人づき合いに疲れたら実験に打ち込め:マイケル・ファラデーさんの教訓

アルケーを知りたい(314)  マイケル・ファラデー /Michael Faraday _教訓:
今回の話題は(A)物理学。

▼マイケル・ファラデーさんの教訓:人づき合いに疲れたら実験に打ち込め
教訓の理由:ファラデーさんは価値あるアウトプットによって、自分のネガティブな経験をチャラにする生き方をしたから。
感想:ニュートンさんは人に対して攻撃的だった。ファラデーさんはエネルギーを攻撃ではなく、実験に集中させた。人と争うと力が湧くタイプなのかな、ニュートンさんは。享年はニュートンさんが84、ファラデーさんが76。ニュートンさんより短い。椅子に座ったまま死去。亡くなり方は理想的だ


マイケル・ファラデー
  Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日
1791年、イングランドのサリー州 ニューイントン・バッツ(現在のロンドンの南)生まれ。父は鍛冶屋の見習い。
1805(14)小学校を出たあと近所の製本兼書店で見習い(1812年まで)。読書を通じて電気に興味。見習い仲間から絵の手ほどきを受ける。科学の本に出てくる実験装置を正確に描写。
1812(21)ロンドン市哲学協会で勉強。応援者から貰った入場券で化学者ハンフリー・デービーさん(Humphry Davy, 1778年12月17日 - 1829年5月29日)の講演会に何度も参加。自作したボルタ電池で硫酸マグネシウムを電気分解。
1813(22)王立研究所でデービーさんの化学助手。従者兼

実験助手としてヨーロッパ旅行に同行(1815年まで)。多くの知己を得る。
1821(30)結婚。デービーさんとウイリアム・ウォラストンさん(William Wollaston, 1766年8月6日- 1828年12月22日)が電動機の開発に失敗。2人から話を聞き、電磁技術の基礎となる電磁回転装置を完成、発表。以後、デービーさんとの関係が悪化。
1823(32)塩素の液化に成功。

1824(33)王立協会フェローに選出。デービーさんは反対。
1825(34)ベンゼンを発見。デービーさんの後任で英国王立実験所長。
1829(38)デービーさん死去(50才)。
1831(40)電磁誘導を発見。
1832(41)オックスフォード大学から名誉博士号。
1833(42)電気分解の法則を発見。王立研究所の初代フラー教授

(Fullerian Professor of Chemistry) 。ウィリアム・ヒューウェル(William Whewell、1794年5月24日 - 1866年3月6日)さんが考案した用語:アノード、カソード、電極 、イオンを使い、普及させる。
1838(47)スウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員。
1839(48)神経衰弱に苦しむ。電磁気学の研究に復帰。
1844(53)フランス科学アカデミーの外国人会員。
1845(54)反磁性を発見。

1848(57)アルバート王配殿下(Prince Albert of Saxe-Coburg-Gotha, 1819年8月26日 - 1861年12月14日)の配慮でハンプトン・コート宮殿内で生活。
1851(60)ロンドン万国博覧会の計画立案と評価。
1853(62)政府からクリミア戦争(1856年まで)のため化学兵器製造を打診され拒絶 。
1857(66)ナショナル・ギャラリー運営委員会委員。
1858(67)引退。
1867(76)ハンプトン・コート宮殿内の自宅で椅子にもたれたまま死去

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Faraday
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.27
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. p.21

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