アルケーを知りたい(287) フォン・ノイマン/John von Neumann

今回の話題は(D)コンピュータのエピソード

▼フリッシュさんは、フォン・ノイマンさん(a)と1945年にマンハッタン計画の拠点であるロスアラモスで初めて会う。フリッシュさんは1才年上のノイマンさんに「歯車ではなく真空管を使った計算機はできないもんですか?」と聞く。ノイマンさんは、夕方5時から深夜まで、途中ビアホールで喉を潤しながら懇切丁寧に説明する。

▼フリッシュさんの感想:(1) I felt I really understood the new world of electronic computers. (電子計算機の新しい世界を本当に理解できたように感じられた)

(2) I feel that I have been privileged in having been initiated so marvellously by the Master himself.(創造主自身からこのように素晴らしい手ほどきを受けたことは特別の恩恵であったと感じている)

▼フリッシュさんはノイマンさんのことを the spiritual father of electornic computers (電子計算機の精神的な父)と表現している。

〔出所〕オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店、2003。pp.215-216

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press.  p.173


(a)
John von Neumann, 1903年12月28日 - 1957年2月8日 

1903年、ハンガリーの首都ブダペスト生まれ。ユダヤ人。

1914(11)WWI。ブダペストのギムナジウムでE・ウィグナーさん(b)と友達。

1926(23)ブダペスト大学はじめ3大学で博士(数学、物理、化学)。

1930(27)ナチスから逃れ一家で渡米。IAS(プリンストン高等研究所)で所員。

1933(30)IASで終身教授(数学)。爆発物の専門家としてアメリカ軍のコンサル。

1937(34)アメリカ市民になる。

1939(36)WWII。

1941(38)V・ブッシュさん(c)が議長を務める国防研究協議会(NDRC)の顧問(後に委員)。

1944(41)H・ゴールドスタインさん(d)からENIACの話を聞き、開発会議に参加。

1945(42)WWII終戦。IASで気象予測を目的とするコンピュータIASマシンの建造を開始。★この年の話

1951(48)IASマシン完成。低気圧発達の再現に成功。

1957(54)ワシントンで死去。


(b) Eugene Paul Wigner, 1902年11月17日 - 1995年1月1日 ハンガリー出身のユダヤ系物理学者。博士。

→ アルケーを知りたい(256) 1963年、ノーベル物理学賞受賞。







(c) Vannevar Bush, 1890年3月11日 - 1974年6月30日 アメリカの数学者。博士。

WWIIの時期、アメリカの軍学産体制を整えたキーパーソン。








(d) Herman Heine Goldstine, 1913年9月13日 - 2004年6月16日 ユダヤ系アメリカ人の数学者、計算機科学者。博士。

軍と大学を結び付けるリエゾン。ENIAC開発の資金調達を実現した。ノイマンさんをENIAC開発チームに引き込んだ。





Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日

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