投稿

12月, 2023の投稿を表示しています

清原深養父の歌~アルケーを知りたい(1025)

イメージ
▼ 清原深養父 は百人一首36番歌「 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ 」の作者。 ▼深養父は琴の名手で、深養父が演奏する琴を聴きながら、 藤原兼輔 や 紀貫之 が歌を詠んだという。何とゴージャス。 ▼兼輔が詠んだ歌は「 みじか夜のふけゆくままに高砂の 峰の松風吹くかとぞ聞く 」。深養父の琴の音を峰の松風の音に喩えた。よき演奏、よき称え方、いいね。 ▼清原深養父 きよはら の ふかやぶ ? - ?   平安時代中期の歌人・貴族。   清原元輔 の祖父。清少納言の曾祖父。 908(?) 内匠允。923(?) 内蔵大允。930(?) 従五位下。 ▼清原深養父の和歌と*勝手に解釈 月のおもしろかりける夜、暁がたによめる 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ *夏の夜はまだ宵の口と思っていると明けてしまう。月は沈む間もないだろう、雲のどのあたりに月は宿をとっているのだろうね。 秋の歌とてよめる 幾世へてのちか忘れむ散りぬべき 野辺の秋萩みがく月夜を *年月を経れば忘れるのだろう。野原に咲くこれから散るであろう秋の萩を磨き上げるような月夜を。 題しらず 川霧のふもとをこめて立ちぬれば 空にぞ秋の山は見えける *川霧が麓から立ち上ると秋の山は空に浮かんでいるように見える。 題しらず なく雁のねをのみぞ聞くをぐら山 霧たちはるる時しなければ *雁の鳴き声だけが聞こえる小倉山だ。霧が晴れる時がないので。 雪のふりけるをよみける 冬ながら空より花の散りくるは 雲のあなたは春にやあるらむ *冬だというのに空から花が散ってくる。雲の向こうに春がいるのだろう。 あひしりて侍りける人の、あづまの方へまかりけるをおくるとてよめる 雲ゐにもかよふ心のおくれねば 別ると人に見ゆばかりなり *大空を通して心の交流がありますから。人にはお別れのように見えるだろうけれど。 時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの、嘆きもなく、喜びもなきことを思ひてよめる 光なき谷には春もよそなれば 咲きてとく散る物思ひもなし *光の届かない谷では春も他人事です。花も人も咲いてはすぐに散ってしまい、思い悩む間もありません。 題しらず 昔見し春は昔の春ながら 我が身ひとつのあらずもあるかな *昔に見た春は昔の春だよね。それを見たわが身はそのまま、ということはないな

文屋朝康の歌~アルケーを知りたい(1024)

イメージ
▼ 文屋朝康 は百人一首37番歌「 しらつゆに風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける 」の作者。 この歌は、 朝康が 絵になる風景を和歌で描写した、という印象。 ▼ 朝康が作った別 の歌「 浪わけて見るよしもがなわたつみの 底のみるめも紅葉ちるやと 」は、披露したとき仲間が面白がって盛り上がったのではないか、と思えて楽しい。 ▼文屋 朝康 ふんや の あさやす ? - ?  平安時代前期の官人・歌人。 文屋康秀 (百人一首22番歌の作者)の息子。 887(?) 宇多天皇 が即位。 889(?)  「寛平御時后宮歌合」 に参加。 892(?) 駿河掾。 「是貞のみこの家の歌合」に参加。 902(?) 大舎人大允。(?) 大膳少進。 897(?) 醍醐天皇 が即位。 ▼文屋朝康の和歌と*勝手に解釈 「寛平御時后宮歌合」で詠んだ歌。 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける *秋の野原に風が吹きめぐると、蜘蛛の糸に通してあった白露が弾けて飛ばされている。 「是貞のみこの家の歌合」で詠んだ歌。 秋の野におく白露は玉なれや つらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ *秋の野原の露は蜘蛛の糸に通した玉のようだ。 題しらず 浪わけて見るよしもがなわたつみの 底のみるめも紅葉ちるやと *できることなら波をかきわけて見たいものだ。海の底の海松布も紅葉して散っているのかを。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%B1%8B%E6%9C%9D%E5%BA%B7 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/asayasu.html

源等の歌~アルケーを知りたい(1023)

イメージ
▼ 源等 は百人一首39番歌「 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき 」の作者。 ▼ 源等には「 東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひわたるを知る人のなき 」という歌がある。 ▼ 本阿弥光悦 はこの歌を用いて『舟橋蒔絵硯箱』を作った。この硯箱は写真が教科書に載るほどの見事な出来栄え。 ▼源等の歌は、百人一首に採用され、硯箱に採用された。和歌にはいろんな使い道があると知った。 ▼ 源 等 / 参議等 みなもと の ひとし  880元慶4年 - 951天暦5年4月18日 71歳。  平安時代前期から中期の公卿。 897(17) 醍醐天皇 の即位と共に六位蔵人。 905(25) 大蔵少輔。 916(36) 内匠頭。 929(49) 主殿頭。 930(50) 朱雀天皇 が即位。従四位下。 946(66) 村上天皇 が即位。兼勘解由長官。 947(67) 参議。 951(71) 正四位下。役職を辞職。死去。 ▼源等の和歌と*勝手に解釈 人のもとにつかはしける 東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひわたるを知る人のなき *東路の佐野にかかる舟橋を渡る人がないように、私の思いも人に伝わらない 人につかはしける 浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき *浅茅生の小野に生えている篠原のように、忍ばせようとしても人への恋しさが溢れてしまいます。 題しらず かげろふに見しばかりにや浜千鳥 ゆくへもしらぬ恋にまどはむ *陽炎と見まがうような浜千鳥よ、行く先も分からない恋に戸惑っているのか。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%AD%89 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitosi.html

平兼盛の歌~アルケーを知りたい(1022)

イメージ
▼ 平兼盛 は百人一首40番歌「 しのぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで 」の作者。 ▼この40番歌は兼盛が歌合せに出して勝った勝負歌。うまい。うますぎる。 ▼うれしき、という言葉を使って詠んだ「 世の中にうれしき物は思ふどち 花見てすぐす心なりけり (この世で嬉しいことは、気の合う人と花を眺めて過ごすときの気分です )」が好き。 ▼平 兼盛 たいら の かねもり  ? - 991(正暦元)年1月16日  貴族・歌人。三十六歌仙の一人。 光孝天皇 の五代孫。 大学寮で紀伝道を学ぶ。寮試に合格して擬文章生。 946(?) 従五位下。 950(?) 平朝臣姓を与えられ越前権守。 960(?) 天徳内裏歌合に参加。 壬生忠見 の「 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人しれずこそ思ひそめしか 」と勝負。「 しのぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで 」で勝つ。 977(?) 駿河守。 ▼平兼盛の和歌と*勝手に解釈 円融院 御時、三尺御屏風に、花の木のもとに人々あつまりゐたる所 世の中にうれしき物は思ふどち 花見てすぐす心なりけり *この世で嬉しいことと言えば、気の合ったもの同士で花を眺めて過ごすときの心持ちです。 屏風、旅人花見る所をよめる 花見ると家路におそくかへるかな 待ちどき過ぐと妹やいふらむ *花を見ていると家に帰るのが遅くなる。なかなか帰ってこないと妻が文句を言うだろう。 この歌から山上 憶良の「 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 吾を待つらむそ 」を思い出す。 月の明あかき夜、紅葉の散るを見てよめる 荒れはてて月もとまらぬ我が宿に 秋の木の葉を風ぞふきける *荒れ果てて月も泊ってくれないような我が家。秋の風が木の葉を揺らしていく(屋根を秋の風が木の葉で葺いてくれる)。 暮の秋、 重之 が消息して侍りける返り事に 暮れてゆく秋の形見におくものは 我が元結の霜にぞありける *暮れていく秋が形見として置いていくものは、私の元結の霜のような白髪である。 斎院の御屏風に、十二月つごもりの夜 かぞふればわが身につもる年月を 送り迎ふとなにいそぐらむ *数えてみればわが身にも年が積み重なった。十二月だからといって行く年くる年、何を急ぐ必要があろう。 天暦御時歌合 忍ぶれど色にいでにけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで *人に知

壬生忠見の歌~アルケーを知りたい(1021)

イメージ
▼ 壬生忠見 は百人一首41番歌「 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人しれずこそ思ひそめしか 」の作者。 ▼忠見のエピソードが面白い。忠見は子供のころから和歌が上手いと評判。その評判が内裏に届き、呼び出しを受けた。しかし、馬にも乗れず正式な姿で参内できないので一度は遠慮する。 ▼しかし内裏からは「竹馬に乗ってでも参内せよ」との仰せ。 そこで「 竹馬はふしかげにしていと弱し 今夕陰に乗りて参らむ 」と詠んで返した。意味は、竹馬はふし鹿毛という毛並みでとても弱いから、夕影に乗って参内いたします。 ▼子供のときにこんなおしゃれな返しができるとは、忠見はただものではない。 ▼ 壬生忠見  みぶ の ただみ  ? - ?  平安時代中期の歌人。 壬生忠岑 (百人一首30番歌の歌人) の息子 。三十六歌仙の一人。 953(?) 内裏菊合に出詠。 954(?) 御厨子所定外膳部。 958(?) 摂津大目。 960(?) 天徳内裏歌合に参加。 ▼壬生忠見の和歌と*勝手に解釈 題しらず 焼かずとも草はもえなむ春日野を ただ春の日にまかせたらなむ *野焼きしなくても草燃える春日野だ。ただ春の陽光に任せればよい。 播磨のゆめさき川をわたりて 渡れどもぬるとはなしに我が見つる 夢前川を誰にかたらむ *渡っても濡れることがないという播磨の夢前川を見た。この話を誰に語ろうか。 天暦御時歌合 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人しれずこそ思ひそめしか *恋をしているという評判が立ってしまった。人知れず思い初めただけなのに。 天暦御時、菊のえん侍りけるあしたに、たてまつりける 吹く風にちるものならば菊の花 雲ゐなりとも色は見てまし *菊の花よ、吹く風に散れば、大空からもその色が見えることでしょう。 歌たてまつれとおほせられければ、忠岑がなどかきあつめてたてまつりける奥にかきつけける ことのはの中をなくなくたづぬれば 昔の人にあひみつるかな *数々の言葉を泣く泣く訪ねていると、昔の人に会えるようだ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%9F%E5%BF%A0%E8%A6%8B https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadami.html

清原元輔の歌~アルケーを知りたい(1020)

イメージ
▼ 清原元輔 は百人一首42番歌「 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは 」の作者。 ▼元輔について「世慣れた人物、物事を面白おかしく言って人を笑わせる老人」という評がある。自分が目指す爺さん像の先駆者だ。 ▼ 清原 元輔  きよはら の もとすけ  908(延喜8)年 - 990(永祚2)年6月 82歳。  平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。   清原深養父 の孫。清少納言の父親。 源順 ・ 能宣 ・ 藤原実方 らと交流。 951(43) 河内権少掾。源順・能宣らと共に勅撰和歌集プロジェクトのメンバー。 961(53) 少監物。969(61) 河内権守。986(76) 肥後守。 ▼清原元輔の和歌と*勝手に解釈 誰がために明日はのこさむ山桜 こぼれてにほへ今日のかたみに *山桜は、いったい誰のために花を残しているのだろう。今日の記念に咲きこぼれて匂へ。 屏風に 物も言はでながめてぞふる山吹の 花に心ぞうつろひぬらん *ものも言わず山吹を眺めているうちに、花に心が移っていったようだ。 四月朔日よみ侍りける 春は惜し時鳥はた聞かまほし 思ひわづらふしづごころかな *春が去るのは惜しい。かといってホトトギスはまだ聞きたい。思い煩う静かな心である。 天の川あふぎの風に霧はれて 空すみわたるかささぎの橋 *天の川の霧が扇の風で晴れて空が澄み渡ると天の川にかかるカササギの橋が見える。 題しらず いろいろの花のひもとく夕暮に 千世まつ虫のこゑぞきこゆる *いろいろは花が咲く夕暮れ時に千年生きるという目出度いマツムシの声が聞こえる。 津の国にまかりて、いさりするを見たまへて いさり火のかげにもみぢて見ゆめれば 浪の中にや秋をすぐさん *漁火で波が紅葉しているように見える。漁師たちは紅葉した波の中で過ごすのだね。 内裏御屏風に 月影の田上川にきよければ 網代にひをのよるもみえけり *田上川に清く月影が浮かんでいる。網代に氷魚が近づくのが見える。 題しらず 冬をあさみまだき時雨とおもひしを たえざりけりな老の涙も *冬はまだこれから。もう時雨かと思ったら、老いの涙なのだった。 心かはりて侍りける女に、人にかはりて ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは *涙で濡れた袖を絞りながら末の松山に波が寄せることがないのと同じくらい確かに約束しましたよね

藤原 敦忠の歌~アルケーを知りたい(1019)

イメージ
▼ 藤原敦忠 は百人一首43番歌「 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり 」の作者。 ▼「 昔はものを思はざりけり 」のフレーズには、そう、その通りだわ、と共感。では今はちゃんとものを思っているのかというと自信ないんだけど。 ▼前回の 朝忠が歌ったように 「 世の中はただ今日のごと思ほえて あはれ昔になりもゆくかな 」なんだよね。 ▼権中納言敦忠 / 藤原 敦忠 ふじわら の あつただ  906(延喜6)年 - 943(天慶6)年4月14日 37歳。  公卿・歌人。三十六歌仙の一人。 藤原時平 の三男。  風流好み、管絃に秀でる。夭折を世の人々は 菅原道真 の怨霊と噂。 921(15) 従五位下。934(28) 蔵人頭。939(33) 参議。942(36) 権中納言。 ▼藤原敦忠の和歌と*勝手に解釈 題しらず わがごとく物思ふときやほととぎす 身をうの花のかげに啼くらむ *私のように物思いにふけるときにホトトギスは卯の花の影に身を潜めて鳴くのだろうか。 御匣殿の別当に、年をへていひわたり侍りけるを、えあはずして、その年の師走のつごもりの日つかはしける 物思ふと過ぐる月日も知らぬまに 今年は今日に果てぬとか聞く *物思いにふけるまま月日が経ってしまった。今年が今日で終わりという話は人に聞いて知りました。 いかにしてかく思ふてふ事をだに 人づてならで君にかたらむ *私がどれくらい貴女のことを思っているか、人づてでなく直接語りたい。 「 人づてならで 」から 藤原道雅 の「 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな 」を思い出す。 題しらず 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり *会ってからの気持ちに比べると、会う前の気持ちはあっさりしたものだったな。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%95%A6%E5%BF%A0 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/atutada.html

藤原 朝忠の歌~アルケーを知りたい(1018)

イメージ
▼ 藤原朝忠 は百人一首44番歌「 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をもうらみざらまし 」の作者。確かに、最初から出会っていなければ、あれやこれやと考えることもない。筋が通っている。 ▼朝忠の「 世の中はただ今日のごと思ほえて あはれ昔になりもゆくかな 」。これにも、そうそう、その通りと思う。 ▼藤原 朝忠 / 中納言朝忠 ふじわら の あさただ  910(延喜10)年 - 967(康保3)年1月15日 57歳。  平安時代中期の公家・歌人。 藤原定方( 三条右大臣 ) の五男。 三十六歌仙の一人。 927(17) 侍従。930(20) 五位蔵人。943(33) 内蔵頭。 946(36) 近江守。951(41) 左近衛中将。952(42) 参議。 956(46) 正四位下。962(52) 従三位。963(53) 中納言。 ▼ 藤原朝忠 の和歌と*勝手に解釈 逢ふことのたえてしなくは中々に 人をも身をも恨みざらまし *出会ってしまわなければ、相手や自分を恨んだりしないのだが(出会ってしまったのでそうもいかない)。 世の中はただ今日のごと思ほえて あはれ昔になりもゆくかな *世の中の出来事とは、今日起きたことの印象が強いのだけど、あはれにもすぐ過去のことになってゆくものだ。 万代のはじめと今日を祈りおきて 今行末は神ぞ知るらむ *万代の初めとして今日のことをお祈りをする。これから先のことは神のみぞ知る。 くらはしの山のかひより春がすみ 年をつみてやたちわたるらむ *倉橋山の山間から出てくる春霞が年を重ねるほど立ち渡るのだろう。 わが宿の梅が枝に鳴く鶯は 風のたよりに香をや尋めこし *わが家の梅の枝にとまって鳴く鶯は、風に乗った香りでここまでやって来たのか。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%9C%9D%E5%BF%A0 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/asatada.html

藤原伊尹の歌~アルケーを知りたい(1017)

イメージ
▼ 藤原伊尹 は百人一首45番歌「 あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな 」の作者。 ▼伊尹の作品「 かなしきもあはれもたぐひ多かるを 人にふるさぬ言の葉もがな 」から 伊尹が 言葉や表現を探していた様子が伝わって来て良い。 ▼ 藤原伊尹 / 謙徳公 ふじわら の これただ  924延長2年 - 972天禄3年12月9日 48歳  平安時代中期の公卿・歌人。 藤原師輔 の長男。書家・ 藤原行成 は孫。 942(18) 侍従。 951(27) 撰和歌所の別当。『後撰和歌集』の編纂を統括。 955(31) 蔵人頭。960(36) 参議。967(43) 権大納言。 970(46) 右大臣。摂政。 ▼藤原伊尹の和歌と*勝手に解釈 題しらず かなしきもあはれもたぐひ多かるを 人にふるさぬ言の葉もがな *「なかしき」とか「あはれ」を使った作品の例は多い。どこかに使い古されていない言葉はないものか。 別れては昨日今日こそへだてつれ 千世しも経たる心ちのみする *お別れして数日しか経っていないのに、千年も経った気持ちです。 物いひ侍りける女の、後につれなく侍りて、さらに逢はず侍りければ あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな *素晴らしい貴女様に思ってもらえないと、この身の置き所がない気分です。 中納言敦忠まかりかくれてのち、比叡の西、坂本に侍りける山里に、人々まかりて花見侍りけるに いにしへは散るをや人の惜しみけむ 花こそ今は昔恋ふらし *昔は花が散るのを人が惜しんでいた。今は花のほうが昔の人を恋しく思うのかも知れない。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BC%8A%E5%B0%B9 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/koremasa.html

曽祢 好忠の歌~アルケーを知りたい(1016)

イメージ
▼ 曽祢好忠 は百人一首46番歌「 由良のとをわたる舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋の道かな 」の作者。 ▼歌詠みの練習法となる百首歌や1年360首の始祖。たくさん数を作るのは効果的な上達法だ。 ▼ 曽祢 好忠  そね の よしただ / 曾丹 そたん 930年 - 1000長保2年 70歳。  平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。 960(30) 家集「曾丹集」で「百首歌」を創始。  この方法は後に作歌の練習や社寺への奉納に使われた。  1年を360首で歌う「毎月集」を作る。   源順 ・ 大中臣能宣 ・ 源重之 らと交流。 ▼曽祢好忠の和歌と*勝手に解釈 何もせで若きたのみにへしほどに 身はいたづらに老いにけらしも *何もせず若さだけで時を経てきたら、体は空しく老いてしまった。 浅みどり野べの霞にうづもれて あるかなきかの身をいかにせむ *野原の霞に包まれて、このあるかなきかのような自分をどうしようか。 歳暮の心をよめる 魂まつる年のをはりになりにけり 今日にやまたもあはむとすらむ *霊を祭る年の終わりになった。今日も先祖の霊たちと会うのかしら。 うづみ火の下に憂き身となげきつつ はかなく消えむことをしぞ思ふ *埋もれた熾火のようなわが身だと嘆きつつ、はかなく消えるのだろうと思う。 みやま木を朝な夕なにこりつめて さむさをこふる小野の炭焼 *山の木を朝な夕なに切り蓄えて、寒さが来るのを待ち焦がれる小野の炭焼き。 岩間には氷のくさびうちてけり 玉ゐし水もいまはもりこず *岩の間に氷の楔を打ち込んでいるのだろう。玉のような水が今は漏れて来ない。 外山なる柴のたち枝に吹く風の 音聞く折ぞ冬はものうき *山の木の枝を吹き抜ける風の音が聞こえると冬は物憂いなあ。 鳴けや鳴け蓬(よもぎ)が杣(そま)のきりぎりす 過ぎゆく秋はげにぞ悲しき *茂った蓬の下で鳴いているキリギリスよ、大いに鳴け。過ぎていく秋はホントに悲しいからな。 人は来ず風に木の葉は散り果てて 夜な夜な虫は声弱るなり *人は訪ねて来ないし木の葉は散り果て、夜な夜な虫の鳴き声も弱っている。 由良のとをわたる舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋の道かな *由良の渡りの船頭が梶を失ったように、どこに行くか分からない恋であることよ。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 https://ja.wikipedia.org/wiki

恵慶法師の歌~アルケーを知りたい(1015)

イメージ
▼ 恵慶法師 は百人一首47番歌「 八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋はきにけり 」の作者。 ▼恵慶の歌には 静けさと人なつかしさがある。内省的であり人とのつながりがある。そしてほんのりとした温かさが感じられる。 ▼ 恵慶法師  えぎょう ? - ?  平安時代中期の日本の僧、歌人。中古三十六歌仙の一人。  播磨国分寺で講師。 平兼盛 ・ 清原元輔 ・ 源重之 ・ 大中臣能宣 ・紀時文などの公家歌人と交流。 962(?) 歌合で活動。 986(?) 出家した 花山院 の熊野行幸に供奉。 ▼恵慶法師の和歌と*勝手に解釈  正月二日、近江へまかるに、逢坂こえ侍るに鶯のなくを聞き侍りて ふるさとへゆく人あらば言伝む 今日うぐひすの初音聞きつと *故郷に行く人がいたら伝えよう。こちらでは、鶯が鳴くのを今日初めて聞きました、と。 山寺に人々のぼりて桜の散るをみて 桜ちる春の山べは憂かりけり 世をのがれにと来しかひもなく *桜が散る春の山に来て憂いを感じた。せっかく俗世を逃れようと思って来たのにその甲斐もない。 河原院にて、荒れたる宿に秋来たるといふ心を人々よみ侍りけるに 八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋はきにけり *八重むぐらが繁る荒れた家は見るからに寂しい。人の姿がないところに秋が訪れている。 河原院にてよみ侍りける すだきけむ昔の人もなき宿に ただ影するは秋の夜の月 *今は集う人たちもない家に、秋の世の月が影を落としている。 月の入るをみて 月の入る山のあなたの里人と 今宵ばかりは身をやなさまし *月が沈んでいる遥かかなたの山に住んでいる人と、今夜ばかりは交代したい気がするよ。 月をみてよめる 天の原空さへさえやわたるらむ 氷と見ゆる冬の夜の月 *広い大空が冴えわっている、氷に見える冬の夜の月が氷のように見える。 つごもりの夜、年のゆきかふ心、人々よむに ふる雪にかすみあひてやいたるらむ 年ゆきちがふ夜はの大空 *降る雪で霞んだまま新しい年になるのだろうか。ゆく年くる年が交差する夜の大空である。 貫之が集を借りて(紀時文に)返すとてよみ侍りける 一巻に千々の金をこめたれば 人こそなけれ声はのこれり *貫之の本一巻に収録してある歌は千金に値します。作者はいなくても作品は伝わっています。  ↓ 時文の返歌: いにしへのちぢのこがねは限りあるを あ