ド・ブロイ波とはどんな波?:ルイ・ド・ブロイさんの教訓
アルケーを知りたい(316) ルイ・ド・ブロイ / Louis de Broglie _教訓:
今回の話題は(A)物理学。
▼マクスウェルさんの教訓:ド・ブロイ波とはどんな波?
教訓の理由 中学のときの友達が隣の県に引っ越した。高校になってその友達が手紙で「ド・ブロイ波について述べよ」と言ってきた。答えられませんでしたねえ、当時。もとい、当時も今も。
感想 ラザフォード先生の原子モデル以来、電子や原子核を小さい粒の絵で描いてきた。でもホントに粒なんだろうか。粒の性質を示すけれども、小さな粒として捉えないほうが良さそうではないのか。同様に、波の性質を示すけれども、波ではない、みたいな。アルケーを知りたいのだけれど、これ、という捉え方はできず、粒の性質を見せたり、波の性質を見せたりする現象の元がアルケーなのかな。
ルイ・ド・ブロイ Louis de Broglie, 1892年8月15日 - 1987年3月19日
1892年、フランスのディエップ生まれ。貴族の家系。
ソルボンヌ大学で歴史学を専攻。兄の影響で物理学にシフト。
1910(18)パリ大学でBA(歴史学)。
1913(21)パリ大学でBA(科学)。
1914(22)WWI。入隊しエッフェル塔で電波技術者。潜水艦との無線通信技術を追求。アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel, 1832年12月15日 - 1923年12月27日)
1918(26)WWI終戦。兄(第6代当主モーリス・ド・ブロイ)と自宅の実験室で研究。
1924(32)光の波と粒子の二重性理論を提案しパリ大学で博士(物理学)。アインシュタインさんの光電効果・電磁波の粒子性論(1905年)、コンプトンさんの電子によるX線の散乱(1923年)を念頭にド・ブロイ波(粒子である電子が波のように振る舞う)を提唱。博士論文に対しアインシュタインさんがノーベル賞を取れる、とか、ノーベル賞以上の価値と言ってお墨付きを出す。
1926(34)ソルボンヌ大学で授業。
1927(35)ド・ブロイ波の理論が実験で検証される。
1928(36)アンリ・ポアンカレ研究所で教授(理論物理学)。ジュール=アンリ・ポアンカレ(Jules-Henri Poincaré, 1854年4月29日 – 1912年7月17日)
1929(37)ノーベル物理学賞を受賞(電子の波動性の発見)。
1938(46)マックス・プランク・メダル受賞。
1939(47)WWII
1944(52)アカデミー・フランセーズ会員。
1945(53)WWII終戦。
1960(68)兄が死去。公爵家の当主になる。
1962(70)アンリ・ポアンカレ研究所を退任。
1987(95)パリ郊外ルーヴシエンヌで死去。
〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_de_Broglie
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.31
Otto Robert Frisch (1979), What little I remember. Cambridge University Press. p.21
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