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万葉集巻第7_1143番歌(さ夜更けて堀江漕ぐなる)~アルケーを知りたい(1962)

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▼今回は夜の川を漕ぎ進む舟の歌。夜でも舟を出していたの!と驚く。 月明りがあればナイトクルーズ可? しかも流れの早いところを。 松浦舟の性能の良さをアピールするCM効果もある。昔、小型船で荒れた大阪湾を進んで酔った経験がある。この歌のように、音だけで結構。 さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦舟 (まつらぶね)  楫の音 (おと) 高し水脈 (みを) 早みかも  万1143 *夜更けに堀江を漕ぎ進む松浦舟の楫の音がよく聞える。水の流れが早いのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1142番歌(命をし幸くよけむと)~アルケーを知りたい(1961)

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▼今回は、おいしい水に恵まれるありがたみを思い出させてくれる歌。日本の山や森に降った雨が地盤で濾過されておいしい水になる。大分の酒造メーカーを訪問したとき技術者が「20度をお勧めしたい、なぜならここの水を味わえるから」と言ってたのを思い出す。 命をし幸くよけむと石走る 垂水の水をむすびて飲みつ  万1142 *健康長寿を祈って垂水の水を手ですくって飲みました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1141番歌(武庫川の水脈を早みと)~アルケーを知りたい(1960)

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▼暑い日にぴったりの情景の歌。川に入って馬も喜んでいるみたい。わざと水を跳ね上げて載せている人を濡らして遊んでいるのでは(笑)。 武庫川の水脈 (みを) を早みと赤駒の 足掻くたぎちに濡れにけるかも  万1141 *武庫川の水の流れが早いので、赤駒の脚がはね上げる水に濡れてしまった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1140番歌(しなが鳥猪名野を来れば)~アルケーを知りたい(1959)

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▼旅の途中、夕方になって霧が出ている、まだ宿が決まっていないのに。今回の歌は、眺めていると心細い気持ちになる。なぜだろう。「夕霧立ちぬ宿りはなくて」のせいだな。この中の「宿りはなくて」の「なくて」が効いている気がする。「無い」から来る不安感。「宿りはあれど」ではダメなんだ。  摂津作 (つのくにさく) しなが鳥猪名野 (ゐなの) を来れば有馬山 夕霧立ちぬ宿りはなくて   一本には「猪名の浦みを漕ぎ来れば」といふ  万1140 *猪名野まで来ました。有馬山に夕方の霧が出ています。まだ宿を決めてないというのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1139番歌(ちはや人宇治川波を)~アルケーを知りたい(1958)

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▼今回は下の句の「立ちかてにする」の立ちかてがキーワードだ。旅人が宇治川の清流を立ち止まって見ている。宇治川の清流から生まれた歌、と言いたくなる。 ちはや人宇治川波を清みかも 旅行く人の立ちかてにする  万1139 *宇治川の清らかな波を見て、旅の途中の人が立ち止まっています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1138番歌(宇治川を舟渡せをと)~アルケーを知りたい(1957)

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▼今回は、渡し舟の乗り場の様子が伝わってくる歌。渡し場に行っても舟がない。おーいと呼びかけても返事がない。舟がこちらに来る気配もない。ったく困ったなー的な状況。昔、バス停に来たもののバスが行ってしまったのか待てば来るのか分からなくて困っていたのを思い出した。乗り物とは昔も今もそういうものらしい。でもそんなスケッチが万葉歌になるんだ、とおどろいた。 宇治川を舟渡せをと呼ばへども 聞こえずあらし楫の音もせず  万1138 *宇治川の渡し舟を呼んでも船頭に聞こえてないらしい。楫の音もしない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1137番歌(宇治川の譬への網代)~アルケーを知りたい(1956)

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▼今回は読み手が自由に解釈できる譬喩の歌。例えば、男と女の距離の詰め方。例えば、クセの強い企画の募集。歌じたいは、私がいるじゃないか、他は要らないじゃないか、という自分アピ。自分以外を木っ端扱いして敵を作るリスクが、これまた香辛料として効いている。 宇治川の譬 (たと) への網代我れならば 今は寄らまし木屑 (こつみ) 来ずとも  万1137 *宇治川の象徴の網代。私ならとっくに捕まってる。木っ端は来なくてもよい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7