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万葉集巻第十九4173-4176番歌(春のうちの楽しき終は)~アルケーを知りたい(1563)

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▼4173番は越中に赴任して数年が経った 家持が、都の自宅が恋しいと詠う歌。 4174番は場所が変わって、大宰府を舞台にした歌。家持は子供時代と40~50代に 大宰少弐として 過ごしたことがある。4174番は後者の時期だろう。 4175番と4176番は家持の鉄板ネタ、ホトトギス。「 も・の・は」や「も・の・は・て・に」の文字を使わないで詠ったと断り書きを付けている。これは自慢なのかな?(笑)  京の丹比家に贈る歌一首 妹を見ず越の国辺に年経ふれば 我が心どの和ぐる日もなし  万4173 *妻の顔を見ることが出来ない越中で何年も過ごしていると、我が心は和む日がありません。  筑紫の大宰の時の春苑梅歌に追ひて和ふる歌一首 春のうちの楽しき終は梅の花 手折り招きつつ遊ぶにあるべし  万4174  右の一首は、二十七日に興に依りて作る。 *春で一番楽しいのは梅の花を手折って我が家に迎え入れて遊ぶことですな。  霍公鳥を詠む二首 ほととぎす今来鳴きそむあやめぐさ かづらくまでに離る日あらめや   も・の・は、三つの辞は欠く  万4175 *ホトトギスが今やって来て鳴いています。あやめ草をかづらにするまでここを離れる日が来るものか。 我が門ゆ鳴き過ぎ渡るほととぎす いやなつかしく聞けど飽き足らず   も・の・は・て・にを六つの辞は欠く  万4176 *我が家の門の前を鳴きながら飛んでいくホトトギス。おお、懐かしいと思うので、もっともっと聞きたい。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 忌部 鳥麻呂  いんべ の とりまろ ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱に連座。767年、赦免。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4169-4172番歌(ほととぎす来鳴き響めば)~アルケーを知りたい(1562)

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▼4169番と4170番は田舎に赴任中の家持が都にいる母親に贈った歌。長歌の中にある「嘆くそら 思ふそら」が好き。 4171番はホトトギスの歌。世間の人は皆、待っていたホトトギスの鳴き声が聞こえて嬉しいぞ、という。4172番は、ホトトギスの声を聞くとき、ことさらなことをせずに、その辺の草でもいじりながらにしたい、と詠う。どんな聞き方をするのが良いか、いろいろ考えたのだろう。自然体で行くのが今回の結論のようだ。  家婦の、京に在す尊母に贈るために、誂へらえて作る歌一首  幷せて短歌 ほととぎす 来鳴く五月に 咲ききほふ 花橘の かぐはしき 親の御言 朝夕に 聞かぬ日まねく 天離る 鄙にし居れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら  安けなくに 思ふそら  苦しきものを 奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の 見が欲し御面 直向ひ 見む時までは 松柏の 栄えいまさね 貴き我が君   御面、みおもわといふ  万4169 *都から離れた田舎にいるのだから、嘆いても気が休まらず心も苦しい。貴い母上に直接対面するまでは常盤の松や柏の木のようにお変わりなくいらしてください。  反歌一首 白玉の見が欲し君を見ず久に 鄙にし居れば生けるともなし  万4170 *真珠のようなお姿の 母上 を見たいと思って久しいです。でも田舎にいるものですから生きた心地がしません。  二十四日は立夏四月の節に応る。 これによりて二十三日の暮に、たちまちに霍公鳥の暁に喧かむ声を思ひて作る歌二首 常人も起きつつ聞くぞほととぎす この暁に来鳴く初声  万4171 *世の人が聞き逃すまいと待ち構えるのは、ホトトギスが暁にやってきて鳴く初の鳴き声です。 ほととぎす来鳴き響めば草取らむ 花橘をやどには植ゑずて  万4172 *ホトトギスがさえずり声を響かせたら、野原の草をいじりながら聞こう。わざわざ花橘を庭に植えたりせずに。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 粟田 人成  あわた の ひとなり ? - ? 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱に連座して位階剥奪。771年、復帰し越後守。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dat...

万葉集巻第十九4166-4168番歌(時ごとにいやめづらしく)~アルケーを知りたい(1561)

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▼家持はよほどホトトギスが好みだったのだろう。鳴き声を聞ける期間も限られているし。 4166番ではいくら鳴いても聞き飽きない、という。タイトルにホトトギスとその時期の花を詠むとあるので、分かりやすくて助かる。4167番はホトトギスではなく花を詠っている。4168番では、ホトトギスに戻る。いつも聞けないから偲ぶ気持ちになるのだ、と詠う。  霍公鳥幷せて時の花を詠む歌一首  幷せて短歌 時ごとに いやめづらしく 八千種に 草木花咲き 鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに うち嘆き 萎えうらぶれ 偲ひつつ 争ふはしに 木の暗の 四月し立てば 夜隠りに 鳴くほととぎす いにしへゆ 語り継ぎつる うぐひすの 現し真子かも あやめぐさ 花橘を 娘子らが 玉貫くまでに あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八つ峰飛び越え ぬばたまの 夜はすがらに 暁の 月に向ひて 行き帰り 鳴き響むれど なにか飽き足らむ  万4166 *季節ごとの花と鳥の変化を見たり聞いたりして心を打たれる。ホトトギスは昼も夜も鳴き声を響かせるが聞き飽きることがない。  反歌二首 時ごとにいやめづらしく咲く花を 折りも折らずも見らくしよしも  万4167 *四季折々に新たに咲く花は、折ろうと折るまいと、見て楽しいものである。 毎年に来鳴くものゆゑほととぎす 聞けば偲はく逢はぬ日を多み   毎年、としのはといふ  万4168  右は、二十日に、いまだ時に及らねども、興に依りて預め作る。 *毎年、やってきては鳴くホトトギス。その声を聞くと恋しさが募るのは、逢えない日が多いからか。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 粟田 奈勢麻呂  あわた の なせまろ ? - 767神護景雲元年9月26日 奈良時代の貴族。764年、藤原仲麻呂の乱終結後、遠江守を解任、失脚。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4163-4165番歌(ますらをは名をし立つべし)~アルケーを知りたい(1560)

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▼男子たるもの、かく生きたいという思いを背負う4164番の長歌と4165番の短歌。「 後の世の語り継ぐべく 名を立つべしも 」や 「 後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐ 」と、後の世を意識して今の行動を奮い立たようとしている。これは山上憶良の先行歌がある。家持は子供のころ父親の旅人と仲良くしていた山上憶良の姿を知っているから、文字の上だけの話ではない。この気合にはたじろぐ。  予め作る七夕の歌一首 妹が袖我れ枕かむ川の瀬に 霧立ちわたれさ夜更けぬとに  万4163 *妻の袖を枕にして寝よう。 霧よ、 夜が更ける前に川の瀬に立ちこめよ。  勇士の名を振はむことを慕う歌一首  幷せて短歌 ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし 剣太刀 腰に取り佩き あしひきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも  万4164 *ますらをたる者、後の世まで名を立てるように今を生きなければ。 ますらをは名をし立つべし後の世に 聞き継ぐ人も語り継ぐがね  万4165  右の二首は、山上憶良が作る歌に追ひて和ふ。 *ますらをは名を立てるべきなのだ。後世、その名を聞いた人が語り継げるように。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 佐伯 毛人  さえき の えみし ? - ? 奈良時代の貴族。764年、大宰大弐として大宰府に赴任。765年、乱に連座したとして左遷。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4159-4162番歌(言とはぬ木すら)~アルケーを知りたい(1559)

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▼今回は時間の流れと無常についての歌。4159番では年を重ねた存在に対する敬意。この歌に出て来る言葉の「神さび」が良い。新品もイイけど、神さびて年季が入ったのはやはり良い。 4160番は「世間は常なきもの」であることは「天地の遠い初め」からのことで昨日今日始まった話ではないと言い聞かせるフレーズで始まる。そうなんだけど、それは承知しているのだけれど、やはり変化に無常を感じるのは万葉人も現代人も同じです。 4161番ではモノを言わない木ですら変化すると言う。 4162番では変化に心を煩わせないようにしようと思ふが、物を思ってしまうと言う。もう一つのバージョンとして「嘆く日が多い」と言うのがある。 「常なきもの」に人は対処が難しいのだ。  季春三月の九日に、出挙の政に擬りて、古江の村に行く道の上にして、物花を属目する詠、幷せて興の中に作る歌 渋谿の崎を過ぎて、巌の上の樹を見る歌一首  樹の名はつまま 磯の上のつままを見れば根を延へて 深くあらし神さびにけり  万4159 *磯の上にタブノキが生えている。根を伸ばし、樹齢も長く、神々しい。  世間の無常を悲しぶる歌一首  幷せて短歌 天地の 遠き初めよ 世間は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来れ 天の原 振り放け見れば 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪り 朝の笑み 夕変らひ 吹く風の  見えぬがごとく 行く水の  止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも  万4160 *吹く風、行く水のようにこの世の移ろいを見ると、涙が流れて止まらない。 言とはぬ木すら春咲き秋づけば もみち散らくは常をなみこそ   一には「常なけむとぞ」といふ  万4161 *ものを言わない樹木でも春は花を咲かせ、秋には紅葉して葉を落とすのは不変というのがないからです。 うつせみの常なき見れば世間に 心つけずて思ふ日ぞ多き   一には「嘆く日ぞ多き」といふ  万4162 *はかなくて不変というもののないので、世の中に心を煩わせないようにしようと思うけど、もの思いをする日は多いのだ。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 仲 石伴  なか の いわとも ? - ...

万葉集巻第十九4156-4158番歌(紅の衣にほはし)~アルケーを知りたい(1558)

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▼今回は、 富山県高岡市に流れていた辟田川 (さきたがわ) を詠った歌。春、鮎を獲りに、夜、鵜飼の者を伴って夜、かがり火を焚きながら 辟田 川の流れに入って歩く。妻が送ってくれた紅色の衣の裾が濡れるという歌。文字で視覚を刺激してくれる歌。  鵜を潜くる歌一首  幷せて短歌 あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下響み 落ち激ち 流る辟田の 川の瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴なへ 篝さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅の 八しほに染めて おこせたる 衣の裾も 通りて濡れぬ  万4156 *春になって鮎が飛び跳ねる川を上っていると妻が染めて作ってくれた衣の裾がびしょ濡れになる。 紅の衣にほはし辟田川 絶ゆることなく我れかへり見む  万4157 *紅の衣も鮮やかに辟田川の流れが絶えないように、また来てみよう。 年のはに鮎し走らば辟田川 鵜八つ潜けて川瀬尋ねむ  万4158 *毎年、鮎が走る辟田川で、鵜を放って鮎を追いながら川を上りましょう。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 執棹  ふじわら の とりさお ? - 764 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の九男。764年、藤原仲麻呂の乱で官軍から一族郎党44人とともに斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19

万葉集巻第十九4148-4153番歌(今日のためと思ひて標めし)~アルケーを知りたい(1556)

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▼今回はまず、明け方、雉の鳴き声を聞いた家持の感想二首。雉も鳴かずば撃たれまい、という、あの雉。姿は鶏にとても似ているが鳴き声は異なる。 家持は雉の鳴き声の感慨を詠った。動画で雉の鳴き声を聞くと、この二首に共感。 雉の鳴き声には 鶏にはない悲しい響きが感じられる。 続く一首は、船頭の歌。船頭は歌うのが好きなのだろう。でもヴェニスの船頭の歌い方のイメージとはだいぶ違う印象。 最後の三首は、家持が館で宴を開いたときの歌。騒がしい宴会ではなく、しっとりとした感じがする。  暁に鳴く雉を聞く歌二首 杉の野にさ躍る雉いちしろく 音にも泣かむ隠り妻かも  万4148 *杉の野原に騒がしい雉がいます。これは我慢できずに泣いている隠れ妻なのかも。 あしひきの八つ峰の雉鳴き響む 朝明の霞見れば悲しも  万4149 *あちらこちらの峰から雉の鳴き声が響いて来ます。朝明の霧を見ると悲しい気持ちになります。  遥かに、江を泝る舟人の唱ふを聞く歌一首 朝床に聞けば遥けし射水川 朝漕ぎしつつ唱ふ舟人  万4150 *朝、寝床の中で聞こえてくるのは遥か遠くの射水川で早朝から舟を漕ぎながら歌っている舟人の声。  三日に、守大伴宿禰家持が館にして宴する歌三首 今日のためと思ひて標めしあしひきの 峰の上の桜かく咲きにけり  万4151 *今日のためにと思って囲っておいた峰の上の桜。このように見事に咲いています。 奥山の八つ峰の椿つばらかに 今日は暮らさねますらをの伴  万4152 *あの遠い峰々の椿もよく咲いています。今日はますらをのみなさんと心行くまで楽しく過ごしましょう。 漢人も筏浮べて遊ぶといふ 今日ぞ我が背子花かづらせな  万4153 *漢の国の粋人は筏を浮かべて遊んだと言います。皆さん、今日は花かづらを付けましょうよ。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 藤原 辛加知  ふじわら の からかち/しかち ? - 764 奈良時代の貴族。藤原仲麻呂の八男。764年、藤原仲麻呂の乱で孝謙上皇方の佐伯伊多智から斬殺。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19