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万葉集巻第1_34番歌(白波の浜松が枝の)~アルケーを知りたい(1741)

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▼今回の34番は、国史の編纂という大役を担っていた川島皇子の歌。手向け草とは、神や死者に供える品のこと。今でも見られる。草花もあれば、飲み物もある。草花や飲み物に託した人の祈りなのだな、と今さらながら気が付いた。  紀伊の国に幸す時に、 川島皇子 の作らす歌  或いは「 山上臣憶良 作る」といふ 白波の浜松が枝の手向けくさ 幾代までにか年の経ぬらむ   一には「年は経にけむ」といふ  万34 *白波が立つ浜の松に手向け草を見つけました。これはどれくらい前のものでしょう。   日本紀には「朱鳥の四年庚寅の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_33番歌(楽浪の国つ御神の)~アルケーを知りたい(1740)

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▼32番、33番の二首は高市黒人の作なので、並べてみました。共に旧都である近江大津宮に対して「悲し」と言ってます。この場所が都だったのは7年間。天智天皇が崩御の後、壬申の乱が起き、その後、都が遷ることになった。その全体に対する感慨かも。 楽浪 (ささなみ) の国つ御神 (みかみ) のうらさびて 荒れたる都見れば悲しも  万33 *楽浪の国の御神が寂れて、荒れてしまった都を見ると悲しくなります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_32番歌(古の人に我れあれや)~アルケーを知りたい(1739)

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▼今回は、667年、天智天皇が飛鳥から遷都して作った 近江大津宮も時代が経つと「旧き都」になる。天智天皇亡き後、大友皇子は大海人皇子との戦に負け、近江朝は幕を閉じた。大海人皇子は飛鳥に浄御原宮を設けたので、その事情を知る高市古人や柿本人麻呂から見ると近江はもののあはれを感じる古き都となる。   高市古人 、近江の旧き都を感傷しびて作る歌  或書には「高市連黒人」といふ 古の人に我れあれや楽浪の 古き都を見れば悲しき  万32 *私は昔の人にちがいない、楽浪の古い都を見ていると悲しくなります。 【似顔絵サロン】 高市 古人/黒人  たけち の ふるひと/くろひと ? - ? 持統・文武両朝の官人・歌人。683年、連姓に改姓。『万葉集』に短歌18首あり。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_31番歌(楽浪の志賀の大わだ)~アルケーを知りたい(1738)

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▼29番の長歌の後には二首の反歌がついている。今回はその二首目。30番歌が「志賀の唐崎幸くあれど」と尖った岩を思わせる響きに対して31番歌は「志賀の大わだ淀むとも」とソフトな響き。昔の人には残念ながらもう逢えない、と言ってるの は同じ。▼藤原兼房や藤原顕季ら歌の通人は柿本人麻呂を歌聖と仰いだ。人麻呂の似顔絵の下で歌を詠んだ、というから熱烈ファンのやることは面白い。 楽浪の志賀の  一には「比良の」といふ  大わだ淀むとも 昔の人にまたも逢はめやも  一には「逢はむと思へや」といふ  万31 *楽浪の志賀の大わだに水がたっぷりあろうと、昔の人に逢えるものではない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_30番歌(楽浪の志賀の唐崎)~アルケーを知りたい(1737)

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▼今回の30番は前回の長歌の反歌。昔と変わらぬ風景を見て、華やかに賑わっていた昔と寂れた今との違いをしみじみ感じる歌。なぜ人々が人麻呂の歌を良いと言うのか分かる気がする。  反歌 楽浪 (ささなみ) の志賀の唐崎 (からさき) 幸 (さき) くあれど 大宮人の舟待ちかねつ  万30 *楽浪の志賀の唐崎は昔と変わらない。だが、大宮人が乗った舟が来ることはない。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_29番歌(霞立つ春日の霧れる)~アルケーを知りたい(1736)

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▼今回は人麻呂の長歌。長歌の「ポイント」は最後のほうにあるんじゃないか、と思うのだけれど、どうだろうか。  近江の荒れたる都を過ぐる時に、 柿本朝臣人麻呂 が作る歌 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ  或いは「宮ゆ」といふ 生まれましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを  或いは「めしける」といふ それにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え  或いは「そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて」といふ いかさまに 思ほしめせか  或いは「思ほしけめか」といふ 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる   或いは「霧立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも   或いは「見れば寂しも」といふ  万29 *昔、大宮はここにあった、大殿はここにあったと言うのだが、今は春草が繁っているのを見ると悲しい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_28番歌(春過ぎて夏来るらし)~アルケーを知りたい(1735)

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▼今回は超メジャーな歌。持統天皇は話題が詰まった存在。生まれた年が、乙巳の変があった645年。だから大化元年生まれ。わが国で年号が始まった最初の年の生まれ。父が乙巳の変を起こした 中大兄皇子 ( 天智天皇)、夫が壬申の乱を起こした大海人皇子(天武天皇)。17歳で 草壁皇子を生む。 夫が天武天皇になり、子供を吉野に集めてお互いに協力しあうと約束させた吉野の盟約のときは34歳。夫が死去したのが41歳、自らが持統天皇に即位したのが45歳。 28番歌は、持統天皇が52歳で譲位した年の歌。 藤原の宮に天の下知らしめす天皇の代  高天原広野姫天皇、元年丁亥の十一年に位を軽太子に譲りたまふ。尊号を太上天皇といふ  天皇の御製歌 春過ぎて夏来るらし白栲の 衣干したり天の香具山  万28 *春が過ぎて夏になったらしい。天の香具山で白栲の衣を干しています。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1