高校生諸君、水素原子スペクトルの赤外線領域は私の系列ですぞ:フリードリッヒ・パッシェンさんの教訓

アルケーを知りたい(319)  フリードリッヒ・パッシェン / Friedrich Paschen_教訓:

今回の話題は(A)物理学。

▼パッシェンさんの教訓:高校生諸君、水素原子スペクトルの赤外線領域は私の系列ですぞ

教訓の理由 水素原子のスペクトルは、高校物理で学ぶ原子構造で学ぶ。分光学はイギリスやドイツほかで開拓・蓄積された学問。水素原子のスペクトルの可視光領域の波長を導き出す式は、スイスの高校教師ヨハン・ヤコブ・バルマーさんが1885年に見つけた。フリッシュさんによると「バルマーの自慢は、どんな四つの数字が与えられても、その数字を結び付ける数式を見つけ出すこと」で「友達が水素原子の特性を示す四本の線スペクトルの波長をバルマーに与え」たところ「驚いたことに、バルマーはその波長の測定値と気味が悪いほどの精度で一致するたいへん簡単な式を導いた」という。バルマーさんは関係式を1885年に公表したものの、誰も物理的な意味を見出せないままの状態が続いた。しかし「プランクの量子のアイディアを原子の構造に応用しようと苦闘していたニールス・ボーアがとうとうバルマーの式にたどりついたとき『全てがはっきりした』」(p.28)

いまや水素原子のスペクトルは、紫外線領域はライマン系列、可視光線領域はバルマー系列、赤外線領域はパッシェン系列と三つの系列に整理され、高校物理の参考書で表に整理されている。Wikipediaを見ると、さらに三つの系列が紹介されている。

感想 データから理論を抽出する活動について、平尾物理(旺文社の総合的研究物理p.651)は、「精密なデータと明晰な分析の連携から導かれた理論という意味で、ティコ・ブラーエ、ケプラーからニュートンへ至る道のりと共通するものが感じられる」と言っている。また、フリッシュさんもディラックさんについて言及した箇所で「ディラックの数学は素晴らしい成功を収め、線スペクトルの微細構造とゼーマン効果を説明することができた」「ディラックの論文は純粋数学の技術力の素晴らしい証明」と言っている。ここでのフリッシュさんの締めは「しかし、大勢の実験家たちは、まだ彼ら数学屋が何をやっているか、ついていけた日々を、悲しみとともに思い起こすのだけれど」(p.33)

高校情報でもデータサイエンスが重視されるようになったのは、データから理論を導き出す天才的な技をコンピュータを使って国民的なものにしよう、ということなのか。すごい時代になった。 


フリードリッヒ・パッシェン
  Friedrich Paschen, 1865年1月22日 - 1947年2月25日

1865年、ドイツのシュヴェリーン生まれ。

1884(19)ベルリン大学とストラスブルグ大学で学ぶ(1888年まで)

1888(23)Academy of Münsterで助手。

1889(24)火花電圧はガス圧と電極の間隔の積の関数というパッシェンの法則を発見。

1893(28)Technical Academy of Hannoverで教授。

1895(30)ヘリウムの放出スペクトルの研究。

1901(36)ドイツのテュービンゲン大学で教授。

1908(43)水素原子のスペクトルのうち赤外線領域の系列(パッシェン系列 Paschen series=高校物理に出てくる)を発見。

1912(47)エルンスト・バックさん共に非常に強い磁場中で原子の放出スペクトルが分離する「パッシェン=バック効果」を発見。

1914(49)WWI。

1916(51)Hollow cathode effect の発見。

1918(53)WWI終戦。

1924(59)Physikalisch-Technischen Reichsanstalt(PTR:物理技術研究所)で所長(1933年まで)。

1925(60)ドイツ物理学会会長(1927年まで)。ベルリン大学で名誉教授。

1927(62)フリッシュさん(23才)がPTRの光学部門で研究。このときパッシェンさんはPTR所長。

1928(63)ランフォード・メダル受賞。

1930(65)フリッシュさん(26才)がベルリンのPTRからハンブルグに移る。

1939(74)WWII。中国の科学者 He Zehui(1914年3月5日– 2011年6月20日)を自宅に住まわせ娘のように遇する。後、養親になる。ドイツの核物理学者ヴァルター・ボーテさん(Walther Bothe, 1891年1月8日– 1957年2月8日)に紹介。

1945(80)WWII終戦。

1947(82)ポツダムで死去。

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Paschen

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.38

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. p.32

平尾淳一(2018)『総合的研究物理』旺文社。

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