柿本人麻呂の万葉集29-31番歌~アルケーを知りたい(1157)
▼今回から柿本人麻呂の歌を見て行く。今回の歌は667年、近江の大津に都を遷した天智天皇を偲んだ作。長歌と反歌2つ。
▼長歌の筋は「天智天皇はどのようなお考えで、ひなびた大津に宮を造られたのでしょうか。宮殿はここにあったと聞くけれども、いまは草に覆われています。見ていると悲しくなります」というもの。
▼短歌31番の「大わだ淀むとも 昔の人にまたも遭はめやも」は名セリフと思う。
近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌
玉たすき 畝傍の山の
橿原の ひじりの御代ゆ<或いは「宮ゆ」といふ>
生まれしし 神のことごと
栂の木の いや継ぎ継ぎに
天の下 知らしめしいを<或いは「めしける」といふ>
そらにみつ 大和を置きて
あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて」といふ>
いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ>
天離る 鄙にはあれど
石走る 近江の国の
楽浪の 大津の宮に
天の下 知らしめしけむ
天皇の 神の命の
大宮は ここと聞けども
大殿は ここと言へども
春草の 茂く生ひたる
霞立つ 春日の霧れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ>
ももしきの 大宮ところ
見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ> 万29
反歌
楽浪の志賀の唐崎幸くあれど 大宮人の舟待ちかねつ 万30
*楽浪の志賀の唐崎は、昔のまま存在しているけど、大宮人を乗せた舟は待っていてもやって来ない。
楽浪の志賀の<一には「比良の」といふ>大わだ淀むとも 昔の人にまたも遭はめやも<一には「遭はむと思へや」といふ> 万31
*楽浪の志賀の岸辺の湾曲した所の水量が淀むほどたっぷりあっても、昔の人に再び会えたりしないのだ。
【似顔絵サロン】柿本人麻呂(660-724)の同時代人。天智天皇 てんちてんのう 626年 - 672 第38代天皇。645年、大化の改新。667年、近江大津宮へ遷る。秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 百人一首1
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetailLink?cls=d_utabito&dataId=201
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html
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