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1876、ギブズの相律~ギブズ(米):アルケーを知りたい(679)

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  今回は物理学。 ▼ ギブズの相律 :熱力学分野の原理。難しい。 ▼ギブズのここが面白い:ギブズはアメリカ人で初の工学博士。理論を扱っていたので、現実問題の解決に目が向いていたアメリカでの評価は遅く、イギリスやヨーロッパでの評判が先に立ち、それがアメリカに戻ってきて、ギブズってすごい人なんだという認識になった。日本も評判の逆輸入がある。昔のアメリカもそうだったことが分かって面白い。 ▼ ギブズ  Josiah Willard Gibbs 1839年2月11日 - 1903年4月28日  アメリカの数学者・物理学者・物理化学者。 【人物】父親は宗教文学教授。 【教育】1863(24) イェール大学で博士。アメリカ初の工学博士。 1866-69(27-30) パリ大学・ベルリン大学・ハイデルベルクに留学。 【職業】1869(30) 帰国。イェール大学で無給のチューター。 1871-93(32-54) イェール大学で数理物理学教授。 【業績】 1876(37) 論文『不均一な物質系の平衡に就いて』で相律を発表 。 1880-84(41-45) ベクトル解析。 1884(45) 統計力学という用語を考案。 1882-89(43-50) 光の電気理論を創出。 1901(62) コプリ・メダル受賞。 1902(63) 統計力学の教科書を発表。 【ネットワーク】 ハミルトン  William Rowan Hamilton 1805年8月4日 - 1865年9月2日 アイルランドの数学者、物理学者。▼ハミルトンの四元数がギブズのベクトル解析の元になった。 グラスマン  Hermann Günther Grassmann 1809年4月15日 - 1877年9月26日 ドイツの数学者・物理学者・言語学者。▼グラスマンの広延論がギブズのベクトル解析の元になった。 H・A・ニュートン  Hubert Anson Newton 1830年3月19日 - 1896年8月12日 アメリカの天文学者・数学者。▼ギブズの師匠。 マクスウェル  James Clerk Maxwell 1831年6月13日 - 1879年11月5日 スコットランドの理論物理学者。▼マクスウェルはギブズをいち早く理解した人物。共に統計力学を作り出した。 ル・シャトリエ  Henry Louis le Chatelie

1875、カー効果~カー(スコットランド):アルケーを知りたい(678)

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今回は物理学。 ▼ カー効果 :Kerr effect。光学機器の超高速シャッターの原理。光速の測定に機械的シャッターの代替。 ▼カーのここが面白い:20代のとき、物理学と神学の両方に関心があった。カーにとって二つは等距離だった。牧師が物理学をやる、というのではなく、カーが物理学をやる、神学をやる、という距離感。そこが面白い。 ▼ カー  John Kerr 1824年12月17日 - 1907年8月18日  スコットランドの物理学者。 電気光学分野のパイオニア。 【人物】父親は鮮魚店経営。 【教育】1841-46(17-22) グラスゴー大学で物理学修士。ウィリアム・トムソンと友達。 1849(25) スコットランド自由教会の神学大学。 【職業】1857(33) グラスゴー大学で数学と物理の講師。 【業績】1864(40) グラスゴー大学で名誉博士。 1875(51) 実験からカー効果を発見 。 【ネットワーク】 ケルヴィン卿・ウィリアム・トムソン  William Thomson 1824年6月26日 - 1907年12月17日 アイルランドの物理学者。▼同い年の友達同士。1846年、カー(22)はトムソンがグラスゴー大学初の自然哲学教授となるのを助けた。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/John_Kerr_(physicist)

1875、ガリウム~ボアボードラン(仏):アルケーを知りたい(677)

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今回は化学。 ▼ ガリウム :gallium。原子番号 31。元素記号 Ga。用途は半導体製造の材料。 名前の由来は、ボアボードランがフランスのラテン名 ガリア Gallia にちなんで命名。 ▼ボアボードランのここが面白い:家が豊か、かつ、本人が独学タイプだった。学校に行かず、大学のシラバスを元に独学で学習。机上だけでなく、自前の実験室を作り、そこで化学分析手法を実験してスキルを上げた。分光学手法がお気に入りで、この手法でガリウムを発見した。自分の個性と能力を活かしきった人物。 ▼ ボアボードラン  Paul Emile Lecoq de Boisbaudran  1838年4月18日 - 1912年5月28日  フランスの化学者 【人物】父親はコニャック製造業。 【教育】家庭教育。エコール・ポリテクニークのシラバスを使って独学。自宅の実験室で化学実験。 【職業】? 【業績】1874(36) 分光学について著書を発表。 1875(37) ピレネー山脈の鉱山から出た鉱石を自宅の実験室で分析。分光法でガリウムを発見 。 メンデレーエフ が1871年に予言していた元素。周期表の信頼度が高まる。 1879(41) デービー・メダル受賞。 1880(42) 分光法でサマリウムを発見。名前の由来はサマリウムが発見された鉱石サマルスカイトに因んだ。 1886(48) ジスプロシウム発見。名前はギリシャ語で「入手困難」の意味。 【ネットワーク】 メンデレーエフ  Dmitrij Mendelejev 1834年1月27日 - 1907年1月20日 ロシアの化学者。 ▼1871(37) 周期表の空白部分から新元素の存在を予言。4年後にボアボードランの新元素発見により周期表の信頼度が高まった。 【似顔絵サロン】 〔参考〕 『理科年表2022』 https://en.wikipedia.org/wiki/Paul-%C3%89mile_Lecoq_de_Boisbaudran

1869、セルロイド~ハイアット(米):アルケーを知りたい(676)

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今回は化学。 ▼ セルロイド :celluloid。象牙の代替品として開発された世界初のプラスチック。用途は、万年筆をはじめとする文房具、眼鏡のフレーム、写真フィルム、おもちゃほか。燃えやすいので新しく開発されたプラスチックに代替された。 ▼経緯。 1856年、イギリスの冶金学者 パークス が発明。パークシンと命名して販売。製造コストがかかりすぎて撤退。 1870年、アメリカの ハイアット が象牙の代替品として実用化に成功。商標をセルロイドと命名。 ▼ハイアットのここが面白い:第一が、発明して・特許を取って・事業化して・会社を売却して・・・とゼロから始める事業活動を成し遂げたこと。第二が、取引先の息子 スローン を社員にしたら、 10年後にわが社の社長になり、さらに10年後はGMに吸収されやがてGMの社長になるというサクセスストーリーがあること。 ▼ ハイアット  John Wesley Hyatt 1837年11月28日 - 1920年5月10日  アメリカの発明家  【人物】? 【教育】? 【職業】1853(16) 印刷職人。 1870(33) Albany Dental Plate Companyを設立。 1872(35) Celluloid Manufacturing Companyを設立。 1892(55) Hyatt Roller Bearing Companyを設立。 【業績】 1869(32) 米で「セルロイド」の特許を取得 。 1870(33) Albany Dental Plate Companyでビリヤードボール、入れ歯、ピアノの鍵盤を製造 。 1895(58)  Hyatt Roller Bearing Company の製図者として取引先の息子 スローン (20) を雇用。 1905(68) スローン(30)  がHyatt Roller Bearing Companyの社長になる。 1916(79) Hyatt Roller Bearing Companyをゼネラルモーターズ GM に売却。スローン (41)  は最初副社長、そして48才で社長になりGMを発展させる。 【ネットワーク】 パークス  Alexander Parkes 1813年12月29日 - 1890年6月29日 イギリスの冶金学者・発明家。セルロイドの前身を発明。 ス

1869、元素の周期表~メンデレーエフ(露):アルケーを知りたい(675)

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今回は化学。 ▼ 元素の周期表 :元素を原子番号(陽子の数)順に並べた一覧表。学校や研究室によく貼っているやつ。 ▼メンデレーエフのここが面白い:寒い国の熱い男。周期表の着想は、メンデレーエフが寝ているときに夢に出てきて、目覚めたときにすぐ書き留めたという。ケクレの亀の甲にも似たような逸話がある。 いつも考えていると寝ているときに答えが夢に出ることがあるので、なかなか解が見つからないときは、この方法を使うのは手だ。 ▼ メンデレーエフ  Dmitrij Mendelejev 1834年1月27日 - 1907年1月20日  ロシアの化学者  【人物】父親は教育者。 【教育】1856(22) サンクトペテルブルク大学で修士。 1859-61(25-27) ハイデルベルク大学に留学。 ブンゼン の下で研究。 1865(31) 論文「水とアルコールの組み合わせについて」で科学博士。 【職業】1864(30) サンクトペテルブルク高等技術専門学校で化学の教授。 1865(31) サンクトペテルブルク大学で技術化学の教授。 1867-90(33-56) 同大で一般化学の教授。 1892-1907(58-63) 度量衡局で所長。 【業績】 1869(35) 元素周期表を作成 。 1891(57) 海軍省から依頼を受け無煙火薬を発明。ただし実用化されず。 1905(71) コプリ・メダル受賞。 【ネットワーク】 ブンゼン  Robert Bunsen 1811年3月30日 - 1899年8月16日 ドイツの化学者。▼メンデレーエフは1859年から2年間留学していた。マイヤーは1889年からブンゼンの後任化学教授を務めた。  マイヤー  Julius Lothar Meyer 1830年8月19日 - 1895年4月11日 ドイツの化学者・医師。▼メンデレーエフとマイヤーの師匠はブンゼン。メンデレーエフと同時期に元素の周期表の作成を行っていた。 ニューランズ  John Alexander Reina Newlands 1837年11月26日 - 1898年7月29日 イギリスの化学者。▼周期表のパイオニア。1863(26) 元素を原子量順に並べた周期表を作成。1865(28) 「オクターブの法則」(8番目ごとに似た性質の元素が配置される)を提唱。 アレニウス  Svante Ar

1868、ヘリウム#2~ヤンセン(英):アルケーを知りたい(674)

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今回は化学。 ▼ ヘリウム :地球の外の天体で発見された初めての元素。 ▼ヤンセンのここが面白い:ヤンセンはロッキヤーと同じく太陽光からヘリウムを発見。アカデミーに報告が届いた日もロッキヤーと同じだった。 ヤンセンは 天体の光分析マニア。観察道具を自分で作り出すタイプの人物。特にヤンセンが発明したフォトグラフィック・レボルバーが面白い。 コルト の回転式銃のメカニズムを連続写真撮影に応用した。天体観察で連続撮影ができたら良いな、を形にした。シャッタースピードは1秒半、72 秒間で 48 枚の画像が撮影できたというから、良い線行っている。 ▼ ヤンセン  Pierre Jules César Janssen 1824年2月22日 - 1907年12月23日  フランスの天文学者  【人物】父親は有名なクラリネット奏者。 【教育】リセ・シャルルマーニュで数学と物理学を学ぶ。 【職業】1853(29) リセ・シャルルマーニュで教師。  1865-71(41-47) 建築学校で教師。 【業績】1857(33) 磁気赤道を決定するためペルーで観測。 1861-62(37-38)、1864(40) イタリアとスイスで太陽スペクトルにおけるテルル吸収を研究。 1867(43) アゾレス諸島で光学と磁気実験。 1868(44) 太陽のプロミネンスを観察する方法を開発。太陽光からヘリウムのスペクトル線を発見。ロッキャーとは独立した発見 。 1874(50) 日本で金星通過を観測。 コルト のリボルバーにヒントを得て連続写真が撮影できる フォトグラフィック・リボルバーを発明 。 1875-(51-) フランス政府がパリ郊外に建設した新しい天体物理観測所で所長。 1882(58) アルジェリアで金星通過を観測。 1895-97(71-73) フランス天文学会会長。 【ネットワーク】 コルト  Samuel Colt 1814年7月19日 - 1862年1月10日 アメリカの発明家。回転式拳銃を普及。▼ヤンセンはコルトのレボルバー銃のメカにヒントを得て連続撮影できる撮影装置を考案した。 マレー  Étienne-Jules Marey 1830年3月5日 - 1904年5月15日 フランスの科学者、生理学者。▼ヤンセンのフォトグラフィック・レボルバーを洗練させた連続写真のパイオニア。 【似

1868、ヘリウム#1~ロッキヤー(英):アルケーを知りたい(673)

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今回は化学。 ▼ ヘリウム :helium。原子番号 2。元素記号 He。ギリシャ語heliosで太陽の意味。用途は気球や飛行船が浮かぶ用のガス、深海に潜水するときの呼吸用のガスとか。 ▼ロッキャーのここが面白い:太陽光のスペクトルにヘリウムを見た男。スペクトルに出てきた今までにない新色から、新元素の存在を推察した。現物ではなく、現象から推理する方法。ヘリウムの現物が 地上で 確認されたのは27年後の話。 ▼ ロッキヤー  Joseph Norman Lockyer 1836年5月17日 - 1920年8月16日  イギリスの天文学者 【人物】父親は電信のパイオニア。 【教育】父親から科学を学ぶ。スイス、フランスに遊学。 【職業】英国陸軍省で公務員。アマチュア天文学者。 【業績】1860-(24-) 天体の組成を決める分光法を知り研究開始。 1868(32) 化学者のフランクランドと共に太陽のスペクトルから新元素を発見。ギリシャ語の太陽 Helios からヘリウムと命名 。同じ時期にフランスの化学者 ヤンセン がヘリウムを発見、両者の論文が同じ日にフランスのアカデミーに到着。 1869(33) 新しい科学的知見の伝達を促進するため総合学術雑誌 「ネイチャー Nature」を創刊 。 1885-1913(49-77) インペリアル・カレッジ・ロンドンで世界初の天文学教授。太陽物理天文台を建設。 1890(66) ギリシャの寺院が東西方向に、エジプトの寺院が真夏の日の出とシリウスに向かう方向に建設されていると発見。考古天文学のパイオニアとなる。 1913-(77-) 引退後、自宅の近くに天文台を設立。ノーマン・ロッキヤー天文台として有名になる。 【ネットワーク】 ダニエル・マクミラン  Daniel MacMillan 1813年9月13日 - 1857年6月27日 スコットランドの出版人。 ▼ 1843(30) 弟のアレクサンダーと共にロンドンでNatureの出版元になるマクミラン出版社を共同設立。Natureの創刊はダニエルが死去して12年後。 アレクサンダー・マクミラン  Alexander MacMillan 1818年10月3日 - 1896年1月25日 スコットランドの出版人。 ▼ 1843(25) 兄のダニエルとロンドンで出版社Macmillan &