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大伴家持の万葉集462-464番歌~アルケーを知りたい(1207)

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▼今回から大伴家持の歌を見て行く。初回は家持が妻を亡くし悲しむ歌。464番のなでしこの花を見て妻を偲ぶ歌が沁みる。  十一年己卯の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾を悲傷しびて作る歌一首 今よりは秋風寒く吹きなむを いかにひとり長き夜を寝む  万462 *今からは寒い秋風が吹くだろうが、どうやってひとりで長い夜を過ごせば良いのか。  弟大伴宿禰書持、即ち和ふる歌一首 長き夜をひとりや寝むと君が言へば 過ぎにし人の思ほゆらくに  万463 *そんなふうに兄さんが言うと、私も故人を思い出して寂しくなります。  また、家持、砌 (みぎり) の上の瞿麦 (なでしこ) の花を見て作る歌一首 秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし やどのなでしこ咲きにけるかも  万464 *秋が来たらこれを見て私を思い出してくださいと妻が庭に植えたなでしこ。その花がもう咲いたなあ。 【似顔絵サロン】大伴家持(718-785)の同時代人。同じ年生まれの コンスタンティノス5世  Kōnstantinos V 718 - 775 東ローマ帝国イサウリア王朝の第2代皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=174 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yakamot2.html

山部赤人の万葉集1431、1471、3915番歌~アルケーを知りたい(1206)

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▼今回は、赤人のウグイスと藤の歌。ところで昨日、多摩川の水の匂いをかぎに行った。水辺近くに立つとほんのりと。雨の後の草の匂いのほうが強かった。赤人の歌は今日でおしまい。明日からは大伴家持の歌。  山部宿禰赤人が歌一首 百済野の萩の古枝に春待つと 居りしうぐひす鳴きにけむかも  万1431 *百済野の萩の古枝にとまって春を待っていたウグイスは、そろそろ鳴き始めているでしょうか。  山部宿禰赤人が歌一首 恋しけば形見にせむと我がやどに 植ゑし藤波今咲きにけり  万1471 *恋しい時の形見にしようと思って私の家に植えた藤がいま、咲いています。  山部宿禰赤人、春鶯を詠む歌一首 あしひきの山谷越えて野づかさに 今は鳴くらむうぐひすの声  万3915  右は、年月と所処と、いまだ詳審らかにすること得ず。 ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。 *山と谷を越えた小高い場所で、今、うぐいすが鳴いているのでしょう。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 ホノリウス  Honorius 384 - 423 西ローマ帝国テオドシウス王朝の皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』 『新版 万葉集四』 角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集1424-1427番歌~アルケーを知りたい(1205)

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▼赤人は、野外に出てスミレ摘みする精神的・時間的なゆとりがあったのだ。自分にはそんな心の余裕がないと反省。多摩川に水の匂ひを嗅ぎにいくか。  山部宿禰赤人が歌四首 春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ 野をなつかしみ一夜寝にける  万1424 *春の野のスミレを摘もうとやってきた私です。草原の美しさに浸りたくて一夜を過ごしました。 あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらば いたく恋ひめやも  万1425 *山桜花が何日も咲き続けるとしたら、これほど心惹かれるでしょうか。 我が背子に見せむと思ひし梅の花 それとも見えず雪の降れれば  万1426 *私の夫に見せたいと思っていた梅の花、雪が降り積もってどれが花か分かりません。 明日よりは春菜摘まむと標めし野に 昨日も今日も雪は降りつつ  万1427 *明日から春菜摘みに行こうと思って繩を張っていた草原に、昨日も今日も雪が降っています。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 謝 霊運  しゃ れいうん 385 - 433 詩人・文学者。「山水詩」の祖。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集1005-1006番歌~アルケーを知りたい(1204)

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▼吉野を「山高み 川早み」「この山の この川の」といって讃える歌。赤人は、吉野に宮を造るのは山と川が素晴らしいからと説明する。  八年丙子の夏の六月に、吉野の離宮に幸す時院に、山部宿禰赤人、詔に応へて作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の  見したまふ 吉野の宮は  山高み  雲ぞたなびく  川早み  瀬の音ぞ清き  神さびて 見れば貴く  よろしなへ 見ればさやけし  この山の  尽きばのみこそ  この川の  絶えばのみこそ ももしきの 大宮ところ やむ時もあらめ 万1005  反歌一首 神代より吉野の宮にあり通ひ 高知らせるは山川をよみ  万1006 *神代の時代から吉野の宮に通い続け、宮殿を御つくりになるのは、山と川が素晴らしいからです。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 アッティラ  Attila 406 - 453 フン族とその諸侯の王。ロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げた大王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集1001番歌~アルケーを知りたい(1203)

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▼今回は聖武天皇が難波宮に行幸したときに同行したメンバーが詠んだ歌6 首のうち4首をピックアップした 。1001番が赤人の作品。ますらをたちは狩りに行き、娘子たちは赤袴で浜を歩く。  春の三月に、難波の宮に幸す時の歌六首 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて 漕ぐ舟泊り知らずも  万998  右の一首は船王(ふなのおほきみ)が作。 *眉のような雲の間に 阿波の山が見えています。山を 目指して漕ぎ進む舟はどこに停泊するのでしょう。 子らしあらばふたり聞かむを沖つ洲に 鳴くなる鶴の暁の声  万1000  右の一首は守部王が作。 *妻がいれば二人して聞けたものを。沖の洲で明け方に鳴く鶴の声を。 ますらをは御狩に立たし娘子らは 赤裳裾引く清き浜びを  万1001  右の一首は、山部宿禰赤人が作。 *男たちは狩りに出かけています、娘さんたちは赤い裾を翻しながら清らかな浜辺を歩いています。 馬の歩み抑へ留めよ住吉の 岸の埴生ににほひて行かむ  万1002  右の一首は安倍朝臣豊継が作。 *馬の歩みを緩めて止まりましょう。そして住吉の岸の粘土質の土、埴生の香りを楽しみましょう。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 太武帝  たいぶてい 408 - 452 北朝北魏の第3代皇帝。道教を保護、仏教を弾圧。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集938-941番歌~アルケーを知りたい(1202)

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▼今回の歌は、明石~加古川あたり、昔は 印南野 (いなみの) と言っていた場所に聖武天皇が行幸したとき、赤人が土地を讃えて歌った作品。漁師のマグロ漁や焼き塩製造で活気に満ちた様子が伝わってくる。 ▼「浦が良いからなるほどこれだけ釣りをするのだ、浜が良いからなるほどこれだけ塩を焼くのだ」だから「天皇はいつもお通いになってご覧になるのだ」とまとめている。  山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の  神ながら 高知らせる  印南野の 邑美の原の  荒袴の 藤井の浦に  鮪釣ると 海人舟騒ぎ  塩焼くと 人ぞさはにある  浦をよみ うべも釣りはす  浜をよみ うべも塩焼く   あり通ひ 見さくもしるし  清き白浜  万938  反歌三首 沖つ波辺波静けみ漁りすと 藤江の浦に舟ぞ騒ける  万939 *沖合の波が静かになると、さあ漁だ、ということで藤江の浦には舟がたくさん押し寄せています。 印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の 日長くしあれば家し偲はゆ  万940 *印南野で野宿する夜。一日が長いので暖かい家が恋しくなります。 明石潟潮干の道を明日よりは 下笑ましけむ家近づけば  万941 *明日からは、明石潟の潮干の道を通って家に戻るのかと思うと自然に頬が緩みます。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 鮑 照  ほう しょう 414 - 466 詩人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集933-934番歌~アルケーを知りたい(1201)

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▼今回、赤人は、天地の悠久を「遠きがごとく」、日月の無限を「長きがごとく」と表す。 漢字本文は「天地之遠我如日月之長我如」と書く。 言っていることは同じでも、例えば「天地悠久、日月無限」と表すのと印象が違う。和語の表現はしっくり来る。漢字で書いてあっても大和言葉の響きが伝わる。でも漢語表現だと畏まった印象。借りて来た感さえする。(ところが漢詩を中国語で読むのを聞くと柔らかくて音楽のよう。)  ▼この歌のキーワードに「 鰒 玉(珠 )」がある。漢字二文字なんだけど、しっくり来る。何が違うのか分からんけど、鰒を食べたくなる、そして 和語をもっとうまく使えるようになりたくなる。  山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 天地の 遠きがごとく  日月の 長きがごとく  おしてる 難波の宮に  我ご大君 国知らすらし  御食つ国 日の御調と 淡路の 野島の海人の  海の底 沖つ海石に  鰒 玉 さはに潜き出  舟並めて 仕へ奉るし  貴し見れば  万933  反歌一首 朝なぎに楫の音聞こゆ御食つ国 野島の海人の舟にしある  万934 *朝なぎの海に漕ぎ出す舟の楫の音が聞こえます。淡路は野島で天皇の御食料の鮑を採る海人の舟でしょう。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 オドアケル  Odoacer 433 - 493 ローマ帝国の軍人。ローマ帝国のイタリア領主。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集926-927番歌~アルケーを知りたい(1200)

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▼「 赤人が作る歌二首」という題のついた歌の二首目の作品。吉野での狩り を詠っている。鹿猪鳥などの獲物を追跡する 跡見 (とみ) 、矢を射かける 射目 (いめ) 、獲物を追い立てる 踏み起しや 踏み立てなどシステマティックになっているのが分かる。その周到な準備のもとで大君が馬を並べて狩りをする。 やすみしし 我が大君は  み吉野の 秋津の小野の  野の上には  跡見 据ゑ置きて  み山には  射目 立て渡し  朝狩に 鹿猪 踏み起し   夕狩に 鳥 踏み立て   馬並めて 御狩ぞ立たす   春の茂野に 万926  反歌一首 あしひきの山にも野にも御狩人 さつ矢手挟み騒ぎてあり見ゆ  万957 *山にも野にも狩人が狩猟用の矢を持って動き回っているのが見えます。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 継体天皇  けいたいてんのう 450年允恭天皇39年 - 531継体天皇25年3月10日 第26代天皇。推古天皇の祖父。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集923-925番歌~アルケーを知りたい(1199)

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▼ 赤人が作る歌二首の最初の一首。長歌と短歌2つで構成。 春、秋、山、川を詠みこんだ長歌。もう一首は次回。  山部宿禰赤人が作る歌二首  幷せて短歌 やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ 春へは  花咲ををり 秋されば  霧立ちわたる その山の  いやしくしくに この川の  絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ 万923 *吉野の宮は山の緑美しく、川は清く、春は花、秋は霧が見事です。宮仕えの人は吉野の宮に常に通うことでしょう。  反歌二首 み吉野の象山の際の木末には ここだも騒ぐ鳥の声かも  万924 *吉野の象山の木立ではこんなにもたくさんの鳥が鳴き騒いでいます。 ぬばたまの夜の更けゆけば 久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く  万925 *夜が更けると木が生えている清らかな川原で千鳥が鳴いています。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 大伴 室屋  おおとも の むろや ? - ? 古代日本の豪族。允恭天皇から顕宗天皇まで5代の天皇に大連として仕えた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集917-919番歌~アルケーを知りたい(1198)

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▼今回の歌は724年に聖武天皇が和歌の浦に行幸したときの歌。長歌を見ると対比のフレーズを探したくなる。今回は「 風吹けば白波騒き  潮干 (ふ) れば玉藻刈りつつ 」を発見。風景に動画的な動きが出てくる。  神亀元年甲子の冬の十月五日に、紀伊の国に幸す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山 万917 *雑賀野の向こうに見える沖の島の渚が見事です。神代から貴い玉津島山です。  反歌二首 沖つ島荒磯の玉藻潮干満ち い隠りゆかば思ほえむかも  万918 *沖にある島の荒磯の玉藻が満潮で見えなくなったら、どうしようと思うことでしょう。 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る  万919  右は、年月を記さず。ただし、「玉津島に従駕す」といふ。 よりて今、行幸の年月を検し注して載す。 *和歌の浦が満潮になったら、干潟がなくなるので、葦辺に向かって鶴が鳴きながら渡って行きます。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 大伴 金村  おおとも の かなむら ? - ? 豪族。外交政策の失敗で失脚。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集378・384番歌~アルケーを知りたい(1197)

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▼378番の故太政大臣とは、藤原不比等 ( 659 - 720 ) のこと。時を経て庭の山池 (しま) にさびが出て良い感じになっている様子を描いた鎮魂歌。384番の韓藍 (からあゐ) はけいとうの花。  山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠む歌一首 いにしへの古き堤は年深み 池の渚に水草生ひにけり  万378 *昔からある古い堤は年を経るに従って深みを増しています。水際には水草が生えています。  山部宿禰赤人が歌一首 我が宿に韓藍蒔き生ほし枯れぬれど 懲りずまたも蒔かむとぞ思ふ  万384 *私の家で韓藍の種を蒔いて育てていたのに枯れてしまいました。これに懲りずまた蒔こうと思います。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 物部 麁鹿火  もののべ の あらかい ? - 536 古墳時代の豪族。528年、磐井の乱を平定。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集357-361番歌~アルケーを知りたい(1196)

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▼赤人が瀬戸内を旅したときの歌六首のうちの五首。舟で移動しているので、舟、島、磯、藻など海に関係するワードが出てくる。5つめの歌だけが陸の話。  山部宿禰赤人が歌六首 繩の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島 漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも  万357 *繩の浦の後ろに見える沖の島あたりで漕ぎ廻っている舟は釣りでもしておるのかな。 武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島を そがひに見つつ羨しき小舟  万358 *武庫の浦を漕ぎ回っている小舟よ。粟島を後ろに見ながらな漕いでいるのが羨ましいぞ、小舟よ。 阿倍の島鵜の棲む磯に寄する波 間なくこのころ大和し思ほゆ  万359 *阿倍の島の鵜が棲む磯に寄せる波のように絶えず大和のことを思っています。 潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が 浜づと乞はば何を示さむ  万360 *潮が引いたら玉藻を刈り集めておこう。家の妻が土産が欲しいと言ったら他に何もないので。 秋風の寒き朝明を佐農の岡 越ゆらむ君に衣貸さましを  万361 *秋風が寒い朝、佐農の岡を越えるあなた様に、防風着をお貸しすれば良かった。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 蕭 衍  しょう えん 464 - 549 南朝梁の初代皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集324-325番歌~アルケーを知りたい(1195)

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▼対比したフレーズが素晴らしい歌。「 春の日は 」と「 秋の夜は 」、「 朝雲に 」と「 夕霧に 」。そして締めに「 見るごとに音のみし泣かゆ  いにしへ思へば 」でまとめる。憎いね!  神岳に登りて、山部宿禰赤人が作る歌一首  幷せて短歌 みもろの 神なび山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉蔓 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒ぐ 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば 万324  反歌 明日香川川淀さらず立つ霧の 思ひ過ぐべき恋にあらなくに  万325 *明日香川の川淀に立つ霧が消えないように、私たちの明日香への思いは消えるものではありません。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 安閑天皇  あんかんてんのう 466 - 536 第27代天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集322-323番歌~アルケーを知りたい(1194)

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▼今回は、赤人が松山の道後温泉で作った歌。かつて天皇が訪れた地の風景を詠んだ。 道後温泉は、 歴史と赤人の歌を持つ地であることがわかる。千年後には俳句の地になる。たしかに「 遠き代に神さびゆかむ  幸しところ 」だ。  山部宿禰赤人、 伊予の温泉 に至りて作る歌一首  幷せて短歌 すめろきの 神の命の 敷きいます 国のことごと 湯はしきも さにはあれども 島山の 宜しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭 (いざには) の 岡に立たして 歌思ひ 辞思ほしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 幸 (いでま) しところ  万322  反歌 ももしきの大宮人の熟田津に 船乗りしけむ年の知らなく  万323 *昔、熟田津で 大宮人が 船乗りしていた時代がいつだったのか、分からなくなりました。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 クローヴィス1世  Clovis I 466 - 511 メロヴィング朝フランク王国の初代国王。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

山部赤人の万葉集317-318番歌~アルケーを知りたい(1193)

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▼今回から山部赤人の歌を味わう。トップバッターは 超有名作品 「 田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ 」の歌。日本では子どもが中学か高校の教科書で出会い、以来、心の糧とぞなりける。長歌の「 語り継げ言い継ぎ行かむ  富士の高嶺は 」のフレーズが良き。  山部宿禰赤人、富士の山を望る歌一首  幷せて短歌 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継げ 言い継ぎ行かむ 富士の高嶺は  万317  反歌 田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける  万318 *田子の浦に出てみると、真っ白だ、富士の高嶺に雪が降って。 【似顔絵サロン】山部赤人(700-736)の先代人。 宣化天皇  せんかてんのう 467 - 539 第28代天皇。父は継体天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=695 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%83%A8%E8%B5%A4%E4%BA%BA https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html

柿本人麻呂の万葉集3602-3611番歌~アルケーを知りたい(1192)

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▼3602番は人麻呂が奈良の空雲を飽かず眺める 歌。 この歌を見ると、自分にはいくら見ても見飽きない風景があっただろうか、とか、風景を長い時間見るような余裕があっただろうか、とか思ふ。そして人麻呂の時間の流れ方をうらやましく思ふ。 人麻呂時間の歌。  所に当りて誦詠する古歌 あをによし奈良の都にたなびける 天の白雲見れど飽かぬかも  万3602  右の一首は雲を詠む。 *奈良の都にたなびく空の白雲はいくら見ても飽きない。 妹が袖別れて久になりぬれど 一日も妹を忘れて思へや  万3604 *妻が袖を振って分かれてからだいぶ日が経ちましたけど、一日たりとも忘れたことはありません。 わたつみの海に出でたる飾麿川 絶えむ日にこそ我が恋やまめ  万3605  右の三首(ここでは一つ略したので二首)は恋の歌。 *海に流れ込む飾麿川 (しかまがわ) が干上がる日があるとしたら、その日こそ私の思いが途切れる時です(そんな日はないので、思いが途切れることはありません)。 玉藻刈る処女を過ぎて夏草の 野島が先に廬りす我れは  万3606  柿本朝臣人麻呂が歌には「駿馬 (みぬめ) を過ぎて」といふ。また「船近づきぬ」といふ。 *処女 (をとめ) を通り過ぎ、夏草が生える野島の少し先で我われは野宿します。 白栲の藤江の浦に漁りする 海人とや見らむ旅行く我れを  万3607  柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲の」といふ。また「鱸釣る海人とか見らむ」おいふ。 *知らない人が見ると、旅行中の我われは藤江の浦で魚を獲っている漁師に見えるかも、ですね。 天離る鄙の道を恋ひ来れば 明石の門より家のあたり見ゆ  万3608  柿本朝臣人麻呂が歌には「大和島見ゆ」といふ。 *田舎の道を都を思いながら旅するうちに、明石の門から我が家のあたりが見えてきます。 武庫の海の庭よくあらし漁りする 海人の釣舟波の上ゆ見ゆ  万3609  柿本朝臣人麻呂が歌には「笥飯の海の」といふ。また「刈り薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣舟」といふ。 *武庫の海は 良い 漁場らしい。漁師たちの釣り舟が波の上に見えます。 安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが 赤裳の裾に潮満つらむか  万3610  柿本朝臣人麻呂が歌には「嗚呼見の浦」といふ。また「玉裳の裾に」といふ。 *安胡の浦で舟に乗っている娘子たち。赤い裾まで潮が満ちていることでしょう。  七

柿本人麻呂の万葉集1812-1818番歌~アルケーを知りたい(1191)

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▼人麻呂の「霞たなびく」シリーズ。歌の中に「霞たなびく」が詠みこまれている。こういう趣向は面白いので何かで真似したくなる。  春雑歌 ひさかたの天の香具山この夕 霞たなびく春立つらしも  万1812 *天の香具山の夕方、霞がたなびいている。春が来たようだ。 巻向の檜原に立てる春霞 おほにし思はばなづみ来めやも  万1813 *檜原の春霞のようにぼんやりした思いでは苦労してここまで来たりはしない。 いにしへの人が植ゑけむ杉が枝に 霞たなびく春は来ぬらし  万1814 *昔の人が植えた杉の枝に霞がかかっている。春が来た印だ。 子らが手を巻向山に春されば 木の葉しのぎて霞たなびく  万1815 *巻向山に春が来ると、木の葉を霞が覆ってたなびく。 玉かぎる夕さり来ればさつ人の 弓月が岳に霞たなびく  万1816 *夕刻が近づくと弓月が岳に霞がたなびく。 今朝行きて明日には来ねと言ひし子か 朝妻山に霞たなびく  万1817 *今朝はお出かけになっても明日はまた戻って来てくださいと言った子のように、朝妻山に霞がたなびく。 子らが名に懸けのよろしき朝妻の 片山崖に霞たなびく  万1818  右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 *その子の名に懸けるのにふさわしい朝妻の片山崖に霞がたなびく。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ヌルシアのベネディクトゥス  Benedictus de Nursia 480 - 547 中世のキリスト教の修道院長。西欧修道士の父。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集1761-1762番歌~アルケーを知りたい(1190)

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▼今回の 1761番は鹿が鳴く歌。これは、 1664番の鹿が鳴かない歌に応えて人麻呂が作った。  泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす大泊瀬稚武天皇の御製一首 夕されば小倉の山に伏す鹿は 今夜は鳴かず寝にけらしも  万1664  右は、或る本には「岡本天皇の御製」といふ。  正指を審らかにせず、よりて累ね載す。 *夕方になったので小倉山で鹿が伏せている。今夜は鳴かずに寝るのだろう。  鳴く鹿を詠む一首  幷せて短歌 みもろの 神なび山に  たち向ふ 御垣の山に  秋萩の 妻をまかむと  朝月夜 明けまく惜しみ  あしひきの   山彦響め  呼び立て鳴くも  万1761 *山で鳴く鹿を詠む歌。  反歌 明日の宵逢はずあらめやもあしひきの 山彦響め呼び立て鳴くも  万1762  右の件の歌は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。 *宵には逢えると思ってか、鹿が鳴いて 山彦を響かせている 。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 ユスティニアヌス1世  Justinianus I 482 - 565 東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集1710-1711番歌~アルケーを知りたい(1189)

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▼今回の二つの和歌は、人麻呂が遊んで作ったみたい。最初の作品は「倉無の浜」をネタにして、二番目の作品は「粟の小島」をネタにして。ダジャレかな(笑)。実際の風景は 分からないけど実は倉が並んでいる倉無の浜だったり、でかい粟の小島だったりして。 我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を 刈りて収めむ倉無の浜  万1710 *わが妻が赤い裳を泥にまみれて植えた田んぼ。収穫した後、貯蔵する倉がない、というアホな名前の倉無の浜。 百伝ふ八十の島みを漕ぎ来れど 粟の小島は見れど飽かぬかも  万1711  右の二首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ *たくさんの島を眺めながら漕ぎ進んできたけど、粟の小島は見ても見ても飽きることがないねえ。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 物部 尾輿  もののべ の おこし ? -? 古墳時代の豪族。安閑・欽明両天皇の大連。廃仏を主張、崇仏派の蘇我稲目と対立。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集501-504番歌~アルケーを知りたい(1188)

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▼501、502番は今の時代、ペテン師が使いそうなセリフ。自分がひねくれているせいか、これだけ見ると、その言葉、果たして信用できるかどうか分からない、と疑ってしまう(笑)。でも、503番などは、分かる分かる、そんなことあるよなーという感じ。  柿本朝臣人麻呂が歌三首 未通女らが袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ思ひき我は  万501 *乙女らが別れの時に袖を振ったという袖布留山の垣根が昔からあるように、私はお前さんをずっと思って来たんだよ。 夏野行く小鹿の角の束の間も 妹が心を忘れて思へや  万502 *夏の野原を歩く小鹿の角、それくらい短い間だって私はお前さんを忘れないのさ。 玉衣のさゐさゐしずみ家の妹に 物言はず来にて思ひかねつも  万503 *出かけるときの騒々しさが静まると、ふと家に残した妻に言い忘れたことがなかったか、気になってしまう。  柿本朝臣人麻呂が妻の歌一首 君が家に我が住坂の家道をも 我れは忘れじ命死なずは  万504 *あなた様の家に続く住坂の道を私は死んでも忘れませんよ。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 蕭 統  しょう とう 501 - 531 南朝梁の皇族。『文選』を編纂。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集496-500番歌~アルケーを知りたい(1187)

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▼出張先の人麻呂が自宅の妻とやりとりした格好の歌。大正・昭和時代だったら葉書に相当するのか、と思わせる。特に499番は郵便配達人と重なる。  柿本朝臣人麻呂が歌四首 み熊野の浦の浜木綿百重なす 心は思へど直に逢はぬかも  万496 *熊野浦の浜の木綿のように何度も繰り返しお前さんのことを思うけれど、直には逢えないのだな。 いにしへにありけむ人も我がごとか 妹に恋ひつつ寐寝かてずけむ  万497 *昔の人も私のように妻を恋しがりながら寝ていたのだろうね。 今のみのわざにはあらずいにしへの 人ぞまさりて音にさへ泣きし  万498 *(妻)それは今に限ったことではありませんよ。しかも昔の人は声をあげて泣いていたそうです。 百重にも来及かぬかもと思へかも 君が使の見れど飽かずあらむ  万499 *(妻)いつも、今こそあなた様がいっしゃるんじゃないか、と思っているので、あなた様からの使いは見飽きることがありません。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 穴穂部皇子  あなほべのみこ ? - 587 飛鳥時代の皇族。欽明天皇の皇子。聖徳太子の叔父。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集429-430番歌~アルケーを知りたい(1186)

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▼ 溺れ死にした出雲の娘の歌。火葬の煙を吉野山の霧に例えている。  溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首 山の際ゆ出雲の子らは霧なれや 吉野の山の嶺にたなびく  万429 *山の際から湧き出る雲のように生き生きとしていた娘子が今は霧になって吉野の山の嶺でたなびいている。 八雲さす出雲の子らが黒髪は 吉野の川の沖になづさふ  万430 *雲が群がる出雲の娘子の黒髪が吉野川の波の間で漂っている。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 蘇我 稲目  そが の いなめ 506 - 570 古墳時代の豪族。欽明天皇の血縁。物部氏と仏教受容問題で争った。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集426、428番歌~アルケーを知りたい(1185)

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▼人麻呂の時代は、行き倒れの人の遺体が目に入ることがあったようだ。火葬の煙も見えた。目にするたびに生き死にを意識したに違いない。  柿本朝臣人麻呂、香具山の屍を見て、悲慟しびて作る歌一首 草枕旅の宿りに誰が夫か 国忘れたる家待たまくに  万426 *旅の途中で誰の夫か分からないが、国を忘れたように臥せる人がいる。国では家人が待っているであろうに。  土形娘子を泊瀬の山に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 こもりくの泊瀬の山の山の際に いさよふ雲は妹にかもあらむ  万428 *ひっそりとした泊瀬の山。その山の際でただよっている雲はあの娘子なのだろうか。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 欽明天皇  きんめいてんのう 509 - 571 第29代天皇。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html

柿本人麻呂の万葉集303-304番歌~アルケーを知りたい(1184)

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▼今回は人麻呂が筑紫に出張するときに明石あたりで作った歌。飛鳥時代から奈良~大宰府の人の往来は活発だったようだ。朝廷が奈良県明日香村、遠の朝廷が大宰府、その間の明石海峡あたりを朝廷の門、としている。スケールが大きい。  柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下る時に、海道にして作る歌二首 名ぐはしき印南の海の沖つ波 千重に隠りぬ大和島根は  万303 *播磨灘の沖の波が幾重にも重なって、大和の山なみが見えなくなりました。 大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門を見れば神代し思ほゆ  万304 *大君のいらっしゃる場所から離れたところにある遠の朝廷(大宰府)へに続く島門を見ると、神代が偲ばれる。 【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の先代人。 敏達天皇  びだつてんのう 538 - 585 第30代天皇。欽明天皇の第二皇子。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html