二条院讃岐の歌~アルケーを知りたい(1070)
▼この歌で「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになったという。自分を象徴する歌を持つのは良いなと思う。
▼二条院讃岐 にじょういんのさぬき
1141永治元年 - 1217建保5年 76歳。
平安時代末期~鎌倉時代前期の歌人。源頼政の娘。二条天皇に内裏女房として仕え、内裏歌会に出詠。父と親しかった俊恵法師(85番歌)の歌林苑での歌会にも参加。1196(55) 出家。
▼二条院讃岐の和歌と*勝手に解釈
わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし
*私の袖は潮が引いても見えない沖の石のように人に知られることもなく涙で乾く間もない。
山家
山里は野原につづく庭の面に 植ゑぬ籬の花を見るかな
*山里の家では庭と野原の境がはっきりせず植えた覚えのない籬(まがき)の花が見られます。
応用 山里は法面につづく庭の面に 植ゑぬ野苺の花を見るかな
昔住んでいた庵の庭の先が山の法面の緑地帯で、下ると野苺があったのを思い出して作った。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E9%99%A2%E8%AE%83%E5%B2%90
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/n_sanuki.html
コメント
コメントを投稿