アルケーを知りたい(207) ノーベル化学賞 1922年 フランシス・アストンさん リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 04, 2021 ▼1922年のノーベル化学賞受賞者は、フランシス・アストンさん(45)。「非放射性元素における同位体の発見と質量分析器の開発」に対して。 ▼本業では、質量分析器の開発でノーベル化学賞を受賞したほか、音楽・写真・スポーツ・天体観測の才能に恵まれた人物。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
万葉集巻第十2219-2222番歌(夕さらずかはづ鳴くなる)~アルケーを知りたい(1477) 4月 08, 2025 ▼今回は刈り入れ前の田と川で鳴いている蛙を詠った四首。2221番で「我が門に守る田」と言っているように、なにしろ主食のコメを育てるのだから、万葉の時代から大切に守っていたのだ。 水田を詠む あしひきの山田作る子秀でずとも 繩だに延へよ守ると知るがね 万2219 *山で田を造っているお方よ、穂が出る前に縄張りすると良いよ、所有地であることを人に示すため。 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺にある 早稲田は刈らじ霜は降るとも 万2220 *牡鹿が妻を呼ぶ山の麓にある早稲の田は刈らないでおきましょう。霜が降りても。 我が門に守る田を見れば佐保の内の 秋萩すすき思ほゆるかも 万2221 *我が家の田を見ていると、佐保の秋萩やススキを思い出します。 川を詠む 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の 清き瀬の音を聞かくしよしも 万2222 *毎夕、カエルが鳴く三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは心地よい。 【似顔絵サロン】万葉集の編集者、大伴家持(718-785)の人脈: 藤原 仲麻呂 ふじわら の なかまろ/恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、橘奈良麻呂の乱では勝利。 763年、藤原宿奈麻呂は家持(47)らと仲麻呂暗殺計画を立てるも失敗。宿奈麻呂が単独犯行を主張したので家持はお咎めなしだったが、翌764年、薩摩守へ左遷。 同764年、孝謙上皇・道鏡と対立し藤原仲麻呂の乱を起こすも敗北、斬首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10 続きを読む
万葉集巻22番歌(常にもがもな常処女)~アルケーを知りたい(1242) 8月 04, 2024 ▼ この歌に出てくる 十市皇女 (とをちのひめみこ) は天武天皇と額田王 の娘、弘文天皇の妻。 阿閉皇女 (あへのひめみこ) は天智天皇の娘で後の元明天皇。 弘文天の異母妹。▼この歌は 壬申の乱から3年が経過した 675年、20代と10代の女性 二人が 伊勢神宮に参った時の作 。作ったのは 吹芡刀自 (ふふきのとじ、伝不詳) 。 明日香の清御原の宮の天皇の代 <天渟中原瀛真人天皇、謚して天武天皇といふ> 十市皇女、伊勢の神宮に参赴ます時に、波多の横山の巌を見て、吹芡刀自が作る歌 川の上のゆつ岩群に草生さず 常にもがもな常処女にて 万22 *川の上の神聖な岩には草が生えていません。そのように私もいつまでも乙女のままでいたいものです。 吹芡刀自はいまだ詳らかにあらず。ただし、紀には「天皇の四年乙亥の春の二月乙亥の朔の丁亥に、十市皇女・阿閉皇女、伊勢の神宮に参赴ます」といふ。 【似顔絵サロン】 弘文天皇 こうぶんてんのう / 大友皇子 648年 - 672年 天智天皇の子。第39代天皇。壬申の乱で叔父の大海人皇子(天武天皇)に敗北。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=1 続きを読む
万葉集巻第二147‐149番歌(天の原振り放け見れば大君の)~アルケーを知りたい(1266) 8月 28, 2024 ▼今回は天智天皇が体調不良のときの皇后の歌。147番で本来のあるべき姿を、148番で再会が叶わない悲しみを、149番で崩御の後の気持ちを、詠っている。 近江の大津の宮に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇、謚して天智天皇といふ 天皇聖躬不予の時に、 大后 の奉る御歌一首 天の原振り放け見れば大君の 御寿 (みいのち) は長く天足らしたり 万147 *天を見上げると、大君の寿命は長く天に満ちています。 一書に曰はく、近江天皇聖躬不予、御病急かなる時に、大后の奉献る御歌一首 青旗の木幡の上を通ふとは 目には見れども直に逢はぬかも 万148 *天智天皇の霊が木幡山の上を通っておられるのが私の目には見える。けれども、直接お目にかかることはできません。 天皇の崩りましし後の時に、倭大后の作らす歌一首 人はよし思ひ息むとも玉葛 影に見えつつ忘らえぬかも 万149 *ほかの人が天皇の面影を忘れることがあろうとも、私は玉葛の冠を被る天皇のお姿を忘れることはありません。 【似顔絵サロン】 古人大兄皇子 ふるひとのおおえのみこ ? - 645年 飛鳥時代の皇族。147‐149番の歌を詠んだ大后の父親。舒明天皇の第一皇子。母は蘇我馬子の娘。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集一』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=2 続きを読む
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