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万葉集巻第6_1053番歌(八千年に生ま付かしつつ)~アルケーを知りたい(1878)

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▼今回の長歌も久邇京を誉める作品。四季の自然の変化ごとの美しさが伝わってくる。清らかさを大事にしていたのだ。 我が大君 神の命の 高知らす 布当 (ふたぎ) の宮は 百木もり 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し うぐひすの 来鳴く春へは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さお鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧 (あまぎ) らふ しぐれをいたみ さ丹つらふ 黄葉散りつつ 八千年に 生ま付かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 変るましじき 大宮ところ  万1053 *我が大君が建設中の布当の宮はロケーションが抜群でこれから八千の年も大君が現れ天下をお治めになる、百代を経ても変わることのない大宮どころです。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1051-1052番歌(山高く川の瀬清し)~アルケーを知りたい(1877)

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▼前回の勢いのある長歌の後に続く反歌二首が今回の歌。1051番は久邇が大宮であることを納得しようとしている感あり。1052番は、なんか無理に詠ってませんか、という気持ちになってしまった。長歌の勢いがあったので分からなかったけれど、田辺福麻呂には、やっぱり都は奈良でしょと思っていたのではないか?と想像した。遷都に対する思いが感じられて面白い。  反歌二首 三香の原布当の野辺を清みこそ 大宮ところ  一には「ここと標刺し」といふ  定めけらしも  万1051 *三香の原にある布当の野辺は清らかだからこそ、大宮をここに定められたのです。 山高く川の瀬清し百代まで 神しみゆかむ大宮ところ  万1052 *山は高く川の瀬は清らかなので、百代先まで神々しいのがここ大宮です。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1050番歌(うべしこそ我が大君は)~アルケーを知りたい(1876)

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▼旧都を惜しんでばかりではなかった。今回は久邇の新しい都の讃歌。国はしと里はし、山なみと川なみ、川近みと山近み、秋さればと春されば、など対になるフレーズが次々に出て来る。勢いがある。こんな素晴らしい所だから大君はここを大宮に定められたのだ、と鮮やかに結ぶ。Wikipediaによると田辺福麻呂は「 百済帰化の日系氏族帰国者」とあり、日本人とは?とか日本精神とは?の問に対する答えを複雑にしてくれる。  久邇の新京を讃むる歌二首  幷せて短歌 現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に 国はしも  さはにあれども 里はしも  さはにあれども 山なみの  よろしき国と 川なみの  たち合ふ里と 山背の 鹿背山の際に 宮柱 太敷きまつり 高知らす 布当の宮は 川近み  瀬の音ぞ清き 山近み  鳥が音響む 秋されば  山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば  岡辺も繁に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮ところ うべしこそ 我が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも  万1050 *山がよろしく、川もよろしく、秋も春もよい、布当の原はたいへん貴い。だからこそ我が大君は大宮ここに定められたのだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1048-1049番歌(たち変り古き都と)~アルケーを知りたい(1874)

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▼遷都後の都の道に雑草が伸びている、荒れている、と嘆く歌。田辺福麻呂の旧都への愛着が伝わる。福麻呂さん、ご安心を、また都は奈良に戻って来ますから。  反歌二首 たち変り古き都となりぬれば 道の芝草長く生ひにけり  万1048 *時間が経って古い都になってしまい、道の雑草も長く伸びてきた。 なつきにし奈良の都の荒れゆけば 出で立つごとに嘆きし増さる  万1049 *慣れ親しんでいた奈良の都が荒れるので、道に出るたびに嘆きが増す。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1047番歌(通ひし道は馬も行かず)~アルケーを知りたい(1874)

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▼遷都によって旧都になった都を詠う。フレーズの対が気持ち良い。それが三つある。「山見れば・里見れば」「 思へりし・ 頼めりし」「 春花の・ 群鳥の 」。奈良の都への愛着が伝わる。  寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首  幷せて短歌 やすみしし 我が大君の 高敷かす 大和の国は すめろきの 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生 (あ) れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に 桜花 木の暗隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 生駒山 飛火が岳に 萩の枝を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと 思へりし  大宮すらを 頼めりし  奈良の都を 新代の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の  うつろひ変り 群鳥の  朝立ち行けば さす竹の  大宮人の 踏み平し 通ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも  万1047 * 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1044-1046番歌(世間を常なきものと今ぞ知る)~アルケーを知りたい(1873)

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▼今回は、 740年に奈良から久邇京への 遷都があった後、奈良が寂れる様子を悲しむ歌三首。後の時代の人間から見ると、5年経ったらまた都になるので、そんなに寂しがらなくても良いのにと思ったりする。でもそんなこと分かるわけない。同じように今のいろいろな嘆きも5年も経てば別の嘆きに取って代わられるかも知れないし。嘆きの遷都。  寧楽の京の荒墟を傷惜みて作る歌三首  作者審らかにあらず 紅に深く染みにし心かも 奈良の都に年の経ぬべき  万1044 *紅が深く染みるように私の心も奈良の都に馴染んで年を重ねたい。 世間を常なきものと今ぞ知る 奈良の都のうつろふ見れば  万1045 *世間は常に変化するとあらためて知る。奈良の都のうつろいを見ると。 岩つなのまたをちかへりあをによし 奈良の都をまたも見むかも  万1045  *岩に這う蔦のようにまた若返って奈良の都をまた見たいものだ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_1043番歌(たまきはる命は知らず)~アルケーを知りたい(1872)

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▼今回は前回の続き。 二首セットの後の一首。家持と市原王が小高い丘に登り、そこにある松の枝を結んで健康長寿を祈る歌。共感できます。 たまきはる命は知らず松が枝を 結ぶ心は長くとぞ思ふ  万1043 *人の寿命は分からないので、松の枝を結んで祈る時、長くあって欲しいと思ふ。  右の一首は大伴宿禰家持が作。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6