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アルケーを知りたい(182) 物理学賞1~5回のまとめ

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▼1~5回までのノーベル物理学賞受賞者のエピソードをまとめた。第4回だけはテーマが同じことから化学賞も入れた。 ▼陰極線、X線など真空放電管で起きる現象や放射線を解明しようというのがこの時期のホットなテーマだったことが分かる。

アルケーを知りたい(181) ノーベル化学賞 1905年 フォン・バイヤーさん

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▼第5回のノーベル化学賞受賞者は、ドイツの化学者アドルフ・フォン・バイヤーさん(70)。インディゴの合成が評価された。  ▼フォン・バイヤーさんの人脈:  【師匠】 ロベルト・ブンゼン   Robert Wilhelm Bunsen  1811–1899 ドイツの化学者。 → アルケーを知りたい(180)レーナルトさんの人脈 【師匠】 アウグスト・ケクレ August Kekule  1829 - 1896 ドイツの有機化学者。 → アルケーを知りたい(171)ファント・ホッフさんの人脈 【弟子】 エミール・フィッシャー   Emil Fischer  1852 - 1919 1902(50)第2回ノーベル化学賞受賞(糖類およびプリン誘導体の合成  “in recognition of the extraordinary services he has rendered by his work on sugar and purine syntheses”) → アルケーを知りたい(174) 【大先輩】 フォン・リービッヒ von Liebig  1803-1873 1803年、ドイツのダルムシュタット生まれ。1822(19)パリ大学ソルボンヌ校(理学部)でゲイ-リュサック先生の研究室に所属。1823(20)エアランゲン大学で博士。1825(22)ギーセン大学で正教授。学生実験室を設けてゲイ-リュサック方式の教育。学生がヨーロッパ中から集まり、ギーセン大学が化学教育のメッカとなる。 1826(23) ヴェーラー さんと共同研究を開始。1831(28)二重のガラス管の内側に蒸気を通し外側を冷却して蒸気から水を得る「リービッヒ冷却器」を発表。1835(32)アルデヒドを精製し命名。1841(38)リービッヒの最小律を発表。1852(49)ミュンヘン大学で教授。1865(62)会社を設立、育児用ミルクを製造。商業的に大成功し、食品加工産業の先駆。1873(68)ミュンヘンで死去。

アルケーを知りたい(180) ノーベル物理学賞 1905年 フィリップ・レーナルトさん

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▼第5回のノーベル物理学賞受賞者は、ドイツの物理学者フィリップ・レーナルトさん(43)。レーナルト管を用いた陰極線に関する研究が評価された。  ▼レーナルトさんの人脈:  【師匠】 ロベルト・ブンゼン  Robert Wilhelm Bunsen 1811–1899 ドイツの化学者。1831(20)ゲッティンゲン大学でPhD。同大学で講師。実験中に爆発で右目を失明。1852(41)ハイデルベルク大学理学部化学教室で教授。1855(44)加熱した物質から出る光のスペクトルを観察する実験のため安定した高温の炎を出すブンゼン・バーナーを開発。1859(48)キルヒホッフさんとプリズムを使ったスペクトル分光装置を開発。セシウムCsとルビジウムRbを発見。1883(72)レーナルトさん(21)を指導。1899(88)ハイデルベルクで死去。 【真空放電管を作った人たち】 → アルケーを知りたい(92) 陰極線 Cathode ray ウィルヘルム・ガイスラー  Wilhelm Geißler 1814 - 1879 ドイツの物理学者。 1857(43)高性能の真空ポンプで減圧したガラス管に電極を取り付けた 【ガイスラー菅】 を開発。 ヴィルヘルム・ヒットルフ Johann Wilhelm Hittorf 1824 - 1914 ドイツの物理学者。1859(35)陰極線の研究のため 【ヒットルフ管】 を開発。 ウィリアム・クルックス   William Crookes  1832-1919 イギリスの物理学者。 1875(43)陰極線の研究のためガイスラー管より真空度が高い 【ルックス管】 を開発。 【関係者】 ヴィルヘルム・レントゲン Wilhelm Röntgen 1845 – 1923 ドイツの物理学者。  → アルケーを知りたい(170)ノーベル物理学賞 1901年

アルケーを知りたい(179) ノーベル化学賞 1904年 ウィリアム・ラムゼーさん

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▼第4回のノーベル化学賞受賞者は、スコットランドの化学者ウィリアム・ラムゼーさん(52)。レイリー卿との共同研究の結果、空気中のアルゴンガスの発見と周期律の位置を決定した。 ▼ラムゼーさんの人脈 【師匠】 トーマス・アンダーソン Thomas Anderson 1819 - 1874  1819年、スコットランド・エジンバラ市生まれ。1841(22)エジンバラ大学で医学博士。スウェーデンに留学し、ベルゼリウス先生(1779-1848)の下で化学を学ぶ。1852(33)グラスゴー大学で化学教授。1853(34)アルカロイドの研究でコデイン(モルヒネの一種)の構造を発見。1870(51)ラムゼーさん(18)を指導。1874(55)進行性の神経疾患(梅毒)のためウエストロンドンで死去。 【師匠】 ルドルフ・フィッティッヒ  Wilhelm Rudolph Fittig   1835 – 1910 1835年、ドイツのハンブルグ生まれ。1855(20)フィッティング反応を発見。1858(23)ゲッティンゲン大学で化学博士(指導教員はフリードリヒ・ヴェーラー先生)。1870(35)テュービンゲン大学で教授。1873(38)ラムゼーさんの博士論文を指導。1910(75)フランスのストラスブールで死去。 【共同研究者】 ジョン・ストラット John William Strutt 1842 - 1919 イギリスの物理学者。1904(62)ノーベル物理学賞受賞(気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見)  → アルケーを知りたい(178) 参照 【共同研究者】 フレデリック・ソディ Frederick Soddy 1877 – 1956  イギリスの化学者。1921(44)ノーベル化学賞受賞(放射性物質の化学に関する研究)

アルケーを知りたい(178) ノーベル物理学賞 1904年 ジョン・ストラットさん

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 ▼第4回のノーベル物理学賞受賞者は、イギリスの物理学者レイリー卿 ジョン・ストラットさん。 ▼ストラットさんの人脈 【師匠】 エドワード・ラウス Edward Routh  1831 - 1907  イギリスの数学者。ロンドン大学時代、ド・モルガン先生が師匠。ケンブリッジ大学ではマクスウェルさんと同級生。滅茶苦茶、数学ができる人。ケンブリッジ大学時代にストラットさんやJ.J.トムソンさんを指導。 【師匠】 ジョージ・ストークス George Gabriel Stoke s 1819 - 1903  アイルランドの数学者。1849-1903の間、ケンブリッジ大学ルーカス教授職。ケンブリッジ大学時代にストラットさんを指導。 【共同研究者】 ウィリアム・ラムゼー William Ramsay 1852 – 1916 スコットランド出身の化学者。1904(52)ノーベル化学賞受賞(空気中の貴ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定)。  → アルケーを知りたい(179) 参照 【弟子】 ジョゼフ・ジョン・トムソン  Joseph John Thomson  1856 -1940 イギリスの物理学者。1906(50)ノーベル物理学賞受賞(気体の電気伝導に関する理論および実験的研究)ケンブリッジ大学時代にJ.J.トムソンさんを指導。  → アルケーを知りたい(181) 参照 【弟子】 ジャガディッシュ・チャンドラ・ボース  Jagadish Chandra Bose   1858 - 1937 インドの物理学者。ロンドン大学に留学。インドの無線科学の父。

アルケーを知りたい(177) ノーベル化学賞 1903年 スヴァンテ・アレニウス さん

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▼第3回のノーベル化学賞受賞者はスウェーデンの物理化学者、スヴァンテ・アレニウスさん。 ▼アレニウスさんの人脈 【指導教員】 ペール・テオドール・クレーベ   Per Teodor Cleve 1840 - 1905  スウェーデンの化学者。1879年、ホルミウムHoとツリウムTmを発見。 【師匠】 ヴィルヘルム・オストヴァルト   Wilhelm Ostwald  1853–1932  ドイツの化学者。リガ工科大学時代にアレニウスさんを指導。 1909年、ノーベル化学賞受賞(触媒作用、化学平衡および反応速度に関する研究) 【師匠】 ルートヴィッヒ・ボルツマン  Ludwig Eduard Boltzmann 1844 - 1906  ウィーンの物理学者。グラーツ大学時代にアレニウスさんを指導。ボルツマン定数(平尾物理p.242)。 【敵対】 ヴァルター・ネルンスト  Walther Nernst 1864 - 1941 ドイツの物理化学者。アレニウスさんと同じボルツマン先生の門下生。 1920(44)ノーベル化学賞受賞(熱化学の研究) 【師匠】 ファント・ホッフ  Jacobus Henricus van 't Hoff 1852 - 1911  オランダの化学者。アムステルダム大学時代にアレニウスさんを指導。 1901(49)ノーベル化学賞受賞(化学熱力学の法則、溶液の浸透圧の発見)  → アルケーを知りたい(171) 参照 【仲間】 セオドア・リチャーズ  Theodore William Richards 1868 - 1928  アメリカの物理化学者。アレニウスさんがノーベル賞を受賞させるよう誘導した一人。 1914年、ノーベル化学賞受賞(原子量の精密測定に関する研究) 【弟子】 オスカル・クライン  Oskar Klein 1894 - 1977 スウェーデンの理論物理学者。ノーベル研究所時代にアレニウスさんに師事。1929(35)クライン=仁科の公式を発表

アルケーを知りたい(176_2) ノーベル物理学賞 1903年 ピエール・キュリーさん

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▼第3回のノーベル物理学賞受賞者の3人目は ピエール・キュリー さん。マリー・キュリーさんのご主人。 ▼ピエールさんの人脈: 【大先輩】 ウィリアム・トムソン William Thomson 1824-1907 1824年、アイルランドのベルファスト生まれ。父はベルファスト大学の教授(数学)。神童。父から家庭教育を受ける。1834年(10才)グラスゴー大学に入学。1845年(21才)ケンブリッジ大学ピーターハウス・カレッジを首席で卒業。1846年(22才)グラスゴー大学で自然哲学の教授(1899年まで)。1848年(24才)絶対温度の概念を発表。絶対温度の単位ケルビン(K)はその名に因で命名された。1851年(27才)トムソン効果を発見。 熱力学の第二法則を定式化。1866年(42才)大西洋横断電信ケーブルの敷設に成功。1870年(46才)絶対電位計を発明。1876年(52才)磁気コンパスを発明。最初、英海軍が採用、その後全世界で利用。 1893年(69才) ピエール・キュリー さんと面談。 1899年(75才)イーストマン・コダックさんの依頼でKodakの役員。1904年(80才)グラスゴー大学総長。1907年(83才)スコットランドで死去。 【弟子】 ポール・ランジュバン  Paul Langevin 1872 - 1946 フランスの物理学者。ピエールさんの長女イレーヌさんやド・ブロイさんの博士指導教員。 【弟子】 アンドレ=ルイ・ドビエルヌ  André-Louis Debierne 1874 - 1949 フランスの化学者。1899、アクチニウムAcを発見。 【弟子】 マルグリット・ペレー  Marguerite Catherine Perey 1909 - 1978 フランスの物理学者。1939、フランシウムFrを発見。