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万葉集巻第7_1096番歌(いにしへのことは知らぬを)~アルケーを知りたい(1915)

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▼上の句が面白い。いにしへのことは知らぬを、という言葉。謙虚な人、とも、偉そう・生意気とも解釈できる。この人どっちなんだろう (笑) 。 いにしへのことは知らぬを我れ見ても 久しくなりぬ天の香具山  万1096 *昔のことを知らない私が見てもずいぶん時代が経ったのだと感じる天の香具山です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1095番歌(みもろつく三輪山)~アルケーを知りたい(1914)

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▼前回に続く山を詠むシリーズ第二群4首のうちの1首目の歌。場所は奈良県の桜井市。三輪山、泊瀬を謳っている。檜がたくさんあったのだろう。 持統天皇の藤原京の造営のときここの檜が使われた。檜=日の木。目出度い。 みもろつく三輪山見ればこもりくの 泊瀬 (はつせ) の檜原 (ひはら) 思ほゆるかも  万1095 *三輪山を見ると泊瀬の檜原を思い出します。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1094番歌(我が衣にほひぬべくも)~アルケーを知りたい(1913)

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▼今回は、服に色移りしそうなくらい三室山の紅葉がすごいという歌。色移りを利用したのが、カモフラ柄なんだ、と思った。雪景色に溶け込むように白、乾燥地帯に溶け込むように茶、草木に溶け込むように緑。三諸山の紅葉時期に赤黄で行くと溶け込める(笑)。それにしてもなぜ万葉歌では染まるのを「にほひ」というのだろう。にほふ=香りを連想してしまうので。万葉百科の漢字本文は「 我衣色服染味酒三室山黄葉為在」になっている 。解釈の元は、、、「 色服」あたりが匂う(笑)。 我が衣にほひぬべくも味酒 (うまさけ)   三室の山は黄葉しにけり  万1094 *私の衣が染まりそうなくらい三室山が黄葉している。   右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1093番歌(みもろのその山なみに)~アルケーを知りたい(1912)

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▼今回は暗号文の和歌。みもろの、とは神が来臨する場所のこと。1093番では三輪山のこと。子らが手を、は巻向山の枕詞。で、歌は二つの山の続き具合がよろしい、という眺めの良さを褒めるもの。三輪山が隠されたままなのがいかにも暗号的。 みもろのその山なみに子らが手を 巻向山は継ぎのよろしも  万1093 *三輪山の山なみと巻向山が接続している姿がよい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1092番歌(鳴る神の音のみ聞きし)~アルケーを知りたい(1911)

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▼今回は冒頭が「鳴る神の」というインパクトの強い枕詞で始まっているものだから、後がぶっ飛んでしまいました。鳴る神の、はあくまで音の枕詞なので、冷静に続きを見ると、何のことはない、噂で聞いていた山を実際に見たよ、という内容。だからどうした?とツッコミを入れたくなる。もう少し冷静になると、噂で聞いていた山を自分の目で見たという満足感、納得感、自慢みたいな気持ちを詠っているのだろう、と思ふ。噂でしか聞いたことのないストラディバリウスを今日、この目で見ました!的な。  山を詠む 鳴る神の音のみ聞きし巻向の 檜原の山を今日見つるかも  万1092 *人の話でしか聞いたことのない巻向の檜原山を今日、この目で見ました。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1091番歌(通るべく雨はな降りそ)~アルケーを知りたい(1910)

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▼今回の歌を分かりやすくするために並び替えて見ると、 我れ、 我妹子が 形見の衣、 下に着り、 雨は 通るべく な降りそ になった。倒置表現、要らん!と思うが、かといってストレートだと味わいがなくなるとは言わんが、味が変わる。となると、倒置表現は和歌を和歌たらしめる基本の作法なのだろう、きっと。いまは服のサイズはS、M、Lで男性用と女性用がある。その感覚からすると妻の衣を着るのはサイズの関係で難しいのではないか・・・と思う。万葉時代はフリーサイズだったのだろう。歌を見て思うことがことごとくピント外れだ。この歌の芯は妻への思いを謳う男の心にありそう。ちゃうやろか。 通るべく雨はな降りそ我妹子が 形見の衣我れ下に着り  万1091 *雨が浸み通るほど降らないで欲しい。妻の形見の衣を下に着ているから。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7

万葉集巻第7_1090番歌(我妹子が赤裳の裾の)~アルケーを知りたい(1909)

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▼雨を共通項にして妻を思い出している良い感じの歌。お揃い、とか、一緒であることは大事なことなのだ。距離が離れていても、いや距離が離れているからこそ、あえて。  雨を詠む 我妹子が赤裳の裾のひづつらむ 今日の小雨に我れさへ濡れな  万1090 * 今日の 小雨で妻は 赤裳の裾を濡らしているだろう。私も濡れていくことにしよう。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=7