アルケーを知りたい(224) ノーベル物理学賞 1936年 カール・デイヴィッド・アンダーソンさん リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 21, 2021 ▼1936年のノーベル物理学賞のもうひとりの受賞者は、アメリカの物理学者カール・デイヴィッド・アンダーソンさん(31)。「陽電子の発見」に対して。▼陽電子の存在は、19才年下のディラックさんが理論で予言していた。アンダーソンさんが発見して4年後に受賞。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
万葉集巻第十八4070-4072番歌(一本のなでしこ植ゑし)~アルケーを知りたい(1535) 6月 05, 2025 ▼4070番の前書きに出て来る「 牛麦」。どう読むのか。うしむぎ、あるいは、なでしこ。歌の作者は家持。歌を贈った相手は清見 (せいけん) 。酒と一緒に歌を贈った。歌も嬉しい、酒も嬉しい。どちらも人の心を和らげる。4071番も4072番も傍らには酒があったことでしょう。 庭中の牛麦が花を詠む歌一首 一本のなでしこ植ゑしその心 誰に見せむと思ひそめけむ 万4070 右は、先の国師の従僧 清見 、京師に入らむとす。 よりて飲饌を設けて饗宴す。 時に、主人大伴宿禰家持、この歌詞を作り、酒を清見に送る。 *一本の撫子を植えたその心、誰に見せようと思っていらっしゃるのでしょう。 しなざかる越の君らとかくしこそ 柳かづらき楽しく遊ばめ 万4071 右は、郡司已上の諸人、多くこの会に集ふ。 よりて、守大伴宿禰家持、この歌を作る。 *越中の皆さんがたとこのようにして柳をかづらにして楽しく遊びましょう。 むばたまの夜渡る月を幾夜経と 数みつつ妹は我れ待つらむぞ 万4072 右は、この夕、月光遅に流れ、和風やくやくに扇ぐ。 すなわち属目によりて、いささかにこの歌を作る。 *夜空を渡る月の夜を幾夜経たかと数えながら妻は帰りを待ち焦がれていることでしょう。 【似顔絵サロン】 清見 せいけん ? - ? 奈良時代の僧。越中国師の従僧。748年、越中から京師へ向かった。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=18 続きを読む
万葉集巻第十2219-2222番歌(夕さらずかはづ鳴くなる)~アルケーを知りたい(1477) 4月 08, 2025 ▼今回は刈り入れ前の田と川で鳴いている蛙を詠った四首。2221番で「我が門に守る田」と言っているように、なにしろ主食のコメを育てるのだから、万葉の時代から大切に守っていたのだ。 水田を詠む あしひきの山田作る子秀でずとも 繩だに延へよ守ると知るがね 万2219 *山で田を造っているお方よ、穂が出る前に縄張りすると良いよ、所有地であることを人に示すため。 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺にある 早稲田は刈らじ霜は降るとも 万2220 *牡鹿が妻を呼ぶ山の麓にある早稲の田は刈らないでおきましょう。霜が降りても。 我が門に守る田を見れば佐保の内の 秋萩すすき思ほゆるかも 万2221 *我が家の田を見ていると、佐保の秋萩やススキを思い出します。 川を詠む 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の 清き瀬の音を聞かくしよしも 万2222 *毎夕、カエルが鳴く三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは心地よい。 【似顔絵サロン】万葉集の編集者、大伴家持(718-785)の人脈: 藤原 仲麻呂 ふじわら の なかまろ/恵美押勝 706 - 764 奈良時代の公卿。藤原武智麻呂の次男。757年、橘奈良麻呂の乱では勝利。 763年、藤原宿奈麻呂は家持(47)らと仲麻呂暗殺計画を立てるも失敗。宿奈麻呂が単独犯行を主張したので家持はお咎めなしだったが、翌764年、薩摩守へ左遷。 同764年、孝謙上皇・道鏡と対立し藤原仲麻呂の乱を起こすも敗北、斬首。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集二』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=10 続きを読む
万葉集巻第十九4211-4213番歌(娘子らが後の標と)~アルケーを知りたい(1574) 7月 18, 2025 ▼今回は万葉の中で納得できない歌のひとつ。そもそもなぜそうなった?とか、どうして?とか分からないことが重なる。なぜそうなるか、というと、自分の中にこの歌を理解する回路(短縮して理回路)がないからだろうと思ふ。かといって生成AIに聞く気にならない。家持は読者がこういうモヤモヤした気持ちになるのを承知で載せているのかも。 処女墓の歌に追同する一首 幷せて短歌 いにしへに ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継ぐ 茅渟壮士 菟原壮士の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命も捨てて 争ひに 妻どひしける 娘子らが 聞けば悲しき 春花の にほひ栄えて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の盛りすら ますらをの 言いたはしみ 父母に 申し別れて 家離り 海辺に出で立ち 朝夕に 満ち来る潮の 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ 奥城を ここと定めて 後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊小櫛 しか挿しけらし 生ひて靡けり 万4211 *二人の男に言い寄られた娘子が入水自殺したので黄楊小櫛を土に挿したら黄楊になって緑の葉をなびかせている。 娘子らが後の標と黄楊小櫛 生ひ変り生ひて靡きけらしも 万4212 右は、五月の六日に、興に依りて大伴宿禰家持作る。 *娘子のために後の人が分かるようにと黄楊の小櫛を作ったら、それが黄楊の木になって葉が靡いている。 東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波 いや千重しきに恋ひわたるかも 万4213 右の一首は、京の多比家に贈る。 *東風が激しく吹いて奈呉の浦に何重にもなって打ち寄せて来る波、その波のように恋しく思っています。 【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々: 村国 虫麻呂/武志麻呂 むらくに の むしまろ ? - ? 奈良時代の官人。764年、藤原仲麻呂の乱の後、官位剥奪。 〔参考〕 伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19 続きを読む
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