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万葉集巻第6_972番歌(千万の軍なりとも)~アルケーを知りたい(1826)

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▼今回は前回の長歌に続く反歌。長歌はふわっとした感じだったのに対し、972番の歌はなかなか圧が強い(笑)。周囲の期待とプレッシャーの下で成果を出さないといけない役人たち。今も昔も変わらない。高橋虫麻呂に「いよっ!言挙げせず(敵を)征伐して戻ってくる男」と称えられては、藤原宇合もあれこれ言うことなく 西海道の節度使として活躍 するしかない。▼ほかに節度使が置かれた地域は東海道・東山道・山陰道がある。 東海・東山は宇合の兄の 藤原房前が、 山陰道は宇合よりずっと年長の 多治比県守が任命された。  反歌一首 千万 (ちよろづ) の軍 (いくさ) なりとも言挙げせず 取りて来 (き) ぬべき士 (をのこ) とぞ思ふ  万972 *大軍を率いても大げさなことは言わず、敵を平らげて戻ってくる士と思います。   右は、補任の文に検すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使を任ず」と。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_971番歌(白雲の竜田の山の)~アルケーを知りたい(1825)

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▼今回の長歌はタイトルから5W1Hがだいぶ分かる。When=四年壬申( 732年)、Who=藤原宇合、Where=西海道(九州)、 What=節度使。 ほんわりとぼやかした表現が多い和歌では珍しい。 で、節度使は何をするのか、というと、防衛拠点の筑紫を中心に九州全域の国形=現地調査。この歌は、節度使になった藤原宇合を送り出すとき、高橋虫麻呂が讃えた作品。  四年壬申に、 藤原宇合 卿、西海道の節度使に遣はさゆる時に、 高橋連虫麻呂 が作る歌一首  幷せて短歌 白雲の 竜田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 (いほへやま)  い行きさくみ 敵 (あた) まもる 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部 (とものへ) を 班 (あか) ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形 (くにかた) を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 竜田道の 岡辺 (おかへ) の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば  万971 *732年、竜田山が紅葉する時期に、西海道節度使(九州と島々の防衛を司る役職)として筑紫に赴任した藤原宇合卿。現地の山や野など地理状況を細かく調査し把握します。冬があけて春になり竜田道につつじや桜が咲き匂う頃、お帰りになるときにお迎えに参ります。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_964番歌(我が背子に恋ふれば苦し)~アルケーを知りたい(1824)

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▼今回も坂上郎女が大宰府から都に戻る途上で詠んだ歌。いつも一緒にいたい人と別れているのが辛い。海の岸辺に出て、恋しい心を忘れさせるという恋忘れ貝を拾っていきたい、時間があれば。前の963番で名児山を恨んだ後、海の近くを移動しているので、少し気分が落ち着いたようだ。  同じき坂上郎女、京に向ふ海道にして、浜の貝を見て作る歌一首 我が背子に恋ふれば苦し暇あらば 拾ひて行かむ恋忘れ貝  万964 *大切な人が恋しいので暇があれば恋しさを忘れさせてくれるという貝を拾っていきたい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_963番歌(大汝少彦名の神こそば)~アルケーを知りたい(1823)

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▼今回は坂上郎女が山に八つ当たりしている(笑)歌。「なごやま」という名前なのに私のッ心はいっこうに和まない、と。最初悲しい歌と思ったけれど、実は面白い歌だった。駄洒落とバカにするなかれ、だ。   冬の十一月に、 大伴坂上郎女 、帥の家を発ちて道に上り、筑前の国の宗像の郡の名児の山を越ゆる時に作る歌一首 大汝少彦名 (おほなむち すくなびこな) の 神こそば  名付けそめけめ 名のみを 名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに 万963 *名児山という立派な名前の山だけれども、私の心の千の重荷の一つも和ませてくれないのね。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_962番歌(奥山の岩に苔生し畏くも)~アルケーを知りたい(1822)

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▼今回は、「一首歌を!」と人に言われて、「私に作れるわけないでしょう」と答えたのがそのまんま歌になる、というパラドックス作品。・・・というふうに見せて、実はうまく作った歌。いやいや、ちょっと嫌味か(笑)。   天平二年庚午に、勅して、擢駿馬使 大伴道足 宿禰を遣はす時の歌一首 奥山の岩に苔生し畏くも 問ひたまふかも思ひあへなくに  万962 *畏れ多いことに私に歌を作れと仰いますか、思い付きもいたしませんのに   右は、勅使大伴道足宿禰に帥の家にして饗す。 この日に、会集ふ衆諸、駅使 葛井連広成 を相誘ひて、「歌詞を作るべし」といふ。 その時に、広成声に応へて、即ちこの歌を吟ふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_961番歌(湯の原に鳴く葦鶴は)~アルケーを知りたい(1821)

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▼今回は大伴旅人が大宰府近くにある 温泉で鶴の鳴き声を聞き、妻を詠った 作品。解説によると妻が亡くなってすぐ後のことらしい。それを知るとこの歌から感じる悲しさが増す。  帥大伴卿、次田 (すきた) の温泉に宿り、鶴の声を聞きて作る歌一首 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく 妹に恋ふれや時わかず鳴く  万961 *湯の原で鳴く鶴は、私のように妻を恋しがって時を分かたず鳴いている。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6

万葉集巻第6_960番歌(隼人の瀬戸の巖も)~アルケーを知りたい(1820)

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▼956番で「我が大君の食(を)す国は大和もここ(大宰府)も同じとぞ思ふ」と言ったかと思うと今回の960番では「隼人の瀬戸の巖だって吉野の滝には及ばない」と言う。こっちが本音とぞ思ふ。  帥 大伴卿 、遥かに吉野の離宮を偲ひて作る歌一首 隼人の瀬戸の巖も鮎走る 吉野の滝になほ及かずけり  万960 *隼人の瀬戸の巖でも、吉野の滝には及びません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=6