1826、アニリン~ウンフェルドルベン(独):アルケーを知りたい(619)

今回は化学。

アニリン aniline。ベンゼンの水素原子の一つがNH2で置換された芳香族化合物。無色透明、可燃性、毒性ありの液体。用途は化学製品や薬品を製造するさいの中間物質。

▼この人のここが面白い:ウンフェルドルベンは大学で化学を学び20才の若さでクリスタリン(後のアニリン)を発見する。そのまま化学の道を歩むかと思いきや、両親の商売を受け継ぐので、その発見はそのままになる。ウンフェルドルベンは商売上手だったようで、葉巻の輸入販売で成功する。一方、アニリンの運命はというと、何人かの化学者の発見によって違う名前を付けられるものの、最後はホフマン大先生によってアニリンで落ち着く。ドイツではアニリンの名前を社名に取り入れた化学会社BASFとなり大発展。イギリスでは目先の利く18才のバーキン君が自宅の実験室でアニリンをいじっているとき世界初の合成染料を作り出し、大成功する。アニリンをめぐる人々はみなハッピーなので、ヨシ。

▼経緯。
1826年、ドイツのウンフェルドルベンがインディゴから得た新しい有機化合物を「クリスタリン」と命名。
1834年、ドイツのルンゲがコールタールを蒸留した液体から新物質を取り出し「キアノール」と命名。
1841年、ドイツのフリッツェがインディゴを苛性カリで蒸留して新物質を得る。インディゴの原料となる植物のサンスクリット語名「アニル anil」から「アニリン」と命名。
その後、ドイツのホフマンが彼らの実験を追試し全てアニリンであることを証明。
1856年、イギリスのパーキンがアニリンを試しているとき紫色の染料を得た。これが合成染料の第1号。

ウンフェルドルベン Otto Paul Unverdorben 1806年10月13日 - 1873年11月28日 ドイツの化学者、実業家
【人物】父親は豊かな商人。
【教育】ハレ大学、ライプツィヒ大学、ベルリン大学で化学を学ぶ。
【職業】実業家。
【業績】1826(20) 染料のインディゴを熱分解して得た物質をクリスタリン Crystallin と命名。後のアニリン。
1829(23) 両親の事業を引継ぐ。葉巻輸入販売業を営む。化学研究から遠ざかる。
1833(27) 荘園のオーナーになる。

【ネットワーク】
ルンゲ Friedlieb Ferdinand Runge 1794年2月8日 - 1867年3月25日 ドイツの化学者 ▼1834(40)コールタールを蒸留した液体から新規物質を取り出し「キアノール」と命名=アニリン

フリッチェ Carl Julius Fritzsche 1808年10月17日 - 1871年6月8日 ドイツの化学者 ▼1841(33) インディゴを苛性カリで蒸留して得た物質にアニリンと命名。アニリンはサンスクリット語でインディゴ植物の意味。

ホフマン August Wilhelm von Hofmann 1818年4月8日 - 1892年5月5日 ドイツの化学者 ▼師匠リービッヒの元でコールタールを研究、ここから発展したアニリン関連の研究を生涯続けた。ウンフェルドルベンのクリスタリン、ルンゲのキアノール、フリッチェのアニリンが同一物質であると証明した。

パーキン William Henry Perkin 1838年3月12日 - 1907年7月14日 イギリスの化学者 ▼ホフマンの弟子。アニリン染料やモーブ染料の発明者。18才で特許を取得、合成染料ビジネスで商業的成功を収める

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〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Unverdorben

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