1925、電子スピン~ウーレンベック(蘭):アルケーを知りたい(742)

今回は物理学。

電子スピン:平尾物理の電子の説明を引用する。「2個以上の電子は同じ状態を共有できない。この性質を持つ粒子をフェルミ粒子という。電子には自転のようなスピンという量が定義される。電子は2つの異なるスピンの状態をとることができる」(p.668)。同じ軌道を2つの電子が回るときはスピンの状態が違うとき、という話のようだ。
電子スピンは、電子が原子核のまわりを自転しながら回っている歴史的なモデル。

▼ウーレンベックのここが面白い:エーレンフェストの伝統を継承した研究姿勢。独創的より明確・正確さを志向し、そのため現在の状況の把握と要約を重視したこと。先行研究のサーベイを重視し、指導もそのようにしていた点に共感できて面白い。

ウーレンベック George Eugene Uhlenbeck 1900年12月6日 - 1988年10月31日
 アメリカの物理学者
【人物】オランダの植民地だったジャワ島生まれ、6才までジャワ島育ち。
【教育】1920(20) ライデン大学で学士。
1923(23) ライデン大学で修士。エーレンフェスト(43)の下で量子力学を研究。
1925(25) エーレンフェストの助手になり院生のゴーズミット(23)と共同で電子の自転運動の仮説を立て電子スピンと命名。後にパウリ(次回)がこの仮説を否定。スピンという名称が残った。
1927(27) ライデン大学で博士。指導教員はエーレンフェスト。
【活動/業績】
1927-35(27-35) 米ミシガン大学で物理学の講師。
1935-38(35-38) ユトレヒト大学でクラマースの後任教授。クラマースはライデン大学でエーレンフェストの後任教授。
1938(38) コロンビア大学で客員教授。
1939(39) ナチスの台頭によりユトレヒト大学を退任、ミシガン大学で物理学の教授。
1939-45(39-45) WWII。
1943-45(43-45) MITの放射線研究所でレーダー研究。
1945-60(45-60) 戦後、ミシガン大学で理論物理学の教授。
1960-71(60-71) ロックフェラー研究所で教授。

【ネットワーク】
エーレンフェスト Paul Ehrenfest 1880年1月18日 - 1933年9月25日 オーストリアの理論物理学者。▼エーレンフェストは学生にチャンスを提供する物理学者。ウーレンベックとゴーズミットによる電子スピンのアイディアに対して「充分若いのでバカなことをしても許される」として論文投稿を許可。

クラマース Hendrik Anthony Kramers 1894年2月2日 - 1952年4月24日 オランダの物理学者。アムステルダムの国立数学コンピュータ科学研究所の創立者。師匠はボーア。博士指導教員はエーレンフェスト。弟子がノーベル経済学賞のクープマンス。▼ウーレンベックがユトレヒト大学でクラマースの後任教授になり3年務めた。

ゴーズミット Samuel Abraham Goudsmit 1902年7月11日 - 1978年12月4日 ユダヤ系オランダ人で米国の物理学者。▼1925(23) ウーレンベックと共に電子スピン仮説を発表。1927(25) アメリカに帰化、ミシガン大学で教員。

【似顔絵サロン】

















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Uhlenbeck

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