アルケーを知りたい(161) β崩壊 beta decay

▼ベータ崩壊。原子核が電子を放出する崩壊。このとき原子核の中性子が陽子に変わる。ニュートリノも出てくる。不思議きわまれり。


▲ヴォルフガング・パウリ  Wolfgang Pauliさん。ウィーン生まれの物理学者。1900年、ウィーン生まれ。父方がユダヤ系。1921年(20才) ミュンヘン大学で博士。1923年(23才) ハンブルク大学の講師(28年まで)。量子力学の理論を構築。1924年(24才) 同じ量子状態には2個以上の電子が存在できないとするパウリの排他原理を提案。1930年(30才) 放射性同位元素の原子核崩壊によって中性粒子が発生すると予言。1931年(31才) 精神に不調を来たしカール・ユング先生に診察してもらう。1934年(34才) パウリさんが提唱した中性粒子にフェルミさんがニュートリノ(59年に観測)と名付けて論文発表。1940年(40才) アメリカに移住。プリンストン大学の教授(理論物理学)。1945年(45才) WWII終戦。ノーベル物理学賞受賞(パウリの原理とも呼ばれる排他原理の発見)。1946年(46才) チューリッヒに戻る。1958年(58才) 死去。


▲ウェルナー・ハイゼンベルク  Werner Heisenbergさん。ドイツの物理学者。1901年、ドイツのバイエルン州生まれ。1923年(22才) ミュンヘン大学で博士。1926年(25才) コペンハーゲン大学でボーア先生の助手。1927年(26才) 不確定性原理に取り組む。W・パウリ先生に原理を述べた報告を書く。1932年(31才) ノーベル物理学賞受賞(量子力学の創始ならびにオルト、パラ水素の発見)。1933年(32才) ナチスや反ユダヤ主義の物理学者から「白いユダヤ人」と批判。1942年(41才) カイザー・ヴィルヘルム協会の研究所所長、教授になる。ドイツ軍備大臣に45年までに原子爆弾を製造するのは資金・人材不足の理由で困難とレポート。1946年(45才) マックス・プランク物理学研究所の所長(70年まで)。1953年(52才) 欧州原子核研究機構CERNの創設に貢献。1976年(75才) 死去。

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