1923、ハフニウム~コスター(蘭)編:アルケーを知りたい(739)

今回は化学。

ハフニウム:hafnium 。原子番号 72。元素記号 Hf。灰色の金属。比重 13.31。用途は原子炉の制御棒の材料。鮮やかな発色を活かして宝飾品にする。名前の由来は、ニールス・ボーア研究所があるコペンハーゲンのラテン語名 hafnia 。 

▼コスターのここが面白い:リーゼ・マイトナー・ファンクラブの私としては、コスターの行動力にいくら敬意を表しても表しきれない。ナチス支配下のベルリンで絶体絶命の窮地に追い込まれたリーゼ・マイトナーを助け出したからだ。リーゼ・マイトナーは自分のいる研究所は聖地だから大丈夫と思い込んでいた節があり、脱出が遅れに遅れていた。そこでコスターは単身ベルリンに乗り込みリーゼ・マイトナーが危機的な状況にいることを分からせ、着の身着のままで脱出させた。危機の時のコスターの行動力がすごい。
▼今回のテーマはハフニウム。ハフニウムをヘヴェシーと共に発見した場所はニールス・ボーア研究所。同研究所はナチス・ドイツから逃れる科学者の避難所として機能していた。ナチスの支配が広がる時期でも研究を続けていた物理学者・化学者たちの精神のタフさがすごい。

ディルク・コスター Dirk Coster 1889年10月5日 - 1950年2月12日 
オランダの物理学者。
【人物】父親は鍛冶屋。
【教育】1916(27) 修士。
1916-20(27-31) デルフト工科大学で助手。
1919(30) 電気工学エンジニアの学位。
1920-21(31-32) ルンド大学のジークバーンの下で元素のX線分光法の研究。ジークバーンにX線分光法を学びに来たリーゼ・マイトナー(42)と顔見知りになる。
1922(33) ライデン大学で博士。指導教員はエーレンフェスト
【活動/業績】
1922-23(33-34) コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所で研究。
1923(34) ヘヴェシー(次回)と共同でハフニウムを発見
1924-(35-) フローニンゲン大学で教授。
1938(49) ナチス・ドイツのベルリンに行きユダヤ人物理学者リーゼ・マイトナー(60)を脱出させる
1939-45(50-56) WWII。

【ネットワーク】
エーレンフェスト Paul Ehrenfest 1880年1月18日 - 1933年9月25日 オーストリアの理論物理学者。▼ライデン大学でコスターの指導教員。

ジークバーン Karl Manne Georg Siegbahn 1886年12月3日 - 1978年9月26日 スウェーデンの物理学者。1924(38) ノーベル物理学受賞(X線分光学における発見)。1937-(51-) スウェーデン王立科学アカデミーのノーベル研究所物理学部門で所長。▼コスターとリーゼ・マイトナーがX線分光法を学んだ。

【似顔絵サロン】
















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Dirk_Coster

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