1922、コンプトン効果~コンプトン(米):アルケーを知りたい(736)

今回は物理学。

コンプトン効果:Compton effect。X線を物体に照射したとき、散乱するX線の波長が入射するX線の波長より長くなる現象。コンプトン効果が生じる散乱をコンプトン散乱 Compton scattering という。
電磁波の粒子性を示す根拠。

▼コンプトンのここが面白い:物理学者としての能力と国家プロジェクトを成功まで導くマネジメント能力の両方に秀でる人物。前者の証はノーベル物理学賞、後者の証はマンハッタン計画。それにしてもマンハッタン計画は適材が適所にいる計画だった・・・。

アーサー・コンプトン Arthur Holly Compton 1892年9月10日 - 1962年3月15日
 アメリカの物理学者
【人物】父親は哲学教授。
【教育】1913(21) ウースター大学で理学士。
1914(22) プリンストン大学で修士。
1916(24) プリンストン大学で物理学博士。
【活動/業績】
1916-17(24-25) ミネソタ大学で物理学講師。
1917-18(25-26)  WWIの間、ウェスティングハウス・エレクトリック社でナトリウムランプを開発。航空計器を開発。
1919(27) ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所へ留学。ジョージ・パジェット・トムソンと共同でガンマ線の散乱と吸収を研究。
1920(28) セントルイス・ワシントン大学で物理学教授。
1922(30) コンプトン効果を発見
1923-45(31-53) シカゴ大学で物理学教授。
1926(34) 最初の著書『X線と電子』を出版。
1927(35) ノーベル物理学賞受賞(コンプトン効果の発見)
1935(43) サミュエル・K・アリソンの協力を得て前著『X線と電子』を改訂し『X線の理論と実験』を出版。標準的な参考書として出版後30年にわたり使用。
1939-45(47-53) WWII。
1941(49) アメリカ国防研究委員会 NDRC のブッシュの依頼でウラン計画特別委員会委員長。核兵器の開発の見通しを予測。オッペンハイマーを爆弾設計者にする。
1942(50) シカゴ大学で冶金研究所を設置、所長。マンハッタン計画の一部を担う。シカゴ大学にフェルミの監督のもとシカゴ・パイル1号を設置。
1943(51) マンハッタン計画の拡大のため所長をアリソンに任せる。
1945-54(53-62) WWII後、セントルイス・ワシントン大学で学長。

【ネットワーク】
ブッシュ  Vannevar Bush 1890年3月11日 - 1974年6月30日 アメリカの工学者・科学管理者。▼コンプトンにウラン計画を任せた国防研究委員会 NDRC の議長。

ジョージ・パジェット・トムソン George Paget Thomson 1892年5月3日 - 1975年9月10日 イギリスの物理学者。JJトムソンの息子。1937(45) ノーベル物理学賞受賞(結晶による電子線回折現象の発見) 。▼コンプトンがイギリス留学したときガンマ線を共同研究した。

アリソン Samuel K. Allison 1900年11月13日 - 1965年9月15日 アメリカの物理学者。▼コンプトンの『X線の理論と実験』の改訂に協力。1943-44(43-44) 冶金研究所でコンプトンの後任所長。1945(45) トリニティ核実験でカウントダウンを担当。

フェルミ Enrico Fermi 1901年9月29日 - 1954年11月28日 アメリカの物理学者。1938(37) ノーベル物理学賞(中性子衝撃による新放射性元素の発見と熱中性子による原子核反応の発見)。▼シカゴ・パイル1号を担当。核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功。

オッペンハイマー J. Robert Oppenheimer 1904年4月22日 - 1967年2月18日 アメリカの理論物理学者。▼ロスアラモス国立研究所の初代所長。

【似顔絵サロン】




































〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Compton

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