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万葉集巻3‐4番歌(やすみしし我が大君の)~アルケーを知りたい(1233)

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▼舒明天皇が宇智の野(奈良県五條市)で狩猟をしたとき、中皇命 (なかつすめらみこと) が中臣間人老 (なかとみのはしひと の おゆ) にオーダーして作らせた歌。 ▼歌に出てくる梓弓は、梓の木で作った弓のこと。樹木としては カバノキ科の落葉高木で、 いまは梓と呼ばなくなっており、歴史的な単語だ。弾力性に富み弓の材料として徴用されたらしい。後世で 版木に使われたので、本を出すのを 上梓という。こんなところに梓が残っていた。 ▼中弭が弓のどこを差すのか分からない。 弭という字は、弓と耳なので、文字通り弓の上端と下端のことのようだ。歌には「 音すなり」とあるから、弦の音かと思ったけど、 弭は本体のことなので、弦ではなさそう。  天皇、宇智の野に遊猟したまふ時に、中皇命の間人連老をして献らしめたまふ歌 やすみしし 我が大君の  朝には 取り撫でたまひ  夕には い寄り立たしし  み執らしの  梓の弓の  中弭 (なかはず) の 音すなり   朝狩に 今立たすらし  夕狩に 今立たすらし  み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり  万3 *我らが大君は、朝は手に取って撫で、夕には手に取ってお立ちになる、梓弓。 ぶんぶんと弓の音が聞こえます。朝狩りに今お立ちになるのでしょう。 夕狩りに今お立ちになるのでしょう。 手に取っておられる梓弓の音が聞こえます。  反歌 たまきはる宇智の大野に馬並めて 朝踏ますらむその草深野  万4 *宇智の大野に馬を並べ、朝から草深野に踏み出て行かれるのです。 【似顔絵サロン】 皇極天皇  こうぎょくてんのう 594年 - 661年 第35代天皇。舒明天皇の皇后。天智天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)・天武天皇の母親。斉明天皇と同じ人物。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻2番歌(大和には群山あれど)~アルケーを知りたい(1232)

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▼万葉集の2番歌は、舒明天皇が奈良県橿原市にある香具山に登って、日本の豊かさを詠った作品。歌に出てくる蜻蛉はトンボのことで、トンボが飛ぶ幸いな国、大和の国。   高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代  息長足日広額天皇  天皇、香具山に登りて国を望たまふ時の御製歌 大和には 群山あれど  とりよろふ 天の香具山  登り立ち 国見をすれば  国原は 煙立ち立つ  海原は 鴎立ち立つ  うまし国ぞ 蜻蛉島 (あきづしま)   大和の国は  万2 *大和には山がたくさんある。そのなかの天の香具山に登り立って風景を眺めると、村の家々からは煙が 立ちのぼり、海には鴎たちが飛んでいる。まことによい国であることよ、豊かな大和の国は。 【似顔絵サロン】 息長足日広額天皇  おきながたらしひひろぬかのすめらみこと /  舒明天皇  じょめいてんのう 593年 - 641年 第34代天皇。皇后は皇極天皇。息子は中大兄皇子=天智天皇。 630(37) 遣唐使を開始。 政治は蘇我蝦夷が進めた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%92%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87 万葉百科 奈良県立万葉文化館 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻1番歌(籠もよみ籠持ち)~アルケーを知りたい(1231)

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▼今回から万葉集の中の万葉集と言われる1番から53番の歌を順に見て行く。最初は大泊瀬稚武天皇=雄略天皇。どんな人物だったのかは下記URLを御覧ください。 ▼1番歌の核となるフレーズは「 大和の国は、 おしなべて我れこそ居れ。 しきなべて我れこそ居れ 」だと思ふ。   雑歌  泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代  大泊瀬稚武天皇   天皇の御製歌 籠 (こ) もよ み籠持ち  掘串 (ふくし) もよ み掘串持ち  この岡に 菜摘ます子  家告らせ 名告らさね  そらみつ  大和の国は  おしなべて 我れこそ居れ  しきなべて 我れこそ居れ   我れこそば 告らめ  家をも名をも 万1 *立派な籠を持ち、立派な掘串 (シャベル) を持ち、この岡で菜を積んでいる娘よ。どこの家の子で名は何というのか。ここ大和の国は隅々まで私が支配している。私から名乗ろうか、家も名も。 【似顔絵サロン】 大泊瀬稚武天皇  おほはつせわかたけのすめらみこと /  雄略天皇  ゆうりゃくてんのう 418年 - 479年 第21代天皇。考古学的に実在が確定している古墳時代の天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

大伴家持の万葉集4514-4516番歌~アルケーを知りたい(1230)

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▼今回は万葉集の最後の3首を見る。いずれも家持の歌。 ラストを飾る4516番は759年の作。この年、家持41歳。 ▼幸いを祈る 「 いやしけ吉事 」で締め括る姿勢が学び所と思ふ。  二月の十日に、内相が宅にして渤海大使小野田守朝臣等を餞する宴の歌一首 青海原風波靡き行くさ来さ つつむことなく舟は早けむ  万4514  右の一首は右中弁大伴宿禰家持。<いまだ誦せず> *青海原は風も波も靡いています。往来には何の問題もなく舟はすいすいと進むことでしょう。  七月の五日に、治部少輔大原今城真人が宅にして、因幡守大伴宿禰家持を餞する宴の歌一首 秋風の末吹き靡く萩の花 ともにかざさず相別れむ  万4515  右の一首は、大伴宿禰家持作る。 *秋風が萩に吹いて花が靡いています。共に萩の花を共にかざさすこともできずお別れすることになるんですね。  三年の春の正月の一日に、因幡の国の庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首 新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事  万4516  右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 *新しい年の初め。初春の今日降っている雪のようにめでたいことが降り積もりますように。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。14歳年上。 菩提僊那  ぼだいせんな 704 - 760 奈良時代の渡来僧。南インド出身。ボーディセーナ。752年、東大寺大仏殿の開眼供養法会導師。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

大伴家持の万葉集3991-3992番歌~アルケーを知りたい(1229)

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▼今回も 富山県高岡市の自然を褒める家持の歌。仲間と馬を並べて風景を楽しみ、さらに舟を浮かべて水上からも風景を味わう。この人たちは、気球があれば、空からの風景を眺めて歌にしたに違いない。射水の郡の 布勢の水海が万葉スポットだと知れる歌だ。  布勢の水海に遊覧する賦一首 幷せて短歌 <この海は射水の郡の古江の村に有り> もののふの 八十伴の男の  思ふどち  心遣らむと  馬並めて うちくちぶりの  白波の 荒磯に寄する  渋谿の 崎た廻り  麻都太江の 長浜過ぎて  宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き  見つれども そこも飽かにと  布施の海に 舟浮け据ゑて  沖辺漕ぎ 辺に漕ぎ見れば  渚には あぢ群騒き  島廻には 木末花咲き  ここばくも 見のさやけきか  玉櫛笥 二上山に  延ふ蔦の 行きは別れず  あり通ひ いや年のはに  思ふどち  かくし遊ばむ  今も見るごと 万3991 布勢の海の沖つ白波あり通ひ いや年のはに見つつ偲はむ  万3992 *布勢の海の沖に立つ白波のように毎年ここに通って思いをはせよう。  右は守大伴宿禰家持作る。四月の二十四日 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。9歳年上。 張 巡  ちょう じゅん 709 - 757 唐代の武将。中国史上有名な忠義義士のひとり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

大伴家持の万葉集3985-3987番歌~アルケーを知りたい(1228)

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▼今回の歌に出る二上山と 渋谿は 富山県高岡市にある山と海。 射水川は現在の名は小矢部川。見れば素晴らしい山、川、海である、昔からもこれからも見る人は賛美するだろう、と詠う。  二上山の賦一首 <この山は射水の郡に有り> 射水川 い行き廻れる  玉櫛笥 二上山は  春花の 咲ける盛りに  秋の葉の にほへる時に  出で立ちて 振り放け見れば  神からや そこば貴き  山からや 見が欲しからむ  統め神の 裾廻の山の  渋谿の 崎の荒磯に  朝なぎに 寄する白波  夕なぎに 満ち来る潮の  いや増しに 絶ゆることなく   いにしへゆ 今のをつつに  かくしこそ 見る人ごとに  懸けて偲はめ 万3985 渋谿の崎の荒磯に寄する波 いやしくしくにいにしへ思ほゆ  万3986 *渋谷崎の荒磯に打ち寄せる波を眺めているうちに、つぎつぎ昔のことが思い出される。 玉櫛笥二上山に鳴く鳥の 声の恋しき時は来にけり  万3987 *二上山で鳴く鳥の声が恋しくなる時期がやってきた。  右は、三月の三十日に、興に依りて作る。大伴宿禰家持 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。12歳年上。 藤原 仲麻呂  ふじわら の なかまろ 恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

大伴家持の万葉集3983-3984、3988番歌~アルケーを知りたい(1227)

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▼ホトトギスは立夏の日に来て鳴くのが必定なり、とのこと。知らんかった。昔と今は暦が違うけど、今年の立夏は5月5日。  立夏四月、すでに累日を経ぬるに、なほし霍公鳥の鳴くを聞かず。よりて作る恨みの歌二首 あしひきの山も近きをほととぎす 月立つまでに何か来鳴かぬ  万3983 *山に近い場所というのに、ホトトギスよ、立夏 (三月二十一日) を過ぎたのになぜ来て鳴かないの? 玉に貫く花橘をともしみし この我が里に来鳴かずあるらし  万3984 *橘の木が少ないから、私の庭に来て鳴かないのだろう。  霍公鳥は、立夏の日に、来鳴くこと必定なり。 また、越中の風土は、橙橘のあること希なり。 これによりて、大伴宿禰家持、懐に感発して、いささかにこの歌を裁る。三月の二十九日。  四月の十六日の夜の裏に、遥かに霍公鳥の喧くを聞きて、懐を述ぶる歌一首 ぬばたまの月に向ひてほととぎす 鳴く音遥けし里遠みかも  万3988  右は、大伴宿禰家持作る。 *暗い夜、月に向かってホトトギスが鳴く声がかすかに聞こえる。里から遠いところにいるのだろう。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。11歳年上。 儲 光羲  ちょ こうぎ 707 - 763 唐の詩人 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html