アルケーを知りたい(289) モーリス・ウィルクス/Maurice Wilkes

今回の話題(D)コンピュータのエピソード

▼フリッシュさんの記述:(1)I often wandered across the courtyard to the mathematical laboratory where Maurice Wilkes was directing the construction of one of the first electronic computers in this country, よく私は、自分の部屋からぶらぶらと歩いて中庭を横切り、モーリス・ウィルクスがイギリスで最初の電子計算機の建設を指揮している数学の研究所を見に行った。

(2)I tried to understand how it worked and was thrilled to learn about tricks  that were new to me, such as the use of the same group of valves for storing either a number or an instruction. どうしてこれが動くのか理解しようとしてウィルクスから、いくつかの真空管をグループにして数字や命令の貯蔵庫に使うという、新しいトリックを教わり、ぞくぞくするものを感じた。

▼この短いエピソード中の「味わいポイント(キーワード)」は・・・

【イギリスで最初の電子計算機】ここではEDSACのこと。

【数学研究所】1937年5月14日にケンブリッジ大学に設立された研究所。設立当初の目的は、一般的な計算サービスを提供し、大学における計算技術の開発の中心地となること。(Wikipedia)

【真空管】EDSACは3000本使用。

【貯蔵庫】EDSACの主記憶装置は「水銀遅延管」を使用。

【命令】EDSACは18個。

▼儂の感想:何をするにもお金がいる。EDSACの開発資金は英国大手の食品会社J. Lyons & Co. Ltd. 社が出した。資金を出す目的は、EDSACの開発スピードを加速し、自社がいち早く英国のコンピュータ市場に進出するため。目論見通り、同社は1951年にEDSACをコピーした商用コンピュータLEO(Lyons Electronic Office)Iを売り出し市場で成功を収める。その後、リヨンズ社は1954年にLEO Computers Ltd.社を設立し、LEO II、LEO IIIを販売する。紆余曲折を経て富士通が同社を買収する。▼EDSACはケンブリッジ大学の研究に役立ち、LEOは企業の計算業務の効率化に役立った。WIN-WINの関係が見込めればお金が動く

〔出所〕

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店、2003。pp.259-261

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press.  pp.209-211



モーリス・ウィルクス Maurice Wilkes,
1913年6月26日 - 2010年11月29日

1913年、イングランドのウスターシャー ダドリー生まれ。

1936(23)ケンブリッジ大学でMA(数学)。マンチェスター大学でDouglas Hartreeさんが行った計算機の講義に参加。MITのV・ブッシュさんが発明した微分解析機“differential analyzer”を知る。

1937(24)ケンブリッジ大学でPhD(物理学)。新設の計算機研究所で副所長。

1939(26)WWII。軍でレーダー開発とORに協力。戦後コンピュータ開発で役立つ人脈を形成。

1945(32)WWII終戦。ケンブリッジ大学に戻り数学研究所で副所長と所長(1980年まで)。ノイマンさん著「EDVACに関する報告書の第一草稿」を入手。

1946(33)ペンシルベニア大学ムーアスクールで開催されたコンピュータのレクチャーに参加。アメリカのコンピュータ情報を収集。帰国の船中でEDSACの構想を練る。

1947(34)数学研究所の自前の資金でEDSAC開発開始。フリッシュさんはこの年からケンブリッジ大学の人。

1949(36)EDSAC稼働開始。主記憶装置に水銀遅延線を使用。★この年の話

1951(38)「Preparation of Programs for Electronic Digital Computers 」発刊。

1957(44)英国コンピュータ協会を創設。初代会長(1960年まで)。

1965(52)ケンブリッジ大学で教授(コンピュータ技術、1980年まで)。

1967(54)第2回チューリング賞を受賞(EDSACの設計者および開発者として)。

1980(67)ケンブリッジ大学の教授と研究所所長を引退。渡米しDECで技術スタッフ。

1986(73)イギリスに戻る。Olivetti-AT&T研究所で理事。

2002(89)ケンブリッジ大学コンピュータ研究所で名誉教授。

2010(97)ケンブリッジで死去。

★Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日

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