アルケーを知りたい(153) 原子量 atomic weight

▼原子量。C12原子を基準にした相対的な質量。単位はない。


▲イェンス・ベルセリウス  Jöns Berzeliusさん。スウェーデンの化学者、医師。1779年、スウェーデンのリンシェーピング生まれ。1783年(4才) 父親が死去。1802年(23才) ウプサラ大学医学部で医学博士。1803年(24才) セリウムCeを発見。準惑星ケレスに因んで命名。1804年(25才) ストックホルムで開業。カロリンスカ医学外科学院で医学と薬学の無給助手。1807年(28才) カロリンスカ医学外科学院の教授。1813年(34才) 元素記号の表記法を提唱、すぐ普及定着。1817年(38才) セレンSeを発見。ギリシャ神話の月の女神セレネに因んで命名。1828年(49才) トリウムThを発見。北欧神話に出てくる雷神トールに因んで命名。1848年(69才) 死去。


▲スタニズラオ・カニッツァーロ Stanislao Cannizzaroさん。イタリアの化学者、政治家。1826年、シチリア島パレルモの名家に生まれる。ナポリ大学とピサ大学で学ぶ。1845年(19才) ピサ大学で助手(有機化学)。1847年(21才) シチリア島独立運動。弾圧されたためパリで研究、高級脂肪酸を発見。1851年(25才) ピエモンテのアレッサンドリア工科大学で教授。1853年(27才) カニッツァーロ反応を発見。1856年(30才) ジェノヴァ大学で化学主任教授。1858年(32才) 「ジェノバ大学における化学理論講義概要」を発表。アヴォガドロの再評価につながる。1860年(34才) カールスルーエ国際化学者会議で原子量、分子量の正確な計算方法を発表。水素の原子量を1とした。1861年(35才) パレルモ大学で教授。ローマの元老院議員として「統一」イタリア王国憲法制定に加わる。1871年(45才) ローマ大学で主任教授。1906年(80才) ローマ開催の国際応用化学者会議で名誉総裁。1910年(84才) 死去。


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