アルケーを知りたい(208) ノーベル物理学賞 1923年 ロバート・ミリカンさん リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 05, 2021 ▼1923年のノーベル物理学賞受賞者は、ロバート・ミリカンさん(55)。「電気素量、光電効果に関する研究」に対して。 ▼水滴ではなく油滴を使って電気素量を測定したミリカンの実験は高校物理で出てくる話。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
万葉集巻第十八4070-4072番歌(一本のなでしこ植ゑし)~アルケーを知りたい(1535) 6月 05, 2025 ▼4070番の前書きに出て来る「 牛麦」。どう読むのか。うしむぎ、あるいは、なでしこ。歌の作者は家持。歌を贈った相手は清見 (せいけん) 。酒と一緒に歌を贈った。歌も嬉しい、酒も嬉しい。どちらも人の心を和らげる。4071番も4072番も傍らには酒があったことでしょう。 庭中の牛麦が花を詠む歌一首 一本のなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思ひそめけむ 万4070 右は、先の国師の従僧 清見 、京師に入らむとす。 よりて飲饌を設けて饗宴す。 時に、主人大伴宿禰家持、この歌詞を作り、酒を清見に送る。 *一本の撫子を植えたその心、誰に見せようと思っていらっしゃるのでしょう。 しなざかる越の君らとかくしこそ 柳かづらき楽しく遊ばめ 万4071 右は、郡司已上の諸人、多くこの会に集ふ。 よりて、守大伴宿禰家持、この歌を作る。 *越中の皆さんがたとこのようにして柳をかづらにして楽しく遊びましょう。 むばたまの夜渡る月を幾夜経と 数みつつ妹は我れ待つらむぞ 万4072 右は、この夕、月光遅に流れ、和風やくやくに扇ぐ。 すなわち属目によりて、いささかにこの歌を作る。 *夜空を渡る月の夜を幾夜経たかと数えながら妻は帰りを待ち焦がれていることでしょう。 【似顔絵サロン】 清見 せいけん ? - ? 奈良時代の僧。越中国師の従僧。748年、越中から京師へ向かった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18 続きを読む
万葉集巻第十2219-2222番歌(夕さらずかはづ鳴くなる)~アルケーを知りたい(1477) 4月 08, 2025 ▼今回は刈り入れ前の田と川で鳴いている蛙を詠った四首。2221番で「我が門に守る田」と言っているように、なにしろ主食のコメを育てるのだから、万葉の時代から大切に守っていたのだ。 水田を詠む あしひきの山田作る子秀でずとも 繩だに延へよ守ると知るがね 万2219 *山で田を造っているお方よ、穂が出る前に縄張りすると良いよ、所有地であることを人に示すため。 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺にある 早稲田は刈らじ霜は降るとも 万2220 *牡鹿が妻を呼ぶ山の麓にある早稲の田は刈らないでおきましょう。霜が降りても。 我が門に守る田を見れば佐保の内の 秋萩すすき思ほゆるかも 万2221 *我が家の田を見ていると、佐保の秋萩やススキを思い出します。 川を詠む 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の 清き瀬の音を聞かくしよしも 万2222 *毎夕、カエルが鳴く三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは心地よい。 【似顔絵サロン】万葉集の編集者、大伴家持(718-785)の人脈: 藤原 仲麻呂 ふじわら の なかまろ/恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、橘奈良麻呂の乱では勝利。 763年、藤原宿奈麻呂は家持(47)らと仲麻呂暗殺計画を立てるも失敗。宿奈麻呂が単独犯行を主張したので家持はお咎めなしだったが、翌764年、薩摩守へ左遷。 同764年、孝謙上皇・道鏡と対立し藤原仲麻呂の乱を起こすも敗北、斬首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10 続きを読む
万葉集巻第十八4093-4097番歌(ますらをの心思ほゆ)~アルケーを知りたい(1541) 6月 11, 2025 ▼今回は朝廷の財政が苦しいときに 陸奥小田郡で金を掘り当てた 誠に目出度い話の歌。それが4097番。黄金の国だなと思わせてくれる歌。 4094番の長歌を最後に置いたり、似顔絵を前にもってきたりして見にくくなったのはご容赦。いつものように似顔絵を最後に置くと、サムネイルに反映されたかったための苦し紛れの事情。 英遠の浦に行く日に作る歌一首 英遠の浦に寄する白波いや増しに 立ちしき寄せ来東風をいたみかも 万4093 右の一首は、大伴宿禰家持作る。 *英遠の浦に寄せる白波がだんだん勢いが増している。これは東風が激しいからでしょうか。 (4094番の長歌の後に来る)反歌三首 ますらをの心思ほゆ大君の 御言の幸を 一には「の」といふ 聞けば貴み 一には「貴くしあれば」といふ 万4095 *ますらをの心が沸き立つ思いがする。大君のお言葉のありがたさ。聞くと貴くてならない。 大伴の遠つ神祖の奥城は しるく標立て人の知るべく 万4096 *大伴の先祖の奥城には、人が分かるように標識を立てましょう。 天皇の御代栄えむと東なる 陸奥山に金花咲く 万4097 天平感宝元年の五月の十二日に、越中の国の守が館にして大伴宿禰家持作る。 *天皇の御代が栄えますようにと東国の陸奥山に金の花が咲きました。 【似顔絵サロン】橘奈良麻呂の乱に関係した人々: 百済王 敬福 くだらのこにきし きょうふく 698文武天皇元年 - 766天平神護2年8月8日 奈良時代の公卿。橘奈良麻呂の乱や藤原仲麻呂の乱で功績。749年、陸奥小田郡で産出した黄金900両を朝廷に貢上。大伴家持は「 すめろぎの御世栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く 万4097」と詠った。757年、橘奈良麻呂の乱では反乱者の勾留、警備、拷問を担当。 陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌一首 幷せて短歌 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし來る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも 確けくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田にある山に 金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相う... 続きを読む
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