生意気なクソガキにも理あり:レヴ・ランダウさんの教訓

アルケーを知りたい(322)  レブ・ランダウ /Lev Landau_教訓:

今回の話題は(A)物理学。

▼ランダウさんの教訓:生意気なクソガキにも理あり

教訓の理由 フリッシュさんの本に出てくるエピソードがある。ドイツ物理学会の会合でアインシュタインさんが新しい考えについて講演をした。質疑応答のときホールの後ろにいた若者が「下手なドイツ語と最も驚くべきマナー in bad German and a most surprising manner」で質問を始めた。ホールの誰もがこの無礼な若者を見た。しかしアインシュタインは質問の内容を聞いて考え込んだ。しばらくしてアインシュタインさんは聴衆に向かって「今、後ろの若い人が言ったことは完全に正しい」と言った。この若者が後にソ連第一の理論物理学者になるレヴ・ランダウさんだった、という話。

感想 このエピソードはアインシュタインさんの間違いを進んで認める潔さの例として挙げられている。同時にレヴ・ランダウさんの推論力の高さを示している。誰が・何を言ったかを、好きか嫌いか✖論理的か非論理的かの2✖2のマトリックスにしたとき、好きな人が論理的なこと言う組み合わせには簡単に賛同できる。この場合は、嫌いな人が論理的なことを言う組み合わせに相当する。アインシュタインさんは「最も驚くべきマナー」に気を取られず、語られた内容だけを吟味して論理的であることを認めた。目的に叶うことであれば、生意気なクソガキの言うことでも採用するほうが益になる。


レヴ・ランダウ
 Lev Landau, 1908年1月22日 - 1968年4月1日

1908年、アゼルバイジャンのバクー生まれ。父は石油技術者、母は勉強家で教育熱心。豊かなユダヤ人家庭。

1914(6)WWI。子供時代から数学の神童。

1918(10)WWI終戦。530万人の犠牲者を出す。二月革命が起きロシア帝政が終わる。

1920(12)微分法をマスター。

1921(13)積分法をマスター。ギムナジウムを卒業。バクー経済技術学校に入学。

1922(14)バクー国立大学入学。物理数学科と化学科に在籍。ソビエト連邦の設立。

1924(16)レニングラード国立大学に転学。理論物理学を学ぶ。レーニンが死去、権力闘争が発生、スターリンが政権。

1927(19)レニングラード国立大学卒業。レニングラード物理工学研究所。

1929(21)ロックフェラー財団の奨学金を得て国外留学(1931年まで)。ドイツ語、フランス語、英語が使えた。


1930(22)コペンハーゲンのニールス・ボーア理論物理研究所で研究。ニールス・ボーアさん(Niels Bohr, 1885年10月7日 - 1962年11月18日)の弟子になる。ケンブリッジでポール・ディラックさんと共同研究。ピョートル・カピッツァさん(Pyotr Kapitsa, 1894年7月8日 - 1984年4月8日)との議論からランダウ反磁性理論をまとめる。

1931(23)チューリッヒでヴォルフガング・パウリさんと研究した後、レニングラードに戻る。


1932(24)ハリコフ物理工学研究所で理論物理部長。エフゲニー・リフシッツさん(Evgeny Lifshitz, 1915年2月21日 - 1985年10月29日)と教科書「理論物理学教程」を執筆。

1934(26)レニングラード物理工学研究所で博士(物理と数理科学)。指導教員はニールス・ボーア先生。

1937(29)モスクワの科学アカデミー物理問題研究所(カピッツァさんが所長)で理論物理部長。スターリンの大粛清(1938年までに68万人が死刑、63万人が強制収容所送り)。

1938(30)スターリンを批判したため逮捕、刑務所で服役。

1939(31)物理問題研究所所長カピッツァさんの嘆願で釈放。結婚。WWII。

1940(32)ソビエトの原子爆弾・水素爆弾開発プロジェクトに強制参加。考案した数値計算手法が水素爆弾の開発に貢献。

1941(33)ヘリウム4の超流動現象を理論的に説明する論文を発表。

1943(35)モスクワ大学で教授。

1945(37)WWII終戦。

1946(38)スターリン賞を受賞。ソビエト科学アカデミー会員。

1953(45)スターリン死去。核開発プロジェクトから脱退。

1954(46)社会主義労働英雄称号を授与。

1960(52)マックスプランク・メダル受賞。

1962(54)交通事故で瀕死の重傷。ノーベル物理学賞受賞(凝集系の物理、特に液体ヘリウムの理論的研究)。式典には出席できず。

1965(57)同僚や元学生がランダウ理論物理学研究所を設立。

1968(60)交通事故の後遺症のためモスクワで死去。

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Lev_Landau

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.44

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. p.36



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