アルケーを知りたい(131) 原子モデル atomic model #2

▼原子モデルの歩みの続き。原子ってこんな形じゃないか?という提案が出ては、説明できない点が浮上しては次の新しいモデルが登場する、という繰り返しが続く。

▲1913年のボーアさんの原子モデルで決着がつけば世界は分かりやすかったのに・・・。古典力学で説明がつかず量子力学が出てくる。フロンティアが開拓されたのは良いんだけど、分かりにくい世界が始まる。


▲Jean Perrinさん。 1870年、フランスのノール県リール生まれ。パリの高等師範学校で学んだ後、パリ大学で講師(物理学)。1890年(20才) 陰極線の研究。1901年(31才) 核-惑星モデルをソルボンヌ大学の講義で発表。1908年(38才) ブラウン運動の精密な実験で分子理論を実証。1910年(40才) 高等師範学校で教授(1940年まで)。1913年(43才) 著書『原子』を出版。1926年(56才) ノーベル物理学賞受賞(物質の不連続的構造に関する研究、特に沈殿平衡についての発見)。1936年(66才) 科学研究担当国務次官。1939年(69才) WWII。アメリカに逃れる。1942年(72才) ニューヨークで死去。


▲長岡 半太郎さん。1865年、長崎県大村市生まれ。父は大村藩藩士長岡治三郎。大村藩藩校五教館(長崎県立大村高等学校の前身)で学ぶ。1874年(9才) 本郷区湯島小学校入学。東京英語学校(東京大学予備門)進学。大阪英語学校(大阪専門学校)に転校、東京大学予備門に再入学。1882年(17才) 東京大学理学部に進学。1887年(22才) 東京大学大学院に進学。1890年(25才) 東京大学助教授。1893年(28才) ドイツ留学、ルートヴィッヒ・ボルツマン先生のもとで学ぶ(1896年まで)。1896年(31才) 東京大学教授。1904年(39才) 土星型の原子モデルを発表。1926年(61才) 東京大学を定年退職。1931年(66才) 初代大阪帝国大学総長(1934年まで)。1939年(74才) ノーベル委員会に湯川秀樹さんを推薦(1949年に受賞)。1950年(85才) 文京区西片町の自宅で死去。


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