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万葉集巻第6_1065番歌(八千桙の神の御代より)~アルケーを知りたい(1885)

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▼今回の歌は、いままでの遷都を寂しがる調子から離れて、 神戸港の東にある利便性の良い敏馬の浦を褒めた長歌 。肩の力が抜けた風情がよろしき。   敏 馬 (みぬめ) の浦 を過ぐる時に作る歌一首  幷せて短歌 八千桙の 神の御代より 百舟の 泊つる泊りと 八島国 百舟人の 定めてし  敏馬の浦 は 朝風に  浦波騒き 夕波に  玉藻は来寄る 白真砂 清き浜辺は 行き帰り 見れども飽かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲ひけらしき 百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜 万1065 *神の時代から多くの舟が泊まるところと定めていた敏馬の浦は見ても見ても飽きないところだから語り継がれてきたのだ。これから先もずっと偲ばれる清らかな白浜です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1063-1964番歌(あり通ふ難波の宮は)~アルケーを知りたい(1884)

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▼難波津の宮を詠う反歌二首。海にとても近い場所であることが分かる。遷都先としてはどうなんだろう・・・。結果、1年のうちに平城京に戻る。この10年後の755年、難波津は東国から集まった防人が筑紫に船で移動する拠点になる。家持が防人の歌を収集した場所だ。  反歌二首 あり通ふ難波の宮は海近み 海人娘子らが乗れる舟見ゆ  万1063 *大君がお通いになる難波の宮は海が近いので、海人娘子たちが乗る舟が見えます。 潮干ふれば葦辺に騒く白鶴の 妻呼ぶ声は宮もとどろに  万1064 *干潮になると葦辺に白鶴が飛んで来ます。妻を呼ぶ鳴き声が宮じゅうに響きます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1062番歌(やすみしし我が大君の)~アルケーを知りたい(1883)

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▼740年の 藤原広嗣の乱の後、5年間、遷都が続いた。まず 740年、平城京から久邇京に遷都するも743年に造営中止、744年に難波京に遷都、745年平城京に遷都。今回の歌は難波の宮で作られた作品。海の近くだけあって、潮の香りがしてきそう。  難波の宮にして作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を近み 朝 羽振る 波の音騒ぎ 夕 なぎに 楫の音聞こゆ 暁 の 寝覚に聞けば 海石の 潮干の共 浦洲 には 千鳥妻呼び 葦辺 には 鶴が音響む 見る人 の 語りにすれば 聞く人 の 見まく欲りする 御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも 万1062 *我が大君が通う難波の宮は浜辺が近いので朝夕動きが盛んで賑やかです。その様子を見たり聞いたりしたい人が後を絶ちません。たしかに難波の宮は見ても飽きることがないのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1060-1061番歌(三香の原久邇の都は)~アルケーを知りたい(1882)

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▼今回の反歌2首の1060番は、状況の説明とその理由になっている。 大宮人が他所に行ってしまうと都は荒れるという、原因と結果を述べた歌だが、1060番型で表現すると上品だ。 1061番は、すなわち不易流行と因果を合わせた歌。花の色は変わらず、都は変わる。なぜなら大宮人がいなくなったから。久邇京が都だったのは4年くらい。大宮人も都もうつろふ時期だった。  反歌二首 三香の原久邇の都は荒れにけり 大宮人のうつろひぬれば  万1060 *三香の原の久邇の都は荒れてしまいました。大宮人がいなくなったので。 咲く花の色は変らずももしきの 大宮人ぞたち変わりける  万1061 *咲いている花の色は変わらないけれど、大宮人がいなくなったので都がすっかり変わった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1059番歌(百鳥の声なつかしく)~アルケーを知りたい(1881)

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▼今回の歌に出て来る「住よいと人は言うけれど、たたずまいがよいと私も思うけれど」、もうひとつ「国を見ると人が通わないし、里を見ると家々が荒れている」の表現が印象的。強調して伝えたい時に効果的な表現方法だ。使ってみたいぞ。  春の日に、三香の原の荒墟を悲傷しびて作る歌一首  幷せて短歌 三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み 住よしと  人は言へども ありよしと  我れは思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど  人も通わず 里見れば  家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしく ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも  万1059 *山は高く川の瀬は清らか。人は住みよいと言い私もそう思う。しかし古びた里には人は通わず家も荒れている。咲く花の色はあざやかでいろんな鳥の鳴き声もなつかしい。住み慣れた里が荒れるのは残念だ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1057-1058番歌(鹿背の山木立を茂み)~アルケーを知りたい(1880)

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▼ 久邇京を褒める長歌に続く反歌五首。後半の3首。ウグイスとホトトギスが出て来る。1057番ではウグイスで声が聞こえる。1058番はホトトギスなんだけど、ここまで来てくれない。やっぱりどこかに物足らなさ、寂しさの空気が漂う印象。 鹿背の山木立を茂み朝さらず 来鳴き響もすうぐひすの声  万1057 *鹿背山の木立が深いのでウグイスが毎朝やってきて鳴き声を響かせています。 狛山に鳴くほととぎす泉川 渡りを遠みここに通はず   一には「 渡り遠みか通はずあるらむ 」といふ *狛山で鳴くホトトギスは、泉川の渡りが遠いので、こちらまでは通って来ないのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1054-1056番歌(泉川行く瀬の水の)~アルケーを知りたい(1879)

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▼久邇京を褒める長歌に続く反歌五首。うち三首。新しい都を褒めるほど寂しさを感じてしまうのは、数年後に久邇京は都でなくなるからと分かっているから。そう思うのだけれども、万葉集編集の段階でも分かっていたわけだ。その点で同じ。誉め言葉と無常観というか寂しさが重ね合わさってる歌って気がするがどうでしょう。  反歌五首 泉川行く瀬の水の絶えばこそ 大宮ところうつろひゆかめ  万1054 *泉川の瀬の水が絶えることがあれば、その時は大宮所も寂れるでしょう。 布当山山なみ見れば百代にも 変るましじき大宮ところ  万1055 *布当山の山なみを見ればこれから百代も変わることのない大宮所と分かります。 娘子らが続麻懸くといふ鹿背の山 時しゆければ都となりぬ  万1056 *娘子らが紡いだ麻を掛けるという鹿背山も、時が移って今や都になっています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6