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万葉集巻第6_980番歌(雨隠る御笠の山を)~アルケーを知りたい(1831)

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▼今回はまだ現れない月を詠った歌。待っているのに月がなかなか出ないなあ、山が高いからか。時が流れて夜は更けているのに。この歌の月は、実は人のことではないのか(笑)。   安倍朝臣虫麻呂 が月の歌一首 雨隠る御笠の山を高みかも 月の出で来ぬ夜は更けにつつ  万980 *御笠山が高いせいか、月が出ないまま夜が更けてゆく。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_979番歌(我が背子が着る衣)~アルケーを知りたい(1830)

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▼親戚の優しいおばちゃんが甥っ子を気にかける歌。いいなー。   大伴坂上郎女 、姪家持の佐保より西の宅に還帰るに与ふる歌一首 我が背子が着る衣薄し佐保風は いたくな吹きそ家に至るまで  万979 *私の甥っ子は軽装なので家に着くまで、佐保の風よ、強く吹かないでおくれ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_978番歌(士やも空しくあるべき)~アルケーを知りたい(1829)

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▼今回は、憶良が病気で弱っていた時、見舞いに来た人から病状を聞かれたときの歌。参考書の伊藤先生の解説によると、この一首が辞世となり憶良は他界したとのこと。   山上臣憶良 、沈痾 (ちんあ) の時の歌一首 士 (をのこ) やも空しくあるべき万代 (よろづよ) に 語り継ぐべき名は立てずして  万978 *男として何もなさずに終わってなるものか、後に語り継がれる名を残さずに。   右の一首は、山上憶良の臣が沈 痾 の時に、 藤原朝臣八束 、 河辺朝臣東人 を使はして疾 (や) める状 (さま) を問はしむ。 ここに、憶良臣、報 (こた) ふる語(ことば)已畢(をは)る。 しまらくありて、涕 (なみだ) を拭(のご)ひ悲嘆(かな)しびて、この歌を口吟 (うた) ふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_976-977番歌(難波潟潮干のなごり)~アルケーを知りたい(1828)

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▼今回は、最初の作品が出かけた先で見た難波潟の風景を妻に伝えるために「よく見てむ」と詠った歌。風景を家づとにせむという優しい気持ちが良き。次の作品は、干潟が太陽を反射してきらきらしているのを見て、そうか、だから「おしてるや難波の海」というんだと納得した歌。作者は神社老麻呂 (かみこそのおゆまろ) さん。この人、観察したものを言語化する気持ちと現地と現地を表現する言葉の関係に納得する気持ちの持ち主、とみた。インタビューしてみたい人。  五年癸酉に、草香山を越ゆる時に、 神社忌寸老麻呂 が作る歌二首 難波潟潮干のなごりよく見てむ 家にある妹が待ち問はむため  万976 *難波の干潟にたまった水のありさまをよく見ておこう。家で待っている妻に説明するため。 直越 (ただこえ) のこの道にてしおしてるや 難波の海と名付けけらしも  万977 *直越のこの道から日が海を照らすのを見て「押し照るや難波の海」と表現したのだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_975番歌(かくしつつあらくをよみぞ)~アルケーを知りたい(1827)

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▼楽しい時間であるほどに限られた人の寿命を思う歌。「かくしつつあらくをよみぞ」がどういう意味なのかよく分からないが (笑) 、良い歌だと思えるのはなぜ? 「短き命を長く欲りする」が続くからだろうか。    中納言 安倍広庭 卿が歌一首 かくしつつあらくをよみぞたまきはる 短き命を長く欲りする  万975 *こうやって時を過ごすのが楽しいから、短い命を少しでも長くと思うのですね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_972番歌(千万の軍なりとも)~アルケーを知りたい(1826)

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▼今回は前回の長歌に続く反歌。長歌はふわっとした感じだったのに対し、972番の歌はなかなか圧が強い(笑)。周囲の期待とプレッシャーの下で成果を出さないといけない役人たち。今も昔も変わらない。高橋虫麻呂に「いよっ!言挙げせず(敵を)征伐して戻ってくる男」と称えられては、藤原宇合もあれこれ言うことなく 西海道の節度使として活躍 するしかない。▼ほかに節度使が置かれた地域は東海道・東山道・山陰道がある。 東海・東山は宇合の兄の 藤原房前が、 山陰道は宇合よりずっと年長の 多治比県守が任命された。  反歌一首 千万 (ちよろづ) の軍 (いくさ) なりとも言挙げせず 取りて来 (き) ぬべき士 (をのこ) とぞ思ふ  万972 *大軍を率いても大げさなことは言わず、敵を平らげて戻ってくる士と思います。   右は、補任の文に検すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使を任ず」と。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_971番歌(白雲の竜田の山の)~アルケーを知りたい(1825)

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▼今回の長歌はタイトルから5W1Hがだいぶ分かる。When=四年壬申( 732年)、Who=藤原宇合、Where=西海道(九州)、 What=節度使。 ほんわりとぼやかした表現が多い和歌では珍しい。 で、節度使は何をするのか、というと、防衛拠点の筑紫を中心に九州全域の国形=現地調査。この歌は、節度使になった藤原宇合を送り出すとき、高橋虫麻呂が讃えた作品。  四年壬申に、 藤原宇合 卿、西海道の節度使に遣はさゆる時に、 高橋連虫麻呂 が作る歌一首  幷せて短歌 白雲の 竜田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 (いほへやま)  い行きさくみ 敵 (あた) まもる 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部 (とものへ) を 班 (あか) ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形 (くにかた) を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 竜田道の 岡辺 (おかへ) の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば  万971 *732年、竜田山が紅葉する時期に、西海道節度使(九州と島々の防衛を司る役職)として筑紫に赴任した藤原宇合卿。現地の山や野など地理状況を細かく調査し把握します。冬があけて春になり竜田道につつじや桜が咲き匂う頃、お帰りになるときにお迎えに参ります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6