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万葉集巻第6_914-916番歌(滝の上の三船の山は)~アルケーを知りたい(1793)

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▼914番は、前回の913番の長歌に続く反歌。この歌が面白いのは、三船山を畏い、と言いつつも、思うのは家に残した妻のこと、と本心を見せるような表現にしてあるところ。油断ならん人だな、車持千年さんは(笑)。 ▼続く915番と916番、これは相聞歌だと思うがどうでしょう。編集者の注釈によると、「吉野川」が歌に入っているから、ここに入れたそうだ。編集者の迷いの後が伝わる気がする。  反歌一首 滝の上の三船の山は畏 (かしこ) けど 思ひ忘るる時も日もなし  万914 *滝の上に見える三船山は畏れ多いけれども、家で待つ妻のことをしょっちゅう思っています。  或本の反歌に曰はく 千鳥鳴くみ吉野川の川音の やむ時なしに思ほゆる君  万915 *千鳥が鳴く吉野川の川のせせらぎの音が止むときがないように、いつも私は彼女を思っています。 あかねさす日並べなくに我が恋は 吉野の川の霧に立ちつつ  万916 *旅に出てから日数は経っていないのに私の妻への思いは吉野川の霧のように立ち昇ります。  右は、年月詳らかにあらず。 ただし、歌の類をもちてこの次に載す。 或本には「養老七年の五月に、吉野の離宮に幸す時の作」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_913番歌(味凝りあやにともしく)~アルケーを知りたい(1792)

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▼「あやにともしく」の枕詞「味凝(うまこ)り」で始まる長歌。両方、意味が分からんのだが、響きから非日常的なことを詠う予感がする。味凝の文字を見ると、なぜか寒天をイメージしてしまう。凝固させて味わうものだからか。 ▼この歌で車持千年さんは、吉野を一人で旅しているので、山や川、朝霧や蛙の鳴き声に触れた心象を誰かと分かち合えないのが残念、と詠う。SNSがあれば写真をつけて発信しているのは間違いない。   車持朝臣千年 が作る歌一首  幷せて短歌 味凝 (うまこ) り あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 真木立つ山ゆ 見下ろせば  川の瀬ごとに 明け来れば  朝霧立ち 夕されば  かはづ鳴くなへ 紐解かぬ 旅にしあれば 我のみして 清き川原を 見らくし惜しも  万913 *吉野の山から見下ろすと朝は霧、夕がたは蛙が鳴いている。ひとり旅の途中なので、清らかな川原を見た印象を人と分かち合えないのが残念だ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_910-912番歌(神からか見が欲しからむ)~アルケーを知りたい(1791)

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▼前回の908番、909番の別バージョンの反歌。水の泡を木綿の花に見立てた912番が印象的です。みなさんはいかがでしょうか。  或る本の反歌に曰はく 神 (かむ) からか見が欲しからむみ吉野の 滝の河内 (かふち) は見れど飽かぬかも  万910 *神々しいから誰もが見たくなるのだろう。吉野の滝の河内はいくら見ても見飽きない。 み吉野の秋津の川の万代 (よろづよ) に 絶ゆることなくまた帰り見む  万911 *吉野の秋津川にはこれからも絶えることなく見に戻ってこよう。 泊瀬女 (はつせめ) の造る木綿花み吉野の 滝の水沫 (みなわ) に咲きにけらずや  万912 *泊瀬の女性が作る木綿の花のように、吉野の滝で水泡が咲いているではありませんか。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_908-909番歌(年のはにかくも見てしか)~アルケーを知りたい(1790)

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▼今回は、長歌907番の後に続く 反歌2首。天武天皇と持統天皇が吉野を大事にしていた気持ちが引き継がれている。吉野川と滝を褒める歌。滝はそうそうどこにでもあるものではないから、とっておきの存在。  反歌二首 年のはにかくも見てしかみ吉野の 清き河内のたぎつ白波  万908 *毎年繰返し見たいのが吉野の清らかな河内でほとばしる白波です。 山高み白木綿花に落ちたぎつ 滝の河内は見れど飽かぬかも  万909 *高い山から白木綿の花のように落ちてしぶきをあげる滝がある河内。ここは見ても見ても飽きません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_907番歌(み吉野の秋津の宮は)~アルケーを知りたい(1789)

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▼前に味わった巻3から巻5は思い切って飛ばして今日から巻6。参考書にしている角川ソフィア文庫の万葉集では第二巻。最初は 笠金村が吉野を褒める歌。神からか貴くあらむ、国からか見が欲しくあらむ、と二方向から良さを強調する表現が魅力的で、マネせねばと思ふ  雑歌  養老七年葵亥の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、 笠朝臣金村 が作る歌一首  幷せて短歌 滝の上の 三船の山に 瑞枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくおし知らさむ み吉野の 秋津の宮は 神からか 貴くあらむ 国からか 見が欲しくあらむ 山川を 清みさやけみ うべし神代ゆ 定めけらしも  万907 *吉野の秋津宮は、神々のおかげで貴い、国柄のおかげで誰もが見たいと思う。 山や川は清くさわやかだ。だから神代の昔からここを都と定められたのだろう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第2_143-144番歌(岩代の崖の松が枝)~アルケーを知りたい(1788)

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▼前回で巻一の最後の歌を味わったので、今回から巻二を見よう、と思った。のだが、相聞から始まり挽歌に続く。相聞は苦手だし、挽歌の背景には悲しいエピソードがあって辛い。そこで 長忌寸意吉麻呂の歌二首に巻二を代表してもらうことにした。困った時の長忌寸意吉麻呂頼み。   長忌寸意吉麻呂 、結び松を見て哀咽しぶる歌二首 岩代の崖の松が枝結びけむ 人は帰りてまた見けむかも  万143 *岩代の岸の松の枝。祈りを込めて結んだ人はまたここに戻って来れたのだろうか。 岩代の野中に立てる結び松 心も解けずいにしへ思ほゆ   いまだ詳らかにあらず  万144 *岩代の野原に立っている結び松のように、私の心も解けないまま昔を偲んでいます。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2

万葉集巻第1_84番歌(秋さらば今も見るごと)~アルケーを知りたい(1787)

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▼今回は天智天皇の息子と天武天皇の息子が二人で秋の終わりに開いた宴での歌。 巻一の最後を締めるのにふさわしい 穏やかな雰囲気。  寧楽の宮  長皇子、志貴皇子と佐紀の宮にしてともに宴する歌 秋さらば今も見るごと妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ高野原の上  万84 *秋が去ると、今見ているように、妻を求めて鹿が鳴く山です、あの高野原の上は。  右の一首は 長皇子 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1