投稿

万葉集巻第6_992番歌(故郷の明日香はあれど)~アルケーを知りたい(1839)

イメージ
▼遷都すると明日香の場所も変わるらしい。坂上郎女が古い明日香も良いが奈良の新しい明日香は素晴らしいと詠う。大分には吉野があるので、この歌を応用すると、大分に吉野はあれどあをによし奈良の吉野を見らくしよしも、となる。   大伴坂上郎女 、元興寺の里を詠む歌一首 故郷の明日香はあれどあをによし 奈良の明日香を見らくしよしも  万992 *古里にも明日香はあるけれど、奈良の明日香を見るのは素晴らしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_990-991番歌(茂岡に神さび立ちて)~アルケーを知りたい(1838)

イメージ
▼今回の二首は語呂がとても良い。キーワードも効いている。990番は「神さび立ちて栄えたる」の神さび立つが静かな動きを感じさせ、991番は「石走りたぎち流るる」のたぎち流るるが動きの動きを見せてくれる。この歌を「またも来て見む」になる。   紀朝臣鹿人 が跡見の茂岡の松の樹の歌一首 茂岡 (しげおか) に神さび立ちて栄えたる 千代松の木の年の知らなく  万990 *茂岡に良い感じの古びた松の木があるんだけど、樹齢がどれくらいか分からないんだ。  同じき鹿人、泊瀬の川辺に至りて作る歌一首 石走りたぎち流るる泊瀬川 絶ゆることなくまたも来て見む  万991 *岩の間を激しく流れる泊瀬川。これからもまた見に来よう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_989番歌(焼太刀のかど打ち放ち)~アルケーを知りたい(1837)

イメージ
▼今回は「焼太刀のかど打ち」で寿(ことぶ)いた日本酒で酔っ払いました、という歌。何か良いことがあったり、祝福することがあったのだろう。太刀に「焼」がついているのも特別感がある。参考書の脚注によると、この歌の前の988番歌と同じ場面の歌かも知れない、とある。いつまでもお元気でいてください、という歌だ。   湯原王 が打酒の歌一首 焼太刀のかど打ち放ちますらをの 寿 (ほ) く豊御酒 (とよみき) に我れ酔ひにけり  万989 *焼太刀の角を打って大丈夫が祝ってくれた酒に私はすっかり酔っ払いました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_988番歌(春草はうつろふ)~アルケーを知りたい(1836)

イメージ
▼今回、和歌には不思議なところがあると感じる歌。988番は息子が父親の長寿を祈っていますよと詠う歌でそれが下の句。上の句はメインのメッセージを引き出す役だ。そこに移ろふ春草を持ってきている。ここが不思議。常盤を象徴する山の木や川の流れを引き合いに出して、これらと同じく父上も常盤にいませと言うのではなく、移ろうものを出す。言霊的にそれで大丈夫なのか、コントラストが効きすぎちゃうか、と思ってしまう。マジで。   市原王 、宴にして父 安貴王 を禱く歌一首 春草はうつろふ巌なす 常磐にいませ貴き我が君  万988 *春の草は移ろいますので、しっかりとした岩のようにいつまでもお元気でいて欲しい父上です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_987番歌(待ちかてに我がする月は)~アルケーを知りたい(1835)

イメージ
▼「月はまだかな、山に隠れているんだね」はお約束の表現形式になっているようだ。海から月が上る歌はあったかなと思うくらいだから、月は山とセットで詠われれるのだ。こう思っておくと、月が海と詠われた作品に出会った時、驚けるはず。   藤原八束 朝臣が月の歌一首 待ちかてに我がする月は妹が着る 御笠の山に隠りてありけり  万987 *いくら待っても現れなかった月は御笠の山に隠れていたのだね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_985-986番歌(天にいます月読壮士)~アルケーを知りたい(1834)

イメージ
▼月読壮士の歌。月読壮士とは月の呼び方。故 中川健二さんが木版画で 月読シリーズを表現しておられた。何も知らない私は「月読? なんですか?」だったけど、今になって万葉の時代から人は月を詠っていたことを知りました。   湯原王 が月の歌二首 天にいます月読壮士賄はせむ 今夜の長さ五百夜継ぎこそ  万985 *天にいらっしゃる月読壮士様をおもてなししましょう。今夜の長さを五百倍に伸ばしてもらいたいから。 はしきやし間近き里の君来むと おほのびにかも月の照りたる  万986 *近くの村から貴方様がおいでになるから、月が道を照らしているのです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_984番歌(雲隠りゆくへをなみと)~アルケーを知りたい(1833)

イメージ
▼万葉集の歌は、誰がどうしたという話か分からない歌がままある。今回の984番もそのひとつ。私は雲に隠れた月がどこにいるのか知りたい、貴方様はその月を見たい、というそんな話だろう。分かりにくさの理由は、前半と後半に見られる主語述語の倒置だろう。ここで得られる教訓は、まず主語、次に述語の順で書くと分かりにくさが減る、ということ。   豊前の国の娘子 が月の歌一首 娘子、字を大宅といふ。 姓氏いまだ詳らかにあらず。 雲隠りゆくへをなみと我が恋ふる 月をや君が見まく欲りする  万984 *雲に隠れてしまった月を、貴方様は恋しいよ、見たいよと思ってらっしゃるのでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6