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万葉集巻第6_963番歌(大汝少彦名の神こそば)~アルケーを知りたい(1823)

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▼今回は坂上郎女が山に八つ当たりしている(笑)歌。「なごやま」という名前なのに私のッ心はいっこうに和まない、と。最初悲しい歌と思ったけれど、実は面白い歌だった。駄洒落とバカにするなかれ、だ。   冬の十一月に、 大伴坂上郎女 、帥の家を発ちて道に上り、筑前の国の宗像の郡の名児の山を越ゆる時に作る歌一首 大汝少彦名 (おほなむち すくなびこな) の 神こそば  名付けそめけめ 名のみを 名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに 万963 *名児山という立派な名前の山だけれども、私の心の千の重荷の一つも和ませてくれないのね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_962番歌(奥山の岩に苔生し畏くも)~アルケーを知りたい(1822)

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▼今回は、「一首歌を!」と人に言われて、「私に作れるわけないでしょう」と答えたのがそのまんま歌になる、というパラドックス作品。・・・というふうに見せて、実はうまく作った歌。いやいや、ちょっと嫌味か(笑)。   天平二年庚午に、勅して、擢駿馬使 大伴道足 宿禰を遣はす時の歌一首 奥山の岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに  万962 *畏れ多いことに私に歌を作れと仰いますか、思い付きもいたしませんのに   右は、勅使大伴道足宿禰に帥の家にして饗す。 この日に、会集ふ衆諸、駅使 葛井連広成 を相誘ひて、「歌詞を作るべし」といふ。 その時に、広成声に応へて、即ちこの歌を吟ふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_961番歌(湯の原に鳴く葦鶴は)~アルケーを知りたい(1821)

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▼今回は大伴旅人が大宰府近くにある 温泉で鶴の鳴き声を聞き、妻を詠った 作品。解説によると妻が亡くなってすぐ後のことらしい。それを知るとこの歌から感じる悲しさが増す。  帥大伴卿、次田 (すきた) の温泉に宿り、鶴の声を聞きて作る歌一首 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく 妹に恋ふれや時わかず鳴く  万961 *湯の原で鳴く鶴は、私のように妻を恋しがって時を分かたず鳴いている。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_960番歌(隼人の瀬戸の巖も)~アルケーを知りたい(1820)

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▼956番で「我が大君の食(を)す国は大和もここ(大宰府)も同じとぞ思ふ」と言ったかと思うと今回の960番では「隼人の瀬戸の巖だって吉野の滝には及ばない」と言う。こっちが本音とぞ思ふ。  帥 大伴卿 、遥かに吉野の離宮を偲ひて作る歌一首 隼人の瀬戸の巖も鮎走る 吉野の滝になほ及かずけり  万960 *隼人の瀬戸の巖でも、吉野の滝には及びません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_957-959番歌(いざ子ども香椎の潟に)~アルケーを知りたい(1819)

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▼奈良時代、大宰府に勤務する役人が異動するときの歌。香椎は福岡県東区の地名。Wikipedia によると、大伴旅人ら一行が行ったという香椎の廟は724年の創建。行ったのは728年なので、創建4年後のこと。帰りに香椎潟に寄って海の香りを楽しんだようだ。959番歌では、異動が決まった 豊前守は「もう香椎潟が見られなくなる」と残念がる。後年、埋め立てが進んで見られなくなるんだけど。  冬の十二月に、大宰の官人等、香椎の廟を拝みまつること訖 (をは) りて、退 (まか) り帰る時に、馬を香椎の浦に駐めて、おのおのも懐を述べて作る歌   帥大伴卿 が歌一首 いざ子ども香椎の潟に白栲の 袖さへ濡れて朝菜摘みてむ  万957 *さあ皆さん、香椎の岸に入り服の袖を濡らして朝菜を摘みましょう。  大弐 小野老 朝臣が歌一首 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟 潮干の浦に玉藻刈りてな  万958 *風が吹く時間帯になったので、この香椎潟の潮干の浦で玉藻を採りましょう。  豊前守 宇努首男人 が歌一首 行き帰り常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には見むよしもなし  万959 *行き帰りの時にいつも私が見ていた香椎潟ですが、明日からのちは見ることもなくなります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_955-956番歌(さす竹の大宮人の家と住む)~アルケーを知りたい(1818)

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▼今回は2首セット。大宰府の長官に赴任した大伴旅人に、迎えるスタッフが声をかけたやりとりの歌。石川足人は、旅人が住み慣れた都を「さす竹の大宮人の家と住む佐保の山」と表現する。旅人は「大君が治める国だから大和も筑紫も同じ」と応える。旅人は山上憶良、 沙弥満誓ら歌仲間が出来る。人呼んで筑紫歌壇。  大宰少弐 石川朝臣足人 が歌一首 さす竹の大宮人の家と住む 佐保の山をば思ふやも君  万955 *大宮人がホームにしている佐保の山を思い出しておられますか、貴方様は。  帥 大伴卿 が和ふる歌一首 やすみしし我が大君の食 (を) す国は 大和もここも同じとぞ思ふ  万956 *我らが大君が治める国だから、大和もここも同じと思いますよ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_954番歌(朝は海辺にあさりし)~アルケーを知りたい(1817)

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▼雁を見て自由さが羨ましいと詠う膳部王。窮屈な暮らしをしている自分、と思ったのだろう。 長屋王の変に巻き込まれる運命の人なので、その予兆っぽいものをどこかで感じていたのかも。一方、 朝は海辺に出て食べ物を探し、夜は巣に戻るルーチンを繰り返す雁からすると「朝は海辺であさりす我を見夕されば大和へ越ゆる我を見し膳部王の羨ましも」。この雁も狩りに遭う運命かも知れない、と思うと・・・ 。   膳部王 が歌一首 朝は海辺にあさりし夕されば 大和へ越ゆる雁し羨しも  万954 *朝は海辺で魚を探し、夕方にになれば大和へ飛んで帰る雁が羨ましい。   右は、作歌の年審らかにあらず。 ただし、歌の類をもちて、すなはちこの次に載す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6