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万葉集巻第6_996番歌(御民我れ生ける験あり)~アルケーを知りたい(1841)

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▼今回は、734年に官人の 海犬養岡麻呂が詔に応えて詠った歌。今自分が生きている時代に巡り会えた幸いを詠う。この気持ち同感だなあ。  六年甲戌に、 海犬養宿禰岡麻呂 、詔に応ふる歌一首 御民 (おたみ) 我れ生ける験あり 天地 (あめつち) の栄ゆる時にあへらく思へば  万996 *大君の民として生きる私に良いことがありました、この世界が栄える時を見られるのですから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_993-995番歌(かくしつつ遊び飲みこそ)~アルケーを知りたい(1840)

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▼今回は三首。中でも「 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら 春は生ひつつ秋は散りゆく」の 995番歌がぐっと來る。楽しい時間を過ごしながら春に生まれ秋に散る草木に命のうつろいを歌にする坂上郎女。無常観色のキャンパスに草木の絵を描いてる感じ。  同じき 坂上郎女 が初月の歌一首 月立ちてただ三日月の眉根掻き 日長く恋ひし君に逢へるかも  万993 *月が変わり三日月のように細い眉を掻いたおかげか、長らく逢ってなかった貴方様にようやくお目にかかれました。   大伴宿禰家持 が初月の歌一首 振り放けて三日月見れば一目見し 人の眉引き思ほゆるかも  万994 *顔を上げて三日月を見ると、一目見たお方の眉を思い出します。  大伴坂上郎女、親族を宴する歌一首 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら 春は生ひつつ秋は散りゆく  万995 *こんなふうに遊び飲みしましょう。草木ですら春に生え秋には散っていくのですから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_992番歌(故郷の明日香はあれど)~アルケーを知りたい(1839)

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▼遷都すると明日香の場所も変わるらしい。坂上郎女が古い明日香も良いが奈良の新しい明日香は素晴らしいと詠う。大分には吉野があるので、この歌を応用すると、大分に吉野はあれどあをによし奈良の吉野を見らくしよしも、となる。   大伴坂上郎女 、元興寺の里を詠む歌一首 故郷の明日香はあれどあをによし 奈良の明日香を見らくしよしも  万992 *古里にも明日香はあるけれど、奈良の明日香を見るのは素晴らしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_990-991番歌(茂岡に神さび立ちて)~アルケーを知りたい(1838)

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▼今回の二首は語呂がとても良い。キーワードも効いている。990番は「神さび立ちて栄えたる」の神さび立つが静かな動きを感じさせ、991番は「石走りたぎち流るる」のたぎち流るるが動きの動きを見せてくれる。この歌を「またも来て見む」になる。   紀朝臣鹿人 が跡見の茂岡の松の樹の歌一首 茂岡 (しげおか) に神さび立ちて栄えたる 千代松の木の年の知らなく  万990 *茂岡に良い感じの古びた松の木があるんだけど、樹齢がどれくらいか分からないんだ。  同じき鹿人、泊瀬の川辺に至りて作る歌一首 石走りたぎち流るる泊瀬川 絶ゆることなくまたも来て見む  万991 *岩の間を激しく流れる泊瀬川。これからもまた見に来よう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_989番歌(焼太刀のかど打ち放ち)~アルケーを知りたい(1837)

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▼今回は「焼太刀のかど打ち」で寿(ことぶ)いた日本酒で酔っ払いました、という歌。何か良いことがあったり、祝福することがあったのだろう。太刀に「焼」がついているのも特別感がある。参考書の脚注によると、この歌の前の988番歌と同じ場面の歌かも知れない、とある。いつまでもお元気でいてください、という歌だ。   湯原王 が打酒の歌一首 焼太刀のかど打ち放ちますらをの 寿 (ほ) く豊御酒 (とよみき) に我れ酔ひにけり  万989 *焼太刀の角を打って大丈夫が祝ってくれた酒に私はすっかり酔っ払いました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_988番歌(春草はうつろふ)~アルケーを知りたい(1836)

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▼今回、和歌には不思議なところがあると感じる歌。988番は息子が父親の長寿を祈っていますよと詠う歌でそれが下の句。上の句はメインのメッセージを引き出す役だ。そこに移ろふ春草を持ってきている。ここが不思議。常盤を象徴する山の木や川の流れを引き合いに出して、これらと同じく父上も常盤にいませと言うのではなく、移ろうものを出す。言霊的にそれで大丈夫なのか、コントラストが効きすぎちゃうか、と思ってしまう。マジで。   市原王 、宴にして父 安貴王 を禱く歌一首 春草はうつろふ巌なす 常磐にいませ貴き我が君  万988 *春の草は移ろいますので、しっかりとした岩のようにいつまでもお元気でいて欲しい父上です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_987番歌(待ちかてに我がする月は)~アルケーを知りたい(1835)

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▼「月はまだかな、山に隠れているんだね」はお約束の表現形式になっているようだ。海から月が上る歌はあったかなと思うくらいだから、月は山とセットで詠われれるのだ。こう思っておくと、月が海と詠われた作品に出会った時、驚けるはず。   藤原八束 朝臣が月の歌一首 待ちかてに我がする月は妹が着る 御笠の山に隠りてありけり  万987 *いくら待っても現れなかった月は御笠の山に隠れていたのだね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6