アルケーを知りたい(155) 中性子 neutron
▼中性子。陽子と共に原子核を構成する核子。
▲ジェームズ・チャドウィック James Chadwickさん。イギリスの物理学者。1891年、イングランド北部のチェシャー州生まれ。1908年(17才) マンチェスター・ビクトリア大学に入学。師匠はラザフォード先生。1912年(21才) マンチェスター・ビクトリア大学で修士(理学)。ラザフォード先生と共著で最初の論文を発表。1913年(22才) ベルリンに留学、ハンス・ガイガーさんのもとでベータ線の研究。1914年(23才) WWI。ドイツのルーレーベン収容所に抑留。実験室を作り研究を続行。1918年(27才) WWI終戦。釈放されマンチェスターに戻る。1919年(28才) ラザフォード先生がキャベンディッシュ研究所の所長に就任、スタッフとして加わる。1921年(30才) ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジで博士(指導教員はラザフォード先生)。1921年(30才) キャベンディッシュ研究所でラザフォード先生の助手。1928年(37才) ケンブリッジで開かれたベータ粒子とガンマ会議でガイガー先生と再会。ガイガーミュラーカウンターを見せてもらう。1932年(41才) 中性子を発見。ネイチャー誌で発表。1935年(44才) リヴァプール大学で教授(物理学)。サイクロトロン建造計画に着手。ノーベル物理学賞を受賞(中性子の発見による)。1939年(48才) WWII。リヴァプール大学でサイクロトロン完成。1941年(50才) マンハッタン計画にイギリスチームの長として参加。1944年(53才) ロスアラモスに転居、マンハッタン計画の実現に尽力。1945年(54才) トリニティ実験に出席。WWII終戦。ナイトになる。ワシントンDCに一家で転居。1946年(55才) イギリスに戻る。1974年(83才) 死去。
▲アーネスト・ラザフォード Ernest Rutherfordさん。イギリスの物理学者。1871年、ニュージーランド生まれ。1894年(23才) ニュージーランド大学カンタベリー校でBA。1895年(24才) 英国ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所で研究員。1897年(26才) ケンブリッジ大学で学士。1900年(29才) ニュージーランド大学でPh.D.(理学)。1898年(27才) カナダのマギル大学で教授(物理学)。1900年(29才) ソディさんとラドン、ラジウム、トリウム、アクチニウムの研究を始め、半減期の概念を創出。1907年(36才) マンチェスター大学で教授(物理学)。1908年(37才) ノーベル化学賞受賞(元素の崩壊と放射性物質の性質に関する研究)。1911年(40才) ラザフォードの原子模型を発表。1919年(48才) ケンブリッジ大学で実験物理学教授、キャヴェンディッシュ研究所長。1920年(49才) 中性子の存在を予言。1928年(57才) ガイガー=ミュラー計数管商品化。1937年(66才) 死去。
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