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万葉集巻第1_80番歌(あをによし奈良の家には)~アルケーを知りたい(1785)

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▼あをによし、と来れば、奈良と応える。今回の80番はまさしくその歌。「あおに」が良いのだ。あおに= 青丹、 質の良い青い土。見たことがないので、ああ、あれだと実感できないのが残念。 ▼歌の下の句で、奈良の家に末長く通いますからお忘れなく、と宣言している。人の事情は移ろふもの。いつか通わなくなるかも知れない。が、そこを問題にしないのが大人の受け止め方。  反歌 あをによし奈良の家には万代に 我も通はむ忘ると思ふな  万80 *奈良の家にはこれから末永く私もお通いします。決して忘れるなどと思わないでください。  右の歌は、作者未詳。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_79番歌(千代までにいませ)~アルケーを知りたい(1784)

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▼今回の長歌は、宮殿の建設に携わった役人の歌。夜、服に霜が降りている、川は凍っているという。屋根なしで野宿していたのだろうか。当時の人は、今では考えられないほど寒さに強かったようだ。  或本、藤原の京より寧良の宮に遷る時の歌 大君の 命畏 (みことかしこ) み 親 (にき) びにし 家を置き こもりくの 泊瀬 (はつせ) の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈 (やそくま) おちず万 (よろづ) たび かへり見しつつ 玉桙 (たまほこ) の道行き暮らし あおにより 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝り 寒き夜を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ  我れも通はむ  万79 *大君に置かれましては、みなが力を合わせて作った宮に長くお暮らし下さい、我われも通います! 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_78番歌(飛ぶ鳥明日香の里を)~アルケーを知りたい(1783)

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▼今回の78番歌は、明日香から藤原へ遷都するとき、天武天皇と過ごした旧都を名残惜しく詠う持統天皇の御製。遷都は694年。  和銅三年庚戌 (かのえいぬ) の春の二月に、藤原の宮より寧楽 (なら) の宮に遷る時に、御輿 (みこし) を長屋の原に停め、古郷を廻望 (かへりみ) て作らす歌  一書には「太上天皇の御製」といふ 飛ぶ鳥明日香の里を置きて去なば 君があたりは見えずかもあらむ  万78  一には「君があたりを見ずてかもあらむ」といふ *鳥でさえ明日香の里を後に飛び去ってしまえば、貴方様がいらっしゃるあたりは見えなくなってしまうでしょう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_77番歌(我が大君ものな思ほし)~アルケーを知りたい(1782)

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▼今回の77番歌は、 元明天皇の76番歌「 ますらをの鞆 (とも) の音すなり 物部の大臣 (おほまへつきみ) 楯立つらしも」に 御名部皇女が 応えた歌。 御名部皇女と 元明天皇は共に天智天皇の娘。しかも 御名部皇女は 同母姉。だから77番は、天皇に即位して責任の重さを感じて不安そうにしている妹を実の お姉さんが 思いやっている歌だ。  御名部皇女 の和へ奉る御歌 我が大君ものな思ほし統め神の 継ぎて賜へる我がなけなくに  万77 *我が大君は物思いし続けておられます。国を率いるお立場を引き継いだからでしょうか。私もお力になります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_76番歌(ますらをの鞆の音すなり)~アルケーを知りたい(1781)

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▼今回は708年の元明天皇の 「ますらを」で始まる 御歌。外から聞こえる鞆の音を聞いた天皇が頼もしいと思っているのか、やや不安を感じているのか、分からない。どうなんだろう?  和銅元年戊申 (つちのえさる)  天皇の御歌 ますらをの鞆 (とも) の音すなり 物部の大臣 (おほまへつきみ) 楯立つらしも  万76 *益荒男の鞆の音が聞こえる。物部の大臣が楯を立てているらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_75番歌(宇治間山朝風寒し)~アルケーを知りたい(1780)

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▼文武天皇が吉野の宮に行幸したときに長屋王が作った歌。26歳の時の作品。宇治間山は吉野にある山。寒さに強い昔の人が寒し旅と詠うくらいだから、相当冷え込んだのだろう。長屋王は藤原四兄弟と対立した結果、 53歳で 自刃することになる。その藤原四兄弟もその8年後に 天然痘で揃って亡くなり「長屋王の祟り」と言われた 。75番歌からは、生きている人間の体温が伝わる気がする。 宇治間山 (うぢまやま) 朝風寒し旅にして 衣貸すべき妹もあらなくに  万75 *宇治間山は朝風が格別寒い。旅の途中なので、着物を貸してくれる妻もいないのだ。  右の一首は 長屋王 。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_74番歌(み吉野の山のあらしの)~アルケーを知りたい(1779)

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▼74番を受けて、武蔵野の空の冷気の寒けくにはたや今日もみなで頑張ろう、の気持ち。  大行天皇、吉野の宮に幸す時の歌 み吉野の山のあらしの寒けくに はたや今夜も我がひとり寝む  万74 *吉野では山嵐が吹いてとても寒い。さてさて今夜も一人で寝るとしますか。  右の一首は、或いは「天皇の御製歌」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1