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1947、V粒子発見(その2)~バトラー(英):アルケーを知りたい(780)

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今回は物理学。 ▼ V 粒子 :電子の1000 倍重い粒子。核の時間スケールでは長寿命。物質のクォーク構造理解への入り口的存在。 ▼バトラーのここが面白い:前半生は物理学者、後半生は教育振興に尽力した。一身にして二生。 ▼ クリフォード・バトラー  Clifford Charles Butler 1922年5月20日 - 1999年6月30日  英国の物理学者   【人物】父親は地元の卸​​売 食料品店の事務員兼バイヤー 【教育/活動】 レディング大学で哲学博士。 1945(23) マンチェスター大学で物理学助教。 1946(24) ウィルソンの霧箱 cloud chamber で宇宙線の研究を開始。 1947( 25 ) マンチェスター大学で講師。 ロチェスターと共に宇宙線の霧箱写真からV粒子を発見 。 1953(31) ロンドンのインペリアル・カレッジで高エネルギー核物理グループのリーダー。 1957-70(35-48) インペリアル・カレッジで教授。 1961(39) 王立協会のフェロー。 1963(41) インペリアル・カレッジ物理学部で学部長。 1964(42) CERN トラックチャンバー委員会で議長。 1970-85(48-63) 教育支援を行うナフィールド財団でディレクター。教育の振興に尽力。 1983(61) ナイト。 【ネットワーク】 CTR・ウィルソン  Charles Thomson Rees Wilson 1869年2月14日 - 1959年11月15日 スコットランドの気象学者・物理学者。1911(42) 霧箱の発明。1927(58) ノーベル物理学賞受賞(蒸気の凝縮により荷電粒子の飛跡を観察できるようにする方法(霧箱)の研究)。▼ロチェスターとバトラーはカオンの検出器として霧箱を活用した。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Clifford_Charles_Butler

1947、V粒子発見(その1)~ロチェスター(英):アルケーを知りたい(779)

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今回は物理学。 ▼ V粒子 :原子核の構成メンバーは陽子、中性子そして中間子・・・さらにいろいろな素粒子が出てくるにつれて訳が分からなくなる。V粒子もその例。重くて不安定な亜原子粒子の総称、という。カオン kaonともストレンジ粒子ともいう。 ▼ロチェスターのここが面白い:ロチェスターはノーベル物理学賞の推薦を1955年から11年間の間に22回受けていた。推薦したのはブラケットが7回、コッククロフトが4回、チャドウィックが11回。合計22回! それでも受賞しなかったロチェスター。 ▼ ロチェスター  George Dixon Rochester 1908年2月4日 - 2001年12月26日  英の物理学者 【人物】父親は鍛冶屋・工具職人。 【教育/活動】 1930(22) ニューキャッスル大学で学士。 1932(24) ストックホルム大学で修士。 1937(29) ストックホルム大学で博士。マンチェスター大学で助教。 1939-45(31-37) WWII。 1947( 39 ) バトラー共同で宇宙線の霧箱写真からV粒子を発見 。 1953-55(45-47) マンチェスター大学物理研究所で所長代行。 1955-(47-) ダーラム大学で物理学の教授。 1958(50) 王立協会のフェロー。 【ネットワーク】 ジェームズ・チャドウィック  James Chadwick 1891年10月20日 - 1974年7月24日 イギリスの物理学者。1932(41) 中性子を発見。1935(44) ノーベル物理学賞受賞(中性子の発見)。▼チャドウィックはノーベル物理学賞の受賞者としてロチェスターを11回推薦した。 ジョン・コッククロフト  John Douglas Cockcroft 1897年5月27日 - 1967年9月18日 イギリスの物理学者。1951(54) ノーベル物理学賞受賞(加速荷電粒子による原子核変換の研究)。▼コッククロフトはノーベル物理学賞の受賞者としてロチェスターを4回推薦した。 パトリック・ブラケット  Patrick Maynard Stuart Blackett 1897年11月18日 - 1974年7月13日 イギリスの実験物理学者。1948年(51) ノーベル物理学賞受賞(ウィルソンの霧箱による原子核物理学および宇宙線の分野における発見)。▼

1947、パイ中間子~パウエル(英):アルケーを知りたい(778)

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今回は物理学。 ▼ パイ中間子 :1935年に湯川秀樹が核子の中にあって陽子や中性子を結びつける力を仲介する中間子の存在を予言していた。12年後にパウエルの共同研究チームが発見。なぜパイというのか。湯川秀樹が、仲介の介の字とπ(パイ、pi)が似ているとしてπ中間子と命名。 ▼パウエルのここが面白い:師匠が霧箱の ウィルソン 。現象を可視化・再現する師匠譲りの手法をパウエルは写真で応用した。また自然が大好きなウィルソンは山で仕事をしていた。弟子のパウエルも山に登り気球に乗って宇宙線を捕捉した。師匠の後を辿りながら独自の発見をした研究スタイルが面白い。 ▼ セシル・パウエル  Cecil Frank Powell 1903年12月5日 - 1969年8月9日  イギリスの物理学者 【人物】父親は鍛冶屋。 【教育/活動】 1929(26) ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で物理学博士。師匠は ウィルソン 。 1928(25) ブリストル大学の物理研究所で 研究助手。  素粒子の飛跡を高感度写真で記録する方法を開発。 1938(35) 宇宙線の研究に高感度写真技術を応用。 オキャリーニ や ラッテス らと共同研究チームを作り、山頂や気球で宇宙線の秘跡を記録。 1947( 44 )  共同研究チームが パイ中間子を発見 。 1948(45)  ブリストル大学で メルヴィル・ウィルズ物理学教授職。 1952(49) サルデーニャ島やイタリアのポー渓谷で高高度気球を使った宇宙線の写真記録を実施。 1950( 47 ) ノーベル物理学賞受賞(写真による原子核崩壊過程の研究方法の開発および諸中間子の発見) 。 1961(58) 欧州原子核研究機構 CERN 科学政策委員会で委員。 【ネットワーク】 ウィルソン  Charles Thomson Rees Wilson 1869年2月14日 - 1959年11月15日 スコットランドの気象学者・物理学者。1911(42) 霧箱の発明。1927(58) ノーベル物理学賞受賞(蒸気の凝縮により荷電粒子の飛跡を観察できるようにする方法(霧箱)の研究)。▼パウエルの師匠。 ジュセッペ・オキャリーニ  Giuseppe Occhialini 1907年12月5日 - 1993年12月30日 イタリアの物理学者。▼1947(40) パウエル

1946、核磁気共鳴~パーセル(米):アルケーを知りたい(777)

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今回は物理学。 ▼ 核磁気共鳴 :(前回の続き)用途は、 物質の化学構造と特性を見つけること。 ▼パーセルのここが面白い:WWIIの時期に携わったマイクロ波の研究を大学に戻って応用し 核磁気共鳴の発見に至った。きっかけは軍事研究、結果はノーベル賞。きっかけは多様なほど面白い結果が出る可能性が上がる、と言える事例である。 ▼ エドワード・パーセル  Edward Mills Purcell 1912年8月30日 - 1997年3月7日  アメリカの物理学者。 【人物】? 【教育/活動】 1933(21) パデュー大学で電子工学学士。 1934-39(22-27) ハーバード大学で物理学修士と博士。 1939-40(27-28) ハーバード大学で物理学講師。 1940-45(28-33) WWIIの間、MITでマイクロ波レーダー技術の開発や 周波数帯域の探査を行う。 1945( 33 ) WWII後、ハーバード大学で同僚の ロバート・パウンド らと共同で 核磁気共鳴(NMR)を発見 。 1946(34) ハーバード大学で准教授。 パラフィンの液体と固体の両方でNMR信号の検出に成功 。 1949(37) ハーバード大学物理学科で教授。 1952( 40 ) ノーベル物理学賞受賞(核磁気共鳴吸収による磁気モーメントの測定) 。 1963(51) 『Electricity and Magneticism』を出版。 【ネットワーク】 ジョン・ヴレック  John Hasbrouck van Vleck 1899年3月13日 - 1980年10月27日 アメリカの物理学者。1977(78) ノーベル物理学賞受賞(磁性体と無秩序系の電子構造の理論的研究)。▼パーセルの師匠。 ケネス・ベインブリッジ  Kenneth Tompkins Bainbridge 1904年7月27日 - 1996年7月14日 アメリカの物理学者。▼パーセルの博士指導教員。 ロバート・パウンド  Robert Vivian Pound 1919年5月16日 - 2010年4月12日 アメリカの物理学者。▼パーセルの同僚で NMR の発見に協力した。 人数制限のためノーベル賞から外れた。 ニコラス・ブルームバーゲン  Nicolaas Bloembergen 1920年3月11日 - 2017年9月5日 ア

1946、核磁気共鳴~ブロッホ(瑞):アルケーを知りたい(776)

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今回は物理学。 ▼ 核磁気共鳴 :nuclear magnetic resonance。NMR。外部静磁場に置かれた原子核が固有の周波数の電磁波と相互作用する現象。 ▼ブロッホのここが面白い:ナチスの迫害から逃れて渡米するユダヤ人物理学者の一人。最初マンハッタン計画に参加したものの雰囲気が合わず途中から抜ける。そして場所を変えてレーダー開発に移籍する。どこで誰と何をするかが大事ということを思い出させてくれる人である。 ▼ フェリックス・ブロッホ  Felix Bloch 1905年10月23日 - 1983年9月10日  アメリカの物理学者 【人物】チューリッヒ生まれ。ユダヤ人。 【教育/活動】 1927(22) チューリッヒ工科大学。 1928(23) ライプツィヒ大学で博士。師匠はハイゼンベルク。 1933(28) ナチスから逃れるためにドイツを脱出。 1934(29) 渡米、スタンフォード大学。 1939(34) アメリカ市民。WWII中、ロスアラモス国立研究所で原子力エネルギーの研究に参加。ハーバード大学でレーダーのプロジェクトに参加。 1945(40) MRIの基礎原理である核誘導と核磁気共鳴の研究を開始。 1946( 41 ) 硝酸鉄水溶液でNMR信号の検出に成功 。 1952( 47 ) ノーベル物理学賞受賞(核磁気の精密な測定における新しい方法の開発とそれについての発見) 。 1954-55(49-50) 欧州原子核研究機構 CERN で初代長官。 1961(56) スタンフォード大学で教授。 【ネットワーク】 ルイス・アルヴァレズ  Luis Walter Alvarez 1911年6月13日 - 1988年9月1日 アメリカの物理学者。1968(57) ノーベル物理学賞受賞(水素泡箱による素粒子の共鳴状態に関する研究)。▼ブロッホと共同で中性子磁気モーメントの測定に成功した。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Felix_Bloch

1946、C14年代測定法~リビー(米):アルケーを知りたい(775)

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今回は化学。 ▼ C14年代測定法 :C14 の半減期は、5,730 ±40 年。植物や動物は生命活動の停止に伴いC14 の摂取が止まる。そこで対象のC14 を測定して死亡した年代を推定する。 約5万年前まで遡って 年代測定が可能。 ワインの年代測定にも使用できる。 ▼リビーのここが面白い:アメリカの核爆弾の開発方針については水爆推進派のE・テラーの側についた。相手より強力な武器を持てば防衛にはプラス。でも 核爆発に伴う放射線の危険性の見積もりが甘いと人や環境にはマイナス。現代的問題を提起している存在であることが面白い。 ▼ ウィラード・リビー  Willard Frank Libby 1908年12月17日 - 1980年9月8日  アメリカの物理化学者。 【人物】父親は農家。 【教育/活動】 1933(25) カリフォルニア大学バークレー校で博士。 1933-(25-) カリフォルニア大学バークレー校で講師、助教授。ガイガー=ミュラー計数管の感度を上げる研究。 1941-45(33-37) WWIIの間、マンハッタン計画に参加。コロンビア大学の ユーリー と共同でガス拡散法を開発。 1945-59(37-51) シカゴ大学原子核研究所で化学教授。 ローランド の指導教員。 1946( 38 ) 中性子線が水中の水素原子に作用して三重水素が生まれる現象を発見。年代測定に用いる方法を開発 。 1952( 44 ) 著書『放射性炭素年代測定』をシカゴ大学出版局から出版 。 1954-59(46-51) アメリカ原子力委員会委員。 1959-76(51-66) カリフォルニア大学ロサンゼルス校で化学教授。地球物理学及び天体物理学研究所の所長を兼任。 1976-80(66-70) UCLAで名誉教授。専門家として活動。 1960( 52 ) ノーベル化学賞受賞(炭素14を用いた年代測定法の研究) 。 【ネットワーク】 ハロルド・ユーリー  Harold Clayton Urey 1893年4月29日 - 1981年1月5日 アメリカの化学者。1934(41) ノーベル化学賞受賞(重水素の発見)。▼WWIIの間、リビーはユーリーの仕事に協力。 エドワード・テラー  Edward Teller 1908年1月15日 - 2003年9月9日 ハンガリー生まれ、アメリカのユダヤ

1940、ネプツニウム~マクミラン(米):アルケーを知りたい(774)

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今回は化学。 ▼ ネプツニウム :neptunium。原子番号 93。元素記号 Np。銀白色の金属。比重 20.45。融点 640 °C。名前の由来は海王星 neptune。初の人工超ウラン元素。用途はプルトニウム238の製造の原料。 ▼マクミランのここが面白い:新しい発見は、関心・適切な実験装置・適切な人々・タイミングが揃った結果・・・ということを分からせてくれるところが面白い。 ▼ マクミラン  Edwin Mattison McMillan 1907年9月18日 - 1991年9月7日  アメリカの化学者・物理学者 【人物】父親は医師。 【教育/活動】 1932(25) プリンストン大学で博士。 1934(27) カリフォルニア大学バークレー校のバークレー放射研究所で研究員。 1939-45(32-38) WWII。MITのRad Labでマイクロ波レーダーを研究。海軍無線音響研究所でソナーを研究。 1940(33) バークレー放射研究所のサイクロトロンで アベルソン と共にウラン239から ネプツニウムを発見 。 1942(35) マンハッタン計画に参加。 1945(38) サイクロトロンを改良したシンクロトロンを着想。 1946(39) カリフォルニア大学バークレー校で教授。 1951( 44 ) ノーベル化学賞受賞(超ウラン元素の発見) 。 1954(47) ローレンス放射研究所で副所長。 1958-73(51-66) ローレンス放射研究所で所長。 【ネットワーク】 エドワード・コンドン  Edward Uhler Condon 1902年3月2日 - 1974年3月26日 アメリカの核物理学者。▼マクミランの博士指導教員。 ウラジミール・ヴェクスラー  Vladimir Iosifovich Veksler 1907年3月4日 - 1966年9月22日 ソビエトの実験物理学者。▼マクミランと別にシンクロトロンを開発。マクミランの友人。 アベルソン  Philip Hauge Abelson 1913年4月27日 - 2004年8月1日 アメリカの物理学者。アメリカ初の原子力潜水艦「ノーチラス」の開発に貢献。▼1940(27) マクミランとともにネプツニウムを発見。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedi

1941、液体ヘリウムの理論的研究~ランダウ(露):アルケーを知りたい(773)

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今回は物理学。 ▼ 液体ヘリウムの理論的研究 :the movement of superfluid liquid helium。特定の物質が非常に低い温度に冷却されると、特性が急激に変化する。絶対零度より数度高い温度でヘリウムは超流動になり、摩擦なしで流れる。ランダウは超流動を理論的に説明した。 ▼ランダウのここが面白い:アインシュタインが講演したとき、聴衆が驚くほどぶしつけな態度で間違いを指摘した。指摘を受けたアインシュタインはしばらく考え込んだ後、聴衆に向かって「今の若い人の指摘は正しい、今までの説明は全部忘れてください」と言った。このエピソードからランダウの特徴(とアインシュタインが何を重視する人物か)が伺える。ランダウはスターリン批判までやっちゃうものだから投獄される。それを先輩のカピッツァが助ける。濃い人間関係の世界で生きた人。 ▼ レフ・ランダウ  Lev Davidovich Landau 1908年1月22日 - 1968年4月1日  ロシアの理論物理学者 【人物】父親は石油技術者。ユダヤ人。 【教育/活動】 1927(19) サンクトペテルブルク大学卒業。ヨッフェ物理学技術研究所で磁場中の電子の運動を研究。 1929-31(21-23) ロックフェラー財団の奨学金を得て国外留学。コペンハーゲンの理論物理研究所でボーアの弟子。ケンブリッジ大学でポール・ディラックと共同研究。キャベンディッシュ研究所で ピョートル・カピッツァ と磁場中の自由電子に関して創造的な議論を行う。スイスではパウリの下で研究。 1932-37(24-29) ハリコフ物理工学研究所で理論物理部長。 1934(26) サンクトペテルブルク大学で博士。 1937(29) モスクワ科学アカデミー物理問題研究所で理論物理部長。 1938(30) スターリンを批判し逮捕・服役。カピッツァが嘆願活動を行い救出。 1941(33) カピツァが発見した超流動液体ヘリウムの動きに量子論を適用。超流動を理論的に説明。 1940~50年代(30代) 原爆・水爆開発プロジェクトに参加。 1950(42) 超伝導現象の基礎理論ギンツブルグ-ランダウ理論を発表。 液体ヘリウムに応用される量子フェルミ液体論を展開 。 1953(45) スターリンの死後、核開発プロジェクトから脱退。 1960(52) リフシッ

1940、プルトニウム~シーボルグ(米):アルケーを知りたい(772)

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今回は化学。 ▼ プルトニウム :Plutonium。原子番号 94。元素記号 Pu。比重 19.8。融点 639.5 °C。銀白色の重い金属。名前の由来は冥王星 pluto 。用途は核兵器の原料、プルサーマル原子力発電の燃料、人工衛星の原子力電池。 ▼シーボーグのここが面白い:目がくらむ生産性の高さ。 ▼ グレン・シーボーグ  Glenn Theodore Seaborg 1912年4月19日 - 1999年2月25日  アメリカの化学者、物理学者  【人物】家庭の会話はスウェーデン語。 【教育/活動】 1937(25) カリフォルニア大学バークレー校で化学博士。テーマは「高速中性子と鉛の相互作用」。指導教員は ギルバート・ルイス 。 1937-39(25-27) ルイスの実験助手。 1939(27) カリフォルニア大学バークレー校で化学講師。 1941(29) 同助教授。 1942-46(30-34) WWIIの間、マンハッタン計画に参加。シカゴ大学で冶金研究所の化学グループに所属。 プルトニウムから元素 102 までの超ウラン元素の共同発見者:アメリシウム(95)、キュリウム(96)、バークリウム(97)、カリホルニウム(98)、アインスタイニウム(99)、フェルミウム(100)、メンデレビウム(101)、ノーベリウム(102) 。 1945(33) カリフォルニア大学バークレー校で化学教授。 1951( 39 ) ノーベル化学賞受賞(超ウラン元素の発見) 。 1954-61(42-49) ローレンス放射線研究所で副所長。 1958-61(46-49) カリフォルニア大学バークレー校で学長。 1961-71(49-59) 米国原子力委員会で委員長。 【ネットワーク】 ギルバート・ルイス  Gilbert Newton Lewis 1875年10月23日 - 1946年3月24日 アメリカの物理化学者。photon(光子)の名付け親。▼シーボーグの師匠。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Glenn_T._Seaborg

1939、核磁気共鳴~ラービ(米):アルケーを知りたい(771)

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今回は物理学。 ▼ 核磁気共鳴 :nuclear magnetic resonance。NMR。外部静磁場に置かれた原子核が固有の周波数の電磁波と相互作用する現象。核磁気共鳴をコンピュータ断層撮影法に応用したのが核磁気共鳴画像法 MRI。magnetic resonance imaging。 ▼ラービのここが面白い: MRIで 自分の体を見たとき「あの研究がこれに行きつくとは思わなかった」と述べたという。 核磁気共鳴のパイオニアだからこその感慨だろう。 ▼ イジドール・イザーク・ラービ  Isidor Isaac Rabi 1898年7月29日 - 1988年1月11日  アメリカの物理学者  【人物】父親は食料品店経営者。ポーランド系ユダヤ人。 【教育/活動】 1899(1) 一家でポーランドからアメリカに移住。 1919(21) コーネル大学で化学学士。 1927(29) コロンビア大学で物理学博士。結晶の磁気特性に関する研究。 1928-29(30-31) ヨーロッパ留学。ゾンマーフェルト、ボーア、パウリ、スターン、ハイゼンベルクの下で研究。 1929-37(31-39) 帰国、コロンビア大学で理論物理学の講師。 1930(32) 原子核の磁気特性の研究を開始。 1931(33) グレゴリー・ブライト と共同でブライト・ラービ方程式を開発。 1937(39) コロンビア大学で教授。 1938(40) 塩化リチウムの分子線を用いて 核磁気共鳴信号の検出に成功 。 1939-45(41-47) WWII。 MIT放射線研究所で副所長。レーダーと原子爆弾の開発に携わる。弾道研究所の科学諮問委員会のメンバー。 1944( 46 ) ノーベル物理学賞受賞(共鳴法による原子核の磁気モーメントの測定法の発見) 。 1945-49(47-51) コロンビア大学で物理学科長。 1964-67(66-69) コロンビア大学で物理学ユージン・ヒギンズ教授職。 1967-(69) コロンビア大学で名誉教授。 【ネットワーク】 カール・ヤコビ  Carl Gustav Jacob Jacobi  1804年12月10日 - 1851年2月18日 ドイツの数学者。ドイツの大学で教授に任命された最初のユダヤ人数学者。楕円関数、ダイナミクス、微分方程式、行列式で貢献した。▼ラービがD論を仕上

1938、核分裂~ノーベル化学賞を受章したハーン(独):アルケーを知りたい(770)

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今回は化学。 ▼ 核分裂 :nuclear fission。原子核が分裂して同程度の大きさの原子核に分かれること。 オットー・フリッシュ が生物の細胞分裂から転用して命名。 ▼ハーンのここが面白い:一流の実験化学者が核分裂の現象を弟子 シュトラスマン と共に見つける。この実験の解釈を一流の物理学者 リーゼ・マイトナー に手紙で相談する。なぜ手紙かというとリーゼ・マイトナーはナチスから逃れるためベルリンを脱出していたから。脱出先でリーゼ・マイトナーは甥のオットー・フリッシュと一緒に手紙に書かれている不思議な現象について物理の視点で解釈する。フリッシュは生物学の細胞分裂の用語を流用して核分裂と命名する。これが平時ではなくWWII直前の1938年の話。WWIIが続いている1944年、ノーベル化学賞を受章。戦後はマックス・プランク協会の会長を続ける。ハーンは、時代の動きの中での言動とは?とか仲間とのかかわり方とは?など、結論を出せない問題を考えさせてくれる存在であることが面白い。 ▼ オットー・ハーン  Otto Hahn 1879年3月8日 - 1968年7月28日  ドイツの化学者・物理学者  【人物】父親は有機化学者。 【教育/活動】 1901(22) マールブルク大学で博士。指導教員は テオドール・ジンケ 。 1902-03(23-24) マールブルク大学でジンケの助手。 1904(25) ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで ラムゼイ に師事。放射性トリウムを発見。 1905(26) カナダのマギル大学物理学研究所で ラザフォード に師事。放射性アクチニウムを発見。 1906(27) ベルリン大学化学研究所で エミール・フィッシャー の下につく。 1907(28) 講師資格を取得。物理学者の リーゼ・マイトナー とβ線、磁気スペクトルなどに関して長期に渡る共同研究を開始。 1912(33) カイザー・ヴィルヘルム化学研究所の放射能部門で責任者。 1914-18(35-41) WWI。 1917(38) プロトアクチニウムを発見。 1928(49) カイザー・ヴィルヘルム化学研究所で所長。 1932(53) シュトラスマン が研究に参加。 1933(54) ナチス党の権力掌握。研究所で働き続ける条件となるナチス党への協力を拒みシュトラスマンが辞任。ハーンとマイトナー

1936、テクネチウム~セグレ(伊):アルケーを知りたい(769)

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今回は物理学。 ▼ テクネチウム :technetium。原子番号 43。元素記号 Tc。比重 11.5。融点 2172 °C。天然ではまれ。最初の人工放射性元素。銀白色。名前の由来は、ギリシャ語の人工 technitos。 ▼セグレのここが面白い:フェルミのチーム出身者(当然、優秀でデキる人)、WWIIでひどい目に遭う(ユダヤ人)、ノーベル賞が取れた、など紆余曲折がある。どんな局面でもゆとりを感じさせる。器の大きさがすごい。 ▼ セグレ  Emilio Gino Segrè 1905年2月1日 - 1989年4月22日  アメリカの物理学者  【人物】父親は製紙工場経営者。ユダヤ人。 【教育/活動】 1922(17) ローマ大学サピエンツァ校に入学、工学を学ぶ。 1927(22) ローマ大学の大物 コルビーノ の助けで工学から物理学に転学。フェルミとラセッティの研究チーム「パニスペルナ通りの少年達」に加わる。 1928(23) ローマ大学で博士。師匠はフェルミ。 1928-29(23-24) イタリア陸軍で対空砲兵隊の少尉。 1929(24) 「パニスペルナ通り」の研究チームに戻り研究再開。 1930(25) フェルミの助言を受けハンブルグ大学の シュテルン とアムステルダム大学の ゼーマン の下で研究。 1932-36(27-31) 「パニスペルナ通り」の研究チームに戻る。ローマ大学物理学部で助教授。 1936(31) パレルモ大学で物理学教授、物理学研究所所長。 ローレンス研究所を訪れ、研究所のサイクロトロンの一部であった放射性スクラップ金属に興味を持つ 。 1937( 32 ) パレルモ大学に戻り、ローレンスから送ってもらった 放射性スクラップ金属のモリブデン箔を分析して新元素を発見 。 1936-38(31-33) パレルモ大学の物理学研究所で所長。 1938(33) ムッソリーニ のファシスト政府が反ユダヤ主義の法律を施行、職を失う。渡米、ローレンスの下でバークレー放射線研究所で研究助手。 1941(36) WWII。 1943-46(38-31) ロスアラモス国立研究所でマンハッタン計画のグルーリーダー。 1944(39) 米国市民。 1946-72(41-67) バークレー放射線研究所に戻り物理学と科学史の教授。 1947(42) 36年に発見した新