投稿

1772、酸素の発見~シェーレ(瑞):アルケーを知りたい(559)

イメージ
今回の話題は化学。 ▼今回は、 酸素 。元素記号O、原子番号8、oxygen。 名前の由来。 ラヴォアジェ が「酸を生む物」と考えギリシャ語のoxys(酸)とgenen(生む)を組み合わせて作った。これを宇田川榕菴が「酸素」と訳した。 ▼ カール・シェーレ  Karl Wilhelm Scheele 1742 - 1786  スウェーデンの薬剤師・製薬化学者 【人物】物質を舐めて確かめるクセがある。発見をすぐ発表しない。 【教育】薬剤師の徒弟、1777(35)王立医科大学薬剤師試験合格 【職業】薬剤師 【業績】 1771-73(29-31)酸素(火の空気)を発見 。手法は、マンガンと硫酸の反応、酸化水銀や硝石の加熱。フロギストン説の立場で解釈。1777(35)著書『空気と火について』で発表。 【同時代人】 3つ年上に、日本で『解体新書』の翻訳者、 中川淳庵 (なかがわ・じゅんあん 1739 - 1786)がいる。 フロギストン説を打破したラヴォアジェは一つ年下。 同じく一つ年下に、産業革命期のイギリスで力織機を開発した エドモンド・カートライト (Edmund Cartwright 1743 - 1823)、日本で初めて江戸幕府の医官として人体解剖を行った山脇東洋の孫弟子の 小石 元俊 (こいし・げんしゅん 1743 - 1809)がいる。 【ネットワーク】 ゲオルク・シュタール  Georg Ernst Stahl  1659 - 1734 フロギストン説を唱え著書を残したドイツの化学者・医師 ▼ シェーレは徒弟時代にシュタールの著書で勉強。フロギストン説の信奉者となる 。 トーバーン・バーグマン  Torbern Bergman 1735年3月20日 - 1784年7月8日 スウェーデンの化学者・鉱物学者 ▼ シェーレと共同研究したウプサラ大学の化学教授 。 ヨハン・ガーン  Johan Gottlieb Gahn 1745年8月19日 - 1818年12月8日 スウェーデンの 化学者および冶金学者 スウェーデン鉱山委員会の化学者 ▼ウプサラ大学でバーグマンの助手をしていた時期、 シェーレと共同研究 。 1774(29) シェーレが発見したマンガンの単離に成功 する。 アイザック・アシモフ  Isaac Asimov 1920年 1月2日 -  1992年4月6

1766、水素の発見~キャヴェンディッシュ(英):アルケーを知りたい(558)

イメージ
今回の話題は化学。 ▼今回は、水素。元素記号H、原子番号1、hydrogen。 ▼水素が水素になるまでの道のり: 1671、ボイルが鉄と希硝酸を反応させて可燃性の気体を発生させた。 1766、 キャヴェンディッシュ が鉄と塩酸を反応させて「 可燃性空気 」の単離に成功。王立協会で論文発表。キャヴェンディッシュはフロギストン説を支持していたので、気体は金属に由来すると考えた。 1783、ラヴォアジエがキャヴェンディッシュの実験を追試。燃えたあと(爆発したあと)水になる可燃性の気体を「hydrogène(イドロジェーヌ)」と命名。「水を生むもの」の意味。ギリシャ語の「ヒュードル=水」と「ゲネン=生む」を合体させた造語。ラヴォアジェはフロギストン説を打破した人。 1784、プリーストリー(→453)が水素と空気を電気火花で爆発させた後、水が発生すると報告。 キャヴェンディッシュが追試で、混合気体の体積が1/5になると発表 。 ▼江戸時代の蘭学者、宇田川榕庵(うだがわ・ようあん  →553 )が『舎密開宗』で水素と訳した。 ▼ ヘンリー・キャヴェンディッシュ  Henry Cavendish 1731 - 1810 イギリスの化学者、物理学者。 「科学者の中で一番の金持ちであり、金持ちの中で最も偉大な科学者」(ビオ →120) 【人柄】恥ずかしがり屋、人間嫌い。 【教育】ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ中退 【職業】貴族 【業績】1760(29)王立協会会員 1766(35)水素の発見 1781(40)水の合成 1798(57)万有引力定数を測定 【同時代人】 一つ年上に水力紡績機を発明した アークライト 、音楽家 ハイドン 。 一つ年下に陶器ウエッジウッドの創業者、 ジョサイア・ウェッジウッド 。 同じ年に、色消しレンズで有名なジョン・ドロンド(→556)の息子 ピーター・ドロンド 。 進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの祖父、 エラズマス・ダーウィン 。 【ネットワーク】 第7代デヴォンシャー公 ウィリアム・キャヴェンディッシュ  William Cavendish, 7th Duke of Devonshire 1808年4月27日 – 1891年12月21日 英国の貴族。ケンブリッジ大学総長 ▼ヘンリーの親戚。 キャヴェンディッシュ研究所を設立。マクスウェルに

1764、火浣布(石綿布)の製造~平賀源内:アルケーを知りたい(557)

イメージ
今回の話題は化学。 ▼周の時代、王朝への貢物に 石綿(asbest)の布 があった。石綿布の汚れは火にかけると燃えてきれいになるので 「火で洗える布」火浣布(かかんぷ) と呼ばれ、珍重されたという。 平賀源内が秩父山中で発見した石綿を火浣布にして江戸幕府に献上した。 ▼ 平賀 源内  ひらが げんない 1728 - 1780 「非常の人」 【教育】讃岐高松藩の藩医の元で本草学と儒学を学ぶ。長崎、大坂、京都で遊学。江戸で田村藍水の弟子として本草学を学ぶ。 【職業】山師。フリーランスのプロデューサー 【業績】1764(36)江戸幕府に火浣布を献上 1765(37)華氏温度計「日本創製寒熱昇降器」を製作 1776(48)静電気発生装置の「エレキテル」を修理・復元 【同時代人】同じ1728年生まれの「非常の人」2人:(1)イングランドの産業人 マシュー・ボールトン 。ジェームズ・ワットと共同で会社を作りボールトン・アンド・ワット蒸気機関を何千基も据えた人。ボールトンなしではワット蒸気機関の普及はなかった。 (2)イギリスの解剖学者、外科医 ジョン・ハンター 。解剖するための死体搬入専用の玄関を自宅に持っていたことから『ジキル博士とハイド氏』の邸宅のモデルになった。 【ネットワーク】 田村 藍水  たむら・らんすい 1718 - 1776 江戸の医師・本草学者。朝鮮人参の国産化を研究したパイオニア ▼源内と中川淳庵の師匠。 杉田 玄白  すぎた・げんぱく 1733年10月20日 - 1817年6月1日 小浜藩医。中川順庵が持ってきた『ターヘル・アナトミア』を見て図版に驚き、小浜藩に購入してもらう。中川淳庵や前野良沢と共に翻訳し『解体新書』(1774)として発表(41歳)。▼杉田は源内の葬儀を行った。墓碑に次の碑文を寄せた: 嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常(常人ではなく、常識と異なるものを好み、常識と異なる行動をして、死に方まで常識とは異なっていた) 中川 淳庵  なかがわ・じゅんあん 1739 - 1786 江戸時代の医者・蘭学者。オランダ商館院から『ターヘル・アナトミア』を借り出し杉田玄白に見せる。杉田玄白や前野良沢と共に翻訳し『解体新書』(1774)として発表(35歳)。▼源内が交流していた蘭学者グループのメンバー。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022

1757、色消しレンズ~ドロンド(英):アルケーを知りたい(556)

イメージ
今回の話題は(A)物理学。 ▼ 色消しレンズとは、像の色がにじむ現象(色収差)を改善したレンズのこと 。アクロマティックレンズ(achromatic=無彩色)とかアクロマートレンズという。 ▼凸レンズ一枚の拡大ルーペを使うとき、像の周辺に薄く色がにじむことがある。そういった現象を解決するため屈折率が異なるガラスのレンズを組み合わせてにじみを消したのが色消しレンズ。ところでレンズは単数形でもlensとsがつく。 ▼ドロンドの時代は、ガラスからレンズを磨きだしていたホイヘンス(1629 - 1695)やスピノザ(1632 - 1677)の時代からおよそ100年後。 ▼ ジョン・ドロンド  John Dollond 1706 - 1761 イギリスの光学技術者 【教育】独学 【職業】絹織物業職人の息子として40半ばまで家業を継続。  1750(44) 息子と光学機器製造メーカー・光学機器店「Dollond & Aitchison」を起業 。家業で生計を立てながらレンズの研究と開発を進めていた。息子が先に専業メーカーと販売を始めたので、そこに合流する恰好だ。  1752(46)までは家業の絹織物職人をやっていた。想像するに、ドロンド家の将来を考えたとき、絹織物とレンズのどちらをとるか、よくよく考えたのだろう。  1761(55)国王の眼鏡技師。 【業績】 1758(52)『光の異なる屈折率に関するいくつかの実験の説明』で色消しレンズを発表 、その功績によりコプリ・メダルを受賞。 1761(55)王立協会の会員。 【同時代人】同じ年生まれに ベンジャミン・フランクリン と日本で初めて人体解剖を行った幕府の医官・ 山脇東洋 がいる。 【ネットワーク】 サミュエル・ クリンゲンスティエナ  Samuel Klingenstierna 1698 - 1765 スウェーデンの数学者。▼ジョン・ドロンドの屈折理論の誤りを指摘、自らも無色望遠鏡の発明に尽力。▼ ドロンドは クリンゲンスティエナ 指摘を受け入れて問題を解決 した。 ベンジャミン・フランクリン  Benjamin Franklin 1706 - 1790 アメリカの建国の父。雷のときに凧を上げて静電気の実験を行った物理学者。 山脇 東洋  1706 -  1762 江戸時代の医学者。日本で初めて江戸幕府の医官として人

1754、二酸化炭素の発見~ブラック(英):アルケーを知りたい(555)

イメージ
今回の話題は化学。 ▼今回は、 二酸化炭素 。炭素の酸化物。化学式CO2。最近目の敵にされている感のあるCO2。中学のとき、 植物は夜、CO2を取り入れてO2を出す 、と習った。 ▼ ジョゼフ・ブラック  Joseph Black 1728 - 1799 スコットランドの物理学者、化学者。 【教育】グラスゴー大学で4年、リベラル・アーツを学ぶ。その後、エディンバラ大学で医学博士 【職業】グラスゴー大学とエディンバラ大学で教授 【業績】 1756(28) 炭酸マグネシウムを研究した 博士論文で 二酸化炭素の発見を記載 【同時代人】啓蒙思想委の時代。同じ年に キャプテン・クック (7年戦争に参加したグレートブリテンの海軍軍人)や 平賀源内 がいて、3つ年下に キャヴェンディッシュ がいる。 【ネットワーク】 ウィリアム・カレン  William Cullen 1710 - 1790 スコットランドの医師、化学者。▼ブラックが医学や化学に関心を持つきっかけはカレン先生の講義だった。 ブラックはカレン先生の弟子、助手 。 アダム・スミス  Adam Smith 1723 - 1790 イギリスの哲学者、倫理学者、経済学者。1776(43)『国富論』 ▼グラスゴー大学の教授時代に ブラックや大学の計測器製作者だったワットと知り合い、良い仲間 になる。 ジェームズ・ワット  James Watt 1736 - 1819 スコットランドの発明家、機械技術者。ニューコメンの蒸気機関を改良。▼1756、ワット(20)がグラスゴー大学で計測器を製作していた時に知り合う。ワットが必要とした ニューコメン 蒸気機関の改良資金を提供した。蒸気機関との関わりから潜熱、熱容量の研究成果をあげる。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Black

1751、ニッケルの発見~クロンステット(瑞):アルケーを知りたい(554)

イメージ
今回の話題は化学。 ▼今回は、 ニッケル 。元素記号Ni、原子番号28、nickel。 名前はドイツ語のKupfernickel( 悪魔の銅 )に由来。理由は、 ニッケル鉱石が銅鉱石に似ているのに銅を取り出せなかったから 。 ▼ アクセル・クロンステット  Axel Fredrik Cronstedt 1722 - 1765 スウェーデンの化学者、鉱物学者。鉱物の化学的組成による分類の創始者 【同時代人】 2つ年上に、『ジェニー紡績機』を発明(1764)した ハーグリーブス がいる。 1つ年下に、日本で『解体新書』を訳した(1774) 前野良沢 がいる。 【教育】ウプサラ大学で化学・鉱物学 【職業】鉱山局で役人 【業績】1751 (29)ニッケルを発見 。 1754 (32)ニッケルと命名 。 【ネットワーク】 イェオリ・ブラント (→548)  Georg Brandt 1694 - 1768 スウェーデンの化学者、鉱物学者。1737(43)コバルトを発見。▼クルーンステットは1746-48(24-26)試金法、化学をブラント(50-54)に学んだ。  【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Axel_Fredrik_Cronstedt

1748、白金の発見~ウジョーア(西):アルケーを知りたい(553)

イメージ
今回の話題は化学。 ▼今回は、 白金 。元素記号Pt、原子番号78、platinum。 プラチナの由来は、ウジョーアが コロンビアのピント川で見つけた金属 を「 ピント川の小さな銀 platina del Pinto」と呼んだことから。 ▼ 白金と訳したのは江戸時代の蘭学者、宇田川榕庵 (うだがわ・ようあん)。 ▼ アントニオ・デ・ウジョーア  Antonio de Ulloa 1716 - 1795 スペイン 軍人、天文学者 【時代環境】イギリスでは産業革命が進行、フランスでは啓蒙思想の時代 【教育】? 【職業】1733(17)海軍に入隊、海軍軍人、天文学者 【業績】1735-44(19-28)フランス科学アカデミー子午線弧長測量プロジェクト・ペルー隊に参加。帰国後フワンとの共著で 『南米諸王国紀行』を出版。この中でコロンビアのピント川で白金を発見した話を紹介 。 1746(30)ロンドン王立協会のフェロー。 1751(35) スウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員。 【ネットワーク】 フィリップ5世  Philip V  1683 - 1746 マリアテレジアの次男。 ベルサイユ宮殿生まれの スペイン王 ▼1935(52) フランス科学アカデミー子午線弧長測量プロジェクト・ペルー隊にホルヘ・フアンとウジョーアを参加させた 。 ピエール・ブーゲ  Pierre Bouguer 1698 - 1758 フランスの数学者、天文学者。▼子午線弧長測量プロジェクト・ ペルー隊のフランス人メンバー 。1749(51)ブーゲは帰国後『地球の形』を出版し、地球が扁球であるとした。 シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ  Charles Marie de La Condamine 1701 - 1774 フランスの地理学者、数学者。▼午線弧長測量プロジェクト・ ペルー隊 のフランス人 メンバー 。 ホルヘ・フアン  Jorge Juan y Santacilia 1713 - 1773 スペインの海軍軍人、数学者。子午線弧長プロジェクトに参加、地球は扁球と判断した ▼ ホルヘ・ファン(22)は 海軍で ウジョーア(19)の 上官。 フィリップ5世の命令を受け 共にペルー隊に参加 。 宇田川 榕菴  うだがわ・ようあん 1798 - 1846 津山藩(岡山県津山市)の藩医で