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万葉集巻第6_1017 番歌(木綿畳手向けの山を)~アルケーを知りたい(1853)

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▼坂上郎女が遠方の神社にお参りに行った日の夕方、宿泊先を思案する歌。この時代はオンラインで予約する仕組みはないので、宿が並んでいる通りを歩きながら 「いづれの野辺に廬りせむ我れ」と言いながら決めたのだろう 。泊りがけでどこかに行くとき、このセリフを呟いてみたい。   夏の四月に、 大伴坂上郎女 、賀茂神社を拝み奉る時に、すなはち逢坂山を越え、近江の海を望み見て、晩頭 (ひのぐれ) に帰り来りて作る歌一首 木綿畳 (ゆふたたみ) 手向けの山を今日越えて いづれの野辺に廬 (いほ) りせむ我れ  万1017 *手向けの山(逢坂山)を越えました、さて今日はどこに泊まろうか、私は。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1016 番歌(海原の遠き渡りを)~アルケーを知りたい(1852)

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▼宴会に集まる人々を滋味豊かな故事に喩えた歌。風流士とか風流秀才の士とか、ちょっと気取った言葉を持ち出したところが面白い。前に見た1011番では風流意気の士と言い、今回は風流秀才で来た。風流+二文字で世界が広がる。風流検索、風流散策、風流飲酒・・・どうもイマイチ。昼時なので風流昼食。   春の二月に、諸大夫等、左小弁 巨勢宿奈麻呂 朝臣が家に集ひて宴する歌一首 海原の遠き渡りを風流士の 遊ぶを見むとなづさひぞ来し  万1016 *遠い海を渡って風流士が遊んでいらっしゃる姿を見ようと苦労して参りました。   右の一首は、白き紙に書きて屋の壁に懸著く。 題には「蓬莱の仙媛の化れる嚢縵(ふくろかづら)は、風流秀才の士の為なり。 これ凡客の望み見るところならじか」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1013-1015 番歌(あらかじめ君來まさむと)~アルケーを知りたい(1851)

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▼急な来客に、おいでになると前もって分かっていたら支度してましたのに、と応対する歌。アポなしで来るんじゃなえ、ではなく、訪問を喜び歓迎する。こういう気持ちの余裕をなくなって幾星霜の自分には、今回の三首は、遠くてなつかしい思い出の風景のよう。   九年丁丑の春の正月に、橘少卿、幷せて諸大夫等、弾正尹 門部王 が家に集ひて宴する歌二首 あらかじめ君來まさむと知らませば 門にやどにも玉敷かましを  万1013 *あらかじめ貴方様がおいでになることが分かってましたら、門にも庭にも玉砂利を敷いてましたのに。   右の一首は主人門部王 後には姓大原真人の氏を賜はる 一昨日も昨日も今日も見うれども 明日さへ見まく欲しき君かも  万1014 *一昨日も昨日も今日もお会いしていますが、明日も会いたいと思う貴方様です。   右の一首は 橘宿禰文成  すなはち少卿が子なり   榎井王 、後に追和する歌一首 志貴親王の子なり 玉敷きて待たましよりはたけそかに 来る今夜し楽しく思ほゆ  万1015 *準備万端整えて待ち構えているより、突然いらっしゃって一緒に過ごす夜が楽しいです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1011-1012 番歌(我がやどの梅咲きたりと)~アルケーを知りたい(1850)

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▼「梅が咲いた」と告げる。これは 「集まれ」という意味だから、花は散っても構わないのだ、という1011番。その知らせを貰ったとき「こちらでは桜が咲きました」と返信するのは野暮、ということになる。言外の意を汲むのは難しい。その点、次の1012番は「わが家にやまず通はせ」と分かりやすい。   冬の十二月の十二日に、歌儛所の諸王・臣子等、 葛井連広成 が家に集ひて宴する歌二首 此来、古儛盛りに興り、古歳漸に晩れぬ。 理に、ともに古情を尽し、同じく古歌を唱ふべし。 故に、この趣に擬へて、すなわち古曲二節を献る。 風流意気の士、たまさかにこの集ひの中にあれば、争ひて念を発し、心々に古体に和せよ。 我がやどの梅咲きたりと告げ遣らば 来と言ふに似たり散りぬともよし  万1011 *我が家の梅が咲いたぞと伝えるのは遊びにおいでと言うことなので、花は散っても構わないのだ。 春さればををりにををりうぎひすの 鳴く我が山斎ぞやまず通はせ  万1012 *春になれば梅の花がぎっしりと咲き、ウグイスは鳴きます。そんな我が家にお通いください。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1009-1010番歌(橘は実さへ花さへ)~アルケーを知りたい(1849)

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▼今回、人名が交錯していて私は何が何だかしかとは分からないのだけれど、橘諸兄( 葛城王)が聖武天皇から橘の姓を賜ったときの歌。1009番は御製歌とあるので、聖武天皇の作品。1010番は詔に応えて諸兄の子、奈良麻呂が詠んだ歌。りっぱだ。親子ともに立派だ。  冬の十一月に、左大弁葛城王等、姓橘の氏を賜はる時の御製歌一首 橘は実さへ花さへその葉さへ 枝に霜降れどいや常葉の木  万1009 *橘は実、花、葉っぱ、枝に霜が降りても、いつも新鮮な緑の木です。   右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王・従四位上佐為王等、皇族の高き名を辞び、外家の橘の姓を賜はること已訖りぬ。 その時に、太上天皇・皇后、ともに皇后の宮に在して、肆宴をなし、すなはち橘を賀く歌を御製らし、幷せて御酒を宿禰等に賜ふ。 或いは「この歌一首は太上天皇の御製。 ただし、天皇・皇后の御歌おのおのも一首あり」といふ。 その歌遺せ落ちて、いまだ探ね求むること得ず。 今、案内に検すに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表を上る。 十七日をもちて、表の乞ひによりて橘宿禰を賜ふ」と。   橘宿禰奈良麻呂 、詔に応ふる歌一首 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の 降りは増すとも地に落ちめやも  万1010 *奥山の真木の葉に降り積もる雪がますます降っても、橘の実が落ちることはありません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1008 番歌(山の端にいさよふ月の出でむかと)~アルケーを知りたい(1848)

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▼今回は、待ち人来たらずで困ってる気分の歌。待っているうちに時間が過ぎていく、というだけで別に困ったなーと言っているわけではない。けど読み手には遅れに対する不満が 十分に 伝わる。考えて見るとこの歌は実用的かも知れない。待たされたときに口ずさんで心を静める、とか、待たせたときにこの歌を添えて謝るとか。たしかに首黒麻呂は待たされたけど、こんな面白くていい歌を作ったから、タダでは起きてない。   忌部首黒麻呂 、友の遅く来ることを恨むる歌一首 山の端にいさよふ月の出でむかと 我が待つ君が夜は更けにつつ  万1008 *山から月が出るのをいつかいつかと待っているように俺は君を待っているというのに、なかなか現れないから夜が更ける一方じゃないか、プンプン。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1007 番歌(言とはぬ木すら妹と兄とあり)~アルケーを知りたい(1847)

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▼今回は、自分はひとりっ子なのが苦だと悲しぶる歌。これは遊びの歌ではないか、と思ふ。市原王じしんにはどうしようもないことだから。というのは例えば「言とはぬ花すらおしべめしべありといふを 夢と希望のなきが苦しき」と考えると、こちらのほうが悲しい。   市原王 、独り子にあることを悲しぶる歌一首 言とはぬ木すら妹と兄とありといふを ただ独り子にあるが苦しさ  万1007 *もの言わぬ木でも兄妹があるというのに、私は独りっ子だからつらい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6