の女神セレネ。ベルセリウスが命名。 セレンの用途:コピー機の感光ドラム、セレン整流器、カメラの露出計、ガラスの着色剤・脱色剤。 ▼経緯。 1817年、 ベルセリウス(38)とガーン(72)が新物質を発見 、はじめはテルル化合物と考える。 1818年、ベルセリウスらは硫黄とテルルに似た新元素と判断。地球に因んだテルルに似ているので、月に因んでセレンと命名。 1870年代 ジーメンスが光電池を開発。 ▼ ベルセリウス  Jöns Jacob Berzelius 1779 - 1848 スウェーデンの化学者、医師。現代化学の創始者、スウェーデン化学の父 【人物】父親は牧師、教師。4才で死別。 【教育】1802(23)ウプサラ大学で医師免許取得 【職業】1804(25)ストックホルムで医師開業。医業の傍ら化学の研究を進める。  1807(28)カロリンスカ医学外科学院で教授 【業績】 1803(24)セリウム発見。 1813(34)元素の名前をラテン語・ギリシャ語の頭文字で表す今に至る方法を提唱。 1817(38)セレン発見。 【同じ年生まれの人】 ヨハン・シュヴァイガー  Johann Schweigger 1779 - 1857 ドイツの化学者、物理学者。1820(41)高感度の検流計を発明、ガルバノメーターと命名。 【ネットワーク】 ガーン  Johan Gottlieb Gahn 1745 - 1818 スウェーデンの化学者、鉱物学者、鉱山技師。1774(29)マンガンを発見、単離に成功。▼ベルセリウスと共同で硫酸の製造工場を設立・経営。 ベルトレー  Claude Louis Berthollet 1748 - 1822 フランスの化学者・医師。1787(39)ラヴォアジェらと共に化学物質の命名法や名前の体系を決めた『化学命名法』を発表。▼1818(39)神経衰弱になったベルセリウスは転地療養のためフランスのベルトレーの研究室に滞在。 ヴェーラー  Friedrich Wöhler 1800 - 1882 ドイツの化学者。有機化学の父。▼ベルセリウスの弟子。ヴェーラー(48)がベルセリウスの著作『化学の教科書』をドイツ語に翻訳・出版、四半世紀にわたって15版を

1817、リチウム~アルフェドソン(瑞):アルケーを知りたい(597)

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今回は化学。 ▼ リチウム 。元素記号は Li、原子番号3、lithium。名前の由来はギリシャ語で「石」の意味のlithosからベルセリウスが命名。 リチウムの用途:陶器やガラスの添加剤、光学ガラス、電池、耐熱グリースほか。 ▼経緯。 1800年、ブラジルの化学者 ジョゼ・シルヴァ がスウェーデンのウート島の鉱石からリチウムを含有したペタル石を発見。 1817年、 ベルセリウス研究室のアルフェドソン がペタル石から新しい元素を発見。 1821年、 ウィリアム・ブランド がリチウムの単体分離に成功。 1855年、 ブンゼン らがリチウムの大量生産法を発見。 1923年、ドイツのメタルゲゼルシャフト社がリチウムの工業的生産法を発見。 ▼ ヨアン・アルフェドソン  Johan August Arfwedson 1792 - 1841  スウェーデンの化学者 【人物】父親は裕福な工場経営者 【教育】ウプサラ大学で1809(17)に法学、1812(20)に鉱物学の学位を取得  ベルセリウスの私設研究室で研究員 【職業】王立鉱業委員会の公証人、資産の管理 【業績】 1817(25) ベルセリウスの私設研究室でペタル石の分析中にリチウムを発見 【同じ年生まれの人】 コリオリ  Gaspard-Gustave Coriolis 1792 - 1843 「コリオリの力」を提唱したフランスの数学者。 フレデリック・ハーシェル  John Frederick William Herschel 1792 - 1871 「写真」「ネガ」「ポジ」という用語を提案したイギリスの数学者、天文学者。赤外線を発見したウィリアム・ハーシェルの息子。 【ネットワーク】 ジョゼ・シルヴァ  José Bonifácio de Andrada e Silva 1763 - 1838 ▼ペタル石を発見したブラジルの地質学者。 ベルセリウス  Jöns Jacob Berzelius 1779 - 1848 スウェーデンの化学者。アルファベットの元素記号を考案。 ▼アルフェドソンがベルセリウスの私設研究室でリチウムを発見。その縁でベルセリウスがリチウムと命名。 ウィリアム・ブランド  William Thomas Brande 1788 - 1866 ▼リチウムの単体分離に成功したイギリスの化学者。 ブンゼン

1815、万華鏡を発明~ブリュースター(英):アルケーを知りたい(596)

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今回は物理学。 ▼ 万華鏡 はブリュースターが行っていた光学実験の副産物。1817年にロンドンとパリで発売すると大ヒット商品になった。コピーも出回った。2年後の1819年には日本に輸入され「 紅毛渡り更紗眼鏡 」と呼ばれて人気を呼んだ。日本でもすぐコピーが出回った。 ▼ ブリュースター  David Brewster 1781 - 1868 スコットランドの科学者、発明家。近代実験光学の父。 【人物】父親は牧師。自分も聖職者を目指して大学に入ったものの物理光学の道にシフトチェンジ。 【教育】1800(19) エディンバラ大学で修士。光学実験の関心が深まる。  1807(26) アバディーン大学マリシャル・カレッジで法学博士 【職業】教育者。1837-59(56-78)セント アンドリュース大学で学長 【業績】 1815(34) 偏光角に関する ブリュースター角 を発見  1815(34) 万華鏡を発明 、1817(36) 万華鏡の特許を取得、製造と販売は委託。3か月の間にロンドンとパリで20万個が売れるヒット商品になった。 1855(74) ニュートンの伝記本を発行 【同じ年生まれの人】 頼 山陽  らい さんよう 1781 - 1832 日本の歴史家。『日本外史』の作者。 スチーブンソン  George Stephenson 1781 - 1848 イングランドの技術者。蒸気機関車を使った公共鉄道の実用化に成功した鉄道の父。炭坑用安全灯の発明者。 【ネットワーク】 ニュートン  Isaac Newton 1642 - 1726 イギリスの数学者、物理学者、天文学者、錬金術師。▼ニュートンはブリュースターのヒーロー。伝記も書いた。 マリュス  Etienne-Louis Malus 1775 - 1812 フランスの軍人、物理学者。偏光に関する発見者。▼光の回折の研究分野でブリュースターのライバル的存在。 フレネル  Augustin Jean Fresnel 1788 - 1827 フランスの物理学者。フレネルレンズの発明者。▼回折や灯台の光学装置の分野でブリュースターのライバル的存在。 タルボット  William Henry Fox Talbot 1800 - 1877 イギリスの科学者、発明家、写真のパイオニア。 ▼タルボットはブリュースターの親友。タルボ

1814、太陽スペクトルの黒線~フラウンホーファー(独):アルケーを知りたい(595)

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今回は物理学。 ▼ 太陽光の可視光スペクトルの中に出てくる黒線がフラウンホーファー線 。 星から出る光のフラウンホーファー線から分かるのは2点。 一点目、星と太陽光のフラウンホーファー線のズレから、 星と太陽の距離が推定できる 。 二点目、 星がどんな元素から組成されているのかが分かる 。 ▼フラウンホーファーは「光学理論の研究」と「精密測定装置の開発」と「企業経営」でトリプル成果を挙げたスーパースター。 ▼経緯。 1802年、イギリスの ウォラストン が太陽光のスペクトルから黒線を発見。 ウォラストンとは別に、フラウンホーファーは自分で開発した機器で太陽光スペクトルから570本以上の暗線を特定した。主要な線にはA~Kの記号を、弱い線には別の記号をつけて系統立てた。 1860年、 キルヒホフ と ブンゼン が、フラウンホーファー線は、太陽の元素や地球の酸素によって吸収されたスペクトルであると報告。 ▼ フラウンホーファー  Joseph von Fraunhofer 1787 - 1826  ドイツの光学機器製作者、物理学者 【人物】父親はバイエルンのガラス鏡職人。 【教育】11才で孤児となりミュンヘンの鏡製造業者の下で見習い修行。バイエルン知事のウッツシュナイダーの応援と独学で知識獲得。1822(35)エアランゲン大学で名誉博士 【職業】技術者・経営者 1806(19) ウッツシュナイダーの経営する数学機械研究所でガラス研磨を担当 1809(22)研究所で機械部門のリーダー 1807(24)ガラス製造の助手も兼任 1809(26)研究所の経営にも参画し名称が「ウッツシュナイダー・ライヘンバッハ・フラウンホーファー光学研究所」に改名される 1811(28)工場全体の統括者 【業績】 1813(31)プリズム分光器を製作 1814(32)太陽スペクトルから約700本の暗線を発見 1817(35)太陽スペクトルの暗線を基準にガラスの屈折率を測定 1821(39)回折格子を開発 【同じ年生まれの人】 ダゲール  Louis Jacques Mandé Daguerre 1787 - 1851 フランスの画家、写真家。銀塩写真を発明。史上初めて実用的な写真技術を完成した人。 【ネットワーク】 ウォラストン  William Hyde Wollaston 1766 - 182

1812、ヨウ素~クルトア(仏):アルケーを知りたい(594)

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今回は化学。 ▼ ヨウ素 。元素記号は I、原子番号53、iodine。名前の由来は、気体が すみれ色 であることから、すみれ色を意味のギリシア語 iôdês からゲイ=リュサックが iodeと命名。 ▼経緯。 1811年、 クルトア が 海藻の灰から新しい元素を発見 。資金がなかったので友人のデゾルムとクレマン、ゲイ=リュサック、アンペールらにサンプルを渡して分析を依頼。 1813年11月29日、デゾルムとクレマンはクルトワの発見を公表。 同年12月6日、ゲイ=リュサックは、新しい物質が元素または酸素の化合物であると発表し iode という名前を提案。 同年12月10日、アンペールからクルトアのサンプルを受け取ったデービーは、調査の結果、新しい元素を特定したとロンドン王立協会に報告。 ヨウ素の最初の特定者について、ゲイ=リュサックとデービーの間で論争が起こる。ヨウ素を単離したのはクルトワであるとの認識は一致。 1873年、ヨウ素の防腐作用が発見。 1908年、殺菌用のヨードチンキが登場。 ▼ クルトア  Bernard Courtois 1777 - 1838 フランスの化学者 【人物】父親は硝石事業者。発明の権利を公にしていなかったため晩年は経済的に困窮。遺族には財産がなかった。 【教育】陸軍で薬学を学ぶ 【職業】?  【業績】 1811(34)海藻の灰からヨウ素を発見 1822(45)高品質のヨウ素とその塩の製造を開始 1831(54)ヨウ素の医学的価値が認められ王立科学アカデミーから受賞 【同じ年生まれの人】 ルイ・テナール  Louis Jacques Thénard 1777 - 1857 フランスの化学者。ゲイ=リュサックの親友。 1802(25)、顔料のコバルト・ブルーを発明。1808(31)ホウ素を発見。 エルステッド  Hans Christian Ørsted 1777 - 1851 デンマークの物理学者、化学者。1820(43)電流の磁気作用を発見。  ガウス  Johann Carl Friedrich Gauß 1777 - 1855 ドイツの数学者・天文学者・物理学者 【ネットワーク】 シャルル・デゾルム  Charles Bernard Desormes 1777 - 1862 フランスの物理学者、化学者 ▼義理の息子ニコラ・クレマン

1811、アボガドロの法則~アボガドロ(伊):アルケーを知りたい(593)

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今回は化学。 ▼ アボガドロの法則 は「同じ圧力、同じ温度、同じ体積の条件のもとでは、気体の種類を問わず、同じ数の分子が含まれる」というもの。 ▼ アメデオ・アヴォガドロ  Amedeo Carlo Avogadro 1776 - 1856  イタリアの物理学者、化学者 【人物】父親は法律家で貴族 【教育】大学で法学と哲学を学ぶ 1796(20)教会法の論文で学位取得 1800(24)数学と物理学の研究を開始 1803(27)トリノ科学アカデミーに電気工学の論文を提出 【職業】1809(33)ヴェルチェッリ王立大学で物理学教授  1820(44)トリノ大学で理論物理学の初代教授 【業績】 1811(35)アボガドロの法則を発表 (当時は理解されないまま。1860年に再発見、評価される) 【2つ年下の同時代人】 アンペール  André-Marie Ampère 1775 - 1836 フランスの物理学者、数学者。1813(38)アボガドロと別に同じ法則を発見 【ネットワーク】 ドルトン  John Dalton 1766 - 1844 イギリスの化学者 ▼1802年、原子説を提唱。ドルトンは、気体は原子から成ると考えていた。 スタニズラオ・カニッツァーロ  Stanislao Cannizzaro 1826 - 1910 イタリアの有機化学者。▼1860年にアヴォガドロの法則を紹介した。これによりアボガドロの仕事が世に認められた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Amedeo_Avogadro

1809、マリュスの法則~マリュス(仏):アルケーを知りたい(592)

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今回は物理学。 ▼ 偏光フィルター を使うとクリアな写真が撮れる。例えば、水やガラスの反射光を消して内部を撮るとか、雲が浮かぶ空の青色をくっきり撮るとか。このメカニズムを理論的に説明したのがマリュス。 ▼ エティエンヌ=ルイ・マリュス  Etienne-Louis Malus 1775 - 1812   【人物】 ホイヘンス の光の理論を証明する実験を行ったフランスの物理学者、数学者。 【教育】? 【職業】フランスの軍人。 【業績】 1809(34)光の偏光に関するマリュスの法則を 発見 1810(35)結晶中の複屈折に関する理論 1810(35) ラムフォード・メダル 受賞。 【同時代人】 シェリング  Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775 - 1854 ドイツの哲学者。フィヒテ、ヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者。 アンペール  André-Marie Ampère 1775 - 1836 フランスの物理学者、数学者。電磁気学の創始者のひとり。 ヘンリー  William Henry 1775 - 1836 イングランドの化学者。 「ヘンリーの法則」 (→587) 【ネットワーク】 ホイヘンス  Christiaan Huygens 1629 - 1695 自らレンズ磨きを行ったオランダの物理学者。 ラムフォード伯ベンジャミン・トンプソン  Benjamin Thompson, Count Rumford 1753 - 1814 ラムフォード・メダルの創設者にして1800年の第一回受賞者。▼マリュスは1810年に受賞。 ナポレオン   Napoléon Bonaparte 1769 - 1821 フランスの軍人、フランス第一帝政の皇帝・ナポレオン1世(1804 - 1814)。▼マリュスはナポレオンのエジプト遠征(1798 - 1801)に参加。 フレネル  Augustin Jean Fresnel 1788 - 1827 フレネルレンズを発明したフランスの物理学者。▼マリュスの反射の研究を前進させた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89tienne-Louis_Malus