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万葉集巻第二十4340-4341番歌(父母え斎ひて待たね)~アルケーを知りたい(1615)

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▼私は九州の出身なので筑紫と聞くと良いところと分かるけど、万葉の時代に静岡あたりで暮らしていた人からすると筑紫は夜空の星ほど縁遠い所だったろう。4340番は、両親に土産を持って帰るから待っていてくださいと語りかける歌。4341番は、父親と別れて遠い道のりを進まなければならない不安感が伝わる歌。 父母え斎 (いは ) ひて待たね筑紫なる 水漬く白玉取りて来までに  万4340  右の一首は 川原虫麻呂 。 *父上、母上。私の帰りを祈ってお待ちください。筑紫の海にあるという白玉を持って帰るまで。 橘の美袁利 ( みをり ) の里に父を置きて 道の長道 ( ながて) は行きかてのかも  万4341  右の一首は 丈部足麻呂 。 *橘の里に父を置いて、これから長い道のりを進むのだ。 【似顔絵サロン】 川原 虫麻呂   かわらのむしまろ ? - ?  奈良時代の防人。駿河国の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 丈部 足麻呂  はせつかべ の たりまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身。 755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4338-4339番歌(国廻るあとりかまけり)~アルケーを知りたい(1614)

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▼防人として遠くの地に長期間出かけなければならなくなった男たちの家族との離別を悲しむ歌。4338番の たたみけめ は、たたみこもの訛り。畳薦は薦で編んだ畳のことで、後に続くむらじが磯の枕詞。母親と離れるのは寂しいと詠う。4339番は、自分が帰って来るまで無事を祈ってくださいと家族に伝える歌。 畳薦 (たたみけめ) 牟良自 (むらじ) が磯の離磯の 母を離れて行くが悲しさ  万4338  右の一首は助丁 生部道麻呂 。 *岸から離れた 牟良自が磯が 寂しいように、母の元を離れるのは悲しい。 国廻るあとりかまけり行き廻り 帰り来までに斎 (いは) ひて待たね  万4339  右の一首は 刑部虫麻呂 。 *国を飛びめぐる渡り鳥が帰って来るように私が帰るまで祈って待っていてください。 【似顔絵サロン】 生部 道麻呂  いくべ/みむべ/おうしべ の みちまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身、助丁。 刑部 虫麻呂  おさかべ の むしまろ ? - ? 奈良時代の防人。駿河国の出身。755年、筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4334-4337番歌(水鳥の立ちの急ぎに)~アルケーを知りたい(1613)

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▼今回は4首。最初の3首は家持作。4334番はこれから筑紫に向けて出発する防人に向けたメッセージ、4335番は航海中の安全を祈る歌、4336番は船で移動する防人たちが家を恋しく思うだろうと心情を察する歌。四首目の4337番は、これから出発する新防人が、挨拶もそこそこに家をあわただしく出てしまった心残りを詠う歌。 海原を遠く渡りて年経とも 子らが結べる紐解くなゆめ  万4334 *海を渡って遠い場所で年を経ても、家族らとの絆は決して解けないのだ。 今替る新防人が船出する 海原の上に波なきさそね  万4335 *今、交替の防人が船出するところだ。海で波が立たないように祈る。 防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船 楫取る間なく恋は繁けむ  万4336  右は、九日に大伴宿禰家持作る。 *防人が乗った船が港を出るところだ。楫を取る間も家を恋しく思っているだろう。 水鳥の立ちの急ぎに父母に 物言ず来にて今ぞ悔しき  万4337  右の一首は上丁 有度部牛麻呂 。 *水鳥が飛び立つように急いで出て来て、父母に挨拶できなかったことが今悔やまれる。 【似顔絵サロン】 有度部 牛麻呂  うとべ の うしまろ ? - ? 奈良時代の防人。 駿河国の出身。755年、 上丁の防人として筑紫に 派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4331-4333番歌(ますらをの靱取り負ひて)~アルケーを知りたい(1612)

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▼今回は防人が招集され難波から筑紫に出発するプロセスを見ていた家持の歌三首。筑紫が防衛拠点であること、勇敢な兵士の駐留が必要であること、務めが終われば故郷に戻ること、が分かる。4331番の長歌では防人の意義や概要が詠われている。4332番は、夫が防人になって家を離れるので妻は寂しい思いをしているだろう、と詠う。4333番は、防人になった夫も寂しいことだろう、と詠う。家持良き人、良き人家持。  追ひて、防人が悲別の心を痛みて作る歌一首  幷せて短歌 大君の 遠の朝廷と しらぬひ  筑紫の国は 敵まもる おさへの城ぞと きこしをす 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて 大君の 命のまにま ますらをの 心を持ちて あり廻り  事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは 万4331 *筑紫は防衛拠点なので、男たちは親元や妻と別れて 防人の務めを果たす。妻は長い務めが終わって帰って来るのを待っている。 ますらをの靱 ( ゆき) 取り負ひて出て行けば 別れを惜しみ嘆きけむ妻  万4332 *一家の主人が武具を背負って家を出て行くと、別れを惜しんで妻が嘆いていることでしょう。 鶏が鳴く東壮士の妻別れ 悲しくありけむ年の緒長み  万4333  右は、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。 *東国の男子が任地に赴くために妻と別れるのは悲しいことでしょう、別れの期間が長いだけに。 【似顔絵サロン】 物部 古麻呂 もののべ の こまろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国長下郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 我が妻も絵に描き取らむ 暇もが旅行く我は見つつ偲はむ  万4327 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dat...

万葉集巻第二十4328-4330番歌(大君の命畏み)~アルケーを知りたい(1611)

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▼今回は相模国の男で防人に指名された人たち。大阪の難波に集まり、そこから船で九州の筑紫に移動したようだ。今回の三首とも背景の風景が海と船。いずれも家族との別れを惜しむ歌。 大君の命畏み磯に触り 海原渡る父母を置きて  万4328  右の一首は助丁 丈部造人麻呂 。 *大君のご命令なので磯を伝い海を渡ります。家に父母を遺して。 八十国は難波に集い船かざり 我がせむ日ろを見も人もがも  万4329  右の一首は足下の郡の上丁 丹比部国人 。 *諸国から人が難波に集まっている。船支度をする私を見てくれる人がいてくれたら良いのに。 難波津に装ひ装ひて今日の日や 出でて罷らむ見る母なしに  万4330  右の一首は鎌倉の郡の上丁 丸子連多麻呂 。 *難波津に船出の準備を整えて今日を迎えました。いざ出発ですが見送ってくれる母はいません。 二月の七日、相模の国の防人部領使守従五位下 藤原朝臣宿奈麻呂 。 進る歌の数八首。ただし、拙劣の歌五首は取り載せず。 【似顔絵サロン】 丈部 人麻呂  はせつかべ の ひとまろ ? - ? 奈良時代の防人。相模国の出身。助丁(防人の集団の長=国造丁を補佐する役割)。 丹比部 国人  たじいべ の くにひと ? - ? 奈良時代の防人。相模国足下郡の出身。上丁。 丸子 多麻呂  まるこ の おおま ? - ? 奈良時代の防人。相模国鎌倉郡の出身。上丁。 藤原 宿奈麻呂  ふじわら の すくなまろ/良継 よしつぐ 716 - 777 奈良時代の公卿。藤原宇合の次男。相模守の時、防人部領使として防人歌を大伴家持に進上。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4325-4327番歌(我が妻も絵に描き取らむ)~アルケーを知りたい(1610)

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▼4325番と4326番は、静岡出身の男性二人が防人として筑紫に派遣されるときに父母を花に喩えた歌。同じ 佐野郡 の出身なので、二人が話し合いながら作った歌のよう。 4327番は、写真がない時代だったので、妻の絵を描いておけば良かった、という歌。 これらの歌は防人を筑紫まで引率する役割の人が収集して家持に提出していた。家持はその歌の中から良きものを選んで万葉集の第20巻に収めた。ありがたい。 父母も花にもがもや草枕 旅は行くとも捧ごて行かむ  万4325  右の一首は佐野の郡の 丈部黒当 。 *父母が花であれば、この旅路でも捧げて行くのですが。 父母が殿の後方のももよ草 百代いでませ我が来るまで  万4326  右の一首は同じき郡の 壬生部足国 。 *父母の家に植わっているももよ草のように、ずっと元気でいてください、私が戻ってくるまで。 我が妻も絵に描き取らむ暇もが 旅行く我れは見つつ偲はむ  万4327  右の一首は長下の郡の 物部古麻呂 。 *私の妻の似顔絵を描く暇があれば良かったのに。旅先で見ては思い出すのに。 二月の六日、防人部領使遠江の国の史生 坂本朝臣人上 。 進つ歌の数十八首。 ただし、拙劣の歌十一首有るは取り載せず。 【似顔絵サロン】 丈部 黒当  はせつかべ の くろまさ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国(静岡県)佐野郡の出身。丈部は軍事的部民。755年、防人として筑紫に派遣。 生玉部 足国  いくたまべ の たりくに ? - ? 奈良時代、遠江国佐野郡の防人。755年、坂本人上に率いられ筑紫に派遣。 物部 古麻呂 /古麿 もののべ の こまろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国長下郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 坂本 人上  さかもと の ひとかみ ? - ? 奈良時代の人物。755年、遠江国の史生の時、防人部領使として、物部秋持・丈部真麻呂・丈部黒当・生玉部足国・物部古麻呂らの防人を筑紫まで引率。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4323-4324番歌(時々の花は咲けども)~アルケーを知りたい(1609)

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▼4323番は、花はたくさんあるけど「母」という名の花がない、と母親との別れの寂しさを詠う歌。4324番は、行く場所が陸続きではないから言葉も分かれ分かれになる、と両方とも親しい人とのコミュニケーションがなくなるのを嘆く歌。 時々の花は咲けども何すれぞ 母とふ花の咲き出来ずけむ  万4323  右の一首は、防人山名の郡の 丈部真麻呂 。 *時々に花は咲くのだけれども、どうしてか母という名の花は咲いてこない。 遠江 (とへたほ み) 志留波 ( しるは) の磯と爾閇 (にへ) の浦と 合ひてしあらば言も通はむ  万4324  右の一首は同じき郡の 丈部川相 。 *遠江の白羽の磯と贄の浦が続きであれば、言葉を交わせたであろうに。 【似顔絵サロン】 丈部 真麻呂  はせつかべ の ままろ ? - ? 奈良時代の防人。遠江国(静岡県)山名郡の出身。丈部は軍事的部民。755年、防人として筑紫に派遣。 丈部 川相  はせつかべ の かわあい ? - ? 奈良時代の防人。遠江国山名郡の出身。755年、防人として筑紫に派遣。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20