万葉集巻第七1201‐1207番歌(浜清み磯に我が居れば)~アルケーを知りたい(1350)
▼今回も海を詠う歌。1204番は「私がここでこうしていると人は私を漁師と思うでしょう」型の歌。人が見たらという想定。そのように人に見られたければ、そのように振る舞えば良い、という教訓になりそう。 大海の水底響み立つ波の 寄せむと思へる磯のさやけさ 万1201 *大海の波が水底から響くように打ち寄せているのかと思うほどの磯。なんと清らかなことでしょう。 荒磯ゆもまして思へや玉の浦の 離れ小島の夢にし見ゆる 万1202 *荒磯に勝ると無意識に思っているからか、玉の浦の離れ小島を夢で見ました。 磯の上に爪木折り焚き汝がためと 我が潜き来し沖つ白玉 万1203 *磯の上の焚火で暖を取りながら、貴方様のために私が沖で潜って採ったアワビ玉です、これは。 浜清み磯に我が居れば見む人は 海人とか見らむ釣りもせなくに 万1204 *清い浜磯に私がいると、人は私を漁師と思うかも知れません。釣りもしてないけれども。 沖つ楫やくやくしぶを見まく欲り 我がする里の隠らく惜しも 万1205 *沖に出て楫を漕ぐ音が静まった、私はもっと里を見ていたいのに波で隠れるのが惜しい。 沖つ波辺つ藻巻き持ち寄せ来とも 君にまされる玉寄せめやも 一には「沖つ波辺波しくしく寄せ来とも」といふ 万1206 *沖から波が藻を巻き込んで打ち寄せます。「沖から波がしきりに打ち寄せます」。それでも貴方様に勝る玉はありません。 粟島に漕ぎ渡らむと思へども 明石の門波いまだ騒けり 万1207 *粟島に舟で漕ぎ渡りたいと思うけれども、明石の門の波がまだ高い。 【似顔絵サロン】同時代の乱、藤原広嗣の乱の関係者: 大和 長岡 やまと の ながおか 689年 - 769年 奈良時代の貴族・明法家。広嗣の乱に連座して流罪。のち赦免、役人に復帰。地方官としての仁恵なし。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7