アルケーを知りたい(173) ノーベル物理学賞 1902年 ピーター・ゼーマンさん リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 30, 2021 ▼第2回のノーベル物理学賞は受賞者が2人。ローレンツさんと今回のピーター・ゼーマンさん。▼ゼーマンさんの気質が伺えるエピソード:ゼーマンさんがノーベル物理学賞を取る元になった研究は、上司の命令に背くものだった。そのせいで職場をクビになった。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
万葉集巻第十2219-2222番歌(夕さらずかはづ鳴くなる)~アルケーを知りたい(1477) 4月 08, 2025 ▼今回は刈り入れ前の田と川で鳴いている蛙を詠った四首。2221番で「我が門に守る田」と言っているように、なにしろ主食のコメを育てるのだから、万葉の時代から大切に守っていたのだ。 水田を詠む あしひきの山田作る子秀でずとも 繩だに延へよ守ると知るがね 万2219 *山で田を造っているお方よ、穂が出る前に縄張りすると良いよ、所有地であることを人に示すため。 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺にある 早稲田は刈らじ霜は降るとも 万2220 *牡鹿が妻を呼ぶ山の麓にある早稲の田は刈らないでおきましょう。霜が降りても。 我が門に守る田を見れば佐保の内の 秋萩すすき思ほゆるかも 万2221 *我が家の田を見ていると、佐保の秋萩やススキを思い出します。 川を詠む 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の 清き瀬の音を聞かくしよしも 万2222 *毎夕、カエルが鳴く三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは心地よい。 【似顔絵サロン】万葉集の編集者、大伴家持(718-785)の人脈: 藤原 仲麻呂 ふじわら の なかまろ/恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、橘奈良麻呂の乱では勝利。 763年、藤原宿奈麻呂は家持(47)らと仲麻呂暗殺計画を立てるも失敗。宿奈麻呂が単独犯行を主張したので家持はお咎めなしだったが、翌764年、薩摩守へ左遷。 同764年、孝謙上皇・道鏡と対立し藤原仲麻呂の乱を起こすも敗北、斬首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10 続きを読む
万葉集巻第十八4070-4072番歌(一本のなでしこ植ゑし)~アルケーを知りたい(1535) 6月 05, 2025 ▼4070番の前書きに出て来る「 牛麦」。どう読むのか。うしむぎ、あるいは、なでしこ。歌の作者は家持。歌を贈った相手は清見 (せいけん) 。酒と一緒に歌を贈った。歌も嬉しい、酒も嬉しい。どちらも人の心を和らげる。4071番も4072番も傍らには酒があったことでしょう。 庭中の牛麦が花を詠む歌一首 一本のなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思ひそめけむ 万4070 右は、先の国師の従僧 清見 、京師に入らむとす。 よりて飲饌を設けて饗宴す。 時に、主人大伴宿禰家持、この歌詞を作り、酒を清見に送る。 *一本の撫子を植えたその心、誰に見せようと思っていらっしゃるのでしょう。 しなざかる越の君らとかくしこそ 柳かづらき楽しく遊ばめ 万4071 右は、郡司已上の諸人、多くこの会に集ふ。 よりて、守大伴宿禰家持、この歌を作る。 *越中の皆さんがたとこのようにして柳をかづらにして楽しく遊びましょう。 むばたまの夜渡る月を幾夜経と 数みつつ妹は我れ待つらむぞ 万4072 右は、この夕、月光遅に流れ、和風やくやくに扇ぐ。 すなわち属目によりて、いささかにこの歌を作る。 *夜空を渡る月の夜を幾夜経たかと数えながら妻は帰りを待ち焦がれていることでしょう。 【似顔絵サロン】 清見 せいけん ? - ? 奈良時代の僧。越中国師の従僧。748年、越中から京師へ向かった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18 続きを読む
万葉集巻第三417‐419番歌(岩戸破る手力もがも)~アルケーを知りたい(1298) 9月 29, 2024 ▼今回は、大宰師だった河内王の逝去を悲しむ、妻の手持女王の歌三首。み心に適うはずもないのに豊前の鏡山を宮に定めた、と切り出す 417番 。鏡山に岩戸を立てて籠ったまま出ていらっしゃらない、という 418番 。腕力のない女である私は岩戸を開ける力もない、と嘆く419番。三首で一つのストーリーになっている歌。 河内王 を豊前の国の鏡の山に葬る時に、手持女王が作る歌三首 大君の和魂あへや豊国の 鏡の山を宮と定むる 万417 *大君のお心に適ったとでもいうのでしょうか。豊国の鏡山を宮となさったのは。 豊国の鏡の山の岩戸立て 隠りにけらし待てど来まさぬ 万418 *豊国の鏡山に岩戸を立てて中にお籠りになりました。いくらお待ちしてもお出でになりませぬ。 岩戸破る手力もがも手弱き 女にしあればすべの知らなく 万419 *岩戸を引き開ける腕力もない女ですので、再びお目にかかりたくとも方法がありません。 【似顔絵サロン】 河内王 かわちのおおきみ ? - 694年 飛鳥時代の皇族。筑紫大宰帥を務めた。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=3 続きを読む
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