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万葉集巻第1_14番歌(香具山と耳成山と闘ひし時)~アルケーを知りたい(1719)

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▼今回の14番歌は「香久山は畝傍を惜しと」で始まる13番の反歌。13番は長歌で、神の時代からこのように争っていた、昔もそうだった、だからこそ今現在でも争うのだ、という内容。争いを神代からの流れとして説明しているのが印象的。争いなどなくなれば良いのに、ではなく、それが人間の性なのだ、と言い切るのが中大兄皇子らしい。14番では、香具山と耳成が畝傍の争奪戦を印南国原が見物に来たと言って登場人物を増やしている。何か事が起こると野次馬が出て来る様子を俯瞰して面白く詠っている。  反歌 香具山と耳成山と闘ひし時 立ちて見に来し印南国原  万14 *香具山と耳成山が戦った時、見物に来たのが印南国原。 【似顔絵サロン】中大兄皇子/天智天皇 てんちてんのう/なかのおおえのおうじ 626 - 672 第38代天皇。645年、中臣鎌足と共に乙巳の変、大化の改新を行う。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_13番歌の作者:中大兄皇子、乙巳の変~アルケーを知りたい(1719)

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▼今回は、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を宮中で皇極天皇の眼前で斬り殺した「乙巳の変」当日の人々を見る。 ▼ 乙巳の変のWikipediaの説明:飛鳥時代645年(乙巳の年)に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中(飛鳥板蓋宮)にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。 ▼ もうひとつの説明。乙巳の変の山田圭一著『日本史の教科書』の説明:皇極天皇の子の中大兄皇子とその腹心の中臣鎌足は(中略)豪族政治を続けようとする蘇我氏を倒し、王族を中心とした新しい国づくりを進めたいと(中略)として起きたクーデター。 ▼ 登場人物 図の上から順に紹介 ()はその時の年齢 皇極天皇(51) 目の前で入鹿が斬られた。無言で殿中に退いた。 中大兄皇子(19) 実行部隊がビビっているのを見て長槍を持って自らおどり出た。 中臣鎌足(31) ビビる実行者2名を叱咤激励し、弓矢を取って潜んだ。 蘇我倉山田石川麻呂(?) 恐怖のあまり震え入鹿に不審がられた。 海犬養勝麻呂(?) 実行者2名に剣を渡し「ゆめゆめあからさまに斬るべし」と伝えた。 佐伯子麻呂(?) 入鹿を斬る役。 葛城稚犬養網田(?) 入鹿を斬る役。 蘇我入鹿(?) 皇極天皇の前で殺害される。 蘇我蝦夷(59) 入鹿の殺害を知り翌日、屋敷に火を放ち自害。 巨勢徳太(?) 入鹿側。中大兄皇子に降伏し蘇我氏遺臣を説得して兵を引かせた。 高向国押(?) 入鹿側。「誰が為に空しく戦ひて、刑せられむか」と武装解除。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 山田圭一著『日本史の教科書』SBクリエイティブ株式会社。

万葉集巻第1_13番歌(古もしかにあれこそ)~アルケーを知りたい(1718)

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▼今回の13番~15番は中大兄皇子の歌。中大兄皇子は19歳のとき朝廷で蘇我入鹿を斬った人物。後の天智天皇。時代を画した人物。13番歌に「争= 諍 」の文字が入っており、中大兄皇子らしい歌と思ふ。   中大兄  近江の宮に天の下知らしめす天皇  の三山の歌 香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争うふらしき  万13 *神代より相争ってきた。昔がそうだったので、今でも男は女性を取り合うらしい。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_12番歌(我が欲りし野島は見せつ)~アルケーを知りたい(1717)

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▼今回の「我が欲りし」で始まる12番歌で 、間人皇女が斉明天皇の立場で詠んだ三首が揃った。前の二首を振り返ると、草を結んで幸いを祈る11番歌、仮廬の屋根を葺く茅を刈る12番歌。13番では、まだ玉は拾っていません、と最後のピースがまだ埋まっていない状態を詠う。まだ拾ってない、ということでこれからの動きが感じられる歌。 我が欲りし野島は見せつ底深き 阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ  万12  或いは頭に「我が欲りし子島は見しを」といふ   右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「天皇の御製歌云々」といふ。 *私が見たかった野島は見せてもらいました。でもまだ、水底深い阿胡根の浦の玉は拾っていません。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_11番歌(我が背子は仮廬作らす)~アルケーを知りたい(1716)

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▼前回に続き、間人皇女が斉明天皇の立場で詠んだ三首セットの2番目の作品。この歌から、当時は仮設の建物の屋根に茅を使っていたことが分かる。さらに茅にも質の違いがあったようだ。 我が背子は仮廬作らす草 (かや) なくは 小松が下の草 (かや) を刈らさね  万11 *我が君の仮廬を作るのに使う上質の茅がないときは、小松の下の 茅 を刈れば良いのです。 【間人皇女の家族】 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_10番歌(君が代も我が代も知るや)~アルケーを知りたい(1715)

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▼今回の10番歌から12番歌までの三首は、 伊藤博訳注『新版 万葉集一』によると 中皇子=間人皇女が斉明天皇の立場で詠った作品で、10番歌の冒頭の「君が代」の君は、中大兄皇子を指すという。下の句の「草根を結ぶ」のは、祈りの行動で、ここでは長寿を祈っている。ネットでいう草wとは違う意味。  中皇命、紀伊の温泉に往す時の御歌 君が代も我が代も知るや岩代の 岡の草根をいざ結びてな  万10 *君の代も、私の代も支配する岩代の岡の草根を、さあ、結びましょう。 【似顔絵サロン】中皇命/間人皇女 はしひとのひめみこ ? - 665 父は舒明天皇、母は皇極天皇/斉明天皇。中大兄皇子(天智天皇)の妹、大海人皇子(天武天皇)の姉。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1

万葉集巻第1_9番歌(莫囂円隣之大相七兄爪謁気)~アルケーを知りたい(1714)

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▼今回の9番歌は、上の句が漢字のままになっているのが特長。定まった訓がないので有名な 難訓歌という。さらに歌の中にあるわが背子が誰をさすのか、よく分からないらしい。ここでは参考にしている伊藤博訳注『新版 万葉集一』に倣って 有間皇子にした。  紀伊の温泉に幸す時に、額田王が作る歌 莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子が い立たせりけむ厳橿が本  万9 *ここが わが背子 が出発なさった場所、厳橿の根元よ。 【似顔絵サロン】 有間皇子  ありまのみこ 640舒明天皇12年 - 658斉明天皇4年12月11日 飛鳥時代の皇族。孝徳天皇の皇子。斉明天皇と中大兄皇子への謀反を企て藤白坂で絞首刑。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1