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万葉集巻第6_1043番歌(たまきはる命は知らず)~アルケーを知りたい(1872)

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▼今回は前回の続き。 二首セットの後の一首。家持と市原王が小高い丘に登り、そこにある松の枝を結んで健康長寿を祈る歌。共感できます。 たまきはる命は知らず松が枝を 結ぶ心は長くとぞ思ふ  万1043 *人の寿命は分からないので、松の枝を結んで祈る時、長くあって欲しいと思ふ。  右の一首は大伴宿禰家持が作。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1042番歌(一つ松幾代か経ぬる)~アルケーを知りたい(1871)

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▼今回の歌は二首セットの初めの一首。家持と市原王が久邇京近くの岡を散策したときの歌。前書きに「松の下に集ひて飲む」とある。詠むじゃなくて飲む?ここで小宴を持ったのだろうか、と思った。 1042番は、松を吹き抜ける風の音の清らかさを詠っている。相当に強い風が吹いてないと枝を抜ける風音が聞こえないんじゃないか?と思うと気になって仕方がない。  同じき月の十一日に、活道の岡に登り、一株 (ひともと) の松の下に集ひて飲む歌二首 一つ松幾代か経ぬる吹く風の 声の清きは年深みかも  万1042 *この一本の松は年を重ねた古木なのだろう。吹き抜ける風の音が清く聞こえる。  右の一首は市原王が作。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1041番歌(我がやどの君松の木に)~アルケーを知りたい(1870)

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▼君を待つ→君松の木、雪→行き、とダブルでシャレてみた和歌。天平16年の歌。西暦では744年。この頃から今に至るまでシャレを言わずにはおれないのだ。この歌の作者は不明だが、集まったのは阿倍虫麻呂の家。阿倍虫麻呂といえば、4年前の740年には藤原広嗣が起こした乱を勅使として鎮圧に向かった人。ダブルのダジャレに、あははと笑って喜んだのかな。  十六年甲申の春の正月の五日に、諸卿大夫、 安倍虫麻呂 朝臣が家に集ひて宴する一首 作者審らかにあらず 我がやどの君松の木に降る雪の 行きには行かじ待ちにし待たむ  万1041 *私の家にある「君待つ木」に雪が降っています。迎えに行くのは行かず、待つだけ待つことにします。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1040番歌(ひさかたの雨は降りしけ)~アルケーを知りたい(1869)

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▼今回は、 安積親王 (あさかしんのう) が藤原八束の家で宴会を開き、同席していた家持が詠んだ 743年の 歌。 安積親王は聖武天皇の息子で、この年、15歳。八束が28歳。家持は25歳。みなさんお若い。雨の夜、仲の良い仲間が集まったのだから、飲み明かしましょう、と詠う家持。   安積親 王 、左少弁 藤原八束 朝臣が家にして宴する日に、内舎人 大伴宿禰家持 が作る歌一首 ひさかたの雨は降りしけ思ふ子が やどに今夜は明して行かむ  万1040 *ひさしぶりの雨が降りしきるので気の合うお方の家で今夜はずっと飲みましょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1038-1939番歌(故郷は遠くもあず)~アルケーを知りたい(1868)

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▼今回の歌の作者、 高丘河内は663年に百済から日本に帰化した沙門詠(しゃもんえい)の子 。 沙門詠は、 戦乱を避けて楽浪郡に移住した 秦の王族の子孫 。河内は橘佐為・山上憶良と共に 子ども時代の 聖武天皇が教育係を務めた。   高丘河内 連が歌二首 故郷は遠くもあず一重山 越ゆるがからに思ひぞ我がせし  万1038 *故郷は遠くない。でも山ひとつ隔てられているから、苦しい思いがするだ。 我が背子とふたりし居らば山高み 里には月は照らずともよし  万1039 *妻と二人でいれば、いくら山が高かろうが、里に月が出なかろうが、構わない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1037番歌(今造る久邇の都は)~アルケーを知りたい(1867)

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▼ 久邇(くに)の京は聖武天皇が740(天平12)年から744(天平16)年の4年間、都にした場所。740年は藤原広嗣の乱とその後処理があり、落ち着かない時期。1037番歌は、開発途中の新都を 山や川がすがすがしいと 褒める作品。  十五年癸未の秋の八月の十六日に、内舎人 大伴宿禰家持 、久邇の京を讃めて作る歌一首 今造る久邇の都は山川の さやけき見ればうべ知らすらし  万1037 *今建設中の久邇の都は山や川が清らかな場所なので、ここに都にするのはもっともなことです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1035-1036番歌(田跡川の滝を清みか)~アルケーを知りたい(1866)

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▼1035番は出張先の滝の水の清らかさを詠う歌。1036番は出張先から家に帰りたい気持ちが伝わる歌。本音はそうなんだ、と思わせる歌。   大伴宿禰家持 が作る歌一首 田跡川の滝を清みかいにしへゆ 宮仕へけむ多芸の野の上に  万1035 *田跡川の滝が清らかなので昔から多芸の野で宮仕えしてきたのでしょう。  不破の行宮にして、大伴宿禰家持が作る歌一首 関なくは帰りにだにも打ち行きて 妹が手枕まきて寝ましを  万1036 *不破の関がなければ馬で妻が待つ家に戻ってゆっくり寝られるのに。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6