アルケーを知りたい(165) 霧箱 cloud chamber

▼霧箱。目に見えない放射線を視覚的に捉える実験方法。


▲チャールズ・ウィルソン Charles Wilsonさん。スコットランドの物理学者。1869年、スコットランドのエディンバラ生まれ。1892年(23才) ケンブリッジ大学を卒業。1893年(24才) 気象学に興味を持ち雲の性質の研究を開始。山で観測する雲の状態を実験室で再現したいと考える。1894年(25才) スコットランド最高峰のベン・ネヴィスサンチュの天文台で数週間を過ごす。雲が日光に当たってできる美しい自然現象に心を打たれ、同じ自然現象を実験室で再現したいと思う。1895年(26才) キャベディッシュ研究所でJJトムソン先生の助手。人工的に雲を発生させる研究、霧箱の開発に着手。雲の発生原因について、当時「空中に浮遊する塵」説と「イオン」説が対立していた。1904年(35才) 空気中にイオンが発生する理由が不明のまま、霧箱実験を終了。1910年(41才) イオンを可視化する研究を開始。蒸気の凝縮で荷電粒子の飛跡を観察できる霧箱を使用して、X線の他にα線、β線、γ線の飛跡を発表。1911年(42才) 霧箱を用いて世界で初めてα粒子とβ粒子の飛跡の写真撮影に成功。1912年(43才) さらに改良した霧箱を作成して放射線の飛跡を撮影。1918年(49才) WWI終戦。ケンブリッジ大学で講師(気象電気学)。1927年(58才) ノーベル物理学賞受賞(霧箱の考案)。1936年(67才) カール・アンダーソンさんがノーベル物理学賞受賞(陽電子の発見)。霧箱で宇宙線の軌跡を観測中にポール・ディラックさんが予言していた陽電子を発見。1948年(79才) パトリック・ブラケットさんがノーベル物理学賞受賞(霧箱による原子核物理学および宇宙線の分野における発見)。1959年(90才) スコットランドのエディンバラで死去。


▲パトリック・ブラケット Patrick Blackettさん。イギリスの物理学者。1897年、ロンドンのケンジントン生まれ。1914年(17才) WWI。海軍に入りで軍艦乗務で参戦。1919年(22才) WWI終戦後、除隊しケンブリッジ大学で数学と物理を学ぶ。1921年(24才) キャヴェンディッシュ研究所でラザフォード先生の元で実験物理学の修業を開始。1922年(25才) 霧箱を改良(ピストンが自動的に上下して15秒に1枚の間隔で写真を撮影できる)。1925年(28才) 人工的な核変換実験を霧箱写真に収め発表。1948年(51才) ノーベル物理学賞(ウィルソンの霧箱による原子核物理学および宇宙線の分野における発見)。1974年(77才) ロンドンで死去。


▲ジュセッペ・オキャリーニ Giuseppe Occhialiniさん。イタリアの物理学者。1907年、イタリアのマルケ州生まれ。1929年(22才) フィレンツェ大学卒業。1932年(25才) キャヴェンディッシュ研究所でブラケットさんの下で霧箱を自動で膨張させる装置を開発。霧箱を用いて宇宙線からポジトロンを発見する研究に従事。1947年(40才) ブリストル大学でパウエルさんらと湯川さんが予言したπ中間子を発見。1950年(43才) ジェノヴァ大学。パウエルさんがノーベル物理学賞を受賞(写真による原子核崩壊過程の研究方法の開発および諸中間子の発見)。1993年(86才) パリで死去。

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