殷富門院大輔の歌~アルケーを知りたい(1069)
▼殷富門院大輔 いんぷもんいんのたいふ
1130大治5年 - 1200正治2年 70歳
平安時代末期の歌人。殷富門院は後白河天皇の娘のこと。
俊恵(85番歌)が主宰した歌林苑のメンバー。西行(86番歌)・寂蓮(87番歌)・藤原定家(97番歌)・家隆(98番歌)・藤原隆信・源頼政と交流。1192(62)年、殷富門院の出家と共に自らも出家。
▼殷富門院大輔の和歌と*勝手に解釈
歌合し侍りける時、恋の歌とてよめる
見せばやな雄島の海人の袖だにも ぬれにぞぬれし色は変はらず
*お見せしたいものです。雄島の海人の袖は濡れに濡れても色は変わってないでしょう。しかし、私の涙で濡れた袖の色は赤く変わりました。
命ありてあひ見むこともさだめなく 思ひし春になりにけるかな
*命があってまた見られるだろうかと思っていた春と再び巡り会えました。
今はとて見ざらん秋の空までも 思へばかなし夜半の月影
*今が最後だと思って秋の空を見ていると、夜半の月影まで悲しく思えてくる。
きえぬべき露のうき身のおき所 いづれの野辺の草葉なるらん
*消えてしまいそうな露のようなわが身の置き所は、どのあたりの野辺の草葉になるのでしょう。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7%E5%AF%8C%E9%96%80%E9%99%A2%E5%A4%A7%E8%BC%94
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/i_taihu.html
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