1913、シュタルク効果~シュタルク(独):アルケーを知りたい(733)
今回は物理学。
▼シュタルクのここに注目:33才のときはアインシュタイン(28)に原稿を依頼するほど高く評価していた。50才からヒトラーの支持者になり、反ユダヤ主義運動の実践者になってから変わる。アインシュタインらの物理学をユダヤ物理学と呼び、ナチス支持者の物理学をドイツ物理学と呼んで対立した。何があってここまで姿勢が変わったのだろう。
▼シュタルク Johannes Stark 1874年4月15日 - 1957年6月21日 ドイツの物理学者
【人物】父親は地主。
【教育】1897(23) ミュンヘン大学で博士。
1897-1900(23-26) ミュンヘン大学の物理学研究所で助手。
【活動/業績】1900(26) ゲッティンゲン大学で講師。
1906-09(32-35) ハノーバー大学で教授。
1907(33) アインシュタインに相対性原理に関する論文を依頼。
1909(35) アーヘン大学で教授。
1913(39) シュタルク効果を発見。
1914-18(40-44) WWI。
1919(45) ノーベル物理学賞受賞(運河光線のドップラー効果と電場のスペクトル線の分裂の発見)。1924-45(50-71) ヒトラーの支持者になる。アインシュタインとハイゼンベルクの物理学をユダヤ物理学と呼び、レーナルトと共にドイツ物理学運動を展開。ハイゼンベルク(ユダヤ人ではない)を「白いユダヤ人」と呼んだ。
1933-39(59-65) PTRでパッシェンの後任会長。
1934(60) ラウエにナチス党に従うよう圧力をかける。
1939-45(65-72) WWII。
1947(73) 非ナチ化裁判所で重大犯罪者として4年の懲役刑。
1957(83) ドイツのバイエルンで死去。
【ネットワーク】
レーナルト Philipp Eduard Anton von Lenard 1862年6月7日 - 1947年5月20日 ドイツの物理学者。1905(43) ノーベル物理学賞受賞(陰極線に関する研究)。▼シュタルクと共にドイツ物理学を掲げた。
パッシェン Louis Carl Heinrich Friedrich Paschen 1865年1月22日 - 1947年2月25日 ドイツの物理学者。1908(43) パッシェン系列を発見。▼1924-33(59-68) PTRで会長。後任がシュタルク。
アインシュタイン Albert Einstein 1879年3月14日 - 1955年4月18日 ドイツの理論物理学者。1921(42) ノーベル物理学賞受賞(光電効果の法則の発見等)。▼1932(53) ナチスが支配するドイツからアメリカに逃れた。
ラウエ Max Theodor Felix von Laue 1879年10月9日 - 1960年4月24日 ドイツの物理学者。1912(33) X線の回折現象を発見。1914(35) ノーベル物理学賞(受賞結晶によるX線回折現象の発見)。▼ナチス政権下のドイツに残ったドイツ人物理学者。
ヒトラー Adolf Hitler 1889年4月20日 - 1945年4月30日 ドイツの政治家。ナチス・ドイツの総統。1933-45(44-56) ドイツの独裁者。
ハイゼンベルク Werner Karl Heisenberg 1901年12月5日 - 1976年2月1日 ドイツの理論物理学者。1932(31) ノーベル物理受賞(量子力学の創始ならびにオルト、パラ水素の発見)。▼ドイツからも連合国側からも理解されにくかった物理学者。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Stark
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