▼前書きにある「藤原の宮」とは、天武天皇が計画し、持統天皇が実現した藤原京(奈良県橿原市)のこと。縦横が5.3Kmの規模。でかい。条坊制を採用した日本で初めての本格的な都。694年に飛鳥浄御原宮から藤原の宮に遷都した。50番はその記念となる長歌。参考書の伊藤博先生によると、 作者は役民とあるが、実 は高級官人らしいとのこと。役人が労役に汗を流す民の立場に立って詠った歌だ。いそはく見ればの「いそはく」は頑張っている状態のこと。では今日も、いそはくやるとしますか。 藤原の宮の役民の作る歌 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤原が上に 食 (を) す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地 (あめつち) も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山 (たなかみやま) の 真木 (まき) さく 檜 (ひ) のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒ぐ御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道 (こせぢ) より 我が国は 常世にならむ 図負 (あやお) へる くすしき亀も 新代 (あらたよ) と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝 (のぼ) すらむ いそはく見れば 神からにあらし 万50 *藤原の宮の造営に民が力を尽くしているのを見ると、これは神意であるかららしい。 右は、日本紀には「朱鳥の七年癸巳の秋の八日に、藤原の宮地に幸す。 八年甲午の春の正月に、藤原の宮に幸す。 冬の十二月庚戌の朔の乙卯に、藤原の宮に遷る」といふ。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1