アルケーを知りたい(187) ノーベル物理学賞 1908年 ガブリエル・リップマンさん

▼第8回のノーベル物理学賞受賞者は、ルクセンブルク出身の物理学者ガブリエル・リップマンさん(63)。光干渉を利用したカラー写真の功績に対して贈呈。  


▼リップマンさんの人脈: 


【師匠】
ウィルヘルム・キューネ
 Wilhelm Kühne 1837 - 1900 生理学者

1837年、ドイツのハンブルク生まれ。 1856(19)ゲッティンゲン大学卒業。ベルリン大学、パリ大学、ウィーン大学で修行。 1863(26)ベルリン大学病理学研究所化学研究室で助手。 1868(31)アムステルダム大学で生理学教授。 1871(34)ハイデルベルク大学でヘルムホルツさんの後任教授(1900年まで)。 1872(35)リップマンさん(27)を指導。 1876(39)酵母の中 in yeast という意味のギリシア語の en zymi から酵素 enzyme と命名。 1900(63)死去。



【師匠】
グスタフ・キルヒホフ
 Gustav Kirchhoff ドイツの物理学者

1824年、ロシアのカリーニングラード生まれ。 1847(23)ケーニヒスベルク大学卒業。ベルリンに転居。 1849(25)オームの法則を拡張したキルヒホッフの法則(電気回路)を発表。 1854(30)ドイツのハイデルベルク大学で教授。ブンゼンさんと出会い、分光学研究を開始。 1859(35)ブンゼンさんと分光器spectroscopeを発明。太陽光を分析。黒体放射におけるキルヒホフの放射法則。 1860(36)ブンゼンさんとセシウムCsを発見。発光スペクトルの輝線が青色なのでラテン語の青色(caesius)から命名。フラウンホーファー線は元素の吸収スペクトルであることを発見。 1861(37)ブンゼンさんとフレーム分光法を用いてルビジウムRbを発見。発光スペクトルの輝線が赤色なのでラテン語の暗赤色(rubidus)から命名。 1874(50)リップマンさん(29)の博士指導教員。 1875(51)ベルリン大学で初の理論物理学教授。 1887(63)ベルリンで死去。



【師匠】
ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ 
Hermann Helmholtz ドイツの生理学者、物理学者。

1821年、プロイセン王国(ドイツ)ポツダム生まれ。 1838(17)ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校入学。 1842(21)フリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校で医学博士。 1847(26)ジュールの実験をもとに熱力学の第1法則を導出。ユリウス・マイヤーさん、ジュールさん、ケルビン卿ウィリアム・トムソンさんらと並ぶエネルギー保存則の確立者。 1871(50)ベルリン大学で教授(物理学)。 1872(51)リップマンさん(27)を指導。 1894(73)ベルリンのシャルロッテンブルクで死去。


【関係者】マリー・キュリー 

 → アルケーを知りたい(176_1)ノーベル物理学賞 1903年 

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