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万葉集巻第二十4477番歌(夕霧に千鳥の鳴きし)~アルケーを知りたい(1685)

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▼4477番は、大伴池主宅で小宴を催したとき大原今城が披露した古歌。物理学者ポール・ディラックは人と会うとき方程式を持参した。同じように今城は人と会うとき古歌を持参したようだ。4477番の味わいは、足しげく通っていた先の人が亡くなると通い路を歩かなくなるので寂れてしまう悲しみの表わし方にあると思ふ。   智努女王 の卒りし後に、 円方女王 が悲傷しびて作る歌一首 夕霧に千鳥の鳴きし佐保道 (さほぢ) をば 荒 (あら) しやしてむ見るよしをなみ  万4477 *夕方、霧が出て千鳥の鳴き声が聞こえてきた佐保の道はこれから荒れるのでしょう、お目にかかるために通らなくなるから。 【似顔絵サロン】 智努女王  ちぬじょおう ? - ? 奈良時代の皇族。 円方女王  まどかたじょおう/おおきみ ? - 775宝亀5年1月27日 奈良時代の皇族。長屋王の王女。智努女王が母か姉。天武天皇の曾孫。元明天皇の治世に伊勢斎宮に参入。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4475-4476番歌(初雪は千重に降りしけ)~アルケーを知りたい(1684)

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▼今回は家持と今城が一献重ねたときの歌。それにしても雪に強いというか寒さに強い万葉の方々だ。体の強さが違う。  二十三日に、式部小丞大伴宿禰家持が宅に集ひて飲宴する歌二首 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの 多かる我れは見つつ偲はむ  万4475 *初雪は積み重なるように降って欲しい。人恋しがりの私は積もった雪を見て偲ぶから。 奥山のしきみが花の名のごとや しくしく君に恋ひわたりなむ  万4476  右の二首は兵部大丞 大原真人今城 。 *奥山のしきみの花の名前のように、私は貴方様をしきりに思い出すでしょう。 【似顔絵サロン】 大原 今城/今木  おおはら の いまき 705年 - ? 奈良時代の皇族・貴族・万葉歌人。764年、藤原仲麻呂の乱に連座。771年、赦免。 秋されば春日の山の黄葉見る奈良の都の荒るらく惜しも  万1604 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4472-4474番歌(うちひさす都の人に)~アルケーを知りたい(1683)

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▼今回の歌は、 安宿奈杼麻呂が転勤になったので、安宿王や山背王が 奈止麻呂の家に集まって小宴を催したときの歌、三首。最初の4472番は 奈止麻呂の歌。大君の命で都に上がります、と宴会に集まった人に向かって詠う。次の4473番は山背王の応答歌。三首目の4474番は後日、家持が追和した歌。家持はこの小宴には参加していなかったよう。  八日に、讃岐守 安宿王 等、出雲掾 安宿奈杼麻呂 が家に集ひて宴する歌二首 大君の命畏み於保の浦を そがひに見つつ都へ上る  万4472   右は掾安宿奈杼麻呂。 *大君のご命令は畏れ多いので、於保の浦を背にしながら都へ参上いたします。 うちひさす都の人に告げまくは 見し日のごとくありと告げこそ  万4473 *都の方々に次のようにお伝えください、前にお目にかかったときと同じ様子で過ごしています、と。   右の一首は、守 山背王 が歌なり。 主人安宿奈杼麻呂語りて云はく、「奈杼麻呂、朝集使に差さえ、京師に入らむとす。 これによりて、餞する日に、おのもおのも歌を作り、いささかに所心を陳ぶ」といふ。 群鳥の朝立ち去にし君が上は さやかに聞きつ思ひしごとく   一には「思ひしものを」といふ  万4474   右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持、後の日に、出雲守 山背王 が歌に追ひて和へて作る。 *鳥の群れが朝早く飛び立つように出発なさった貴方様のその後の話は詳しく伺っております。私が思っていたとおりでした。 【似顔絵サロン】 安宿 奈杼麻呂 /飛鳥部 奈止麻呂 あすかべ の などまろ ? - ? 奈良時代の官人。河内国安宿郡の人。百済系の渡来氏族。 安宿王  あすかべおう/あすかべのおおきみ ? - ? 奈良時代の皇族。天武天皇の後裔、長屋王の五男。橘奈良麻呂の乱の後、佐渡に流罪。 山背王  やましろおう ? - 763 奈良時代の公卿。 長屋王と藤原長娥子 (ながこ) の子。長屋王の変では母が藤原不比等の娘であったため罪を免れた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4470-4471番歌(水泡なす仮れる身ぞ)~アルケーを知りたい(1682)

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▼今回の二首は家持の作。4470番は、泡沫のような命と承知しりながらもなお長生きを祈る歌。4471番は、夜の雷の光で一瞬見えた山橘の歌。  寿を願ひて作る歌一首 水泡なす仮れる身ぞとは知れれども なほし願ひつ千年の命を  万4470 *水泡のようなこの世の仮の姿の自分とは分かっている。しかしそれでもなお千年の長寿を願うのだ。   以前の歌六首は、六月の十七日に大伴宿禰家持作る。  冬の十一月の五日の夜に、小雷起りて鳴り、雪落りて庭を覆ふ。 たちまちに感憐を慨き、いささかに作る短歌一首 消残りの雪にあへ照るあしひきの 山橘をつとに摘み来な  万4471   右の一首は兵部少輔大伴宿禰家持。 *消え残りの雪と一緒に映える山橘を家の土産に摘んで来よう。 【似顔絵サロン】 寿を願ふ大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4468-4469番歌(うつせみは数なき身なり)~アルケーを知りたい(1681)

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▼今回は家持が病気になって床に就いたときの思いを詠った二首。4468番は、布団に寝ていると自分などこの世ではものの数にも入らない存在だから、この世に関わるのではなく山や川の自然の中で自分の道を求めるほうが良い、と考えている。4469番は、自然も変化著しいのだからそのスピードについて行って清い道に出会えるようにせねば、と言う。元気そうなので、回復基調にある時の歌のようだ。  病に臥して無常を悲しび、道を修めむと欲ひて作る歌二首 うつせみは数なき身なり山川の さやけき見つつ道を尋ねな  万4468 *現実のこの世ではものの数にも入らないこの身。山や川の清らかな場所で道を追求したいもの。 渡る日の影に競ひて尋ねてな 清きその道またもあはむため  万4469 *空を動く太陽とその影に競うように、求める清らかな道に出会えるように精進せねば。 【似顔絵サロン】 病の大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4466-4467番歌(剣太刀いよよ磨くべし)~アルケーを知りたい(1680)

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▼今回は、前回の4465番の長歌に続く短歌二首。気になるのは4467番の後書き。今回の三首は、 淡海三船の讒言 (人を陥れるため目上の人に嘘を言うこと ) で大伴古慈斐が役職を解かれた、とある。理不尽な目に遭っても大伴一族の誇りを失わず、剣を研ぎ澄ませ、という家持の言葉。 磯城島の大和の国に明らけき 名に負ふ伴の男心つとめよ  万4466 *磯城島の大和の国で明らかな家名を背負う大伴の皆よ、気合を入れて務めに励むように。 剣太刀いよよ磨くべしいにしへゆ さやけく負ひて来にしその名ぞ  万4467 *剣を研ぎすますべし。昔から背負ってきた大伴の家名であるぞ。   右は、 淡海真人三船 が讒言によりて、出雲守 大伴古慈斐 宿禰、任を解かゆ。 ここをもちて、家持この歌を作る。 【似顔絵サロン】 淡海 三船  おうみ の みふね 722 - 785 奈良時代後期の皇族・貴族・文人。弘文天皇の曽孫。 756年、朝廷を誹謗したとして、大伴古慈斐と共に衛士府に禁固され、3日後に放免。 大伴 古慈斐  おおとも の こしび 695 - 777 奈良時代の公卿。大伴祖父麻呂の子。 756年、藤原仲麻呂により、朝廷を誹謗し臣下の礼を失したとの理由で淡海三船と共に衛士府に拘禁され、3日後に赦免。 757年、橘奈良麻呂の乱に連座して土佐国へ流罪。770年、復帰。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20

万葉集巻第二十4465番歌(空言も祖の名絶つな)~アルケーを知りたい(1679)

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▼今回は久しぶりの長歌。家持が一族に大伴の名を大事にせよと檄を飛ばす歌。  族を喩す歌一首  幷せて短歌 ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし すろめきの 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますらたけをを 先に立て 靫取り負はせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を 皇へに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる ますらをの伴  万4465 *かりそめにほ大伴の名前を汚すようなことがあってはならない。大伴の名を背負うわがますらをよ。 【似顔絵サロン】 族を喩す大伴家持 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=20