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大伴旅人の万葉集579-580番歌~アルケーを知りたい(1099)

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▼今回の歌は、旅人の逝去後、454-458番を歌った家人の余明軍が旅人の息子の 大伴家持 に贈った歌二首。 余明軍は大伴家で幼かった家持の世話をしていた人物。 ▼歌から 余明軍の 真っすぐな心根が伝わる。旅人の「 賢しみと物言ふよりは酒飲みて 酔ひ泣きするしまさりたるらし  万341」は 余明軍のことだろう 、と思えるほど。  余明軍、大伴宿祢家持に与ふる歌二首。明軍は大納言卿の資人なり。 見まつりていまだ時だに変らねば 年月のごと思ほゆる君  万579 *お世話していた頃からそれほど時が経ったとも思えないのに、長い昔のことのように思える貴方様です。 あしひきの山に生ひたる菅の根の 根もころ見まく欲しき君かも  万580 *ねんごろにお世話したいと思う貴方様です。 【似顔絵サロン】 大伴 家持   718 - 785 67歳。 かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞふけにける   百人一首6 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集578番歌~アルケーを知りたい(1098)

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▼今回の歌は、旅人の逝去後、家人だった三依(みより)が 家を去るときに 別れを悲しむ歌。 ▼主人が死去すると住込みで働いていた家人は失業して家を出ることになる。悲しさ倍増だろう。  大伴宿祢三依が悲別の歌一首 天地とともに久しく住まはむと 思ひてありし家の庭はも  万578 *末永くここに住み込んで働くものと思っていた家の庭でしたが・・・。 【似顔絵サロン】 石上 麻呂 (いそのかみ の まろ) 640 - 717 77歳 万葉集で初めて「日本」を詠んだ歌人。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集577番歌~アルケーを知りたい(1097)

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▼今回の歌は、旅人が京都に戻る途中で接待してくれた大原高安 に贈った歌。 ▼ 高安 に 「人にあげちゃダメだよ、君が着るんだよ」と言うために、その「君」のことを「 網を引く難波壮士=漁師 」と表現したのが面白い。 ▼高安には「 沖辺行き辺を行き今や妹がため 我が漁れる藻臥束鮒  万625」という歌があって、実際に魚を獲っていた様子がうかがえる。 ▼ 隠岐に流された小野篁の 「 思ひきや鄙のわかれにおとろへて 海人の縄たきいざりせむとは  古今961」という歌があるのを思い出した。「俺ともあろう者がここで漁師の真似事をするとは思わなんだわ」と自分を嘆いた歌だ。 ▼ここからすると難波壮士というワードを出すことで、旅人が釣り好きの高安を 親しみを込めながら からかっている風情もある。気の置けない間柄だったのだろう。  大納言大伴卿、新袍(しんほう)を摂津大夫(せっつのかみ)高安王(たかやすのおほきみ)に贈る歌一首 我が衣人にな着せそ網引(あびき)する 難波壮士(なにはをとこ)の手には触るとも  万577 *私が贈った上衣はほかの人に着せないようにしてくださいね。網を引く難波壮士(高安王のこと)の手に触れることがあっても。 【似顔絵サロン】 藤原 不比等  659 - 720 61歳  中臣鎌足 の子。藤原四兄弟の父親。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集576番歌~アルケーを知りたい(1096)

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▼今回の歌は、旅人が京都に戻った後、「梅花の宴」に参加していた筑後守の葛井連大成 (ふぢゐのむらじおほなり) が寂しがって詠んだ歌。  太宰帥大伴卿が京に上りし後に、筑後守葛井連大成が悲嘆(かな)しびて作る歌一首 今よりは城山(きやま)の道はさぶしけむ 我が通はむと思ひしものを  万576 *これからは大宰府に向かう城山の道を歩くときは寂しい気持ちになります。旅人様とお目にかかれると楽しみに通っていた道ですから。 ▼旅人がまだ大宰帥だった時に開いた「梅花の宴」で参加者は次々に歌を詠んだ。このとき 葛井連大成が詠んだ歌は「 梅の花今盛りなり思ふどち かざしにしてな今盛りなり  万820」。「思ふどち」は気の合う仲間同士の意味。良い言葉、好きな言葉だ。 【似顔絵サロン】 藤原 麻呂 (ふじわら の まろ) 695 - 737 42歳。長屋王と対立した藤原四兄弟の四男。藤原京家の祖。長屋王の変の8年後、天然痘で死去。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集572-575番歌~アルケーを知りたい(1095)

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▼今回の歌は、旅人が京都に戻った後、満誓が詠んで贈った歌2首と旅人がそれに応えた歌2首。 ▼ 満誓は旅人、山上憶良と共に筑紫歌壇のメンバー。良い感じの歌を詠む人。似顔絵にしたいけど元情報がなくて・・・。 太宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓、卿に贈る歌二首。 まそ鏡見飽かぬ君に後れてや 朝夕にさびつつ居らむ  万572 *(女性になりきって詠んでいます)いくら見ても見飽きることのなかった貴方様に筑紫に残された私、朝も夕も寂しく過ごしています。 ぬばたまの黒髪変わり白けても 痛き恋には逢ふ時ありけり  万573 *黒い髪が白髪になる年齢になっても、心が痛む恋って、あるものなのですね。 大納言大伴卿が和(こた)ふる歌二首 ここにありて筑紫やいづち白雲の たなびく山の方にしあるらし  万574 *ここ京都からみると、筑紫はどちらの方向にあるのでしょう。白雲がたなびく山の方でしょうか。 草香江の入江にあさる葦鶴(あしたづ)の あなたづたづし友なしにして  万575 *草香江の入江で魚を獲る葦鶴の姿が見えます。友達がいないと何と心細いことでしょう。 【似顔絵サロン】 舎人親王 (とねりしんのう) 676 - 735 59歳 はじめは長屋王と政治を行うも、次第に藤原四兄弟の側となり、 長屋王の変 で対立。天然痘で死去。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集568-571番歌~アルケーを知りたい(1094)

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▼今回の歌は、帰京が決まった旅人の送別会「梅花の宴」が開かれたときに参加者が詠んだ歌4首。 ▼紀貫之は古今和歌集の仮名序で和歌の機能として「心々を見たまひて、賢し、愚かなりとしろしめしけむ」と書いている。旅人も送別会で歌を披露する人々の人柄を見たのだろう。人々もまたお互いの和歌に人柄を見たのだろう。 大宰帥大伴卿、大納言に任(ま)けらえて京に入るときに臨み、府の役人ら、卿を筑前の国蘆城(あしき)の駅家(うまや)にて餞する歌四首。 み崎みの荒磯(ありそ)に寄する五百重波(いほへなみ) 立ちても居ても我が思へる君  万568 右の一首は筑前掾門部連石足(ちくぜんのじょう かどべのむらじ いそたり) *荒磯に繰り返し寄せる波のように、立っていても座っていても思い続ける貴方様であります。 韓人の衣染むといふ紫の 心に沁みて思ほゆるかも  万569 *韓人が布を染める紫のように私の心に貴方様が沁みております。 大和へ君が発つ日の近づけば 野に立つ鹿も響(とよ)めてぞ鳴く  万570 右の二首は、大典麻田連陽春(だいてん あさだのむらじ やす)。 *大和の都に貴方様が旅立つ日が近づくと、野にいる鹿も声を響かせて鳴いています。 月夜よし川の音清しいざここに 行くも行かぬも遊びて行かむ  万571 右の一首は防人佑大伴四綱(さきもりのすけ おほとものよつな)。 *今夜はよい月夜、川の音もすがすがしい。大和に行く人も行かない人も、ここで遊んで行きましょう。 【似顔絵サロン】 藤原 宇合 (ふじわら の うまかい) 694 - 737 43歳 長屋王と対立した藤原四兄弟の三男。兵士を率いて長屋王邸を包囲した。藤原式家の祖。長屋王の変の8年後、天然痘で死去。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA

大伴旅人の万葉集555番歌~アルケーを知りたい(1093)

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▼今回の歌は、仕事仲間の丹比県守卿(たぢひのあがたもりのまへつきみ)が異動すると知って、 旅人が 贈った歌。 なんともいえない寂しさの香りが残る。 大宰帥大伴卿、大弐丹比県守卿が民部卿に遷任するに贈る歌一首 君がため醸みし待酒(まちざけ)安の野に ひとりや飲まむ友なしにして  万555 *君のために特別に仕込んでおいた来客用の酒があるんだけど、これからは朝倉の夜須の野で私一人で飲むことになるんだなあ、友達がいなくるので。 【似顔絵サロン】 藤原 房前 (ふじわら の ふささき) 681 - 737 56歳。長屋王と対立した藤原四兄弟の次男。四兄弟の中で最も繁栄した藤原北家の開祖。長屋王の変の8年後、天然痘で死去。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tabito2.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%97%85%E4%BA%BA