1923、ハフニウム~ヘヴェシー(ハンガリー)編:アルケーを知りたい(740)

今回は化学。

ハフニウムについては前回を参照。

▼ヘヴェシーのここが面白い:ナチスから奪われないようにと、ラウエとフランクから預かっていたノーベル賞の金メダルのエピソードが面白い。 ヘヴェシーはコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所に保管していたけど、ナチスが攻めてくることが分かったので、二人の金メダルを王水で溶かして研究所の棚に置いた。WWIIの後、戻ったヘヴェシーは棚に置いてあった溶液が奪われていないことを確認、無事に金を回収。ノーベル財団が金メダルに打ち直して二人に渡した。ヘヴェシーが危険物を安全に取り扱う技に長じていたからこそできること。

ヘヴェシー George de Hevesy 1885年8月1日 - 1966年7月5日 
ハンガリーの化学者。
【人物】父親は、ハンガリー系ユダヤ人貴族。
【教育/活動/業績】
1908(23) ドイツのフライブルク大学で物理学博士。
1909(24) カールスルーエ大学でハーバーの下で研究。
1910(25) マンチェスター大学でラザフォードに師事。ニールス・ボーアと出会う。
1913(28) 動植物の代謝プロセスの研究で放射性トレーサー実験を行う
1915-18(30-33) WWIの間、オーストリア・ハンガリー軍に入隊。
1920-26(35-41) コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所で研究。
1923(38) コスターと共同でハフニウムを発見
1924-34(39-48) フライブルク大学で物理化学教授。
1934-43(48-58)  ナチスから逃れ、ニールス・ボーア研究所で研究。
1936(50) 中性子放射化分析を発明。
1939-45(53-59) WWII。
1943(58) ラウエとフランクから預かっていたノーベル賞の金メダルをナチスに奪われないよう王水に溶かし、ニールス・ボーア研究所の研究室の棚に隠した後、コペンハーゲンを脱出。戦後、無事に溶液から金を回収。ノーベル財団がメダルを鋳造し直し二人に渡す。
1943-61(58-76) ノーベル化学賞受賞(化学反応研究におけるトレーサーとしての同位体の応用研究)。スウェーデンのストックホルム大学で教授。
1949(63) コプリ・メダルを受賞。

【ネットワーク】
マックス・フォン・ラウエ Max Theodor Felix von Laue 1879年10月9日 - 1960年4月24日 ドイツの物理学者。1912(33) X線の回折現象を発見。1914(35) ノーベル物理学賞(受賞結晶によるX線回折現象の発見)。▼ナチスに奪われないようノーベル賞の金メダルをヘヴェシーに預けていた。良い選択だった。

ジェイムズ・フランク James Franck 1882年8月26日 - 1964年5月21日 ドイツのユダヤ系物理学者。 1914(32) グスタフ・ヘルツと「フランク=ヘルツの実験」。1925(43) ヘルツとノーベル物理学賞を共同受賞(原子と電子の衝突に関する研究)。▼ナチスに奪われないようノーベル賞の金メダルをヘヴェシーに預けていた。良い選択だった。

【似顔絵サロン】
















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/George_de_Hevesy

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