アルケーを知りたい(47) ボイルの法則 Boyle's law

▼今回はボイルの法則を確認した。下の表は上の3段で平尾物理、卜部化学、Wikipediaから説明を抽出した。4段目はボイルの法則の提唱者であるロバート・ボイルが生きた17世紀のイングランドの大きな出来事を見た。5段目に同時代人をピックアップした。

▼ロバート・ボイルが活動した1600年中期には、密閉性と耐圧性を備えたシリンダーやピストン、圧力や温度の測定装置があった、ということが分かる。

▼気体の状態を示す図では気体分子が枠の中を飛んだり、壁にぶつかったりしている。壁にぶつかることで圧力が生じるのは分かる。分からないのは、気体分子同士の間の空白はどうなっているのか?ということ。

▼原子の場合は、非常に小さい原子核と遠くに離れたさらに小さい電子があって、両者の間は真空だ。気体の場合、分子と分子の間は真空なのだろうか。分かるのは、こういうことが分からないまま高校を終えてしまった、ということ。

▼謎を残したままなので、気体という状態について本当のところ全然分かってない。でもその分からなさ加減は、原子内部の空間が真空と言われても分からないのと同じようなもの、という気がするから、少しずつ参考書やWikipediaを読み進める。

▼不思議なもので少しずつ積み重ねていると1か月前はチンプンカンプンだったものが、少し分かるようになる。例えば、スピンと言われても全く分からなかったけど、今は、何かの量のことだな、くらい前進している(笑)。

出所 平尾淳一「総合的研究物理」旺文社、2018年。
卜部𠮷庸「化学の新研究」三省堂、2019年。

▼ロバート・ボイル Robert Boyle 1627-1691
混合物mixturesと化合物compoundsをきちんと区分した。筋道だった手順で探求する過程を分析”analysis”と呼んだイングランドの科学者。

▼幼少期
1627年、アイルランド・ウォーターフォード県リズモア生まれ。父は初代コーク伯爵。大地主。一家の習慣で里子に出される。アイルランド語が堪能になる。ラテン語、ギリシャ語、フランス語も学ぶ。

▼教育
1635年(8才)母が死去。イングランドのイートン・カレッジに入学(1638年まで)。家庭教師もつく。家庭教師を伴い海外旅行。
1641年(14才)イタリア旅行。フィレンツェでガリレオ先生に師事(ガリレオ先生は翌年死去)。
1642-49年(15-22才)【清教徒革命】
1643年(16才)父が死去。イングランドの荘園とアイルランドの地所を相続。
1644年(17才)ヨーロッパ旅行からイングランドに戻る。科学研究の生活にシフト。科学者が集まるInvisible College(後の王立協会)のメンバーになる。ロンドンのグレシャム・カレッジやオックスフォードで会合を持つ。

▼活動
1647年(20才)アイルランドの地所を視察訪問。
1652年(25才)アイルランドに移住。実験器具が入手できないなど研究生活には不便。
1654年(27才)アイルランドからオックスフォードに転居。
1657年(30才)ドイツの物理学者オットー・ゲーリケ氏が1950年に発明した真空ポンプを知る。ロバート・フックさんを助手に自ら真空ポンプの製作を開始。
1659年(32才)”machina Boyleana” と名付けたエア・ポンプが完成。オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジで実験を開始。
1660年(33才)【王政復古】研究成果を “New Experiments Physico-Mechanical, Touching the Spring of the Air, and its Effects”と題して発表。
1661年(34才)『懐疑的化学者(The Sceptical Chymist)』発刊。化学分野の基礎を築いた名著。
1662年(35才)ボイルの法則を発表。
1663年(36才)Invisible Collegeがチャールズ2世の許可を得て王立協会に改名して発足。設立協議会の一員として参加。
1666年(39才)【ロンドン大火】
1668年(41才)オックスフォードからロンドンに移転、姉のキャサリンの家に同居。
1675年(48才)電気による牽引と反発は真空中で作用し得る。
1680年(53才)王立協会会長に選ばれるも辞退。
1688-89年(61-62才)【名誉革命】健康が衰る。
1691年(64才)ロンドンで死去。

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