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アルケーを知りたい(203) ノーベル化学賞 1920年 ワルター・ネルンストさん

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▼1920年のノーベル化学賞受賞者は、ドイツの化学者ヴァルター・ネルンストさん(56)。「熱化学の研究」に対して。 ▼熱力学第三法則(third law of thermodynamics)とは、完全結晶のエントロピーは絶対零度ではすべて等しくなる、という定理。 ネルンストの定理とは、有限回の操作では決して絶対零度には到達できない、という定理。 熱力学第三法則とネルンストの定理は、同等(Wikipedia)。

アルケーを知りたい(202) ノーベル物理学賞 1919年 ヨハネス・シュタルクさん

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▼1919年のノーベル物理学賞受賞者は、ドイツの物理学者ヨハネス・シュタルクさん(45)。「カナル線のドップラー効果、および電場中でのスペクトル線の分裂の発見」に対して。   ▼フィリップ・レーナルトさんと同じくWWIIでドイツ物理学を推進し、ユダヤ人学者と理論物理学者に圧力を加えた。アインシュタインさんに対して初めのうちは高評価していたのに、途中から姿勢を変え、圧迫する側になった。

アルケーを知りたい(201) ノーベル化学賞 1918年 フリッツ・ハーバーさん

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 ▼1918年のノーベル化学賞受賞者は、ドイツの化学者フリッツ・ハーバーさん(50)。「アンモニア合成法の開発」に対して。  ▼マックス・プランクさんの10才年下。星製薬の創業者で星薬科大学の設立者である星一さんの招きで来日したことがある。どう捉えたらよいか分からなくなる人物。

アルケーを知りたい(200) ノーベル物理学賞 1918年 マックス・プランクさん

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▼1918年のノーベル物理学賞受賞者は、ドイツの物理学者マックス・プランクさん(60)。「エネルギー量子の発見による物理学の進展への貢献」に対して。 ▼マックス・プランクさんはエピソードが豊富な人。ピアノ演奏、リーゼ・マイトナーさんを弟子にしたこと、WWIとWWIIを経験したこと、アインシュタインさんのこと、量子力学の土台を提案しながら自らは受け入れに苦労したこと、星一さんの基金のこと、ハーバーさんのこと、息子を戦争で亡くしたこと、89才で亡くなる直前まで社会とかかわりを持っていたこと。

アルケーを知りたい(199) ノーベル物理学賞 1917年 チャールズ・バークラさん

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▼1917年のノーベル物理学賞受賞者は、イングランドの物理学者チャールズ・バークラさん(40)。「元素の特性X線の発見」に対して。特性X線は高校物理で連続X線と共に出てくる用語。

アルケーを知りたい(198) ノーベル物理学賞 1915年 ローレンス・ブラッグさん

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▼第15回のノーベル物理学賞受賞者は、父のヘンリー・ブラッグさん(53)と共に受賞したローレンス・ブラッグさん(25)。「X線による結晶構造解析に関する研究」に対して。25才の受賞は最年少記録。

アルケーを知りたい(197) ノーベル物理学賞 1915年 ヘンリー・ブラッグさん

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▼第15回のノーベル物理学賞受賞者は、ヘンリー・ブラッグさん(53)。「X線による結晶構造解析に関する研究」に対して。息子のローレンス・ブラッグさんとの共同受賞。 ▼20年近くオールトラリアの大学にいた。その間、ニュージーランド出身のラザフォードさんと知り合い友達になる。

アルケーを知りたい(196) ノーベル化学賞 1914年 セオドア・リチャーズさん

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▼第14回のノーベル化学賞受賞者は、セオドア・リチャーズさん(46)。「原子量の精密測定に関する研究」に対して。 アメリカで初のノーベル化学賞の受賞者。 ▼博士指導教員のCooke先生とは大学に入る前に出会ったことがある。そのとき天体望遠鏡で土星の環を見せてもらった。

アルケーを知りたい(195) ノーベル物理学賞 1914年マックス・フォン・ラウエさん

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▼第14回のノーベル物理学賞受賞者は、ドイツのマックス・フォン・ラウエさん(35)。「結晶によるX線回折現象の発見」に対して。 ▼いいなあと思える生き方の物理学者。リーゼ・マイトナーさんの友人。リーゼ・マイトナーさんについてはファンクラブの設立準備中 。 【師匠】 ダフィット・ヒルベルト  David Hilbert  1862 - 1943 ドイツの数学者 1862年、ロシアのカリーニングラード生まれ。1885(23)ドイツのケーニヒスベルク大学で博士。1895(33)ゲッティンゲン大学で教授。1899(37)マックス・フォン・ラウエさんを指導。1930(68)ナチスがゲッティンゲン大学からユダヤ人を追放。1943(81)悪性貧血のためゲッチンゲンで死去。 【友人】 リーゼ・マイトナー   Lise Meitner 1878 - 1968 ドイツの物理学者 1878年、ウィーン生まれ。 1906(28)ウィーン大学で女性で4人目の博士。 1907(29)ベルリン大学でオットー・ハーンさんと共同研究を開始。ラウエさんと友達になる。 1920(42)ハーンさんとの共同研究が終了、独立で研究を開始。 1922(44)ベルリン大学で教授。 1933(55)ヒトラー政権でユダヤ人の追放が始まる。 1938(60)ドイツを脱出。 1939(61)ハーンさんの実験結果から甥のオットーフリッシュさんと核分裂が起きたと解釈して連名で発表。核分裂fissionと命名。 1968(90)ケンブリッジで死去。 【友人】 アルベルト・アインシュタイン   Albert Einstein 1879 - 1955 1879年、ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市生まれ。ユダヤ人。 1905(26)チューリッヒ連邦工科大学で博士。3本の重要論文を発表:「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」 1922(43)日本訪問。ノーベル物理学賞受賞(光電効果の発見)。 1932(53)アメリカに転居。 1955(76)ラッセル=アインシュタイン宣言。プリンストン病院で死去。 【同僚】 ヴァルター・ネルンスト Walther Nernst 1864 - 1941 ドイツの物理学者 1914(50)熱力学第三法則を発見。WWI。長男と次男が入隊。軍に志願し化学薬品・火薬を使用する武器の

アルケーを知りたい(194) ノーベル物理学賞 1913年 カマリン・オンネスさん

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▼第13回のノーベル物理学賞受賞者は、オランダの物理学者で低温物理学の先駆者カマリン・オンネスさん(60)。「低温における物性の研究、特にその成果である液体ヘリウムの生成」に対して。

アルケーを知りたい(193) ノーベル物理学賞 1911年 ヴィルヘルム・ヴィーンさん

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▼第11回のノーベル物理学賞受賞者は、ドイツの物理学者で量子力学の先駆者ヴィルヘルム・ヴィーンさん(47)。「熱放射の諸法則に関する発見」に対して。 ▼熱放射、黒体放射は次を参照。 意味調べ(129)熱放射 thermal radiation 意味調べ(91) プランクの法則 Planck's law 意味調べ(90) 光子 Photon 意味調べ(89) 黒体放射 black body radiation 意味調べ(37) 電磁気力 electromagnetic force

アルケーを知りたい(192) ノーベル物理学賞 1910年 ヨハネス・ファン・デル・ワールスさん

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▼第10回のノーベル物理学賞受賞者は、オランダの物理学者のファン・デル・ワールスさん(73)。「気体および液体の状態方程式に関する研究」に対して。 ▼卜部化学でファン・デル・ワールスさんは詳しく取り上げられている。平尾物理では出てこない。なのでファン・デル・ワールスさんといえば化学という条件反射になる。でも受賞した分野は物理だ。(卜部化学とは三省堂の卜部吉庸著「化学の新研究」のことで、平尾物理とは旺文社の平尾淳一著「総合的研究物理」のこと)

アルケーを知りたい(191) ノーベル化学賞 1909年 ヴィルヘルム・オストヴァルトさん

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▼第9回のノーベル化学賞受賞者は、ドイツのヴィルヘルム・オストヴァルトさん(56)。「触媒作用、化学平衡および反応速度に関する研究」に対して。 ▼最初、反原子論の立場だった。しかし後に原子論の正当性を示す実験結果を認めた。 ▼原子論の論争のためウィーン大学にいられなくなった原子論者のボルツマンさんを自分の大学に招いて助けた。

アルケーを知りたい(190) ノーベル物理学賞 1909年 フェルディナント・ブラウンさん

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▼第9回のノーベル物理学賞受賞者は、ドイツのフェルディナント・ブラウンさん(59)。無線通信技術の発展の功績に対してマルコーニさんと共同受賞。CRT、ブラウン管の発明者。

アルケーを知りたい(189) ノーベル物理学賞 1909年 グリエルモ・マルコーニさん

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▼第9回のノーベル物理学賞受賞者は、イタリアのグリエルモ・マルコーニ さん(35)。無線通信技術の発展の功績に対して贈呈。

アルケーを知りたい(188) ノーベル化学賞 1908年 アーネスト・ラザフォードさん

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▼第8回のノーベル化学賞受賞者は、イギリスの物理学者アーネスト・ラザフォードさん(37)。元素の崩壊と放射性物質の性質に関する研究の功績に対して贈呈。 ▼キャベンディッシュ研究所のケルビン卿ウィリアム・トムソンさん、J.J.トムソンさんにつながる物理学者のラザフォードさん。受賞したのが物理学賞ではなく化学賞であることが?な感じ。 ▼ラザフォードさんが1911年に提示した原子モデルのインパクトが強い。これが原子か!と分かったつもりになれる。いまの教科書に出てくる原子のモデル図も、ほぼラザフォードさんのモデル。 ▼以下、ラザフォードさんのモデルに至るまで提案を3つまとめた。ひとつは日本の長岡半太郎さんのモデルであることが嬉しい。あとの3つはキャベンディッシュ研究所発のモデルである。

アルケーを知りたい(187) ノーベル物理学賞 1908年 ガブリエル・リップマンさん

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▼第8回のノーベル物理学賞受賞者は、ルクセンブルク出身の物理学者ガブリエル・リップマンさん(63)。光干渉を利用したカラー写真の功績に対して贈呈。    ▼リップマンさんの人脈:   【師匠】 ウィルヘルム・キューネ  Wilhelm Kühne 1837 - 1900 生理学者 1837年、ドイツのハンブルク生まれ。 1856(19)ゲッティンゲン大学卒業。ベルリン大学、パリ大学、ウィーン大学で修行。 1863(26)ベルリン大学病理学研究所化学研究室で助手。 1868(31)アムステルダム大学で生理学教授。 1871(34)ハイデルベルク大学でヘルムホルツさんの後任教授(1900年まで)。  1872(35)リップマンさん(27)を指導。  1876(39)酵母の中 in yeast という意味のギリシア語の en zymi から酵素 enzyme と命名。 1900(63)死去。 【師匠】 グスタフ・キルヒホフ  Gustav Kirchhoff ドイツの物理学者 1824年、ロシアのカリーニングラード生まれ。 1847(23)ケーニヒスベルク大学卒業。ベルリンに転居。 1849(25)オームの法則を拡張したキルヒホッフの法則(電気回路)を発表。 1854(30)ドイツのハイデルベルク大学で教授。ブンゼンさんと出会い、分光学研究を開始。 1859(35)ブンゼンさんと分光器spectroscopeを発明。太陽光を分析。黒体放射におけるキルヒホフの放射法則。 1860(36)ブンゼンさんとセシウムCsを発見。発光スペクトルの輝線が青色なのでラテン語の青色(caesius)から命名。フラウンホーファー線は元素の吸収スペクトルであることを発見。 1861(37)ブンゼンさんとフレーム分光法を用いてルビジウムRbを発見。発光スペクトルの輝線が赤色なのでラテン語の暗赤色(rubidus)から命名。  1874(50)リップマンさん(29)の博士指導教員。  1875(51)ベルリン大学で初の理論物理学教授。 1887(63)ベルリンで死去。 【師匠】 ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ   Hermann Helmholtz ドイツの生理学者、物理学者。 1821年、プロイセン王国(ドイツ)ポツダム生まれ。 1838(17)ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校入

アルケーを知りたい(186) ノーベル化学賞 1907年 エドゥアルト・ブフナーさん

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▼第7回のノーベル化学賞受賞者は、ドイツの化学者エドゥアルト・ブフナーさん(47)。酵素の発見の功績に対して贈呈。  ▼ブフナーさんの人脈: 【師匠】 アドルフ・フォン・バイヤー  Adolf von Baeyer 1835 - 1917  1905(70)第5回ノーベル化学賞受賞(有機染料およびヒドロ芳香族化合物の研究)  → アルケーを知りたい(181)ノーベル化学賞 1905年 【師匠】 カール・ネーゲリ  Karl Wilhelm von Nägeli  1817 - 1891 スイスの植物学者  1842(25)細胞分裂を初めて観察、報告。 1857(40)ミュンヘン大学で教授(1891まで)。 1858(41)葉緑体の中のデンプンを発見。 

アルケーを知りたい(185) ノーベル物理学賞 1907年 アルバート・マイケルソンさん

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▼第7回のノーベル物理学賞受賞者は、アメリカの物理学者アルバート・マイケルソンさん(54)。干渉計の考案とそれによる分光学およびメートル原器の研究の功績に対して贈呈。 ▼アンリ・モアッサンさんの人脈:   【先達】 レオン・フーコー   Léon Foucault  1819 - 1868 フランスの物理学者。 1819年、パリ生まれ。 1830(11)写真技術の修得開始。 1845(26)銀板写真で太陽表面の詳細の撮影に成功。 1847(28)太陽光が波動と考え光速度測定装置の開発に着手。 1850(31)回転鏡による光速度測定実験で、光の速度の測定に成功(313,000km/s)。光の速度は空気中のほうが水中よりも大と証明。  1862(43)回転鏡による光速度測定法を改良(298,000km/s)。  1868(49)多発性硬化症のためパリで死去。 → 意味調べ(84) フーコーの実験 Foucault experiment 【先輩】 サイモン・ニューカム   Simon Newcomb  1835 - 1909  アメリカの天文学者、応用数学者。 1835年、カナダのノバスコシア州ウォレス生まれ。学校教師の父から教育を受ける。 1856(21)メリーランド州で数学、天文学を自学。独力で『プリンキピア』を学ぶ。 1857(22)マサチューセッツ州ケンブリッジの航海年鑑局で計算手。ハーバード大学ローレンス科学スクール(理工学専攻)に入学。 1858(23)ハーバード大学で理学学士。ベンジャミン・パースに数学を学ぶ。 1861(26)アメリカ海軍天文台で数学・天文学の教授。 1877(42)航海年鑑局長。主要な天文定数の再計算に着手。 1878(43)天文定数の正確な値を算出するため正確な光速度の測定を計画。 レオン・フーコー の方法を改善していたとき マイケルソン さんと知己を得る。 1880(45) マイケルソン さんの協力を得てアメリカ海軍天文台で最初の測定を実施。 1884(49)ジョンズ・ホプキンス大学で数学と天文学の教授。 1896(61)パリで標準化会議開催。全ての天体暦はニューカムの太陽表に基づくと合意。 1909(74)膀胱癌のためワシントンD.C.で死去。 【共同研究者】 エドワード・モーリー  Edward Morley  1838 - 19

アルケーを知りたい(184) ノーベル化学賞 1906年 アンリ・モアッサンさん

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▼第6回のノーベル化学賞受賞者は、フランスの化学者アンリ・モアッサンさん(54)。フッ素の研究と高温電気炉の功績に対して贈呈。 ▼アンリ・モアッサンさんの人脈: 【師匠】 ピエール・ポール・デヘラン  Pierre Paul Dehérain  1830 – 1902   フランスの植物生理学者、農芸化学者。1874(44)モアッサンさんと共著論文を作成。 1880(50)パリ自然博物館で植物生理学の教授。モアッサンさんの博士指導教員。 【協力者】 シャルル・フリーデル  Charles Friedel  1832 – 1899   フランスの化学者、鉱物学者。1871(39)師範学校 (École normal) で講師。 1876(44)師範学校 (École normal) 鉱物学の教授。1884(56)パリ大学で無機化学の教授。  実験室を持たないモアッサンさんに場所を提供。 【弟子】 ポール・ルボー  Paul Lebeau  1868 – 1959  1868 - 1959 フランスの化学者。 パリ市立工業物理化学大学(ESPCI)のときモアッサンさんが指導教員。フッ素化学に取組む。 WWIのきフランス軍のガスマスクを改良。

アルケーを知りたい(183) ノーベル物理学賞 1906年 J.J.トムソンさん

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▼第6回のノーベル物理学賞受賞者は、イギリスの物理学者J.J.トムソンさん(50)。 ▼J.J.トムソンさんは研究の流れの中で人が行き交う交差点のような人。師匠から弟子へと続く研究の流れの中にいながら、外国から研究者がやってきて影響し合う。J.J.トムソンさんの時代から、真空放電管を使った陰極線の研究から原子の姿が少しずつはっきりしてくる。 ▼J.J.トムソンさんは原子の姿をプラムプディングモデル(ぶどうパンモデル)として提案した。 ▼J.J.トムソンさんの人脈: 【師匠】 レイリー卿 ジョン・ストラット    John William Strutt 1842 - 1919 1904(62)ノーベル物理学賞受賞(気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見) → アルケーを知りたい(178) 【師匠】 エドワード・ラウス  Edward Routh 1831 - 1907 イギリスの数学者 → アルケーを知りたい(178)ストラットさんの人脈 【孫弟子?  】 フレデリック・ソディ  Frederick Soddy 1877 – 1956 1921(44)ノーベル化学賞受賞(放射性物質の化学に関する研究) 【弟子】 チャールズ・バークラ  Charles Glover Barkla 1877 - 1944 イギリスの物理学者。1917(40)ノーベル物理学賞受賞(元素の特性X線の発見)。 【弟子】 チャールズ・ウィルソン   Charles Wilson 1869 - 1959 スコットランドの気象学者。1927(58)ノーベル物理学賞受賞(蒸気の凝縮により荷電粒子の飛跡を観察できるようにする方法(霧箱)の研究)。 → アルケーを知りたい(165) 霧箱 cloud chamber 【弟子】 アーネスト・ラザフォード  Ernest Rutherford 1871 - 1937 1908(37)ノーベル化学賞受賞(元素の崩壊と放射性物質の性質に関する研究)。 【弟子】 フランシス・アストン  Francis Aston 1877 - 1945 1922(45)ノーベル化学賞受賞(非放射性元素における同位体の発見と質量分析器の開発)。 【弟子】 ジョン・タウンゼント  John Townsend 1868 - 1957 1895(27)ケンブリッ