先達の仕事に付加価値を付けるのはキミの役だ:マクスウェルさんの教訓

アルケーを知りたい(315)  ジェームズ・クラーク・マクスウェル /James Clerk Maxwell _教訓:
今回の話題は(A)物理学。

▼マクスウェルさんの教訓:先達の仕事に付加価値を付けるのはキミの役だ

教訓の理由 マクスウェルさんは、ファラデーさんとは直接会ってコミュニケーションを取る機会があった(これはすごい!)。キャヴェンディッシュさんとは、残された書き物を通じてコミュニケーションが取れた。マクスウェルさんを境に「それ以来、物理学者は、より難しい実験を行おうとする技能派と、精密さを増す数学を扱う理論派の、いずれかへと、より専門化されるようになった」(フリッシュさんの「何と少ししか」のp.27)。

感想 イギリスのケンブリッジ大学、キャヴェンディッシュ研究所は、日本ではイメージしにくい「ありよう」を持っているようだ。知の蓄積、伝承に対する意志の強さと大学がうまく結びついている。


ジェームズ・クラーク・マクスウェル
  James Clerk Maxwell, 1831年6月13日 - 1879年11月5日
1831年、スコットランドのエディンバラ生まれ。父は弁護士。
近所に学校がなかったので母が教育。
1839(8)母が死去。家庭教師に教育を受ける。
1841(10)エディンバラ中等学校入学。
1845(14)自作の詩が『エディンバラ通信』に掲載。
1847(16)エディンバラ大学入学。
1850(19)ケンブリッジ大学ピーターハウスカレッジに入学。次の学期からトリニティカレッジ。

1854(23)エドワード・ラウスさん(Edward Routh, 1831年1月20日 - 1907年6月7日)に続く第2位の成績でトリニティカレッジ卒業。フェローとして研究と教育。
1855(24)マイケル・ファラデーさんの磁気力線に関する論文を発表。
1856(25)トリニティーカレッジの研究員。父が死去。スコットランドのマーシャルカレッジで教授(科学哲学)。
1857(26)懸賞論文「土星の環の構造と安定性」でケンブリッジ大学アダムズ賞受賞。
1858(27)結婚。
1860(29)キングス・カレッジ・ロンドンで教授(自然哲学)。
1861(30)王立研究所でファラデーさんと定期的に会合。電磁誘導の概念モデルを完成。光の三原色ごとのフィルターで撮影した3枚の写真を重ねて史上初のカラー写真に成功。撮影は一眼レフの発明者トーマス・サットンさん(Thomas Sutton, 1819年 – 1875年3月19日)。
1864(33)ファラデーさんの電磁場理論をもとにマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立。王立協会で発表。
1865(34)研究に専念するためキングスカレッジを退職。
1868(37)論文で「電磁波」という用語を使用。電気と磁気の関係を論じる。

1871(40)ケンブリッジ大学が新設した実験物理学講座でキャベンディッシュ物理学教授職の初代教授。第7代デヴォンシャー公ウィリアム・キャヴェンディッシュさん(William Cavendish, 7th Duke of Devonshire,  1808年4月27日 – 1891年12月21日))の基金によるキャヴェンディッシュ研究所設立に貢献。
1874(43)キャヴェンディッシュ研究所の初代所長。ヘンリー・キャヴェンディッシュさん(Henry Cavendish, 1731年10月10日 – 1810年2月24日)の遺稿を元に実験を再現。
1879(48)キャヴェンディッシュの論文集を発刊。嚥下障害に苦しむ。癌のためケンブリッジで死去。

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/James_Clerk_Maxwell
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.27
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. p.21

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